表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
83/131

窮途末路・三

 食事をすませると、楊鷹(ようおう)は身なりを整えた。(すす)で汚れた顔や手足を洗う。右頬の刺青隠しに貼っていた膏薬(こうやく)も、煤で黒くなってしまったので、はがす。そして、荷の中に入っていた新しい膏薬を貼りつけた。

 上衣の胸元や袖には煤のみならず血もついており、さらにはところどころ焦げていた。なかなかの惨状だが、洗うにも新調するにも時間が惜しい。今は気にしていられない。

 身なりを整えた後、改めて荷物を確認した。麻の荷袋の中には膏薬の他に、食料や水筒、火打ち道具などが入っていた。それだけでなく、少量の路銀まであった。月蓉(げつよう)の暮らしを思えば、少ない金額ではない。一体どこから捻出したのだろうか。彼女の厚い心遣いはただただありがたく、そしてやっぱり胸が痛む。この痛みがどこから来るのか、楊鷹にはよく分からない。こんなにも身を切らせてしまった申し訳なさ、だけでもないように思えた。

 

 その気持ちが、楊鷹を引き留めた。

 休み、食べ、準備はすっかり整った。出立できる状態に至ったにもかかわらず、楊鷹はためらった。月蓉が戻って来ないのだ。ここまでしてもらって、何も言わずに旅立つのは気が引ける、というより嫌だった。どうしても、彼女に一言別れの挨拶をしておきたい。さっさと()つのが良いとは理解しつつも、彼女に対する情は捨てられない。

 小屋の中に敷いてあった即席の寝床も、すでに片付けてしまった。楊鷹と毛翠(もうすい)は、むき出しの地べたに直に座っている。


「まだ出発せぬのか?」

「……月蓉に挨拶したいんだ」

「それは、そうだが……」


 毛翠はちらりと納屋の扉を見やる。扉は物音ひとつ立てず、ぴくりとも動かない。

 毛翠の言いたいことも分かる。このやり取りもすでに三度目だった。


「少し、様子を見てくる」


 もしかしたら既に帰っていて、主屋の方で何か用事をしているのかもしれない。

 楊鷹は仙器を腰に差した。それから、(から)の皿を持って立ち上がると、納屋を後にした。


 外は不気味なほどに静まり返っていた。楊鷹は足早に主屋の方へ向かう。

 軒下に人影はなかった。昨日、李白蓮(りはくれん)が座っていた椅子も、今は空っぽだ。そっと正面の扉から中に入ってみる。左手は厨房になっており、かまどと(かめ)、それからまな板や食器が置かれた長いつくえがあった。まな板の横に食器を置いてから、楊鷹は室内をぐるりと見回した。やはり、しんとしており、人の気配がない。かまどの火も消えていた。灰が崩れる微かな音が、やけにはっきりと響く。

 奥の部屋にでも、いるのだろうか。そう思い、足先をそちらに向けた、その時。


「いい加減、吐け!!」

「きゃあっ!」


 男の怒声に続いて、女性の叫び声が響いた。その叫び声に、楊鷹の体は素早く反応する。さっと体を翻し、李白蓮の家を飛び出した。

 叫び声は、月蓉の声だった。

 声の聞こえた方向へ急ぐ。漆喰(しっくい)がはげた家の角を曲がると、道の真ん中に人だかりが見えた。継ぎはぎだらけの粗末な衣をまとった男たち数人――おそらく村人だろう――と、彼らの対面にうずくまる月蓉。

 ぞわりと楊鷹の肌が粟立つと同時に、再び怒声が響いた。


「嘘を()くな! もっと痛い目にあいたいのか!」


 叫んだ男が月蓉ににじり寄る。

 楊鷹は叫んだ。


「やめろ!」


 瞬間、男が足を止め、月蓉から楊鷹に視線を移す。その隙に、楊鷹は全力で駆け、男と月蓉の間に滑りこんだ。


「なんの騒ぎだ。彼女が何をした」


 楊鷹は、男をにらみつけながら尋ねる。その鋭い視線に気圧されたのか、男は後ずさる。だが、その男の背後に群がる村人たちは、怯まなかった。


「こいつだ! こいつのことだ!」

「やっぱりいるじゃねぇか! この(あま)、嘘をついていやがった!」


 やいのやいのと口々に声を上げ、楊鷹に指を突きつける。


「兄さん、逃げてください……」


 か細い声で月蓉が言った。その声は楊鷹の耳に確かに届いたが、しかし言っている言葉の意味がさっぱり分からない。


(逃げろ、とはどういうことだ……?)


