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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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窮途末路・五

 慧牙(けいが)はおもむろに目を開くと、じっと地面に並ぶ銭を見た。見つめること間もなく、急に彼は吹き出した。


「うっわ、最悪!」


 そう声を弾ませて、けらけらと笑いだす。一体何が面白いのやら、慧牙の笑いは止まらない。


「おい一体……」


 思わず楊鷹(ようおう)が声をかけると、「これは失礼」と一言、慧牙は口元を袖で押さえる。そうして、ようやっと笑いを収めると彼は言った。


「素敵な結果が出ましたので、次の新月までは待って差し上げましょう」

「素敵な結果?」


 楊鷹が尋ねれば、慧牙はもったいぶって頷いた。


「ええ。貴方にとって、次の新月の日はとんでもない厄日のようですので」


 慧牙は銭を拾い集めて小袋にしまうと、ゆっくりと立ち上がる。


「新月まではあと十二日、といったところでしょうか。それだけあれば十分でしょう。歯向かうにしても()()()にしても、算段はつくはずです」


 「逃げる」という言葉をやたらと強調しながら、慧牙は楊鷹に流し目を送る。

 楊鷹の背に、じっとりと嫌な汗がにじむ。随分と婉然(えんぜん)とした視線だが、そこに好意は一片たりとも含まれていない。


(俺が逃げれば、北汀村(ほくていそん)は彼らに滅ぼされる)


 神仙の言葉は皮肉か、それとも甘い誘惑のつもりなのか。

 楊鷹は老人を一瞥してから、問うた。


「……俺が逃げたら、この村はどうなる? 滅ぼすんだろう?」

「はい。貴方に猶予はあげますが、そのお話は何も変わりません。もしも、新月の日までにあなたが我々のもとに来なかったら、この村は滅ぼします」


 静まり返っていた村人たちが、一斉にどよめいた。楊鷹はとっさに声を張り上げる。


桃李虚(とうりきょ)の神仙は、人を殺すことを禁じられていると聞いたぞ!」

「あらやだ、鋭い」


 慧牙は盛大に眉をひそめた。

 楊鷹は、きっと彼をにらみつける。

 しかし、そんな鋭い視線もどこ吹く風。慧牙は一瞬で笑顔に戻ると、ぱちんと手を打ち鳴らした。


「それでしたら、開心林(かいしんりん)を襲撃したのがこの村の人々だと、お役所に申し出ましょう」

「なんだと?」


 今度は楊鷹が眉間にしわを寄せる。すると慧牙は、人差し指を立てにんまりと笑った。


「おそらく、開心林が壊滅した事件について、犯人の手掛かりは無いに等しい。人々のほとんどは烈熾狼(れっしろう)に食われてしまいましたから、残っているのは腕とか足とか頭とか、そういう欠片ばかりです。しかも、焼け焦げている。このように」


 慧牙は、足元に転がる焦げた人頭を指差すと、さらに続けた。


「そのような怪事件を解決するのは、難しいことでしょう。お役所は早々に手詰まりになる。そこに、貧しいこの村の方々が、この辺りを牛耳っていた喬徳(きょうとく)の勝手に我慢がならなくなって襲撃した、と、申し出ましょう。それならば、桃李虚の決まりを破ることにはなりません」


「ね?」と慧牙が同意を求めるように首をかしげる。

 楊鷹の全身が凍えた。

 役所の人間にとって、こんなにも貧しい村の人々は取るに足らない存在だ。それよりも、事件の犯人を捕まえて事を終息させること、また難事件を解決させたという手柄の方が大事だ。

 つまり、慧牙がそのような証言をすれば、役人たちはこの村の人々を開心林襲撃の犯人として捕らえ、罰する可能性が高い。


 そのような役人、腐っている。だが、楊鷹はそのような腐った性根の官吏(かんり)が、決して少なくないと知っている。第一超慈(ちょうじ)の話では、この辺りの役人は喬徳から送られる汚い金を受け取っていた、というではないか。

