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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
82/131

窮途末路・二

 驚きで言葉を失っていると、月蓉(げつよう)はあくせくと言葉を継いだ。


「ええと、あの、私、この辺りの道に詳しいですし、案内させてください」


 早口であるものの、先ほどよりもきっぱりとした声音であった。

 楊鷹(ようおう)は月蓉を見つめた。彼女の澄んだ黒い瞳には、くっきりと楊鷹の姿が映っている。月蓉もまた、楊鷹をまっすぐ見つめていた。

 ひたむきな眼差しに射られて、楊鷹の胸はぎゅうっと締めつけられた。彼女の問いに対する答えは、考えるまでもなく決まっている。それなのに、その答えを口にするのを、どうしてかためらってしまう。

 見つめ合うこと、しばし。楊鷹は唇をなめると、ためらいがちに口を開いた。


「……だめだ。危険だ」


 月蓉の眉間に一層深いしわが寄る。また、胸が苦しくなるのを感じた。その苦い気持ちを振り切りろうと、楊鷹は(かぶり)を振る。


「心遣いはありがたく思う。だが、一緒に来るのはだめだ。危険すぎる。申し訳ないが、その頼みは聞けない」

「いや、でも案内役がいてくれた方が助かるだろう。一緒に来てもらったらどうだ?」


 突然、毛翠(もうすい)が口を挟んだ。澄んだ赤子の声は随分と気安く響く。

 楊鷹はきっと毛翠をにらみつけた。


「無責任に言うな。神仙に襲われたとき、月蓉まで守れるか分からない。そもそも、あんたも守らなくちゃならないんだ」

「それはそうだが、月蓉自身が一緒に来たいと言っているんだ。なんなら、途中まででも構わんだろう? 少しくらい、彼女の気持ちを汲んでやったらどうだ?」


 どういうわけか、毛翠はしつこく食い下がる。楊鷹のいら立ちは募る一方だ。返す声音が鋭くなる。


「だから、心遣いはありがたく思う。だが、月蓉の身を考えたら、彼女の言葉に甘えるわけにはいかないだろう。戦うのは俺なんだ。黙って見ているだけのあんたが口出しするな」


 言葉を重ねるごとに(とげ)は増し、最後は茨のような物言いであった。

 毛翠が眉を吊り上げ、歯をむき出す。


「口出しするわ! お前、月蓉のこと全然何も分かってないんだな!」


 怒りの表情そのままに、赤子は甲高い声を荒らげる。

 外に声がもれることより、楊鷹は毛翠の言い草が癪に障った。いら立ちが爆ぜる。


「はぁ? それじゃあ、あんたはどれだけ分かってるんだよ!」


 握りしめたこぶしを振り上げそうになったとき、「ごめんなさい」という月蓉の声が響いた。

 楊鷹ははっとする。月蓉へと振り向けば、彼女は困ったように眉尻を下げて笑っていた。


「危急の時に変なことを言って申し訳ありません。先ほどの言葉は無かったことにしてください」

「月蓉、だが……」


 何か言いかけた毛翠を、月蓉は笑顔で制した。


「毛翠さん、いいんです。楊兄さんに迷惑はかけたくありませんから」


 そう断りつつ、「でも」と月蓉は続けた。


「少しだけでも、お手伝いはさせてください。旅に必要なものは私が用意しておきますので、その間、楊兄さんはお休みになっていてください」

「いや、だから休んでいる暇は……」


 楊鷹の言葉を、月蓉は「だめです」とぴしゃりと遮った。


「これは譲れません。楊兄さん、顔色が悪いです」

「……確かに、ひどい顔だな。いくら丈夫でも、少し寝ろ。病み上がりだろう」


 毛翠まで口を揃える。


「だが……」


 それでも楊鷹が反論しようとすると、月蓉が両手で楊鷹の右手を包んだ。その右手は、先ほどからずっと握りしめたままになっていた。


「お疲れでしょうから、本当に少しだけでいいので休んでください」


 言いながら、月蓉は優しい手つきで固まった拳をほどいてゆく。楊鷹は(いざな)われるままに、指を伸ばす。小指まで伸ばしきると、月蓉がやおらに微笑んだ。

 そのとき、楊鷹は手だけではなく全身に力が入っていることに気がついた。ふっと息を吐き、脱力する。とたん、体が重たくなった。それから、さらに気がつく。だいぶ疲れていることに。肉体的なものはもちろん、精神的な疲れも大きい。故に、どうにも心が(すさ)んでいる。平常心と言い聞かせても利かなかったことも、いら立ちを爆発させてしまったのも、そのせいだろう。声を荒らげてしまったことを、楊鷹は恥じた。


「すまない……」


 楊鷹はうなだれて、力なくつぶやいた。

 月蓉がそっと楊鷹の手の甲をさする。彼女のぬくもりが胸の奥にまでしみわたり、楊鷹は無性に泣きたくなってしまった。

 陽だまりのような月蓉の声が、柔らかく耳に響く。


「旅の荷物で、何か必要なものはありますか?」

「水と食料と……あと、刺青を隠すための膏薬(こうやく)がほしい。あとは、最低限のものをまとめてくれればいい」

「分かりました。任せてください」


 月蓉が静かに楊鷹の手を離す。

 楊鷹が月蓉を見つめれば、彼女はまた穏やかに微笑む。胸が、じりじりと焼けるように痛んだ。離れてしまったぬくもりが、どうしてか名残惜しく思う。


「ゆっくりはできないかもしれませんが、少しでも体を楽にしてください」


 一層優しい声でそう言うと、月蓉は納屋から出て行った。その彼女の背中を、楊鷹はぼんやりと見送る。月蓉の姿が見えなくなってからも、しばらく扉を見つめていた。


「ほれ、何を見ておる。さっさと寝ろ」


 毛翠が袖を引っ張る。

 それで楊鷹は我に返った。帯から仙器を外して枕もとに置くと、のろのろと寝床に横になった。


「寝る」

「おう、寝ろ。何か異変があったら起こしてやる」

「ああ……」


 楊鷹は生返事で応じながら、ごわつく掛け布を引っ被る。

 赤子のことはさして頼りにしていないが、今はとやかく言えない。横になったとたん、強烈な眠気が襲ってきたのだ。抗う間もなく、まぶたが下がる。まぶたを透ける朝の光をうっとおしく感じたが、それも一瞬のこと。楊鷹は、あっという間に眠りに落ちた。



