表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
81/131

窮途末路・一

 長い長い、鶏の鳴き声が響いた。気がつけば、空は明るく色づき始めていた。

 楊鷹(ようおう)のかたわらでは、紙銭(かみぜに)が燃えていた。その焚火から立ち昇る煙が、朝焼けに吸い込まれてゆく。煙の溶ける淡い空は切なさを帯びて、楊鷹の胸に迫った。

 誰にも朝は等しくやって来る。生きてさえいれば。死んでしまえば、夜明けも何もない。

 楊鷹は、眼前の盛り土に対して、三礼した。深々と額づいて、一心に祈りを捧げる。煙のにおいが、鼻の奥にしみた。

 楊鷹が祈りをささげる盛り土は、超慈(ちょうじ)鸕鷀(ろじ)(たい)の墓であった。


 開心林(かいしんりん)を脱出した楊鷹と超慈は、船に乗って盧西村(ろせいそん)まで戻ってきた後、二人で泰を埋葬した。

 血で汚れた泰の体を丁寧に清めてから箱に収め、超慈の家の鸕鷀小屋のそばに埋めた。それから、墓を作り、大好きだった餌――超慈が釣って来た(うなぎ)――を供え、紙銭を焼いた。

 そうしていたら、夜が明けてしまった。


 楊鷹はゆっくりと体を起こした。ちらりと脇を見やる。

 超慈が背中を丸めて座っていた。彼は泰の遺品である黒い尾羽を手中で弄びながら、ぼんやりと虚空を見つめている。まるで抜け殻にでもなったかのような、虚ろな有様だ。昨夜、喬徳(きょうとく)に対して見せた威勢のよさは、すっかり消え失せている。


「すまない」と、また謝罪の言葉が出そうになって、楊鷹はとっさに口をつぐんだ。何度謝ろうとも、(たい)(せん)も戻って来ない。むしろ、また謝ってしまうと、彼を怒らせてしまう気すらした。

 楊鷹は拳を握りしめると、立ち上がった。


「そろそろ戻る」

「ああ……」


 答える超慈の声に、力はない。すっかり弱った彼を置いてゆくのは忍びなかったが、どうにかする手段を楊鷹は持ち合わせていない。

 楊鷹は、母が亡くなった時のことを思い出した。その時が近いと覚悟をしたうえでの死でも辛かったのだ。突然家族を奪われる悲しみは、計り知れない。そう思えど、楊鷹はどうすればいいか分からなかった。どんな言葉を貰っても、そう簡単には悲しみが癒えないことを、身をもって知っているために。


「泰も尖も……安らかに眠れることをを祈ってる」


 せめてもの気持ちでそう声をかけてから、楊鷹はきびすを返して歩き出した。


 体はひどく重たかったが、それでも楊鷹は急ぎに急いで、北汀村(ほくていそん)をめざした。待っている月蓉(げつよう)毛翠(もうすい)が心配しているに違いなかった。それに、一刻も早くこの場所から逃げなければならない。神仙が、荘炎魏(そうえんぎ)がすぐそばまで迫っているのだ。

 生まれたばかりの陽光が楊鷹の背中を射る。その熱に追い立てられるようにして、楊鷹は一心不乱に足を動かした。


 そうして、すっかり日が昇りきった頃、楊鷹は李白蓮(りはくれん)の家へと到着した。そろりそろりと主屋の前を突っ切って、裏手にある納屋へと向かう。そうして、扉を開ければ、寝床のそばにいた月蓉がはっと振り返った。彼女の姿を見たとたん、楊鷹はほっと安堵した。まるで家に帰って来たような気分だ。緊張がほぐれたからか、疲れが全身にのしかかってくる。だが、そうそうのんびりとはしていられないので、楊鷹は足早に月蓉へと近づいた。彼女の方も、さっと立ち上がって楊鷹へと近寄った。


(よう)兄さん、おかえりなさい。なかなか帰って来ないので、心配しておりました。剣はどうなりましたか?」


 不安そうな表情の月蓉(げつよう)に対して、楊鷹(ようおう)は帯の間に差している剣を視線で示した。


「剣は取り返した。だが、まずいことになった」

「まずいこと、ですか?」

「ああ。毛翠は?」


 楊鷹が尋ねると、月蓉はわずかに体を捻り視線で寝床を示した。そこには、寝っ転がる赤子の姿があった。


「夜中まで起きて待っていらっしゃたのですが、持たなかったみたいです」


 楊鷹は後ろ手で扉を閉めると、寝床へと近づいた。

 むしろと布を重ねた簡素な寝床で、毛翠(もうすい)はすやすやと寝息を立てている。小さな口の端からは、よだれが垂れていた。昨夜の出来事を何も知らないとはいえ、あまりにも暢気(のんき)な寝姿である。微かないら立ちを覚えながら、楊鷹は膝をついて声をかける。

 

