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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
61/131

消えた仙器・一

 日が傾き始めた頃、月蓉(げつよう)が再び食事を持ってやって来た。その頃にはぶり返した傷の痛みはすっかり治まっており、楊鷹(ようおう)は早速彼女に剣について尋ねた。

 しかし、剣の所在はさっぱり分からぬままであった。彼女も毛翠(もうすい)と同じで、けがを負った楊鷹のことに必死で、今の今まで楊鷹が剣を持っていたことを知らなかったのである。

 剣がなくなってしまった現状を説明すると、月蓉はさっと青ざめ、「()おばさんに聞いて来ます」と慌ただしく納屋を出て行った。


 それからしばらく。すっかり暗くなってしまったが、未だ月蓉は戻って来ない。

 昼間の熱はだいぶ静まり、チロチロ、リーン、ジージー、と虫たちの賑やかな鳴き声が聞こえてくる。未だ暑い日は続いているが、それでも夏の盛りは過ぎたようで、日が沈むと秋の気配がにじむ。

 虫たちの澄んだ声は、楊鷹の胸の内に郷愁を呼び起こした。


(去年の今頃は、皆で夕涼みをしていたな……)


 円寧府(えんねいふ)の家には、小さいながらも庭があった。夏の終わりになると、楊鷹は母と月蓉と共に、庭に出て夕涼みを楽しんだ。涼しい宵の風に吹かれ、虫の声に耳を傾けながら、茶を飲み菓子を食べた。そうしてしばらくくつろいだ後、月蓉が詩を読み、それを聞いた母が「素敵な詩ね」と笑う。

 小ぢんまりとした庭だったが、母は季節によって彩りを変える景色を好いていた。


 燭台の炎がかすかに揺れる。楊鷹は過去の記憶を押し込めて、扉の方を見た。

 扉が開き月蓉が入ってくる。待ち人来たり。楊鷹は姿勢を正した。


「すみません、遅くなりました」


 そう謝りながら、月蓉は素早く楊鷹のそばまでやって来る。彼女は手にしていた明かりを置くと、開口一番に本題を切り出した。


「李おばさんに聞きましたが、剣は一切見ていないとのことです。初めから……楊兄さんが家に来たときから、そんなものはなかった、と何度問いただしてもその一点張りでした」


 「そうか」と一つ頷いた後、静かな声で楊鷹は改めて尋ねた。


「月蓉も、俺の剣は見ていないんだったな」

「……はい。記憶にありません。すっかり気が動転してしまって、楊兄さんをここに運び込んだ前後のことは、あまりはっきりと覚えていません。本当に申し訳ありません……」


 月蓉はしょんぼりとうつむいた。彼女は随分と気落ちしているようだった。

 「月蓉」と楊鷹は呼びかける。彼女がちらりと視線をあげると、その目を見つめながら楊鷹は柔らかい声で諭すように言った。


「それだけ必死になって俺を助けてくれたんだ。月蓉が謝ることじゃない」


 第一、月蓉は楊鷹の持ち物を把握していなかった。何があって何がないか、気づかなくても仕方ない。

 それでも、月蓉は悔しそうに唇を噛む。


「しかし、変な話だろうが。初めからなかった訳がない」


 ぺちぺちと床を叩きながら、毛翠が口を挟む。彼は、身振り手振りを交えながら力説する。


「楊鷹が川から引きあげられたときには、腰に剣が差さっていたし、この小屋に運び込まれたときも、一緒にここに持ち込まれたはずだ。剣はこの寝床の枕元に、包みと一緒に置いてあった。わしは見たぞ。間違いない」

「それは本当に、確かなんだな」


 改めて楊鷹が尋ねれば、毛翠はきっと眉をつり上げた。


「だから、確かだと何度も言っているだろうが」


 何度聞いても、毛翠の答えは変わらない。

 剣は納屋に運び込まれ、他の荷物とまとめて置いてあった。それならば、月蓉だけでなく李白蓮(りはくれん)までも見ていないというのは、少々おかしな話だ。李白連も気が動転していたのだろうか。しかしそうだとしても、李白蓮の「初めからそんなものはなかった」という言葉には違和感があった。毛翠の言うとおり、変な話である。

 (ぎょく)のような美しい剣身の剣は、何処へ行ったのか。

 あの嫌な予感が、確信に変わる。楊鷹は顔を片手で覆った。


 「()られたか……」


 ぽつりと、楊鷹(ようおう)は呟く。

 旅人の荷とは、格好の獲物である。

 かつて、楊鷹が流浪の身であったとき、賊に襲われることは少なくなかった。彼らの狙いは、もちろん荷物や(かね)である。賊だけでなく、宿で同室になった輩に、銀子(ぎんす)を盗まれたことだってあった。その輩は人当たりの良い笑みを浮かべた、本当にそこら辺にいるような、冴えない男であった。


 荷物が狙われるのは定石。だからこそ、注意しなければならない。しかし、満身創痍、前後不覚の状態にあっては、守りきれずとも仕方がない。

 仕方がない、といえども。莫志隆(ばくしりゅう)から覚悟を問われ、そのうえで手にした仙器を、こうもあっさりと失ってしまうとはあまりにも不甲斐ない。

 楊鷹の口から、ため息がこぼれた。


(これは、やらかしたな……)


