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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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凶炎の一夜・三

 喬徳(きょうとく)の屋敷を訪れたことがあるのだろうか。勝手知ったるといった足取りで、超慈(ちょうじ)はずんずんと奥へ進んでゆく。楊鷹(ようおう)はその背中を追いかける。


 もうひとつ門を潜り抜け、灯篭(とうろう)が並んだ広々とした庭に出る。蓮池にかかる橋を渡り、でこぼことした大きな奇岩の脇を通り抜け、たどり着いたのは豪勢な体裁の建物だった。煌々とした灯りに照らし出された丹塗りの壁に、龍の飾りのついた屋根。威風堂々とした、立派な御殿である。


 金の飾りが施された扉は、微かに開いていた。その扉を超慈は乱暴に開け放ち、中に踏み入る。楊鷹も後に続いた。


 その外観と違わず、中の様子も豪奢であった。柱と壁は鮮やかな赤色、天井を見上げてみれば羽根を広げた鳳凰(ほうおう)が描かれている。金の燭台には爛々と明かりが灯り、並ぶ卓の上には肉に果物、それから酒が所狭しと置いてある。

 酒宴の最中であったようだ。しかし、歓談の声は今はぴたりとやんでいた。居並ぶ男たちも彼らに侍る女性たちも、皆一同に口を閉ざし、闖入者をじっと見つめていた。

 部屋の奥、一段高くなったところに精悍な男が一人座している。長椅子にふんぞり返るように座り、銀製の杯を手にしていた。彼の両脇には、玉や錦で着飾った女性が侍っている。おそらく、この男が喬徳だろう。

 男は杯をたたきつける勢いで卓に置いた。


「なんだ、お前ら?」


 楊鷹と超慈めがけて、男は言った。ドスの利いた威圧的な声であったが、しかし二人にはまるで利かない。むしろ身をすくめたのは、酒宴に興じている人々であった。

 超慈は何食わぬ顔で「ふん」と鼻を鳴らすと、奥に鎮座する男めがけて物申す。


「おう、喬徳。回りくどい話はめんどくせぇから、単刀直入に用件だけ話す。俺の鸕鷀(ろじ)を返せ。それから、先日剣を買っただろ。それも返せ」


 予想通り、長椅子に腰かけている男は喬徳であった。

 喬徳は盛大に鼻で笑うと、きざったらしく髪をかき上げる。袖からのぞく腕には、刺青(いれずみ)が刻まれていた。白い肌に、青い龍がうねうねと絡みついている。

 喬徳が言った。


「そうか、お前は超慈か。いきなりやって来て何を言うかと思えば、めちゃくちゃだな。鸕鷀はお前がいかさまをしたから貰ったまでだ」

「だから、いかさまなんかしてねぇんだよ! 確かに馬鹿勝ちしたが、あれは偶々(たまたま)だ!」


  超慈は激しく床を踏み鳴らし、吠える。

 しかし喬徳は一切動じず、先ほどと同じように鼻で笑った。そのあざとい嘲笑を超慈への返答とすると、彼は視線を楊鷹の方へ移した。


「てめぇは誰だ」

(りゅう)だ。超慈の知り合いだ」


 楊鷹は適当な偽名を名乗ると、さっさと本題を切り出した。


「宴に興じているところへの来訪、申し訳ない。先日、李白蓮(りはくれん)という女性から剣を買ったと思うが、その剣を返してほしい。あの剣は、もともと私の物で、李白蓮殿に盗まれた物なんだ」


 喬徳が眉を跳ね上げる。


「剣?」

「剣身が翡翠(ひすい)のような剣だ」

「ああ、こいつのことか」


 納得したように頷くと、喬徳は長椅子の下へと手を伸ばす。そうして取り出したるは、一振りの剣。飾り気のない黒い鞘は艶を帯び、柄の端からは金色の長穂(ちょうすい)が垂れ下がる。間違いない。仙器の剣だ。

 喬徳(きょうとく)が剣を抜いた。翡翠のような剣身が、きらりと閃く。


「そうか、こいつは盗品だったのか。あの女、見た目だけでなく切れ味も良いとか言っていたが、実際とんだなまくらだもんなぁ。なるほど、人のもんだから何も知らずに言い繕ったのか」


 しげしげと刃を眺めながら、喬徳は言った。

 その言葉に、楊鷹(ようおう)は耳を疑う。


「なまくら?」


 思わず声が出た。あの仙器(せんき)がなまくらなど、そんなわけがない。むしろ正反対の代物だ。


「おう、とんだなまくら剣だ。肉どころか豆腐すら切れないな」


 繰り返される、嘘のような言葉。

 楊鷹は眉をひそめた。まさか、喬徳の持つ剣は、仙器の剣ではないのだろうか。そんなわけがない。翡翠のような美しい刃は、唯一無二と言って差し支えない。楊鷹は喬徳が掲げる剣を――灯燭(とうしょく)の明かりを浴びて、いっそう瑞々(みずみず)しく輝く刃を――じっと見つめながら口を開く。