 右頬がじわりと熱くなった。また、腹の底から怒りが湧いてくる。楊鷹は拳をきつく握りしめた。

 どうしてそんな回りくどいことをしてまで、村人たちの命をつけ狙うのだ。意味が分からない。


「村人たちは関係ない。巻き込むな」

「それは嫌です。面白くありませんから」


 楊鷹の言葉をばっさりと切り捨てると、慧牙は踵を返し、村人たちに笑いかけた。


「というわけで、改めてこのような約束にいたしましょう」


 慧牙(けいが)はその場でくるりと回ると、両手を大きく広げた。そして、朗々と宣言する。


「こちらの若白髪のお兄さんとそのお連れのお子さんが、次の新月の日に我々のもとにやってくればそれでよし。私たちは、開心林(かいしんりん)喬徳(きょうとく)のお屋敷があったところで待っていますので、逃げないというのであればそちらまでいらしてください。もし来なければ、私はこの村の人々を開心林襲撃の犯人としてお役所に申し立てます」


 その芝居がかった動作は、役者というより道化である。しかし、誰もまったく笑わない。笑えるわけがない。あまりの白々しさに太陽すら嫌気が差したのか、にわかに日が陰った。


「もう、よいではありませんか。私たちは関係ありません」

「そうだ、ふざけたことを言うな!」

「今すぐ、そいつを連れていけ! それで終わりだろう」


 老人に続いて、村人たちが口々に叫ぶ。

 両手を広げたまま、慧牙はなだめるように言い返した。


「まぁまぁ、そう言わずに。こちらのお兄さんだって、命がかかっているんです」

「言うに決まっているだろう! 罪人に仕立て上げられるなんてごめんだ!」

「少し考える時間くらい上げてもいいじゃありませんか。それに、彼が逃げると決まったわけではありませんよ?」


 慧牙が両手を下げて、楊鷹(ようおう)を指し示す。

 しかし、村人たちの頑なな態度は変わらない。


「そいつの都合なんか知るか!」

「逃げない証拠がどこにある!」


 声高な叫びはもはや怒号、ありありと怒りがほとばしる。

 慧牙はちらと楊鷹を見ると、冷めた声でつぶやいた。


「貴方、嫌われてますね」


 口に石ころをねじ込まれたかのように、楊鷹は胸元が重苦しくなるのを感じた。この苦しさをそのまま飲み下せば、きっと心が負ける。楊鷹は拳をさらにきつく握りしめた。爪が肉に食い込む。痛みを()べて、己のうちに燃える熱をつなぎ止める。

 楊鷹は言った。


「逃げはしない」

「信じられるか!」


 村人の一人が、すかさず言い返す。老人は冷ややかな昏い目で楊鷹を見つめている。言葉をいくら重ねても、彼らの心には何一つ響かないに違いない。それだけ、彼らは根深いものを抱いている。

 慧牙は目を細め、ほう、と嘆息した。その吐息はうっとりとするように、随分と艶を帯びていた。


「とても良いですね」


 慧牙が言った。

 一体、何が良いのか。言葉の意図が分からず、楊鷹はぱっと慧牙を見る。村人たちも同じく、不可解な神仙に視線を向ける。

 しかし、そんな風に見られたところで、今更(なび)くたまではなかった。慧牙は何食わぬ顔で、腰に下げた佩玉(はいぎょく)を外した。


「確かに、あなた方はこのお兄さんを待ったところで旨味がない。それならば」


 言いながら、慧牙は手中の佩玉を村人に見せつけるように掲げた。彼の手の中にあったのは、複雑なきらめきを宿す玉虫色の玉だった。


「もしも」


 優美な男の唇から発せられた声は、やけに甘く響く。


「もしも、あなた方がこの若白髪のお兄さんの『逃げない』という言葉を信じて、共に新月の夜まで待つことができたら、この佩玉を差し上げましょう」


 慧牙がちらちらと左右に手を動かす。白磁の指の中で、玉は赤、緑、紫と、色とりどりにきらめいた。

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