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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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凶炎の一夜・五

お待たせいたしました。更新を再開いたします。(2022.12.01)

 その高らかな咆哮が合図であった。

 人の世の生き物ではない獣たちが、一斉に屋根から飛び降りる。そして、人だかりにに突っ込んできた。

 烈熾狼(れっしろう)の一匹が、超慈(ちょうじ)めがけて襲いかかる。

 楊鷹(ようおう)は素早く超慈の前に躍り出ると、飛びかかってきた獣めがけて剣を振るう。翡翠の刃は烈熾狼の首をしかと捉えた。頭がぼとりと落ちる。と同時に、その体も頭も煙となって消えてしまった。

「大丈夫か」と超慈に問いかけようとした楊鷹だったが、わき起こった悲鳴がその言葉を押し止めた。


 口をつぐんだ楊鷹は、超慈を一瞥した。彼は呆然としているものの、けがをしている様子は無かった。そうして彼の無事を確認してから、周囲に視線を走らせる。

 そこら中が、赤かった。火をまとったような獣たちが人々を襲い、その肉を食い散らかしている。十歩先に血だまりの中に、頭のない体が転がっている。だらりと投げ出された白い腕には龍の刺青(いれずみ)喬徳(きょうとく)である。彼の頭部は、どこにもなかった。喬徳の他にも、血に塗れて動かなくなっている男が数人。倒れて崩れた灯篭(とうろう)から炎が移ったのか、火だるまになっている者までいる。

 生きている人間も無事ではない。逃げ惑う彼らを追いかけて、あちらこちらで煌々とした炎の毛が翻る。

 炎が血が獣の体が、あらゆるものが赤い。赤く、てらてらと輝いている。ほんのわずかな間に、夜空の底は凄惨な色に染まっていた。


「くそ……」


 楊鷹は剣の柄を握り直すと、駆け出した。

 彼らの狙いは楊鷹のはずなのに、どういうわけか獣たちは楊鷹には目もくれず、まったく関係のない人々を襲っていた。


(どうしてだ? なんで俺を狙わない)


 そのような疑問が、胸の内に渦巻く。思えば、最初に飛び出した烈熾狼も、狙っていたのは超慈であった。しかし、今は考えている場合ではない。この惨劇を一刻も早く終わらせなければならない。


 楊鷹は全力で走り回り、片っ端から烈熾狼を斬った。その刃に迷いはなく、獣を一刀のもとに斬り伏せてゆく。逃げる人々を追いかけるのに夢中になっている烈熾狼は、楊鷹にとって大した敵ではない。だが、いかんせん数が多く、間に合わないことも多い。絶え間なく悲鳴と血しぶきが弾ける中、楊鷹は歯を食いしばりながら次々と刃を返して獣を(ほふ)る。

 最後の一匹の頭を落とす。その体が黒煙となって夜に溶けてゆく。しかし、ほっとしたのも束の間、楊鷹は再び異様な気配を察知する。はっとして背後を振り仰げば、御殿の屋根がまばゆく輝いていた。また新手の烈熾狼が、ずらりと並んでいる。数はざっと数えて十と少し。夜はさらに燃えようとしていた。


「嘘だろう……」


 楊鷹は思わずつぶやいた。

 これではきりがない。戦い続けたところで、消耗してやがてやられるだけだ。ならば、この獣を生み出している元凶をどうにかしなければ。しかし、奴は――荘炎魏(そうえんぎ)何処(どこ)にいるのか見当もつかない。それに第一、あの神仙には敵わない。


 楊鷹はさっと周囲に視線を走らせた。そこら中に転がる死体は、十は超えるだろう。腹の傷がじくりと痛む。足から力が抜けそうになる。だが、ここで止まってしまえば、本当に何もかもが終わりだ。


(諦めるな。戦えるのは俺だけだろう……!)


 楊鷹は自身を叱咤(しった)した。

 恐怖で動けなくなっているのか、庭にはまだ人影がある。せめて、彼らは助かるようにしなければ。

 強者の余裕だろうか。烈熾狼たちはその場から動こうとせず、悠然と佇んだまま人々を俾睨(へいげい)していた。長い炎毛が闇空に向かって、ゆらゆらと巻き上がる。


(落ち着け、平常心だ……)