「その剣が、なまくらなわけがない」

「ほーう?」


 いかにも怪訝そうに、喬徳は目をすがめる。するとその途端、超慈(ちょうじ)が叫んだ。


「剣の切れ味なんかどうでもいいんだよ! つべこべ言わずに鸕鷀(ろじ)とそいつを返せ!」

「つべこべ(うるさ)いのはてめぇの方だ。何を言われたって、返すわけがないだろうが」


 言いながら喬徳は刃を収め、にたにたと笑う。彼は美男と言って差し支えない顔貌をしているが、それが台無しになるほど、いやらしい笑顔であった。

 超慈は盛大に顔をしかめて、不快感をあらわにした。


「やっぱり話にならねぇな」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」


 超慈は盛大に舌打ちをすると、どこまでも横柄な喬徳に指を突きつけた。


「話にならねぇから、腕ずくだ。ここじゃあ力がすべてなんだろ。だから勝負だ! 殴り合いだ!」

「殴り合いだと?」


 喬徳が眉を跳ね上げた。超慈が楊鷹に目配せしながら脇に退く。

 楊鷹は一歩前に進み出た。

 こうなっては、仙器の切れ味については一先ず後回しである。むしろ、さっさと勝負をして取り戻した後、自身の手で(あらた)めた方が早いだろう。

 楊鷹は、喬徳の目をまっすぐ見つめながら言った。


「その剣と超慈の鸕鷀を賭けて、勝負をしてほしい。俺が買ったら剣も鸕鷀も返してくれ」

「そうか、本当に殴り込みに来たのか。いい度胸だ」


 喬徳は長椅子に座ると、背にもたれ掛かった。悠然と足を組み、いかにも偉ぶった姿勢で言う。


「俺が勝ったら、お前らはどうすんだ?」


 楊鷹はさっと手を上げて剣を示した。


「その剣は正真正銘貴方のものだ。鸕鷀も好きにしていい。それから、俺たちの身も」

「おい、勝手に決めるな!」


 楊鷹は叫ぶ超慈を視線で制する。


「大丈夫だ。負けるつもりはない」


 相手の力量は未だにはっきりとしない。しかし、楊鷹は強気に言いのけた。

 そもそも、相手が勝負に応じなければ話にならない。相手を場に引きずり出すには、怯えは無用だ。そして、顔役としての面子を保つためにも、喬徳にとってこの強気は許しがたいに違いない。

 案の定、(しゃく)(さわ)ったようだ。喬徳は不機嫌そうに鼻にしわを寄せた。


「この俺に、負けないだと?」

「ああ、負けない」

「寝言は寝て言え、馬鹿が」


 吐き捨てるように喬徳が言うと、超慈があからさまにせせら笑った。


「なんだよ、てめぇ、そう言って逃げるのか?」

「ああん? なんだ超慈? 何が言いたい」


 喬徳は凄みをきかせながら超慈をにらむ。超慈も負けじと視線を返し、言い返す。


「てめぇが勝つと分かりきっているから闘うまでもねぇと、そう言って勝負から逃げるのかよ。とんだ腰抜け野郎だな」


 突然、喬徳が勢いよく卓を叩いた。酒器が倒れ、ぼたぼたと酒が床にこぼれる。彼のそばにいた女性が「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。

 まなじりを吊り上げた喬徳が言った。


「てめぇ、随分な言い分だな。逃げるだと?」

「ああ、そうだ。本当は負けるのが怖いから、そう言って逃げんだろ?」

「黙れ!!」


 吠えるだけでは飽き足らず、喬徳は卓上の杯をぱっとつかむと、超慈めがけて投げつけた。矢のような勢いで風を切る銀杯。楊鷹は素早く手を伸ばすと、その杯をはっしとつかみ取った。

 かすかなどよめきが広がる。喬徳すらも目をみはっている。


「どうする? 勝負に乗るのか、それとも逃げるのか?」


 静かな声で楊鷹は問いかける。瞬間、喬徳はかっと目をむいて、眼前にある卓を蹴りつけた。卓が倒れて器が割れる。派手な音が鳴り、酒に果物それから肉が飛び散った。

 喬徳は数歩進み出ると、床に転がった西瓜(すいか)を踏みつけた。つぶれた赤い果肉をさらに踏みにじりながら、楊鷹をにらみつける。やけにぎらついた野獣のような目が、楊鷹を射る。


「逃げるわけないだろうが。表に出ろ。勝負に乗ってやるよ。後悔するなよ」


 怒りをはらんだ地響きのような低い声は、獣というよりももはや怪物のうめき声だ。その恐ろしい響きに、着飾った女性たちは顔を青ざめさせ、すっかり怯えた様子である。酒席に着いていた男たちも然り。誰も彼も、表情を強張らせている。

 しかし、獰猛な声音を向けられた当の楊鷹は、凛とした表情を崩さない。鋭い双眸で喬徳を見据え、言い放つ。


「後悔はしない。手合わせ、ひとつよろしく頼む」

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