凶炎の一夜・九
人との間に子を設ける、という罪を犯した翠に対し、玄素元君は黯獄という真っ暗な牢獄に監禁するという罰を与えた。監禁の期間は、人界で二百年が経過するまで――すなわち、翠の家族が死ぬまで――とされた。
荘炎魏はそのやり方に反対した。人間と交わり子まで成した不浄な者など滅殺せよ、と主張したのだ。しかし、その反対意見に、物言いをつけた神仙がいた。それが慧牙だ。彼は玄素元君と同じく、黯獄に監禁するのが良いと言った。むしろ、ただ殺してしまうよりもそうして閉じ込めておくほうが、翠にとっては過酷だろうと言うのだ。結果、玄素元君は自身のやり方を翻すことはなく、翠は生きながらえた。
深遠なる闇の中で、永遠に愛する者に会えない苦痛を味わう。そのような罰だというが、荘炎魏にはさっぱりであった。そんなこと、果たして苦痛になるのか、未だに疑わしく思う。
荘炎魏は隣を見やる。
慧牙は、いつも通りの微笑みを浮かべながら、燃える街を眺めていた。月の光を受けた白い肌が、うっすらと輝いている。微光をまといながら、彼はおもむろに口を開いた。
「それでは、今から追いかけるのですか?」
「いいや。見失った」
「まぁ、なんと!」
慧牙は柳眉を跳ねあげると、わざとらしく荘炎魏をねめつけた。このような振る舞いも鼻につく。
「それならば、直に殺りに行けばよかったのに」
「烈熾狼を操っている間は、動けない。知っているだろう」
「ですから、最初から烈熾狼ではなく、自ら出向けば良かったのでは?」
「お前の占術では『失せものは盧湖の南』という、漠然としたことしか分からなかったではないか」
「なるほど。そこから探すのも手間だったから、無数の烈熾狼を放って街ごと滅ぼしてしまうのが手っ取り早いと、そうお考えになったと」
「そうだ」
荘炎魏は手短に返事をした。口ぶりに迷いはない。この度の襲撃は、《《あくまでも》》獲物を狩るための策なのである。戯れであるとか、わざとであるとか、そのように思われては不愉快だ。
「ははぁ。そうですか、そうですか」
感心するような声をしらじらしく響かせながら、慧牙は頷いた。
荘炎魏はじろりと隣をにらみつけた。
「何か不満でもあるのか? 」
「いえいえ、本当にそんなやり方で、貴方自身が満足なさるのかと思いまして」
「何?」
荘炎魏が眉をひそめると、反対に慧牙はにっこりと微笑み、指を差す。
白魚のような指が示したのは、荘炎魏が腰から下げる剣であった。
「いえ、そんな宝剣まで持ち出して、彼らを殺す気満々なのに。直に手を下さないのは変だと思ったんです」
荘炎魏の愛剣は、白陽剣と呼ばれる宝剣であった。不老不死の神仙であっても、この剣で胸を貫かれれば滅してしまう。
慧牙は指差した手を上に向けると、くるくると回す。
「翠もその息子も、今度こそ殺るおつもりなのでしょう? 翠は完全に滅ぼして、息子の方は……半分人間ですから、どうなるんでしょうね。まぁ、おそらくひどいことになるでしょうけれど。輪廻を外れて、どこかを彷徨い続ける亡霊にでもなりますかねぇ」
指だけでなく、口もよく回る。荘炎魏はいら立ちを募らせる。しかし、そんな荘炎魏の心持ちなど慧牙は知る由もない。彼は時に笑いを交えながら、しゃべり続ける。
「自らの手で斬る。完全に滅殺する。そうするつもりではなかったのですか? 烈熾狼で、など生ぬるい。第一、烈熾狼は仙器を持つ息子には敵わないと、分かっていたのでは? 前に逃げられた時も、あっさり斬られてしまったわけですし……」
荘炎魏は白陽剣を抜いた。白い光が閃いて、闇を切り裂く。
「黙れ」
慧牙に白く燃える刃を突きつけながら、荘炎魏は唸るように言った。
「また貴様は、この俺に食ってかかるのか?」
慧牙がそっと片手をあげる。だが、刃を前にしても、その面は相変わらず笑みを湛えていた。
「滅相もありません。ただ……」
そう言うと、慧牙は一層目を細めた。
「楽しく遊んでらっしゃるようですので、つい羨ましくなってしまったのです」
荘炎魏は慧牙をじっと見つめた。
年若い男の笑顔。しかし、人好きする笑みの裏には、狡猾さが潜んでいるようだった。おそらく、彼は荘炎魏の言葉が建前であることに、気づいている。彼もまた、同族。同じ穴の狢か。
そういえば、と荘炎魏は思い出す。この眼前の神仙は、大昔に人界で好き勝手やっていたと聞いたことがある。群雄割拠の戦乱の時代、とある人間に味方するような形で、戦に介入していたとか。時に相当悪辣な策を用いて、数多の命を蹴散らしたらしい。
この男、神仙には温情をかけながらも、そうでない存在には案外冷たいのかもしれない。
そっと剣を収め、荘炎魏はほくそ笑む。
「ああ、楽しんでいるさ」
人間が、卑しい存在が、さらに卑しく泣き叫ぶのが愉快だ。それから、彼らの血の味が、においが、ぬくもりが、とてつもなく心地よい。久々の人界、それらを楽しまんとしてなんとする。
「相変わらず、人がお嫌いであらせられる。いや、むしろお好きなのでしょうか?」
「人間など嫌いに決まっておろう」
「そうですか、そうですか」
慧牙が、くすくすと声を立てて笑った。
そのとき、轟音が響き渡り、猛る炎の音をかき消した。開心林にそびえていた、酒楼が崩れはじめた。典雅なつくりの楼閣が瓦礫へと果てゆく光景を、二人の神仙はしばし悠然と眺めていた。
酒楼の屋根がすっかり地に伏すと、慧牙は口を開いた。
「……しかし、人の命を刈ることはいまや禁則です。あまりやり過ぎては、いくら貴方でも罰は免れませんし、私もごまかせませんから、そろそろお止めになっていただけると助かります」
荘炎魏は鼻を鳴らした。慧牙の言っていることなど、些末事に思えた。
「貴様、やはり食ってかかるのか?」
「いえいえ、そのつもりはございません。ただ、一つ提案があります」
「提案?」
「人間というのは本当に愚かなものです。あのように」
慧牙の白い指が、燃える街を指し示す。
「少し手を出せば、勝手に恐れおののいて自滅してゆくのです。ですから、何も我々が直に手を下す必要などありません。ちょっと声をかければ勝手に諍い、争い、血を流します」
そう言うと、慧牙はにんまりと笑った。
「直に手を下さなければ、いくらでもごまかせましょう」
荘炎魏は笑い声をもらした。この神仙、やはり悪辣だ。笑顔の裏に潜むものが、彼の本質なのだろう。
「貴様は、そういうやり方が趣味なのか?」
「はい。私はそのようにして、愚かに惑う人間の様を眺めるのが好きなんです」
荘炎魏は、もう一度笑ってから尋ねた。
「なるほど。それで貴様は、一体何をすると言うんだ?」
「逃げた獲物を探すついでに、ちょっと他の人間にちょっかいを出すんです」
慧牙が、ぱちんと両手を打ち鳴らす。
「それでもって、翠とその子どもにも、いやーな思いをしてもらいましょう。ええ、ええ、そうしましょう」
にこやかな笑みを崩すことなく、慧牙は拍をつけながら、歌うような調子で言った。




