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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
66/131

消えた仙器・六

 そうして先を急ぐことしばらく、一気に川幅が膨らんだ。緩やかな風に合わせて波が踊り、広々とした水面に光の粒を散らす。そのまばゆい水面の縁を飾るように、遠くまで連なる深緑の山々。盧湖(ろこ)へと出たようだ。

 そのまま湖畔を進んでゆくと、ついに目的地である盧西村(ろせいそん)へとたどり着いた。超慈(ちょうじ)の家までもうすぐだ。

 しかし、村の入口にある門を通って幾ばくか、石造りの人家の角で一行ははたと足を止めた。

 前方の道端で、男たちが大声で言い争っている。


「しらを切るんじゃねぇ! 俺らの目はごまかせねぇぞ!」

「うるせぇな、やってねぇって言ってるだろうが!」

「嘘を吐け! いかさましただろう!」


 ぎゃあぎゃあと騒いでいるのは、三人の男だ。皆、動きやすそうな格好をしている。三者三様相貌はそれぞれ違えど、誰も彼も厳つい。それに荒々しい口ぶり。いかにもな無頼漢たちである。がたいのよい大男と、赤い上衣を着た禿頭(はげあたま)の男。それから、茶髪であごに薄らと無精髭が生えている男。彼は、手から酒壺をぶら下げていた。


「……あそこにいる、茶色い髪の方が超慈さんです」


 月蓉(げつよう)は口元に手を添えて、こっそりと楊鷹(ようおう)に教えた。楊鷹は眉をひそめる。

 目当ての人物が、揉め事の真っただ中にいる。しかも、荒くれ者たち――当人もその荒くれ者なのだが――に、絡まれている。話を聞ける雰囲気ではない。


 楊鷹たちは、距離を保ったまま超慈たちの様子を窺う。

 大男と禿頭の二人が、超慈に詰め寄る。どうやら彼ら二人は、仲間のようだ。


賽子(さいころ)に細工しただろうが!」

「そうだ! さっさといかさましたことを認めろ!」

「してねぇよ。さっさと帰れ!」


 次々飛んでくる怒声もなんのその、超慈は叫び返すと唾を吐き出した。

 揉めているのは、博打(ばくち)のことらしい。いかさまをした、ということで超慈が問い詰められているようだ。話している内容までも、彼らの相貌にぴったりであった。


「超慈、てめぇ!」


 大男が超慈の胸ぐらをつかんだ。しかし、超慈は動じないどころか、逆にかっと目をむいた。


「しつけぇんだよ! やってねぇもんはやってねぇよ! ごまかせるも何もてめぇらの目は節穴だ! ちゃんと塞いで出直して来い!」

「なんだと!」

「だから、うるせぇ!」


 超慈が両手で大男を突き飛ばした。屈強そうな男であったが、彼はあっさり胸ぐらから手を離すと、そのままよろめいて尻餅をつく。勢い余ったのか、対する超慈の方も数歩ふらつき、ずるりと転ぶ。


「てめぇ、このやろう!」


 禿頭の男がさっと懐から何かを取り出した。夏の日差しを反射して、銀の光がきらりと閃く。匕首(あいくち)だ。そんな物騒な物を出すとは、それほどの遺恨があるというのか。

 緊張感が高まる。月蓉が息を呑む。


「少し頼む」


 楊鷹はすかさず毛翠(もうすい)を月蓉に預けると、小走りで無頼漢たちの方へ駆け寄った。彼女に血は見せたくない。


「待つんだ、落ち着け」


 楊鷹が声をかけると、大男と禿頭の二人が勢いよく振り返った。


「ああ? なんだてめぇは!」

「すっこんでな!」


 歯をむき出しながら、男たちは怒号を放つ。相当興奮している。


「刃を収めるんだ。血を流すのはよした方がいい」


 楊鷹は努めて落ち着いた声を出す。しかし。


「すっこむのはてめぇらの方だろうが! 消えろ馬鹿が!」


 超慈は男二人を声高に罵ると、ついでとばかりに持っていた酒壺を投げつける。

 酒壺は男たちには当たらず、彼らの足元をかすめただけだった。だがそれだけでも、ならず者を爆発させるのには十分であった。


「この野郎!」


 禿頭が、匕首(あいくち)を構えて走り出す。狙いは当然超慈だ。

 これはまずい。もう言葉は通用しない。

 そう判断した楊鷹(ようおう)はすかさず飛び出し、禿頭(はげたま)の前に滑り込む。さっと身をひねりながら、匕首(あいくち)を握る手元を両手で絡めとるようにつかむと、そのまま男を投げた。流れるようなその動きは、まさしく疾風。軽々と風に放られた禿頭になすすべはなく、彼は強かに背中を打ちつける。細かい砂礫(されき)が、煙となって舞い上がった。

 投げられた禿頭は、なかなか起き上がろうとしなかった。彼はを匕首(あいくち)取り落とし、両手で必死に口元を押さえている。どうやら、舌でも噛んだらしい。


「すっこんでろって言っただろうが!」


 残された大男が吠えた。楊鷹がさっと振り返れば、男が巨体を揺らしながら突っ込んでくる。彼の鬼のような形相はなかなかに迫力があったが、楊鷹は動じない。澄みきった心で、迫り来る敵を見定める。