 思った以上に、疲れていたらしい。楊鷹(ようおう)は泥のように眠り、そして目覚めた。

 蒸し暑く、うっすらと寝汗をかいている。楊鷹は帯を緩め、少しばかり胸元をはだけさせた。


「おはよう。よく眠れたか?」


 寝床の隅に座っていた毛翠(もうすい)が尋ねる。楊鷹は赤子へとゆっくり頭を巡らせた。赤子の緑色の瞳は爛々としていた。言葉通り、彼はしっかり起きていたらしい。

 楊鷹はおもむろに尋ねた。 


「……どのくらい寝ていた?」

「それほど長くはないな。たぶんまだ昼前だ」


 そう答えた赤子の口元には、細かい食べかすがついていた。

 楊鷹は毛翠の隣を見る。そこには、荷袋と水を張った桶と手布が置いてあった。それから、饅頭(まんとう)と大粒の(なつめ)が載った皿もある。

 楊鷹の視線に気がついたのか、毛翠が言う。


月蓉(げつよう)が用意してくれたものだ。荷物と食事と、あと、体を清めるための水だ」

「そうか」


 荷物だけではなく、食事やら体を拭くための水まで用意してくれた。そこまでしてくれた月蓉のことを思うと、また楊鷹の胸はきゅっと締めつけられた。彼女の気遣いがありがたい。しかしそれも、これが最後になるだろう。


 楊鷹は体を起こすと、饅頭(まんとう)を手に取った。まだほんのりと温かいそれを半分に割って、片割れをかじる。素朴な麦の甘みを感じたとたん、強烈に腹が減っていることを自覚した。心だけでなく、体もだいぶ消耗していたようだ。いくら頑丈でも、一晩中動きっぱなしというのは堪えるものがある。

 食欲はあまりなかったが、それでも楊鷹は粛々と食べすすめる。饅頭を平らげると、棗に手を伸ばす。


「そういえば、月蓉はどうしたんだ?」


 そう尋ねてから、楊鷹は(なつめ)を一口食べた。瑞々(みずみず)しいすっきりとした果汁が、口の中で弾ける。


「水()みに行ってくるといって、出かけたぞ。なるべく早く戻ると言っていた」


 そう答えながらも、毛翠は楊鷹が持つ棗を凝視していた。非常に、ものほしそうな目だ。食べかけの棗を口に放り込もうとした楊鷹だったが、動きを止める。棗を持つ手を降ろした。


「あんたは、食事していないのか?」

「ふぁっ! いや、したぞ。お前が寝ている間に、饅頭二つと棗もいくつか食べた」


 毛翠の言葉は最もだった。食事をしたからこそ、彼の口元には食べかすがついているのだろう。しかし、そうであるならば、そのものほしそうな視線は一体なんだ。

 毛翠は、相変わらず棗を見つめている。楊鷹はため息を吐いた。


「食べたいなら、食べればいいだろう」

「本当か!」


 どこまでも正直に、毛翠は瞳を輝かせた。相変わらず、彼は大食いで食べることが大好きだ。

 楊鷹はそっと皿を差し出す。


「俺はあと一つ食べられればいい」

「すまぬな、それなら遠慮なく」


 ため息交じりの楊鷹は意に介さず、毛翠は喜々としてむんずと棗を掴むと、かじりついた。

 幸せそうに棗を頬張る赤子の姿を、楊鷹は複雑な思いで見つめる。愛らしいが、その愛らしさが憎たらしい。彼が赤子でなかったら、そもそもこうして人の世界にやって来なければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。苦々しい気持ちが湧き上がってきそうになって、楊鷹はふいと目を逸らした。すると、仙器の剣が視界に入る。


 楊鷹はふいに昨夜の喬徳(きょうとく)の不可解な言葉を思い出した。彼は、仙器の剣を「なまくら」と言っていた。その後、銅銭を斬った時も、烈熾狼(れっしろう)を斬った時も、まったくそんなわけはなかったのだが。


「なぁ、一つ聞いてもいいか?」


 毛翠の口が空っぽになったのを見計らって、楊鷹は問いかける。


「昨日の夜、この剣のことを喬徳は「なまくら」だと言っていたんだが、何か分かるか?」

「ああ、それは仙器とはそう言うものなんだ。仙器は神仙やその力を得たものにしか扱えん。単なる人間では、その真価を発揮できんのだ」

「つまり、人間の喬徳が振るうと、なまくらになってしまうと」

「そうだ」


 毛翠は大きく頷いた。

 と、いうことならば。楊鷹は間違いなく人間ではないということだ。目の前の赤子と同じ側にいるということなのだ。

 またじわりと嫌な気持ちがにじむ。気を逸らそうと手の中の(なつめ)を口に放り込み、噛む。すると、思い切り種を噛みしめてしまった。硬く不快な食感に加えて、ほんのりと渋味が広がる。

 心も口も苦々しい。思わず、楊鷹は顔をしかめた。

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