 あの仙器の剣は、楊鷹の持ち物の中で一番価値のあるものだ。剣というだけでもそれなりの(かね)になるし、もしも鞘を抜いて刃を見たとしたならば、その美しさにさらなる価値を見出すだろう。

 誰かが小屋に忍び込んで、こっそり剣を盗んだのであれば、誰も彼もその在処を知らずとも筋が通る。知っていたとしても、言わないに決まっているのだから。そして、おそらくその言動の違和感を鑑みるに、剣を盗んだのは――。


 「盗られた」という楊鷹の呟きを、毛翠(もうすい)月蓉(げつよう)も否定しなかった。それどころか。


「たぶん()おばさんが、盗んだんだと思います」


 声を潜めながらも、きっぱりと月蓉は言った。

 楊鷹は内心ぎょっとして、彼女を見る。楊鷹自身そんな気がしつつも、まさか身内である月蓉がそう言うとは思ってもみなかった。


「何か、心当たりがあるのか?」


 楊鷹が声を落として尋ねれば、月蓉は控えめに首を縦に振った。


「李おばさん、貧乏なんです。数年前に旦那さんを亡くされたこともあって、暮らし向きは決して良くありません。しかも、そんなところに私が転がりこんできたので、余計に」


 月蓉が悲しげに目を伏せる。


「李おばさんの事情は知っていたのですが、他に頼れる親戚もいないので、私……」


 ぱちりと燭台の炎が爆ぜ、月蓉は口をつぐむ。彼女の表情は暗い。辛そうに、ぎゅっと眉根を寄せている。


「そうか……」


 楊鷹は呟いた。

 李白蓮(りはくれん)が貧しいことは、格好や言動から概ね察していた。(こん)(きわ)まる最中、楊鷹の世話までしなければならなくなったのは、彼女にとっては雪上加霜(せつじょうかそう)、災難続きもいいところなのだ。

 そして月蓉もまた、貧しい伯母に頼らざるを得ないほどに、追いつめられているのだった。


 騒がしかった虫たちの声は、いつの間にか大人しくなっていた。一つ二つ、取り残された鳴き声がわびしく響き、空気を暗く染めてゆく。

 本当に、去年の夏(あの頃)とは、何もかもが違う。


(せめて、俺が流罪にならなければ違ったんだろうな)


 そんな思いがよぎったとたん、楊鷹の口から謝罪の言葉が突いて出た。


「すまない、月蓉。俺が流罪になったばっかりに、肩身の狭い思いをさせてしまって」

「そんな、楊兄さんを責めるつもりはありません!」

「そうだ、今はそのことを謝ってる場合じゃあないだろう。今大事なのは、仙器を見つけることだ」


 月蓉に続いて、毛翠が言う。非難めいた赤子の言葉は正論だった。正論だからこそ、楊鷹はむっとしてしまう。


「分かってる」


 硬い口調で返事をすると、楊鷹は一度目を閉じて気を取り直す。それから、月蓉に向かって言った。


「明日、俺が李殿に話を聞くことはできるだろうか?」

「おう、なんなら、わしが見ていたということを言ってやればいい。そうすれば、言い逃れはできないだろう」


 毛翠が鼻息荒く言った。

 楊鷹は、盛大にため息を吐いた。そのかたわらで、月蓉は困った様子でぎこちなく笑う。


「お前が見ていたと言ったところで、だろうが」

「そうですね……。赤ちゃんが証言したと言っても、李おばさんは信じないと思います」


 月蓉の言う通りだ。赤子は普通しゃべらない。唯一の目撃者とはいえ、証言などできるものではないのだ。


「神仙だと言っても? なんなら、わしが直にしゃべるぞ」


 毛翠が再度問い掛けると、月蓉は「うーん」と唸る。


「どうでしょう。神仙だと説明しても、李おばさんはなかなか信じないと思います。特別信心深くもないですし……。先ほど、私が剣について何度も尋ねたら怒られたので、もう何を言っても怒るような気がします」


 数日とはいえ共に暮らす月蓉が言うならばそうなのだろうし、楊鷹も顔を真っ赤にさせて激昂する李白蓮の姿が、易々と想像できた。

 李白蓮は、楊鷹たちを邪険にしている。嫌う相手の言葉など、はねつけて当然だ。しかも、ただでさえ夢物語のような、嘘臭い話なのである。「毛翠はただの赤子ではなく実は神仙で、剣が小屋にあったところを見ていた」と、いくら丁寧に説明しても、頭がおかしい奴だと思われるだけで相手にされないだろう。実際に毛翠がしゃべって証言したとしても、李白蓮は気味悪がってまともに取り合わないのではなかろうか。それでもしつこく迫ったら、「化け物は出ていけ!」とものすごい剣幕で追い出されそうである。


 楊鷹は毛翠を横目で見た。彼は短い足を前方に投げ出し、その足の間に両手をついて、それはもう赤子らしく座っていた。見た目は、どこをどう切り取っても、可愛らしい赤子である。


「月蓉の言う通りだ。あんたがどうこう言うのは、得策とは思えない」

「むう……。赤子というのも神仙というのも、難儀なものだな」


 楊鷹が言えば、毛翠は口を尖らせた。その表情も、すねる子供のそれであった。

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