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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
73/131

凶炎の一夜・二

 船を降りて歩くこと間もなく、開心林(かいしんりん)へとたどり着いた。

 湖上から見えた明るさに偽りはなく、盛り場は夜とは思えぬ賑わいを見せていた。提灯(ちょうちん)や篝火のきらめきがあふれ、そこかしこから嬌声がこぼれる。通りに並ぶのは賭場(とば)酒楼(しゅろう)、それから妓楼(ぎろう)などもあるのだろうか。酒のにおいにまじって、なにやら甘ったるい香りもする。通りを行く男たちの姿は様々だ。いかにも無頼(ぶらい)といった風采の厳つい男に、はだけた胸元から牡丹の刺青(いれずみ)が覗く洒落者。上等な絹の(ほう)に身を包んだ、役人のような格好の者もいた。


 煌々と綻ぶ花の街。しかし、時折聞こえてくる怒声が、その輝きに影を差す。明かりから離れた暗がりを見てみれば、項垂れて力なく座り込む年若い男の姿があった。虚空を見つめるその様は、まるで生気がない。じわりと滲む毒。やはり、ここはそういう場所なのだった。


 超慈(ちょうじ)の先導で通りを抜け、たどり着いたのは一件の酒店であった。盛り場の顔役が居るとは思えないほど、小ぢんまりとした店構えである。それでも、超慈はためらいなく店に入ってゆくので、楊鷹(ようおう)は後に続いた。

 卓と椅子が雑然と並ぶ店内は、がらんとしていた。客の姿はなく、店主と思しき老爺もぼんやりと椅子に腰掛けている。


「ここに喬徳(きょうとく)がいるのか?」


 この店の常連なのか、慣れた様子で席に着く超慈に対して、楊鷹は尋ねる。


「いいや」

「じゃあ、なんでここに?」

(めし)だよ、飯」


 ぶっきらぼうに超慈は答える。

 戦いの前の腹ごしらえ、ということか。確かに腹が減っていては、力が出ない。しかし生憎、楊鷹には持ち金がなかった。超慈の対面に突っ立たまま、楊鷹は首を横に振る。


「すまないが、俺は今持ち合わせがない」

「うるせぇ、俺のおごりだよ」

「だが」

「ぐちぐち言うんじゃねぇ。俺のおごりって言ったらおごりなんだよ。てめぇだって腹減ってるだろうが。ほら、さっさと座れ」


 断ろうとする楊鷹の言葉を、超慈は乱暴な口調で遮った。

 しかし口調は荒いくせに、言っていることは親切だ。超兄弟は、弟のみならず兄の方も素直ではないのかもしれない。そして、おそらく弟と同じく兄も頑固なのだろう。断っても、聞く耳はなさそうである。楊鷹が大人しく席に着くと、超慈が尋ねる。


「てめぇ、嫌いなもんはあるか?」

「酒は苦手だ。他は特にない」

「そうか」


 超慈は頷くと、早速店主を呼んだ。牛肉に飯、加えてお(さい)をいくつか。それから、お茶を持ってくるように頼む。随分といろいろ注文したので、超慈はそんなにも腹が減っているのかと、楊鷹はそう思ったのだが違った。どういうわけか、彼はやたらと楊鷹に食べるように勧めてくるのだった。

 楊鷹が遠慮しても、案の定超慈は聞かない。全くもって聞かない。彼は「いいから黙って食え」の一点張りであった。仕方ないので、楊鷹はしっかりとご相伴に預かることとなってしまった。小さく地味な店構えであったが、料理の味は上々。柔らかく煮込まれた牛肉を噛みながら、


(ここまでご馳走になったからには、絶対に喬徳に勝たなければならないな……)


 と、楊鷹は決意を新たにするのであった。


 そうして、腹ごしらえを済ませると、超慈(ちょうじ)楊鷹(ようおう)は改めて開心林(かいしんりん)へ繰り出した。

 目指すは、喬徳(きょうとく)である。超慈の話では、夜になると彼はたいてい開心林で一番の酒楼(しゅろう)で、仲間と酒盛りをしているらしい。

 だが、(くだん)の酒楼に行っても姿がなかった。店主に話を聞いたところ――正確には超慈が脅して強引に吐かせたのだが――、ここでないなら、おそらく喬徳は自身の屋敷にいるだろうとのこと。


 そこで早速、楊鷹たちは喬徳の屋敷へと向かった。きらびやかな大路を抜けて、高台へと向かう坂道を上ってゆく。坂を上りきると、ひときわ立派な作りの門が見えてきた。空へと反り上がる角のような飾りのついた屋根、その軒下には雲の形の彫刻が施されている。堂々たる門構えからは、中の屋敷も相当豪奢であることが窺えた。この豪邸が目当ての場所、喬徳の屋敷であった。