 母の教えを思い返すと、楊鷹は目いっぱい叫んだ。


「この場から早く逃げろ! 時間は俺が稼ぐ!」


 どこまでもつかは分からない。だが、とにかく生きている人々が逃げる時間くらいは捻りだす。そうして、皆が逃げおおせた後、時機を見計らって己も逃げる。

 それが今できる最善だと、楊鷹は判断した。

 楊鷹(ようおう)の叫び声で我に返ったのか、逃げ遅れた人々が走り出す。その中で、人波に逆らう人影が一つ。超慈(ちょうじ)である。烈熾狼(れっしろう)が控える御殿の方に、ふらふらとした足取りで向かってゆく。

 楊鷹は慌てて彼に走り寄りその腕を掴むと、大きな奇岩の影に引っ張った。


「どこに行く! 死ぬつもりか!」


 声をひそめながらも、語気鋭く楊鷹は言った。対する超慈も荒ぶった口調で言い返す。


「うるせぇ、離せ! (せん)(たい)を迎えに行くんだよ!」

「駄目だ、早く逃げてくれ!」

「一人で逃げられるかよ! あいつらは俺の家族だ!」


 怒声というより、「家族」という言葉に楊鷹は怯んだ。腕を掴む手の力が緩む。その隙に、超慈は楊鷹を振り切った。


「待て!」


 楊鷹は慌てて再度超慈の腕を掴むと、思い切り力を込めた。


「いてぇな!」


 超慈は楊鷹の手を振りほどこうと、腕を振り上げた。だが、楊鷹は離さない。

 岩の向こう側から、何かが壊れるような大きな音が響いた。続いて、獣の軽快な足音が過ぎ去ってゆく。焦る気持ちを押し込めながら、楊鷹は超慈を真っ直ぐ見つめた。


(せん)(たい)は、俺が迎えに行く。だから先に逃げてくれ」

「うるせぇ、お前、鸕鷀(ろじ)のことちゃんと……」


 超慈の声がぷつりと途切れ、その体が突然後ろに傾いだ。

 楊鷹は慌てて腕を引っ張って、倒れそうになった男の体を引きとどめた。


「おい、どうした……」


 楊鷹は、はっとして口をつぐんだ。

 超慈の表情が一変していた。怒りの形相は全く消えて、凪いだ水面のような真顔になっている。

 彼は超慈ではない。超亮(ちょうりょう)だ。


「私が、兄者を逃がします」


 兄の声で、弟は冷静に言う。


「だから、どうか尖と泰のことをよろしくお願いします」


 無表情のままではあるが、その声には切実な色がにじんでいた。

 楊鷹はぱっと手を離し、しかと頷いた。


「分かった」


 超亮はくるりと背を向けると、御殿とは反対方向へ駆け出した。

 その後ろ姿を見届ける間はなかった。獣の低い唸り声が聞こえる。楊鷹の視界の端で、炎毛がなびいた。

 楊鷹はさっと奇岩の影から飛び出すと、今しがた脇を通り抜けた烈熾狼めがけて斬りかかる。風のように翡翠(ひすい)の刃が流れ、断末魔を上げる間もなく獣の胴体は一瞬で真っ二つになった。さらに、近くを駆け抜けようとした二匹も、次々と斬り伏せる。


 そのとき、背後から「うわっ」という声が聞こえた。

 楊鷹はすぐさま体を翻す。尻もちをついた男めがけて突進する、烈熾狼の姿が見えた。すかさず走り出す。だが、少々距離があった。果たして間に合うか。否、間に合わせる。楊鷹はぐんと速度を上げた。そして、柄から長穂(ちょうすい)へと持ち替えて、少しでも間合いを伸ばす。

 (とど)めとばかりに、烈熾狼が跳躍する。刹那、楊鷹も跳んだ。跳躍の動きに合わせて、長穂を振るう。宵闇の中で剣は大きな弧を描き、鮮やかな翠色(すいしょく)の軌跡を引いた。楊鷹が着地すると同時に、刃は勢いよく烈熾狼の首を()ねた。炎毛に覆われた頭部が、明後日の方向にすっ飛んでゆく。まさしく疾風迅雷。本当に雷が落ちてきたような、鮮烈にして苛烈な一撃であった。


 黒煙が散る中で、楊鷹はちらりと男に視線をやった。

 彼は無事であった。着物は汚れていたが、けがをしている様子はない。


「立てるか?」


 問いかければ、男は顔を上げて頷いた。

 

「それなら、早く逃げてくれ」


 そう言って、楊鷹は再び駆け出す。

 生きた人間を追いかけて庭を横切ろうとするもの、死体を(むさぼ)るもの、本来の獲物を思い出したかのように己に襲いかかってくるもの、と楊鷹は次から次へと烈熾狼を斬り続けた。翡翠の風は縦横無尽に舞い、禍々(まがまが)しい炎をかき消してゆく。


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