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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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突飛な助っ人・三

 李白蓮(りはくれん)の家に着いたときには、すでに昼を過ぎていた。

 小さな門をくぐって目に入ったのは、大柄な女性の姿。李白蓮は、相変わらず戸外の椅子に気だるげに腰かけていた。彼女は楊鷹(ようおう)たちに気がつくと、盛大に顔をしかめた。


「なんだ、帰って来たのかい」


 ぶれることのない邪険な態度。一方、楊鷹も揺るぎない。毛翠(もうすい)月蓉(げつよう)に預けると、臆することなく慇懃(いんぎん)に一礼する。


「やはりもう一度、詳しくお話を聞きたいと思い、戻ってまいりました」

「話すことなんてもうないよ」


 気だるげにうちわであおぎながら、李白蓮はそっぽを向いた。ほとほと話を聞ける様子ではないが、楊鷹は取り合わずに続けた。


「私の剣のことですが、本当に見た覚えはないのですね?」

「見てないって言ってるだろう! そんなもの、初めから無かったよ」


 李白蓮は語気を強めると、楊鷹に向かって唾を吐いた。


「そうですか」


 ひとつ頷いた楊鷹は、背後の超亮(ちょうりょう)に目配せをした。

 超亮が前に進み出る。李白蓮の視線が、彼を捉える。途端、彼女はますます顔をしかめた。


「誰かと思ったら、超慈(ちょうじ)じゃないかい。随分とかしこまって、なんの用だっていうんだ」


 超兄弟の事情を知らないのだろう。李白蓮は兄の名を呼んだが、弟は平然と口を開いた。


「貴女の言っていることは、嘘です。剣ですが、私は確かに見ました」


 まさしく単刀直入。超亮は前置きもなしに、本題へと踏み込んだ。


「はぁ? あんたは何様なんだい? 突然出てきて、人を嘘つき呼ばわりかい!」


 李白蓮はきっとまなじりを吊り上げ、怒鳴る。しかし、超亮の表情は一切動かない。凪いだ水面のような、澄み渡った真顔を保ったまま、彼ははっきりと言った。


「貴女の方こそ、何様なのですか」


 超亮は視線で楊鷹を示すと、さらに続ける。


「彼らを川から引きあげて、こちらに運び入れた後、確かにこの手で腰に差さっていた剣を取り、そばに置いておきました。私は、間違いなく剣を触りました。初めから剣がないわけがないのです」


 ついに李白蓮が黙った。口を閉ざした彼女は、せわしなくうちわを手の中で回しはじめた。かさかさと、うちわの震える音がかすかに響く。


 李白蓮は、頑なに口を閉ざし続けた。

 じりじりと、夏の陽射しが照り付ける。楊鷹の背中に汗がにじむ。李白蓮の額にも、汗が浮かぶ。しかし、彼女の鋼のような強情さは、熱気にいくら晒されようとも溶けなかった。

 その状況で真っ先に痺れを切らしたのは、月蓉だった。


「おばさん。剣をどこに持っていったのか、教えてください」


 月蓉は、切々と頼んだ。

 しかし、身内の懇願に対しても、李白蓮は唇をぴくりとも動かさず、ひたすらにだんまりを貫く。

 呆れるように、超亮が息を吐く。そして、彼は言った。


「……私は、貴方が剣を持っているところも見ました。貴方は剣を知っているはずです。剣をどこに運んだのですか?」


 滴る真水が、鋼を穿つ。

 くるくると動いていたうちわが、ぴたりと止まった。

 

「……売ったよ」


 くぐもった声でぼそりと、李白蓮は言い捨てた。と思いきや、一気に荒ぶる。顔を真っ赤にさせて、さらに怒りを露わにした彼女は、楊鷹にうちわを突きつけ、がなり立てる。


「ああ、あんたの持ってた剣を持ち出して、売っ払たさ! あの剣、随分と高価そうだったからね! こちとら金がないんでね!」

「にゅっ……」


 楊鷹の隣で、毛翠が声を詰まらせる。盗んだだけでなかったことに、驚いたのか。楊鷹は素早く視線を動かして、赤子を制する。

 盗んだだけでなく、売った。さらなる不義が発覚したが、楊鷹は落ち着いていた。売ったということは、頭のどこかで予想していた。貧しいが故に剣を盗んだというならば、金に換えていたっておかしくはない。むしろ当然だ。李白蓮は武人でもなんでもない。剣のままでは、大して使い道もない。