「おい、起きろ。寝ている場合じゃない」


 狭い眉間がぴくりと動く。起きるのかと思いきや、


楊麗(ようれい)……すまぬ」


 と、目を閉じたまま呟いた。寝言だ。

 むにゃむにゃと不明瞭な言葉であったが、確かに毛翠は母に対する謝罪の言葉をもらした。前にも、こんな風に謝っている彼の声を聞いた。

 楊鷹の心がすうっと冷える。


(何度詫びているんだ。そもそも、母上の夢を見る資格なんかないだろうが……)


 家族のことなど放り出して消えたくせに。まだ母のことを想っているのか。

 冷えた心の端から、じわりじわりと嫌悪が染み出てくる。しかしその苦い気持ちは毛翠のみならず、己にも向いているように感じられた。ふいに、この場から消えて無くなりたいような、そんな衝動がよぎる。


 楊鷹は、一度大きく深呼吸をした。それから、赤子の柔らかい頬を叩く。意識して軽く叩いたつもりだが、思いのほか力がこもっていたのか、はっきりとした乾いた音が鳴った。


「おい、起きろ」


 そう言う声も、刺々(とげとげ)しい。

 しかも、毛翠は起きない。どこまでも暢気な赤子を、楊鷹はにらみつけた。

柔らかい朝日にくるまれて眠る赤子の姿が、無性に憎々しく思えてくる。さっさと起こしたいものの、先ほどよりも強い力を込めてしまいそうで、手が出せなくなる。

 楊鷹が動けずにいると、月蓉が毛翠に手を差し伸べた。彼女は、赤子の腹を優しく叩きながら呼びかけた。


「毛翠さん、起きてください。楊兄さんが返ってきましたよ」

「ふぁっ?」

 

 毛翠がおもむろにまぶたを引き上げる。ようやっと目を覚ました。


「お、おう、戻ったか……。すまぬな、待ち切れずに眠ってしまった」


 毛翠は楊鷹を認めると、へらりと笑った。

 楊鷹はふっと鋭く息を吐くと、わずかに視線を逸らしながら言った。


「寝ている場合じゃない。まずいことになった」

「仙器、取り戻せなかったのか」

「それは、取り戻した」


 楊鷹は剣を一瞥すると、すぐさま「だが」と続ける。


「神仙に……おそらく荘炎魏(そうえんぎ)に襲われた」

「なんだと!?」


 獣もかくやと思わせる俊敏さで、毛翠が跳ねおきる。


「お前、奴とまたやり合ったのか!」

「いや、直には戦っていない。烈熾狼(れっしろう)に襲われたんだ。喬徳(きょうとく)の屋敷に行ったら、突然、烈熾狼の群れが現れた。人が食い殺されて、その混乱で火事が起こり、喬徳の屋敷どころか開心林(かいしんりん)自体がひどいことになった」

「なんと……」


 呆然とした表情を浮かべながら、毛翠は絶句した。

 楊鷹のいら立ちが募る。我関せずというような、あどけない表情が鼻につく。見た目が赤子だから、そんな表情になってしまうのは仕方がない。だが彼の中身は神仙なのだ。烈熾狼を引き寄せた原因なのだ。


桃李虚(とうりきょ)の神仙は、無闇に人を殺してはならん、という決まりがあるのに……」

「そんな決まりがあるとは思えないような惨状だったがな」


 ぽつりとつぶやいた毛翠に対して、楊鷹は吐き捨てるように言う。昨夜の惨状が、胸の内によみがえる。首のない死体、燃え盛る街、食い殺される鸕鷀(ろじ)たち。それらを置き去りにして、逃げてくるしかなかった自分。

 心に渦巻く嫌悪といら立ちが、はっきりと己に向いた。爪が手のひらに食い込むほど、力一杯拳を握る。


(平常心……)


 母の教えを唱える。だが、あまり効果は無かった。拳を握りしめたまま、楊鷹は口を開く。


「烈熾狼が出たってことは、使い手の荘炎魏だって近くまで来てるということだろう。早くここを離れた方が良い。俺たち自身だけでなく、さらに関係ない人を巻き込むことになるかもしれない」


 幼い表情が強張った。


「そうだな。確かにそうだ」


 そう言って、毛翠は唇を噛む。

 楊鷹は月蓉へと振り向いた。


「そういうわけで、月蓉。今日中には、ここを発つ」

「あ、あの、楊兄さん」


 月蓉が、問いかけるように呼びかけた。


「なんだ?」


 楊鷹が応じると、月蓉はきゅっと眉間にしわを寄せた。随分と深刻そうな表情を浮かべながら、唇をなめる。物言いたげな様子だが、しかしその唇は閉じたまま。


「月蓉、どうした?」


 楊鷹は努めて口調を和らげながら、再度尋ねる。

 わずかな沈黙の後、彼女は今にも震え出しそうな、頼りない声で言った。


「……出発されるなら、私も一緒に行かせてください」


 楊鷹は面食らった。思わぬ申し出であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