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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
75/131

凶炎の一夜・四

 楊鷹(ようおう)は手にしていた杯を近くの卓に置くと、颯爽と外に出た。そのまま庭を進み、大きな奇岩のそばで足を止めた。

 喬徳(きょうとく)もすぐさま飛び出てくる。彼は肩を怒らせながら大股で歩き、楊鷹の向かいで立ち止まる。それから超慈(ちょうじ)と、酒宴に興じていた男たちも続々とやって来た。着飾った女性たちも恐る恐ると言った様子で、御殿の扉の辺りから外を窺う。さらにさらに、騒ぎを聞きつけたのか、どこからともなく人々――おそらく使用人か何かだろう――が集まってきた。


 曇りない夜空からは、月明かりが煌々と降り注ぐ。加えて、贅沢に並べられている灯篭(とうろう)の数々が、庭を明るく彩っている。まばゆい明かりの中、楊鷹と喬徳はお互い向き合ってじっと佇む。

 明かりも十分、見届け人も十分。そして、闘う当人たちの気合も十分。夜の決闘の場は、あっという間に整った。


 喬徳が上着を脱ぎ棄てる。彼のしなやかな体格があらわになる。細身だが()せているわけではない。形の良い筋肉がついた、引き締まった体である。白く長い腕にうねるのは、龍の刺青(いれずみ)。どうやら刺青は全身に彫っているようで、はだけた胸からは龍の顔が覗いていた。刺青でありながらも、迫力のある爛々(らんらん)とした龍眼。それと同じような圧のある視線で、喬徳は楊鷹を見据えている。


 喬徳が龍だとするならば、対する楊鷹はさながら虎と言ったところか。

 喬徳の鋭い視線を楊鷹はしかと受け止めながら、腕組みをしてどっしりと構えている。まるで大地に君臨する猛虎のような貫禄が漂う。先程の発言のとおり、楊鷹は負けるつもりはなかった。


「武器は無し、殴り合いだ。負けを認めるか、倒れて三つ数えるうちに立ち上がれなかったら、そいつの負けだ。それでいいな」

「分かった」


 喬徳の取り決めに対して、楊鷹は頷いた。


「手合わせ、よろしく頼む」


 楊鷹が恭しく礼をする。すると、頭を上げるよりも先に殺気が迫る。「おい!」と超慈の大声が響いた。

 見えないけれども、大方喬徳が早速突っ込んできたのだろう。


(案外、卑怯なんだな)


 威厳も気高さもない、堕ちた龍。結局のところ、その程度の相手か。

 楊鷹はちらりと前方を見た。予想通り、喬徳が迫っていた。

 顔を上げると同時に楊鷹は素早く足をさばき、喬徳の拳をかわした。

 喬徳は勢い余って一瞬前へつんのめる。その隙に、今度は楊鷹が拳を撃つ。しかし、喬徳は素早く体勢を立て直してかわした。

 喬徳の動きは速い。そして切れがよい。なかなかに侮れない相手のようだ。

 迂闊に攻めることはできないと判断した楊鷹は、まずは相手の動きを見極めようと守勢を決め込む。


 喬徳が鋭い蹴りを繰り出す。長い足が狙ってきたのは上段。楊鷹はのけぞって足先をかわすと、そのまま数歩下がって距離を取った。


「おい、なんだ? 口のわりには大したことねぇな! 少しはかかってこいよ!」


 喬徳があからさまに挑発する。しかし、楊鷹は乗らない。

 喬徳は大きく舌打をすると、再び攻め込んだ。

 心の水面を波立たせることなく、楊鷹は淡々と体をさばく。時折飛んでくる罵詈雑言にも、一切合切取り合わない。相手の調子にのまれたら、不利になる。母の教えの平常心とは、すなわち己を保ち続けることでもあった。研ぎ澄ました内なる水面が映すこと、ただそれだけをこなす。

 そうして、次々と打ち込まれる攻撃をさばくこと幾ばくか、喬徳の動きの癖が見えてきた。どうやら蹴り技に自信があるようだ。ここぞというときに放ってくるのは、頭を狙った蹴りである。決して遅くはないものの、少々大振りになる。反撃を狙うなら、ここか。


