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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
63/131

消えた仙器・三

 出掛けるとなれば、さすがに着替えなければまずい。寝間着代わりの薄手の衣でうろつくのは、いくら夏といえど行儀が悪い。こんな格好で人に話を聞きに行くのは不躾だ。それに何より、目立ってしまう。


 と、結局衣服について月蓉に伝え忘れた楊鷹であったが、翌朝気のつく彼女は朝食と一緒にしっかりと着替えを持って来てくれたのだった。

 朝食の粥と青菜の炒め物を手早く腹に収めたあと、楊鷹は早速着替えた。

 丈の短い上衣と(はかま)、それから真新しいわらじ。袴は、以前楊鷹が着ていたものであったが、こまごまとしたほつれや破れが直っており、随分と綺麗になっていた。月蓉曰く、しっかり洗ったうえ繕っておいたとのこと。本当に、至れり尽くせりである。


 楊鷹が着替えをすませたちょうどそのとき、朝食の片付けに出ていった月蓉が納屋まで戻ってきた。彼女が扉を閉めてくるりと振り返るのを見計らって、楊鷹は声をかけた。


「月蓉、こんなに綺麗に繕ってくれてありがとう。何から何まで、本当にすまないな」


 感謝の言葉とともにふんわりと笑えば、月蓉は自身の前髪をなでつけながら、はにかんだ。


「いえ、気になさらないでください。これくらいのことしか、私にはできないので……」


 これくらい、どころではないのだが。そう思った楊鷹だが、そんな彼女の(げん)よりも気になったところがあった。

 手だ。彼女の前髪に触れている右手の甲の縁が、赤い。


「その手、どうしたんだ?」

「えっ?」


 聞かれるとは思っていなかったのか、月蓉は驚いた様子でぱっと右手を頭から離し、その手に視線を落とす。


「ああ、ええと、少しぼんやりしてしまって、食事の用意をするときにやけどをしてしまったんです」


 そう言いながら彼女はうつむき、反対の手でやけどの赤味を隠す。

 一拍、月蓉を見つめた後、楊鷹は彼女に詰め寄った。その距離、一歩と離れていない。


「月蓉、こっちを見てくれないか?」

「えっ? は、はい」


 楊鷹の言うままに、月蓉は素直に顔を上げた。その顔を楊鷹はじっと見つめる。

 目の下にうっすらと隈ができている。顔色も少々悪く、肌がくすんでいる。と思いきや、朱色の絵の具がにじむように、顔全体がじわじわと赤味を帯びてゆく。熱でもあるのだろうか。


「失礼。少し顔にさわるぞ」


 そう断ってから、楊鷹はほんのりと赤くなった月蓉の額に手を当てる。

 少々、熱いような気がする。やけどをしてしまうほどぼんやりとしていたのは、具合が悪いせいなのか。

 楊鷹は、月蓉の瞳をまっすぐ見つめながら尋ねた。


「熱があるのか?」

「いえ、ありませんよ! 体の調子はすこぶる良いです」


 やたらと威勢のよい声は、空元気にしか聞こえない。楊鷹は今度は月蓉の頬に触れる。やはり熱い。


「本当か? 顔が熱いぞ?」

「あ、熱くても、だっ、大丈夫ですっ!」

「だが、あまり寝ていないだろう?」

「確かにちょっと眠れませんでしたが、本当に本当に大丈夫です!」

「夜に何かあったのか?」


 真剣な眼差しを注ぎながら楊鷹は聞いた。すると、彼女は決まり悪そうにさっと視線を逸らす。だが、黙りはしなかった。


「あ、その、()おばさんが寝た後に剣を探していたら、遅くなってしまって……」


 あくせくと月蓉が答える。

 楊鷹は赤い頬からそっと手を離すと、小さく息を吐いた。


「そんなことまでしてくれたのか。そんなに無理はしなくていい」

「いえ、無理ではありません。その、私は……」


 ふいに月蓉が口を閉ざした。相変わらず目を合わせようとしない彼女を、楊鷹はじっと見つめながら、言葉の続きを待つ。

 その時、かたわらから盛大なため息が聞こえた。

 楊鷹(ようおう)は、ため息が聞こえた方へ視線をやった。

 毛翠(もうすい)がたたんだ寝床に座っていた。いつも通り、手で体を支える赤子らしい座り方だが、楊鷹を見つめる瞳はいやに大人びていた。他人を疑うような、胡乱(うろん)な色がにじんでいる。何か言いたげだ。


