消えた仙器・六
そうして先を急ぐことしばらく、一気に川幅が膨らんだ。緩やかな風に合わせて波が踊り、広々とした水面に光の粒を散らす。そのまばゆい水面の縁を飾るように、遠くまで連なる深緑の山々。盧湖へと出たようだ。
そのまま湖畔を進んでゆくと、ついに目的地である盧西村へとたどり着いた。超慈の家までもうすぐだ。
しかし、村の入口にある門を通って幾ばくか、石造りの人家の角で一行ははたと足を止めた。
前方の道端で、男たちが大声で言い争っている。
「しらを切るんじゃねぇ! 俺らの目はごまかせねぇぞ!」
「うるせぇな、やってねぇって言ってるだろうが!」
「嘘を吐け! いかさましただろう!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいるのは、三人の男だ。皆、動きやすそうな格好をしている。三者三様相貌はそれぞれ違えど、誰も彼も厳つい。それに荒々しい口ぶり。いかにもな無頼漢たちである。がたいのよい大男と、赤い上衣を着た禿頭の男。それから、茶髪であごに薄らと無精髭が生えている男。彼は、手から酒壺をぶら下げていた。
「……あそこにいる、茶色い髪の方が超慈さんです」
月蓉は口元に手を添えて、こっそりと楊鷹に教えた。楊鷹は眉をひそめる。
目当ての人物が、揉め事の真っただ中にいる。しかも、荒くれ者たち――当人もその荒くれ者なのだが――に、絡まれている。話を聞ける雰囲気ではない。
楊鷹たちは、距離を保ったまま超慈たちの様子を窺う。
大男と禿頭の二人が、超慈に詰め寄る。どうやら彼ら二人は、仲間のようだ。
「賽子に細工しただろうが!」
「そうだ! さっさといかさましたことを認めろ!」
「してねぇよ。さっさと帰れ!」
次々飛んでくる怒声もなんのその、超慈は叫び返すと唾を吐き出した。
揉めているのは、博打のことらしい。いかさまをした、ということで超慈が問い詰められているようだ。話している内容までも、彼らの相貌にぴったりであった。
「超慈、てめぇ!」
大男が超慈の胸ぐらをつかんだ。しかし、超慈は動じないどころか、逆にかっと目をむいた。
「しつけぇんだよ! やってねぇもんはやってねぇよ! ごまかせるも何もてめぇらの目は節穴だ! ちゃんと塞いで出直して来い!」
「なんだと!」
「だから、うるせぇ!」
超慈が両手で大男を突き飛ばした。屈強そうな男であったが、彼はあっさり胸ぐらから手を離すと、そのままよろめいて尻餅をつく。勢い余ったのか、対する超慈の方も数歩ふらつき、ずるりと転ぶ。
「てめぇ、このやろう!」
禿頭の男がさっと懐から何かを取り出した。夏の日差しを反射して、銀の光がきらりと閃く。匕首だ。そんな物騒な物を出すとは、それほどの遺恨があるというのか。
緊張感が高まる。月蓉が息を呑む。
「少し頼む」
楊鷹はすかさず毛翠を月蓉に預けると、小走りで無頼漢たちの方へ駆け寄った。彼女に血は見せたくない。
「待つんだ、落ち着け」
楊鷹が声をかけると、大男と禿頭の二人が勢いよく振り返った。
「ああ? なんだてめぇは!」
「すっこんでな!」
歯をむき出しながら、男たちは怒号を放つ。相当興奮している。
「刃を収めるんだ。血を流すのはよした方がいい」
楊鷹は努めて落ち着いた声を出す。しかし。
「すっこむのはてめぇらの方だろうが! 消えろ馬鹿が!」
超慈は男二人を声高に罵ると、ついでとばかりに持っていた酒壺を投げつける。
酒壺は男たちには当たらず、彼らの足元をかすめただけだった。だがそれだけでも、ならず者を爆発させるのには十分であった。
「この野郎!」
禿頭が、匕首を構えて走り出す。狙いは当然超慈だ。
これはまずい。もう言葉は通用しない。
そう判断した楊鷹はすかさず飛び出し、禿頭の前に滑り込む。さっと身をひねりながら、匕首を握る手元を両手で絡めとるようにつかむと、そのまま男を投げた。流れるようなその動きは、まさしく疾風。軽々と風に放られた禿頭になすすべはなく、彼は強かに背中を打ちつける。細かい砂礫が、煙となって舞い上がった。
投げられた禿頭は、なかなか起き上がろうとしなかった。彼はを匕首取り落とし、両手で必死に口元を押さえている。どうやら、舌でも噛んだらしい。
「すっこんでろって言っただろうが!」
残された大男が吠えた。楊鷹がさっと振り返れば、男が巨体を揺らしながら突っ込んでくる。彼の鬼のような形相はなかなかに迫力があったが、楊鷹は動じない。澄みきった心で、迫り来る敵を見定める。