 戸惑いがちに振り返る。

 月蓉が頬を押さえながら、上体を起こしていた。顔を殴られでもしたのか、押さえている手の下の頬が薄らと赤い。黒い髪も、すっかり乱れてしまっていた。


「月蓉、大丈夫……」

「いいから、早く逃げてください」


 切羽詰まっているような、切実な月蓉の声が、楊鷹の言葉を遮った。

 村人の一人が、すかさず叫ぶ。


「のこのこ出てきたところを、逃がすかよ!」


 じゃり、と土を擦る音が聞こえた。楊鷹は前方に向き直る。

 目を尖らせた若い男が二人、楊鷹に詰め寄る。

 揉め事の渦中に、いつの間にやら巻き込まれている。それは理解できた楊鷹であったが、どうしてそのようなことになっているのかは、やはり分からない。どうやら村人たちから怒りを向けられているようだが、よそ者といえども何かしでかした覚えはなかった。

 楊鷹はさっと手を掲げた。


「待ってくれ。話が分からない。一体どういうことなんだ?」


 若い男の一人が、かっと目を剥いた。


「てめぇを連れて行かないと、俺たちは殺されるんだよ!!」


 やけっぱちのような叫びがこだまして、楊鷹の心を強かに撃った。ひどく嫌な予感がほとばしり、背中に脂汗がにじむ。

 母の教えを念じて平静を取り繕うと、楊鷹は問うた。

 

「何がどうして、そんなことになったんだ?」


「うるせぇ! つべこべ言ってねぇで、大人しくこっちに来い!」


 若者たちは質問には答えずに、勢いよく楊鷹(ようおう)につかみかかった。

 楊鷹は右へ左へと軽やかに足をさばき、己を狙って伸びてきた手をかわす。盛大に空を()いた若者たちは、その素早い身のこなしに驚いたのか、きょとんとした表情を浮かべた。


「お前たち、落ち着け」


 落ち着いた、しわがれた声が響く。

 村人たちの塊から、一人の老人が進み出てきた。老人は背が低く、左足を引きずるようにして歩いてくる。彼は若者たちのところまでやって来ると、片手を振った。


「ほら、下がれ」


 老人は、北汀村(ほくていそん)の顔役か何かなのだろう。若者二人は楊鷹を恨めしそうに一瞥するも、言われるままに後ろに下がる。

 老人はじろりと楊鷹をねめあげた。


「貴方は、昨夜、開心林(かいしんりん)で火事があったことを知っていますかな?」


 楊鷹はどきりとした。それでも、すぐさま母の教えを思い出して、「はい」と冷静に頷く。

 老人は、一つ息を吐いてから言った。


「……さっき、慧牙(けいが)と名乗る男がやって来ましてな。それで、わしらにこう言ったんです。『若白髪のような髪に緑の目の男と、そいつと同じ目の色の赤ん坊を連れて来い。もし連れて来れなければ、開心林と同じようにこの村も滅ぼす』とね」


 嫌な予感は的中した。慧牙とは山道で遭遇した、酒売りに変じていた神仙の名だ。この不可解な揉め事には、神仙が関わっている。案の定、ではあったものの楊鷹は絶句した。頭の中が真っ白になる。まるで当たってほしくない予感であった。

 楊鷹が呆然としている間も、老人は痩せた声で滔々(とうとう)と語る。


「初めは何の話かと思いました。開心林の火事のことも、知りませんでしたからな。それで、取り合わないでいましたら、慧牙は焼け焦げた人の頭を見せつけてきましてね。こうなりたくなかったら、というわけです。それから、慌てて人を走らせてみたところ、盧西村(ろせいそん)で開心林が焼け野原になったと、騒ぎになっておりました。ですから、どうにも慧牙の話を無碍(むげ)にできなくなりましてな」

「そういうわけで、こっちはてめぇを連れてかねぇといけねぇんだよ!」

「そうだ! 分かったか!」


 一息置いた老人に続けて、村人たちが口々に叫ぶ。異様な熱気が沸き立つ。

 楊鷹ははっと我に返った。腑抜けている場合ではない。(たかぶ)る村人たちを眼光鋭くにらみつけ、牽制(けんせい)する。

 

「なんだ、やる気か?」

「そのつもりなら、力づくでも捕まえるぞ!」


 村人たちが前のめりになる。今にも飛び出さん、といった様子だ。そんな彼らに向かって、老人はまた大きく手を振った。人々は急に静かになる。

 楊鷹を真っすぐ見つめながら、老人は言った。


「そういうわけで、我々と一緒に来ていただきたい」


 背後に控える村人たちとは異なり、老人の声は穏やかだった。穏やかな声で、酷な要求をしてくる。

 その要求は、楊鷹にとって死罪を宣告されるのに等しい。このまま村人たちに従って、慧牙のもとに身を晒せば、間違いなく命はない。慧牙のもとには、荘炎魏(そうえんぎ)もいるはずだ。()の神仙に敵わないことは、身をもって知っている。だから、今、逃げようとしているのだ。

 村人たちの要求は呑めない。おそらく、己が命を守ることを考えれば、ここでの最善は、村人たちに対して強引な手を使ってでも――それこそ力づくで――逃げること、だろう。


(だがそれでは、彼らが殺される……)


 楊鷹は燃え上がる開心林の光景を思い出す。鼻の奥で、脂の焦げる嫌な臭いが立ち込める。慧牙が「滅ぼす」と言ったのであれば、彼らは間違いなく完膚なきまでに叩きのめすように思えた。

 楊鷹の胸がじりじりと灼けるように痛む。また、冷酷になるしかないのか。そう思うと、胸の痛みが強くなる。


(どうすれば、どうすればいい……)


 考えても、楊鷹は答えを見つけらない。考えれば考えるほど、あらゆる答えがその場しのぎの嘘にしかならないことが分かり、だんまりを貫くしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