「なんだ?」


 ぶっきらぼうな口調で楊鷹が言えば、毛翠は力なく首を横に振った。


「いいや。ただ、わしには馴れ馴れしく触るなとか言っておきながら、お前はべたべたと月蓉(げつよう)に触っていると思ってな」

「あんたと一緒にするな。俺は月蓉の顔色が悪いように見えたんだよ。それに一言断っただろ」


 楊鷹がむっとして言い返せば、毛翠は口を尖らせてぼそりと言った。


「……お前、結構性質(たち)が悪いな」

「はぁ?」


 毛翠の言葉の意味がまるでわからず、楊鷹は盛大に声を上げた。しかし、意味は分からずとも「性質が悪い」と言われていい気分はするはずもなく。湯が沸き始めるように、苛立ちが胸の底でふつふつと揺れる。


(落ち着け)


 とっさに、楊鷹は自身に言い聞かせた。

 このまま毛翠に取り合っていても、ただただ不快な気持ちになるだけだ。無意味で空虚で何ひとつとして旨味はなく、当然面白くもない。ならば、ここでの最善は怒ることではない。怒ったってどうにもならない。

 楊鷹は一度深呼吸をして気を静めると、毛翠を無視して月蓉に視線を戻した。


 どういうわけか、月蓉の顔はさらに赤く、顔どころか首までも、食べごろの茘枝(らいち)に負けないくらい真っ赤になっていた。

 楊鷹は思い出す。円寧府(えんねいふ)で共に暮らしていたときも、こうやって月蓉は顔が赤くなることがあった。けれども、今日のこの赤さはどうかしている。心配にならない方がおかしい。


「……月蓉、やっぱり調子が悪いのか?」

「本当に本当に本当に大丈夫です! やけども寝不足も赤いのも、そこまでひどいことではありません! だから、そろそろ出かけましょう! あまり遅くなってはいけませんから!」


 月蓉はやたら焦った様子でまくしたてる。楊鷹は圧倒されて、半歩月蓉から身を引いた。すると彼女はそそくさと毛翠の方へ近づき、そのまま赤子を抱き上げようとした。


「待て、月蓉。そいつは俺が抱えていく」


 楊鷹は慌てて制止した。

 馴れ馴れしい毛翠を月蓉に任せるのは心苦しい。それに、大丈夫と言ってはいるが、彼女が寝不足なのは事実だ。


「でも、楊兄さんはまだけがが……」


 いかにも不安そうな口調の月蓉に対し、楊鷹はゆっくりと(かぶり)を振った。


「痛みはもうないから問題ない。月蓉だって、寝ていないんだろう。無理はするな」


 そう言ってやんわりと口元をゆるめれば、月蓉はおずおずと手を引っ込めた。

 またもや聞こえた、呆れるような吐息がこぼれる音。しかし、楊鷹は気にとめず、寝床のそばに置いてある包みを帯にたばさむ。位牌や耳飾りの片割れまで盗まれるとは思い難いが、念には念を。それから、月蓉の隣から手を差し伸べて、毛翠を抱いた。

 楊鷹の胸にすっぽりと収まった毛翠。てっきり、不満を言うと思いきや。


「月蓉、大丈夫だ。こやつは人よりも頑丈だから、あまり案ずるな」


 と、存外に素直な物言いをした。

 楊鷹は不思議に思って、腕の中の赤子を見下ろす。その視線に気づいたのか、ぱっと赤子が顔を上げた。緑色の瞳と目が合う。その視線は棘となって、ちくりと楊鷹の心を突いた。そこから、じわりと苦味が染み出る。

 いたいけな声が問いかける。


「なんだ?」

「なんでもない」


 答えを濁しながら、楊鷹はわずかに毛翠から目を逸らす。父の証である翠玉の目は、やはり苦手であった。

 ふいに、昨日の毛翠の様子を思い出した。月蓉から母の話を聞いて、声を震わせながら「ありがとう」と言っていた毛翠。深く感じ入っていたような赤子。まるで、母に対する想いが今も残っているかのようだった。

 染み出してきた苦味が、じわじわと広がる。その嫌な気持ちを振り切るように、楊鷹はさっと立ち上がった。


「行こう」


 そう月蓉に声をかけると、楊鷹は足早に納屋から出た。

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