「いいじゃないか! こっちは金もないのに、あんたの世話をしたんだ! 謝金を貰っただけだよ! 当然の権利じゃないか!」


 李白蓮は、激しくまくしたてる。対して、楊鷹は冷静に問いかけた。


「どちらに売ったのですか?」

開心林(かいしんりん)喬徳(きょうとく)に売ってやったよ! あいつはここいらでは一番の金持ちだからね!」


 そう答えると、李白蓮は乱暴にうちわを振った。


「ほら、話してやったじゃないか! もう用事はすんだだろう! これ以上は、話すことなんか何もないよ!!」


 盗人猛々しい、とはまさしくこのこと。楊鷹は拳を握りしめた。しかし、それを振りかざすことはせず、楊鷹は悪びれない李白蓮に向かって深々と頭を下げた。


「お話を聞かせてくださいまして、ありがとうございます」


 李白蓮は、面食らったように目を丸くする。しかし、驚きの表情はほんの一瞬。すぐに怒りの形相に戻った彼女は勢いよく立ち上がると、荒々しい足取りで家の中へと消えていった。

 李白蓮(りはくれん)の姿が完全に見えなくなると、待ってましたとばかりに毛翠(もうすい)が口を開く。


「おい、お前もう少し怒ったらどうだ?」


 こそこそとした小さい声は、いかにも不満げである。その声に違わず、月蓉(げつよう)に抱かれた赤子は、しかめっ面で楊鷹(ようおう)を見据えていた。


「怒ってどうなる」


 楊鷹は、努めて静かな声で言った。

 楊鷹とて、盗んだことを許したわけではない。ただその気持ちを、李白蓮にぶつけられなかった。

 李白蓮の世話になっているのは、紛れもない事実である。邪険に扱われているが、結局家に置いてもらっている。月蓉が用意した食事や薬だって、もとを正せば李白蓮が懐を痛めて捻出したものだろう。彼女には、一宿一飯の恩がある。


 それに、楊鷹は貧しさを知っていた。

 食べるものも着るものもなく、みじめな思いを抱えながら暮らす毎日。かつてはそのような世界、盗まなければ生きていけない世界の近くで生きていた。

 母は決して盗まなかった。そして、その教えを受けた楊鷹も、盗みを働いたことはない。しかし、実際には行ったことはなくとも、盗んだ方が楽だということは分かる。楊鷹自身、その楽な道に走りたいと、誘惑に駆られるときが幾度かあった。

 そこを踏みとどまれたのは、母の影響もあったが、運が良かったという部分も多分にあっただろう。幸いにして、ぎりぎり一線を越えないところで踏みとどまれた。本当に、運が良かっただけ。きっと、己と李白連との差など、爪の先ほども無いに違いない。


 しかも、李白蓮を初めとする北汀村(ほくていそん)の人々の貧しさは、為政者に搾取された結果である。


 楊鷹は思い出す。古ぼけた、ぼろぼろの家屋。軒先で揺れる、干からびた蛙。そして村人たちの、すっかり打ちのめされたような薄暗い瞳。眼前のがらんどうになった竹の椅子も、今にも座面が抜けそうだった。

 耳の奥で、かすかにさざ波の音が反響する。窮しているからといって、何をしても良いわけではない。けれど。

 楊鷹は、長々と息を吐いた。


「もう売られてしまったんだ。今さら怒ったところで、剣は出てこない。彼女を役所に突き出すわけにもいかないだろう。俺はそんなことができる状況じゃないんだ」


 先を急ぐ身である。裁判をやっている暇はない。第一罪人であるのだから、のこのこ役所に陳情しに行くわけにもいかない。許す許さない、怒る怒らないといった心情は別にして、李白蓮を責めたところで利はないのだった。

 だが、それでも毛翠はぷうと頬を膨らませる。


「それはそうだが。……お前、まさか剣なしでも構わないとか思ってないだろうな?」


 楊鷹は、むっとして言い返す。


「そんなことは思ってない。こんな形で剣を失ったら、譲ってくれた莫志隆(ばくしりゅう)殿に失礼だろうが」

「じゃあどうするつもりだ?」

喬徳(きょうとく)とかいう人間のところに行って、取り戻す」


 楊鷹はきっぱりと言った。そう言葉にすると同時に、思考を次の一手に切り替える。

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