楊鷹は素早く体をさばき突進をかわしながら、男の背後に回り込む。そして、無防備な大きな背中を掌底で突いた。大男は「ぎゃっ」と悲鳴を上げながら倒れ、地面に顔面を打ちつけた。岩が割れるような鈍い音が鳴る。こちらは、前歯が欠けたかもしれない。
「ち、ちくしょう……」
禿頭の男が、よろめきながらようやっと立ち上がる。楊鷹はさっと視線を走らせて、彼ににらみを利かせた。禿頭は微かに呻く。その顔つきに威勢はなく、すっかり戦意を失っているようだった。楊鷹が視線で圧をかけること、ほんの数瞬。禿頭の男が、落ちていた匕首を拾い上げる。しかし、それを構えることはなく、刃先はくるりと空を指す。禿頭は静々と得物を懐に収めると、背中を向けて逃げ出した。
「おひ、待へ!」
そして、置いていかれた大男も、慌てて立ち上がり後を追う。叫び声が少々不明瞭だったので、やはり歯を一、二本失ったようだった。
(威勢があったわりに、大したことなかったな)
と、楊鷹はそんなことを思いながら、すたこらと逃げてゆくならず者たちを見送る。
「兄さん、大丈夫ですか?」
情けない男二人が見えなくなると、毛翠を抱いた月蓉が楊鷹のもとへやって来た。眉間にしわを寄せた彼女は、なんとも心配そうな表情で口早に尋ねる。
「お怪我はしていませんか? 傷は痛みませんか?」
「ああ、大丈夫だ」
楊鷹はしっかりと頷いた。軽くやり合ったものの、昨日のように傷の痛みはぶり返してこなかった。回復ぶりは順調なようだ。
「それなら良かったです……」
月蓉は表情を和らげると、安堵するように吐息をもらした。そこに剣呑な舌打ちの音が重なる。楊鷹はくるりと体を反転させた。
残った茶色い髪の荒くれ者が一人、地べたにどっかりと座っていた。
楊鷹は彼、超慈に近づこうと一歩踏み出すも、すぐさま足を止めた。どういうわけか、変な気配を感じた。熱気を帯びていた肌が、すっと冷える。この冴え冴えとした不可思議な気配、何かに似ている。
気配の出所は視線の先にいる男だ。彼はじっと楊鷹をにらんでいた。揉め事は収まったが、やはりやすやすと話を聞ける雰囲気ではなかった。
変な気配をまとっていても、歓迎されていなくても。それでも楊鷹は近づいた。超慈の正面までゆくと静かにしゃがみ、彼と目線を合わせる。
「怪我はありませんか?」
「なんだよ、別に助けろって言ってねぇだろうが!」
落ち着いた楊鷹の問いかけに対し、超慈は相変わらず怒声を飛ばす。彼は随分と酒臭かった。呂律も少々怪しい。明らかに酔っ払いである。
「いえ、貴方に用事があったもので、万が一にも死なれては困ると思ったのです」
楊鷹が言うと、超慈は盛大に眉をひそめた。ますます迫力のある人相になる。
「俺に用事だぁ?」
楊鷹は頷くと、月蓉を手招きした。彼女はすぐさまやって来ると、控えめに超慈に礼をした。彼女に続くようにして、楊鷹も手を合わせると、深々と礼を捧げた。
「超慈殿、お初にお目にかかります。私は、劉と申します」
楊鷹は礼儀正しく名乗ると――といっても偽名だが――真っ先に先日の出来事について礼を述べた。
「先日は、私と……それからこちらの赤子を川から助けてくれまして、ありがとうございました。おかげで命拾いできました。心から感謝申し上げます」
楊鷹は毛翠を一瞥する。
超慈は楊鷹と毛翠を交互に見ると、ますます顔をしかめた。
「はぁ? 川から助けたってなんだ? 俺はてめぇらのことなんざ、知らねぇぞ」
「はい?」
「えっ?」
「ふぁっ?」
素っ頓狂な声が三つ重なった。楊鷹は視線で毛翠を制する。刹那、赤子はわずかに顔をこわばらせ、けほけほと軽く咳き込んだ。すかさず月蓉が、小さな背中をさする。
楊鷹は超慈に向き直った。
「ええと、数日前、川に流されたところを貴方に助けてもらったと聞いたのですが……」
「知らねぇって言ってるだろうが、しつけぇな!」
殴り掛からん勢いで、超慈は身を乗り出して叫ぶ。楊鷹は少々体をひいて、口をつぐんだ。
(どういうことだ?)
心のうちに疑問が浮かぶ。酔っぱらっていて言動がおかしくなっているのか。もしかしたら、助けてくれた時も、酔っていたとかで記憶があいまいなのか。
そのとき、「だぁだぁ」と愛くるしい声と共に、小さな手が伸びてきて楊鷹の袖を引いた。毛翠である。
「こら」
軽くたしなめながら、楊鷹は小さな手を払う。だが、毛翠はしつこかった。またくいくいと袖を引く。
これは何かの意思表示なのか。楊鷹はふと悟る。
「失礼、子供が」
楊鷹は淡々とした口調で断りを入れると、月蓉から毛翠を取り上げて、彼女と超慈から離れる。彼らとは道を挟んで反対側の木陰に身を隠すと、楊鷹は声を潜めて言った。
「一体なんだ」
「助けてもらったときも思ったが、あいつ普通でないぞ」