 大門の両端には、大振りの赤い提灯(ちょうちん)が二つ下がっている。そして、男が二人立っており、一人は棒を持っていた。見張りだろうか。なんとも物々しい雰囲気だ。

 しかし、超慈も楊鷹も臆さずに、大門めがけて突き進む。


「おい、喬徳はいるか?」


 早速超慈が尋ねれば、素手の男が振り返る。


「誰かと思えば超慈か」


 そう言って、男はにやにやと笑う。どうやら超慈と顔見知りらしいが、全くもって親しみのない態度である。

 男は腕を組み、顎を上げる。


「なんだ、いんちきで稼いだ金を返す気になったか?」


 偉ぶった男に対して、超慈はまなじりを吊り上げると啖呵(たんか)を切った。


「だから、いかさまも何もしてねぇって言ってるだろうが! 泥棒はそっちじゃねぇか! 鸕鷀(ろじ)を返せ!」

「泥棒じゃあねぇよ。正当な対価を貰っただけだ」


「ああ!」と超慈は悲鳴に似た声を上げると、男に一歩詰め寄った。


「中に入れろ。てめぇらじゃ話にならねぇ」

「入れるかよ! 金を返しに来たんじゃないなら、帰りな!」


 唾を飛ばしながら男は言い返す。次の瞬間、超慈はぱっと拳を振り上げ、男の顔を殴りつけた。拳は骨に当たったのか、ごつんという鈍い音が鳴る。その動きは電光石火、あまりにも唐突で素早く、誰にも止める間がなかった。

 

「だから、てめぇらに話をしてるんじゃねぇよ!」


 顔を押さえてうずくまる男に向かって、超慈が吠える。

 すると、もう一人の見張りがさっと棒を構えた。


「てめぇ! 何しやがる!」


 超慈に狙いを定め、男が棒を振るう。すかさず楊鷹は脇から手を伸ばし、振り下ろされた棒の先をはっしと掴んだ。男の一撃は超慈に届くことなく、中空でぴたりと止まる。男が横目で楊鷹を見る。その瞳を鋭く見返しながら、楊鷹は言った。


「俺たちは喬徳に用があるんだ」


 言いながら、楊鷹は棒を掴む手に力を込める。男はすっかり怯んでいるのか、棒まで力が入っていない様子。あっさりと奪えそうである。だが、あえてそうはせず、静かに視線で圧をかける。

 男がくぐもった悲鳴をあげて、わずかに足を後ろに下げた。それを見て、楊鷹は大きく弾みをつけて棒を離す。勢いよく解放された男は、数歩後ずさって尻餅をついた。痛そうに腰を押さえる男に、楊鷹が一歩二歩と詰め寄ると、彼は慌ただしく立ち上がった。


「喬徳様に知らせてまいりますぅ!」


 そう言って棒を放り捨てると、「おい、開けろ!」とがなりながら門扉を叩く。そうして門が開くやいなや、男は転がり込むようにして敷居をまたぎ、屋敷めがけてすたこらと逃げ出した。

 超慈に殴られた男の方も、立ち上がる。


「し、しばしお待ちください!」


 やっぱり情けない声で言いながら、門の向こうへと走り去ってゆく。

 脱兎のごとく逃げ去る見張りたちを、門扉の影から呆然と見つめる男が一人。恐らくこの男が門を開けたのだろう。彼も喬徳の手下なのだろうか。それにしては小柄で、なよなよとした男だ。荒くれ者とは程遠い、頼りない風体である。男が恐る恐るといった調子で、仁王立ちの超慈を見やる。超慈がきっとにらみ返す。案の定というべきか、男は「ひっ」と小さな悲鳴を上げると、あっさり逃げ出した。


 突然、がらんとした門前。ただただ明々と照る提灯の光がかえって寒々しく、なんともわびしい。

 楊鷹は、うち棄てられた棒をそっと(へい)に立てかけた。


「そんなご丁寧にする必要ねぇだろ。ほら、さっさと行くぞ」


 吐き捨てるようにそう言って、超慈はずいと敷居をまたいで行ってしまう。

 殴り込みを敢行している以上、自身も毒の一部である。礼儀も作法も、もはや要らない。「お待ちください」と言っていた手下の言葉に、従う必要だってないだろう。だが、同じ毒にはなりたくないと、楊鷹はそんな風に思う。そんな余裕を保てるような相手なのかどうか、分からないけれども。

 静かに一礼をしてから、楊鷹は門をくぐった。

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