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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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久方振りの父子二人・二

 足を引きずりながら歩くこと間もなく、まばらになった木立の向こうに門が立っているのが見えてきた。そのまま門前まで近づいてみる。目の前に立つのは間違いなく門であったが、相当古めかしいうえに、あちらこちら傷だらけであった。屋根はだいぶ崩れ落ちており、辺りの地面にはその残骸が散らばっている。掲げられている額も、斜めになっていた。暗がりの中、じっと目を凝らした楊鷹であったが、額に書かれている文字はどれもかすれており、読み取れたのは『(びょう)』の文字のみ。この門は廟の入口なのであろうが、何を祀っている何のための廟なのかはさっぱり分からない。物悲しくひっそりと佇む様は、まさしくうち棄てられたという言葉がぴったりと当てはまる。


 だが、飯を炊く甘い香りは、先ほどよりもはっきりと感じられる。だいぶ廃れた場所であるが、この近くに人がいるのは間違いない。


「中ではないか?」


 鼻をひくつかせながら毛翠(もうすい)は真っすぐ門を指さした。言われるままに示された方向に視線を向ける。薄闇の中に緩やかな階段が続いているのが見える。恐らくこの先に廟があり、香りはそこから来ているものと思われた。


「早く行こう。もう腹が減ってたまらん」


 毛翠は身を乗り出さん勢いでじたばたと身をよじる。だが、急かす毛翠とは反対に、楊鷹(ようおう)はくるりと身を翻すと低い声で尋ねた。


「で、ちょうどよい身の上話とはどんなものだ?」

「お?」


 毛翠はつぶらな瞳を瞬いた。そのままじっと楊鷹の顔を見つめている。しばし、間が空く。まさか、先ほどの話を忘れたのではなかろうか。


「……この怪しい身なりをごまかせる上手い話を考えておくと言っていなかったか?」


 楊鷹はそう問うたが、毛翠は答えない。これは、忘れていたに違いない。すなわち、上手い身の上話など全く用意できていない。

 楊鷹の心の中にいら立ちが募る。


「さては、忘れていただろう」

「わ、忘れてなどいないぞ! えーと、そうだ、あれだ! 旅の道中、賊に襲われて子供と一緒に命からがら逃げてきました、助けてください、でいいんじゃないか?」

「返り血はどう説明する?」

「一緒にいた仲間が殺された時の血がかかった、ってことで」

「明らかに旅装ではないのだが」

「もみ合ってるうちにぼろぼろになったでいいだろう。汚れまくってるし暗いし、細かいところまでは分からんて」

「顔の刺青(いれずみ)は?」

「それはほれ、こうしてわしが隠しておいてやる」


 そう言いながら、毛翠は首元に抱き着いて、自らの頬を楊鷹の右頬にくっつけた。毛翠の言う通り、これならば多少は見づらいだろうが、なんとももやもやとした気持ちになる。


「あとはお前の演技次第でどうにでもなる! 頑張れ!」


 耳元で弾けた声は朗らかに、楊鷹の心を鼓舞する、わけもなく。

 なんという強引な作り話だろう。そんな話をしたら、余計に怪しまれそうである。加えて、結局最後は楊鷹自身でどうにかしろと言う。ひどい丸投げっぷりに、小さな体を抱く手に力がこもりそうになった。楊鷹はひとつ深呼吸をして、すんでのところで思いとどまる。息を吐ききったら、どうしてか疲れがどっとのし掛かってきた。


「生憎、そういうことは不得手だ……」


 つい弱音を漏らしてしまった楊鷹だったが、毛翠は取り合わない。彼は幾分口調を厳しくして言う。


「時には苦手なこともやらなければならないものだぞ。気合を入れればたいていのことはどうにかなるのだ。ほれ、腹をくくれ」


 この赤子は楊鷹の父親であるようだが、果たして己の父親はこんなにも暢気(のんき)だっただろうか。


(いや、そんなこと考えたところで無駄だ)


 楊鷹はよぎった疑問をすぐさま放棄した。父親と過ごした時間は、物心ついてからほんの数年しかない。そんなあいまいな記憶をたどったところで、有意義な答えは見つからない。まともに覚えていないのだから。

