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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
67/131

消えた仙器・七

 超慈(ちょうじ)が普通でない。それは、楊鷹(ようおう)も感じていた。あの超慈とかいう男、どうにも気配がおかしい。彼のそばにいると、妙な寒気を感じる。

 そのおかしな気配の正体を、毛翠(もうすい)は分っているというのか。眉をひそめながら、楊鷹は尋ねた。 


「どう普通じゃないんだ?」

「おそらく、何か()いている。そんな感じがする」

「あー、あぁ……」


 毛翠の言葉に、楊鷹は妙に得心してしまった。覚えのある気配だと感じたが、言われて思い当たった。霊魂である。墓に行ったときに感じる気配に、似ているのだ。

 楊鷹は呟くように、ぽつりと尋ねた。


「幽霊だとか霊魂だとかそういう類か?」

「おお、そうだ! 神仙や魔物とは少々においが違うから、何かと思ったんだが、お前の言う通りおそらく霊か何かだ」


 小声ながらも毛翠は声を弾ませる。

 当たってほしかったような当たってほしくなかったような、楊鷹は複雑な胸中になる。神仙のみならず、ここにきて憑き物付きとは。

 楊鷹は目を閉じ、小さく息を吐く。内心で平常心、と唱えて、静かに現実を受け止めると、おもむろに目を開ける。


「それで、憑き物が憑いているということを教えたくて、引っ張ったのか?」

「そうだ。だから、その憑き物に話を聞いてみたらどうかと思ったんだ」

「憑き物に聞く?」


 楊鷹は思わず聞き返した。

 毛翠の提案は不可解だ。憑き物に話を聞くとは、いかなることか。しかし、赤子は大人びた真面目な顔つきでさらに言う。


「あいつはわしらのことを知らぬと言ったが、もしかしたら憑き物の方が何か知っているのかもしれん」

「まさか」

「そのまさかだ。少なくとも、わしらを助けたのはあいつだ。あの顔に背格好、間違いないぞ」


 楊鷹は黙り込んだ。

 己を助けてくれたのは、あの超慈という茶色い髪の荒くれ者で間違いない。しかし、当の本人は「覚えがない」と、そう言っている。

 この矛盾の原因は、憑き物のせいなのか。不可解な事象と不可解な存在。符合している気がしなくもない。

 毛翠の表情は真剣なまま、変わらない。ふざけている様子は一切ない。

 楊鷹はそっと口を開いた。


「……つまり、憑き物に対して声をかけてみろ、ということか?」

「うむ。そうだ」


 毛翠はきっぱりと首を縦に振る。

 憑き物に声をかける。万が一にも相手がごく普通の人間であったら、とんでもない失態になるだろう。「頭のおかしい奴」だと一蹴されて、それ以上取り合ってくれなくなっても文句は言えまい。だがしかし。


「あ、超慈さん、待ってください!」


 月蓉(げつよう)の声が聞こえて、楊鷹ははっとした。木陰から顔を出すと、のしのしと大股で歩き去ってゆく超慈の後姿が見えた。

 楊鷹は慌てて、所在なさそうに佇んでいる月蓉の元へ引き返す。


「すまない、月蓉」

「いえ、こちらこそすみません。超慈さん、行ってしまいました……」


 月蓉が超慈が去っていった方向を見る。

 楊鷹もそちらを見つめながら、尋ねた。


「なぁ、月蓉。俺を助けたのは間違いなく超慈殿で、彼は超慈殿で間違いないよな?」

「はい。間違いない、はずです……」


 月蓉の答えは歯切れが悪い。楊鷹は彼女へと振り返る。その横顔からは、戸惑いが見て取れた。


「どうした? 何かあったのか?」


 楊鷹が聞けば、月蓉はおずおずと答えた。


「その、超慈さん、人が変わってしまったと言いますか……。前はあんなに、乱暴な方ではありませんでした。話し方も丁寧で、礼儀正しい方でした」


「よ、酔っぱらっていたからでしょうか?」と、月蓉は困ったような口調で締めくくる。

 おかしな気配は感じていないまでも、月蓉も超慈に違和感を覚えたらしい。

 楊鷹は腹をくくった。


「もう一度、超慈殿に話を聞く」


 自身に言い聞かせるように楊鷹が言うと、月蓉は表情を引き締めて頷いた。


「そうですね。もう少し詳しくお話を聞いてみましょう」


 そうして一行は、超慈の後を追った。家の角を曲がり、その通りにいた人に道を尋ね、教えられたとおりに進む。やがてたどり着いたのは、湖にへばりつくようにして建っている家だった。素朴な石垣の向こうに見えるのは、二面の板葺き屋根。どうやら、二棟の家が並んで建っているようだ。石垣の切れ目からひょっこり中を覗いてみれば、見覚えのある茶色い頭が見えた。超慈の家で間違いなさそうだ。