 そう考えたとたん、早速(くだん)の取って置きの蹴りが飛んできた。

 渾身の一撃を楊鷹は左手でをいなすと、地に残っている敵の軸足に足払いをかけた。防ぐ間もなく、喬徳は無様にすっ転ぶ。すかさず、楊鷹は青い龍文に彩られた腕をつかむと、締め上げた。


「ぐっ……」


 いつぞやの誰かのように、情けない声こそ上げなかったが、喬徳は盛大に顔をしかめた。


「いいのか? このまま折るぞ?」


 静かな声で問いかけながら、楊鷹は絡めとった腕をあらぬ方向へと曲げようとする。

 喬徳は一つ舌打ちをすると、ぼそりと言った。


「負けだ……」


 楊鷹は取り巻きたちに視線を走らせた。


「皆も、聞こえたか?」

「ああ、聞こえた。負けだって言ったぜ」


 得意げに超慈が答える。見物の男たちは無言であったが、ぶんぶんと首を縦に振っている。

 楊鷹は喬徳から手を離し、立ち上がる。勝負はついた、と思いきや。

 喬徳はすばやく起き上がると、楊鷹につかみかかった。

 意表を突かれた楊鷹であったがすんでのところでかわすと、わずかに後退して距離を取った。


「待て。もう勝負はついたはずだろう」


 真っ当な問いを投げた楊鷹に対して、喬徳はにたりと笑った。


「知るかよ」


 不遜な答えと共に、喬徳は懐から短刀を取り出した。

 自らが言った取り決めを、ことごとく己の手で壊している。なんとも薄汚い男だ。間違いなく、()ちた龍。本当にひどい毒である。徹底的に潰してしまった方が、皆の幸せかもしれない。


 喬徳は短刀を逆手に持ちかえると、雄たけびを上げながら楊鷹めがけて突っ込んでいった。その鬼気迫る勢いは、龍というより幽鬼の類。だが、楊鷹は怯まない。じっと立ちつくしたまま、眼光鋭く喬徳を見据える。


「くたばれぇっ!」


 大声と共に突き出される短刀。そのぎらつく刃を、楊鷹は体を(ひね)って()けた。同時に喬徳の腕をつかむと、そのまま引き倒す。

 猛虎の素早い身のこなしの前に為す術なく、鬼と化した龍は地に()した。地面に潰れた薄汚い背を、虎はしかと踏みつける。「ぐぇ」と、くぐもった醜い声が聞こえた。


「あんたは、強いんだろう? ならば、這いあがってみたらどうだ? それが、本当の強さだろう」


 押さえつける足に力を込めながら、楊鷹は至って冷静に(あお)った。


「なめるんじゃねぇ!!」


 怒声一発、喬徳が勢いよく跳ね起きる。その動きに勘付いた楊鷹は、すぐさま体を離す。喬徳が短刀を振りかぶる。だが、それが振り下ろされるよりも先に、楊鷹はがら空きの彼の腹に真正面から拳を突きいれた。

 重たい拳打の音が弾け、夜気を震わせた。

 声も上げずに、喬徳(きょうとく)はただただその場に崩れ落ちる。彼の手から短刀がこぼれて、高い音を立てた。

 その音を最後に、静かな夜がやって来る。

 楊鷹(ようおう)は、腹を押さえてうずくまっている喬徳を見下ろしていた。見物人たちは、誰も何も言わない。ぱちりと、灯りの炎がはぜる。喬徳は苦しそうに呼吸を繰り返している。まだ立つ気配はない。

 倒れること、三度。今度こそ決まったか。


「もう、三つはとっくに過ぎているよな?」


 楊鷹はぱっと振り返り、超慈のそばに立っている年若い男に問いかけた。彼は大事そうに仙器(せんき)の剣を抱えていた。


「は、はいっ! 過ぎています!」

「ならば、剣を返してほしい」

「はいぃっ!」


 若者が駆け寄り、楊鷹に剣を手渡した。その一連の動きを止めようとする者は、誰もいなかった。

 楊鷹は、すぐさま受け取った剣を引き抜く。若者が顔を青ざめさせ、倒れている喬徳を一瞥した。


「ああ、すまない。誰かを斬るというわけじゃあない」


 一言断ってから、楊鷹は翡翠の刃を見た。刃を返し、じっくりと確かめる。相変わらず美しい剣身は曇りなく滑らかで、己の顔をくっきりと映している。異変は感じないものの、楊鷹は喬徳が言っていた「なまくら」という言葉がひっかかった。楊鷹は若者に尋ねた。


