消えた仙器・五
葉擦れの音が止むと、月蓉は改めて口を開く。
「毛翠さんは、景辰岡の官窯のことをご存知ですか?」
景辰岡の官窯。その言葉を、楊鷹はよく知っていた。その地にまつわる思い出は悪いものの方が多く、つい眉間に力がこもる。
一方、問われた当の毛翠は知らないらしい。彼は、目を瞬かせながら聞き返す。
「景辰岡の官窯? なんだ、それは?」
「今の天子様が宮殿でお使いになる磁器を作るために、景辰岡という場所に窯を設えたんです」
月蓉が説明しても、毛翠はあまりぴんときていない様子で、相変わらず目をぱちくりとさせた。それも当然か。彼は神仙。約二十年ほど稟国、もとい人の世から離れていた。今の皇帝の治世は十五年ほど。なれば、最近の世情にうとくとも仕方がない。
「今の天子様は、磁器がとてもお好きなんです」
月蓉に続いて、楊鷹も言う。
「珍しい模様の器を各地から集めたり、良い材料が取れるところに窯を作って、宮殿で使うための器を焼かせたりしているんだ」
「へぇ……」
毛翠は感心したように声をもらした。
だが、あまり感心できる話ではない。皇帝は、磁器が好きすぎるのだ。人々が、密かに陰で「磁狂い」と呼ぶほどに。
美しい釉の磁器があると聞きつければ、どんなに都から離れていても買い付けに行くよう命じる。ときには窯ごと買い占めたり、国財をつぎ込んで窯や工房を造ったりする。官窯とは、そのように皇帝が造らせた窯のことを指し、大抵の場合ひたすらに宮廷御器を焼く。そして作られた磁器は遥々都まで運ばれるわけだが、その運搬のための道まで敷いてしまうのだ。
景辰岡の周辺では、昔から細々と白磁が作られていた。水晶のように透き通った白磁の美しさに心奪われた皇帝は、もともとあった窯を買うだけでは満足せず、さらに窯と工房を増設し、例にもれず一緒に道まで整備したのだった。
二年程前、楊鷹はその景辰岡の官窯から都まで磁器を運ぶ、という仕事に携わったことがある。共に向かった文官がそれはもう厭味な奴で、道中散々な目に遭った。
それはともかく。皇帝の磁器好きは盲目的なのだ。惚れこんだ磁器を手に入れるためならば、手段を選ばない。官窯やそれに伴う道を作るとなったら、なんとしてでも作るのだ。そこに村があり、人々が暮らしを営んでいたとしても、知ったことではない。
その辺りの実情を知る楊鷹は、最早月蓉の言わんとすることが分かった。
「……官窯が作られるときに、この村に移ってきたのか」
移ってきた、という言葉を使った楊鷹であったが、おそらくそんな生易しいものではなかっただろうと、薄ら思う。
月蓉は静かに頷いた。
「北汀村の人たちは、もともと景辰岡に暮らしていたんです。けれど八年前に官窯と運搬のための道が作られるということで、強制的に立ち退きさせられたんです。移り住むためのお金は、どうやらお役人さんたちが着服したようで、ほとんど貰えなかったそうです。そのことで反発したそうですが聞き入れてもらえず、結局家財を持ちだす間もなく追い立てられるようにして北汀村まで移ってきたんです」
やはり、移るという言葉は正しくなかった、らしい。しかも、思った以上にひどい仕打ちだった。ただでさえ、故郷を離れるということには抵抗があっただろうに。楊鷹はそっと目を伏せた。
「加えて、最近は税も重たいんです」
さらに月蓉が付け足すと、毛翠は唸った。
「むぅ……。そういうわけか。それで、皆貧しくて、暗いというわけか」
楊鷹は今しがたやって来た道を振り返る。
耳の奥で、かすかに潮騒がさざめいた。李白蓮だけでなく、北汀村に暮らす人々は皆、貧しいのだ。役人たちに踏みにじられ、故郷も財産も失ってしまったために。物や金がないというだけでなく、散々打ちのめされたために心までも折れてしまったのだろう。苦しい暮らしから脱却しようとする力までも、失ってしまったのかもしれない。それゆえに、物欲しげな瞳で楊鷹を見つめてくる。そのむき出しの貧しさが、夏の光をくすませるほどの、陰気な空気を作りだしている。
楊鷹の胸が、ひりひりと痛んだ。二年前、北汀村に暮らす人々の犠牲の果てに敷かれた道を、おめおめと歩いていた己が恨めしい。やはり、ここに長居はできない。あまり世話になってはいられない。
毛翠が眉根を寄せながら言った。
「でも、村を避けて作ればよかったじゃないか」
「景辰岡は山深い場所です。新たに山を開くのは大変です」
月蓉が答えると、毛翠は鼻の頭にしわを寄せた。
「なんだそれは。とんでもない皇帝だな」
楊鷹はため息を吐いた。
「とんでもないのは役人の方だ。そこに住む人々を追い立てたことも、金を懐に入れたことも、欲深い官吏が勝手にやったことだろう」
「その勝手を許しているなら、皇帝だってとんでもない奴だろうが」
毛翠は堂々と皇帝を難じてみせる。
楊鷹はぐっと喉を詰まらせた。
悪辣な官吏が好き勝手できるほど、苦しむ民の現状にまるで興味を示さない今の皇帝は、何百歩譲っても賢帝とは呼べない。そんな思いは確かにあるものの、しかし楊鷹は皇帝を批難する言葉にすんなり頷けなかった。皇帝に反する行いがお上に知られれば罪に問われる、というのもあるが、とはいえすでに反詩を書いた罪人になってしまっている身だ。今さら気にしてどうする。罰せられる恐怖ではなく、禁軍の武官としての忠誠心が未だに残っているのだろうか。そんなもの、もう持っていたって仕方なかろうに。
純粋な忠誠心というより、皇帝に対する忠義が果たせなかったという後悔が強いのか。宮中の武官であるならば、皇帝が良き君主であるように支えるべきだ。それが、忠義というものだろう。だが、それができなかった。君主に上手く取り入り、のさばる奸臣たちを、どうすることもできなかった。そんな己だ。皇帝を非難する資格はない。
楊鷹が何も言えないでいると、月蓉がおもむろに口を開いた。
「その昔、栄華極める都を掘れば数多の名もなき骸が出てくると、そのような詩を作った詩人がいました。だから昔から……政ではよくあることなんだと思います」
そう寂しげに笑う月蓉に対して、毛翠は今一度「むぅ」と唸ると、難しい顔をして黙りこむ。
そのとき、野太い鳥の声が響いた。川を見やれば、一羽の青鷺が悠々と川下の方へ飛び去ってゆく。
「私たちも行きましょう。盧西村まで、もうすぐです」
そう言って、月蓉は体を翻す。
「……ああ。行こう」
やるせなさを感じながら、楊鷹は後に続いた。