 楊鷹はのろのろと体を反転させた。


「おお、頑張る気になったか」


 やっぱり暢気で身勝手な物言いに、楊鷹はむっとして赤子を(にら)みつけた。


「あんたのためじゃない。自分のためだ」


 そう不愛想に言い捨てた後、視線を前方に戻す。すると、暗がりの中に人影が見えた。門の向こう、階段の中頃に誰かいる。楊鷹は目を細めた。一体いつの間に。気配すら感じなかった。内心、警戒しながら相手を観察する。

 人影はゆったりとした足取りで楊鷹達の方にやって来る。人影の正体は老爺(ろうや)であった。簡素な深衣をまとい、長い髭は胸まで垂れている。己が抱いている赤子よりも、ずっと神仙という言葉がしっくりくる風貌(ふうぼう)であった。門の向こう側に立っていたということは、この先にあるであろう廟から来たのだろう。飯を炊いている張本人、かもしれない。

 老爺は門の真下で立ち止まると、値踏みするかのごとく楊鷹を見つめた。ひっそりとした老爺の視線は、返り血がべったりと付いた楊鷹の右わき腹でいったん止まり、それから楊鷹の顔へ移った後、肩に頭をうずめる毛翠へ向かってそこで再度止まった。老爺は、じっと毛翠の頭の辺りを見つめている。もしかして、刺青に気が付いたのか。

 怪しまれるより先に――こんな状況で怪しまれない方が無理な気もするが――と、楊鷹は口を開きかけた。だがしかし。


「おい、はや……」


 邪気のない声が聞こえた瞬間、反射的に楊鷹の手は動いていた。毛翠の頭をぐっと押さえつける。ふがふがと苦しそうに呻いている様に心がちくりと痛んだが、そんなことに気を取られてはいけない。ここは少しばかり厳しくしなければならない。この赤子はただの赤ん坊ではないのだから、この程度のことどうってことはない。そもそも、どこの世界にぺらぺらとしゃべる赤子がいるというのか。

 楊鷹はわずかばかり体をひねって毛翠を隠した。そうしながらちらりと老爺を(うかが)えば、相変わらず毛翠を凝視していた。先ほどの声が聞こえたのだろうか。きっと聞こえたに違いない。

 もうこうなったら、何を言っても何一つ取り繕えなさそうである。だが、そう思ったことで楊鷹は完全に吹っ切れた。何を言っても駄目ならば、何を言っても構わない。


「あの、もしかしてこの辺りにお住まいの方でしょうか?」

「ええ、まぁ、そうですが」


 やや硬い声音であったが、老爺は答えてくれた。反応を示してくれたことを好機と捉え、楊鷹はすかさず口を開く。


「突然のことで申し訳ないのですが、一晩宿を借りることはできないでしょうか。実は、田舎に帰ろうと親子で旅をしてきたのですが、道中賊にあってしまいまして」


 言いながらうさん臭い話だと思ったものの、そこまで間違った話ではない。自分達はどうやら親子らしいし、賊のようなものに襲われて命からがら逃げてきたのも嘘ではない。そこまで後ろめたさを感じる必要も無理に演技をする必要もない、と楊鷹は気が付いた。


「どうにか命からがら逃げだせたのですが、何分この辺りの地理に(うと)く道に迷ってしまったのです。ご迷惑だとは思いますが、どうかお願いします」


 最後まで話を言いきって、楊鷹は深々と頭を下げた。しばらくしてから顔を上げると、目の前の老爺はにっこりと笑っていた。


「そういうことでしたか。それは大変でしたね。どうぞ、こちらへ」


 拍子抜けするほど老爺は朗らかに答え、くるりと(きびす)を返す。対して、楊鷹は呆気に取られてすぐには動けなかった。こんなにもすんなりと受け入れてもらえるとは、正直意外である。


「おい、どうし……」

「あー! かたじけない!!」


 楊鷹はとっさに叫んだ。力が緩んでしまった隙にもれ出た可憐な声をかき消すために、わざと大きな声で。前方で「大したことではありませんよ」と顔だけで振り向いた老爺には、ぎこちない笑みを返した。恐らく、恐らくごまかせた。さりげなく毛翠の頭を押さえつけながら、楊鷹は老爺の後を追いかけた。

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