 楊鷹は素早く体をさばき突進をかわしながら、男の背後に回り込む。そして、無防備な大きな背中を掌底で突いた。大男は「ぎゃっ」と悲鳴を上げながら倒れ、地面に顔面を打ちつけた。岩が割れるような鈍い音が鳴る。こちらは、前歯が欠けたかもしれない。


「ち、ちくしょう……」


 禿頭の男が、よろめきながらようやっと立ち上がる。楊鷹はさっと視線を走らせて、彼ににらみを利かせた。禿頭は微かに呻く。その顔つきに威勢はなく、すっかり戦意を失っているようだった。楊鷹が視線で圧をかけること、ほんの数瞬。禿頭の男が、落ちていた匕首(あいくち)を拾い上げる。しかし、それを構えることはなく、刃先はくるりと(くう)を指す。禿頭は静々と得物を懐に収めると、背中を向けて逃げ出した。


「おひ、待へ!」


 そして、置いていかれた大男も、慌てて立ち上がり後を追う。叫び声が少々不明瞭だったので、やはり歯を一、二本失ったようだった。


(威勢があったわりに、大したことなかったな)


 と、楊鷹はそんなことを思いながら、すたこらと逃げてゆくならず者たちを見送る。


「兄さん、大丈夫ですか?」


 情けない男二人が見えなくなると、毛翠(もうすい)を抱いた月蓉(げつよう)が楊鷹のもとへやって来た。眉間にしわを寄せた彼女は、なんとも心配そうな表情で口早に尋ねる。


「お怪我はしていませんか? 傷は痛みませんか?」

「ああ、大丈夫だ」


 楊鷹はしっかりと頷いた。軽くやり合ったものの、昨日のように傷の痛みはぶり返してこなかった。回復ぶりは順調なようだ。


「それなら良かったです……」


 月蓉は表情を和らげると、安堵するように吐息をもらした。そこに剣呑な舌打ちの音が重なる。楊鷹はくるりと体を反転させた。


 残った茶色い髪の荒くれ者が一人、地べたにどっかりと座っていた。

 楊鷹は彼、超慈(ちょうじ)に近づこうと一歩踏み出すも、すぐさま足を止めた。どういうわけか、変な気配を感じた。熱気を帯びていた肌が、すっと冷える。この冴え冴えとした不可思議な気配、何かに似ている。

 気配の出所は視線の先にいる男だ。彼はじっと楊鷹をにらんでいた。揉め事は収まったが、やはりやすやすと話を聞ける雰囲気ではなかった。


 変な気配をまとっていても、歓迎されていなくても。それでも楊鷹は近づいた。超慈の正面までゆくと静かにしゃがみ、彼と目線を合わせる。


「怪我はありませんか?」

「なんだよ、別に助けろって言ってねぇだろうが!」


 落ち着いた楊鷹の問いかけに対し、超慈は相変わらず怒声を飛ばす。彼は随分と酒臭かった。呂律も少々怪しい。明らかに酔っ払いである。


「いえ、貴方に用事があったもので、万が一にも死なれては困ると思ったのです」


 楊鷹が言うと、超慈は盛大に眉をひそめた。ますます迫力のある人相になる。


「俺に用事だぁ?」


 楊鷹は頷くと、月蓉を手招きした。彼女はすぐさまやって来ると、控えめに超慈に礼をした。彼女に続くようにして、楊鷹も手を合わせると、深々と礼を捧げた。


「超慈殿、お初にお目にかかります。私は、(りゅう)と申します」


 楊鷹は礼儀正しく名乗ると――といっても偽名だが――真っ先に先日の出来事について礼を述べた。


「先日は、私と……それからこちらの赤子を川から助けてくれまして、ありがとうございました。おかげで命拾いできました。心から感謝申し上げます」


 楊鷹は毛翠を一瞥する。

 超慈は楊鷹と毛翠を交互に見ると、ますます顔をしかめた。


「はぁ? 川から助けたってなんだ? 俺はてめぇらのことなんざ、知らねぇぞ」

「はい?」

「えっ?」

「ふぁっ?」


 素っ頓狂な声が三つ重なった。楊鷹は視線で毛翠を制する。刹那、赤子はわずかに顔をこわばらせ、けほけほと軽く咳き込んだ。すかさず月蓉が、小さな背中をさする。

 楊鷹は超慈に向き直った。


「ええと、数日前、川に流されたところを貴方に助けてもらったと聞いたのですが……」

「知らねぇって言ってるだろうが、しつけぇな!」


 殴り掛からん勢いで、超慈は身を乗り出して叫ぶ。楊鷹は少々体をひいて、口をつぐんだ。


(どういうことだ?)


 心のうちに疑問が浮かぶ。酔っぱらっていて言動がおかしくなっているのか。もしかしたら、助けてくれた時も、酔っていたとかで記憶があいまいなのか。

 そのとき、「だぁだぁ」と愛くるしい声と共に、小さな手が伸びてきて楊鷹の袖を引いた。毛翠である。


「こら」


 軽くたしなめながら、楊鷹は小さな手を払う。だが、毛翠はしつこかった。またくいくいと袖を引く。

 これは何かの意思表示なのか。楊鷹はふと悟る。


「失礼、子供が」


 楊鷹は淡々とした口調で断りを入れると、月蓉から毛翠を取り上げて、彼女と超慈から離れる。彼らとは道を挟んで反対側の木陰に身を隠すと、楊鷹は声を潜めて言った。


「一体なんだ」

「助けてもらったときも思ったが、あいつ普通でないぞ」

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