「何か硬い物を持っていないか?」

「硬いものですか?」


 若者はせわしなくきょろきょろとあたりを見渡した後、ごそごそと袖を漁って小さな袋を盗り出した。


「あの、銅銭でもいいでしょうか?」

「ああ、それで構わない。一枚いただきたい」


 楊鷹が手を差し出せば、男はそこに袋から取り出した銅銭を乗せた。


「ありがとう」


 と礼を言うと、楊鷹は男から距離を取る。それから、貰った銅銭を指で弾き飛ばし、その中空を舞う小さな銭をめがけて一閃。ちりん、という細かい音を響かせながら、銅銭は真っ二つになって落ちた。それを楊鷹は拾い上げる。断面は滑らか。まさしく一刀両断だった。

 どこが、()()()()なのだろうか。


「本当に、これで豆腐が斬れなかったのか?」

「そんな、えぇ、なんで……」


 楊鷹の問いに対して、若い男は円な目をさらに丸くさせながらつぶやいた。そのつぶやきは、問いかけの答えにはなっていなかった。だが、唖然とした様子は返答として十分だ。本当に豆腐すら斬れなかったからこそ、銭をあっさり斬ったことに驚いているのだろう。


 楊鷹は改めて剣を見る。この剣は単なる剣ではない。神仙が作った『仙器』である。だから、何か不思議な仕組みがあるのかもしれない。だが、それが何かは分からない。毛翠(もうすい)からも、何も聞いていなかった。

 考えたところで仕方がない。とりあえず、切れ味は確かであり、求めていた剣で間違いないのでそれで良い。仙器については一件落着、楊鷹は剣を鞘に収めた。


「てめぇ、ふざけんなよ!」


 楊鷹がほっと一息ついたその時、超慈(ちょうじ)の怒声が響き渡った。見てみれば、超慈が小太りの男につかみかかっていた。


(くら)につないでる? てめぇ、ふざけんなよ! そんな風にしたら具合が悪くなるだろ! 餌はあげたんだろうな?」

「いえ……」


 たじろぎながら男が答えると、超慈は「なんだと!」とさらに声を荒らげた。


「てめぇ、(せん)(たい)を飢え死にさせる気か!」


 どうやら、(さら)われた鸕鷀(ろじ)の処遇について超慈は怒っているらしい。

 楊鷹は、急いで怒り狂う彼に近づいた。


「こっちはすんだ。怒っていないで、早く鸕鷀たちを迎えに行こう」


 なるべく落ち着いた声でそう言えば、超慈は思いのほか素直に身を引いた。


「ああ、そうだな。早く連れ帰って、休ませねぇと」

「鸕鷀たちはどこにいるんだ?」


 楊鷹が尋ねると、解放された男は怯えた表情で御殿の方を指差した。


「厨房の近くの(くら)です。この建物の裏からぐるっと回っていくのが早いかと……」

「分かった」


 楊鷹が頷くやいなや、超慈はさっさと身を翻した。楊鷹もその後に続こうとした、その時。ぞわりと、背筋に悪寒が走る。まるで、大きな百足(むかで)が這いずるような、不気味な感覚。


「待て」


 楊鷹はとっさに超慈の腕をつかんだ。「なんだよ」と、超慈が胡乱(うろん)げに振り返る。

 途端、無数の足音が聞こえた。軽やかな駆け足で、何かが近づいてくる。

 楊鷹は素早く視線を上げる。すると、御殿の背後からさっと炎がいくつも吹き上がった。炎の群れは屋根に降り立つと、御殿の天辺を紅々と染め上げた。

 突如現れた、いくつもの炎の塊。それは、炎ではなかった。獣である。火炎のような赤い毛をなびかせた、狼に似た獣たちだ。月光に濡れた炎毛は一層輝きを増し、宵闇の中で煌々と揺らめく。それはなんとも幻想的な光景であったが、決して美しいものではないと楊鷹は知っていた。

 雷に打たれたかのような戦慄が、楊鷹の全身を駆けめぐる。肌が粟立つ。本能的に叫ぶ。


「逃げろ!」


 楊鷹の大声をかき消すように、炎の獣――烈熾狼(れっしろう)たちが吠えた。

申し訳ありませんが、しばらく更新お休みします。

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