 超慈は、並ぶ二つの家の一方――やや小さい建物の方――の前に、背中を向けて立っていた。

 楊鷹たちは、そっと彼に近づいた。


「まったく、今日はへんなのに絡まれてばっかりだ」


 超慈(ちょうじ)がぶつくさとしゃべっているのが聞こえる。それから、グワグワという低く濁った鳴き声も。

 超慈越しに家の方を見やってみれば、それは家ではなく小屋のようだった。壁の上半分が格子状になっており、その隙間から大きな黒い鳥の姿が覗いている。鸕鷀(ろじ)(=鵜)である。二羽の鸕鷀が、地面に敷かれた竹竿に止まっていた。

 この小屋は鸕鷀小屋のようだ。超慈は漁師であるらしいが、鸕鷀漁を行なう漁師なのかもしれない。


 格子の隙間から手を差し入れて、超慈が鸕鷀のくちばしの付け根を掻いてやっている。その手つきは随分と優しい。あんまりにも優しいために、楊鷹(ようおう)は声をかけるのをためらった。このふれあいの時間を、邪魔してはならないように思えたのだ。

 鸕鷀を撫でるのに注力しているせいか、超慈は楊鷹一行に気がつかない。むしろ、先に気がついたのは鸕鷀たちの方であった。二羽の黒い游禽(ゆうきん)は翠玉のような瞳を楊鷹に向けると、グワッと一声大きく鳴いた。

 超慈がばっと振り返る。


「なんだよ! また来たのか! しつけぇな!」


 怒号が飛ぶ。途端、グワグワと鳴き声が響く。すると、超慈は騒ぎたてる鸕鷀たちに、「悪い悪い」と声をかけた。それから、改めて楊鷹たちに向きなおる。


「今度はなんだよ?」


 先ほどより声を潜めて、超慈は尋ねる。

 楊鷹は一度小さく息を吸うと、言った。


「いえ、用件は変わりません。私たちを助けてくれたときのことです」

「だから、俺はお前のことなんか知らねぇんだよ」


 楊鷹は言葉に詰まる。鋭い超慈の視線が、痛い。だが、怯んではいられない。

 楊鷹は超慈の瞳を真っ直ぐ見返す。そして、その底に潜むものに語りかけるつもりで言った。


「私が用事があるのは、貴方の方ではありません」

「はぁ、何言って……」


 超慈の言葉が突然途切れ、がくんと体が前に傾いだ。楊鷹はその力を失くした男の体を受け止める。心配でもしているのだろうか、二羽の鸕鷀は揃って首を伸ばして、超慈をじっと見つめている。

 水気の多い、涼しい風が吹く。辺りの空気がひんやりと冷たくなったのは、この風のせいか。それとも。

 しばらくの間の後、ぴくりと男の体が震えた。

 楊鷹は静かな声で呼びかける。


「超慈殿?」

「やはり、貴方は気づいておられましたか」


 やけに冷静な口調で、男が答えた。声は変わらず超慈のそれだが、口調はまるで別人のように落ち着き払っていた。

 楊鷹が手を離す。男は、ゆっくりと体を起こす。

 男の姿に変わりはない。乱雑に束ねた茶色い髪に無精髭、それから鋭い目元。だが、不機嫌そうな表情はすっかり消えていた。怒りも何もない、のっぺりとした無表情である。すっかり人が変わってしまったようであった。

 楊鷹は悟る。己と毛翠(もうすい)の勘に、間違いはなかった。

 楊鷹は、静かに頭を下げて礼をした。すると、男も礼を返す。荒くれものらしくない、丁寧な拱手(こうしゅ)の礼だ。


「兄者が失礼をいたしました」


 頭を下げたまま、男はおもむろに言った。

 楊鷹は一度唇をなめてから尋ねた。


「失礼ですが、貴方は?」

「私は、超慈の弟の超亮(ちょうりょう)と申します。すでに死した身ではありますが、こうして兄者の体に居ついております」


 しずしずと顔を上げると、超慈――ではなく超亮だ――は答えた。突飛な自己紹介であったが、彼の言葉は真実味を帯びていた。それほどに、佇まいが超慈と異なっている。

 探るように、楊鷹はさらに問いかける。


「貴方は、私たちをご存じなのですか?」

「はい。貴方たちを川から引き上げたのは、私です」


 声を荒らげる様子は一切見せず、静かな口調のまま超亮は返事をした。

 楊鷹は毛翠(もうすい)と顔を見合わせた。どうやら、これまた予想通りであるらしかった。助けてくれたのは、超慈ではなかったのだ。


「立ち話もなんですから、狭いですがどうぞ中へ」


 超亮は、鸕鷀(ろじ)小屋の隣に建つ家の扉を開ける。

 彼に促されるまま、楊鷹たち一行は中に入った。

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