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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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まさかの再開・五

「本当に楽しそうにお話ししてくださいました。こう言っては失礼ですが、まるで子供みたいに無邪気に笑っていらっしゃって。なので、不思議に思いながらも私も楽しくて、いつも話に聞き入っていました」


 光の中で静かに語られる言葉は、一つ一つがきらめきを帯びているようだった。きらめきは楊鷹ようおうの耳に心地よく溶け、胸の奥を甘く痺れさせた。楽し気に話をする母と、そのそばで微笑みながら話を聞く月蓉。そんな二人の姿が思い浮かぶ。優しく温かいけれど、切ない。目元が熱くなるのを感じて、楊鷹はきつく口を引き結んだ。

 ぽつりと毛翠(もうすい)が呟く。


楊麗(ようれい)は、楽しそうに話していたのだな」

「とても明るくて、素敵な笑顔でした」


 微笑をたたえた口元で、月蓉(げつよう)はかさねて言った。

 毛翠が目をつぶる。その様子は、何かを思い返しているように見えた。やがて彼は目を開けると、月蓉に向かって深々と頭を下げる。


「楊麗の話を聞いてくれて、ありがとう」


 そう言う声は、今にも泣き出しそうなほど震えていた。

 毛翠の様子に無性にいら立ちを覚えた楊鷹は、ふいと顔を背けた。


「いえ、私の方こそ、物語のような不思議なお話が聞けて楽しかったです」

(よう)ちゃん……」


 月蓉に対する幼気な声音が、急に馴れ馴れしくなる。楊鷹はさっと視線を戻した。

 ちょうど、毛翠が月蓉めがけて飛びかかったところだった。とっさに小さな体を押さえて、阻止する。


「何をする!」

「馴れ馴れしくするな」


 楊鷹が刺々しい声で言えば、毛翠は赤子らしくぷうと頬を膨らませた。


「なんだ、わしは感謝の意を示そうとしただけだ」

「くっつく必要はないだろうが。馴れ馴れしく月蓉に触るな」


 さらに口調を尖らせて、睨みをきかせる楊鷹。しかし赤子は一切怯まず、それどころかぽかんとした表情を浮かべて、楊鷹を見返した。穴が空くほど、じっと視線を注ぐ。丸々とした緑の瞳が、楊鷹に迫る。居ずまいが悪いようなひどくこそばゆい気分になってきて、楊鷹はそっと毛翠から手を離す。同時に視線も外した。


「……蓉ちゃんは、住み込みで働いていたのか?」


 ふいに毛翠が尋ねた。

 月蓉はにこやかに返事をする。


「はい。そうです」

「楊麗がいなくなってからも、か?」

「はい。もともとは楊麗さんのお身体が悪いということで働き始めたのですが、楊麗さんが亡くなった後も、楊兄さんが家のことをやってもらえると助かるからと、引き続き家に置いてくださったんです」

「年はいくつだ?」

「二十です」


 毛翠が月蓉と楊鷹を交互に見やる。そして、彼は言った。


「お前たち、結婚、しているわけではないんだよな?」

「は?」

「けけけけ、結婚なんてしてないです! してないですよ!!」


 楊鷹が声を上げたかたわらで、月蓉が慌ただしく手を振って否定を示す。

 楊鷹はため息混じりに言った。


「なんですぐにそういう話に持っていくんだ、あんたは」


 しかし、毛翠の口は減らない。


「だが、二人で暮らしていたんだろう? はたから見たらほとんどふうふ……」

「わぁぁぁっ!」


 月蓉の叫び声が、毛翠の声をかきけした。

 突然の大声に楊鷹はぎょっとしてしまった。


「月蓉?」


 呼びかけると、彼女さっと背を向けて、そそくさと茶器や椀をお盆にまとめ始めた。


「あっ、私、今日はおつかいを頼まれていたんでした。一旦、これで失礼しますね!」


 月蓉はすっくと立ち上がると、一切振り返ることなく颯爽と小屋から出て行ってしまう。それこそ、風のようにあっという間に去っていってしまった。立ち上がった瞬間、黒髪の間からちらりと覗いた耳は、真っ赤であった。

 あんなにも赤くなって、慌ただしく出て行ってしまうとは、一体全体、彼女はどうしてしまったのだろう。楊鷹にはよく分からない。よく分からないが、しかし毛翠のせいであるような気がした。じろりと目の前の赤子を睨む。


「変なことを言って、月蓉を困らせるな」

「変なことというか、お前たち、本当にそういう関係じゃなかったのか?」


 まったく意に介さない毛翠に対して、楊鷹は盛大に眉をひそめた。


「まだ言うのか。結婚なんかしていないと言っただろう。そもそも、母上の喪だって明けてないんだぞ」

「ああ、そうか……」


 納得するように頷きながらも、毛翠は恨めしそうに楊鷹をねめつける。薄い唇がもごもごと動いている。明らかに物言いたげであった。

 だが、外から足音が聞こえてきて、毛翠はぴたりと唇を引き結ぶ。荒々しい足音は、月蓉のものではなかった。


 勢いよく納屋の扉が開いた。楊鷹(ようおう)は素早く視線を向ける。

 あの大柄の女性――月蓉(げつよう)の伯母の李白蓮(りはくれん)である――が立っていた。

 李白蓮は相変わらず横柄な足取りで、ずかずかと楊鷹に歩み寄った。


「なんだ、もう元気そうじゃないか」


 そう言う声も以前と変わらず、冷ややかだ。そこに情はない。

 それでも、楊鷹は丁寧に拱手(こうしゅ)の礼を捧げた。


「助けていただき、ありがとうございます。おかげさまで、だいぶ良くなりました」


 李白蓮は、盛大に鼻を鳴らした。


「良くなったなら、さっさと出て行ってくれないかね」


 眉間に深いしわを刻みながら、李白蓮は吐き捨てる。言葉のみならず、その渋面にもありありと嫌悪がにじんでいた。

 険悪な空気が漂う。窓から差し込んでくる光が、急に寒々しく見える。光の(もや)は温かみを失い、その細やかな輝きは今や氷のつぶてのようになってしまった。

 剣呑とした気配が満ち満ちて、じわじわと肌を灼く。だが、すでに楊鷹はその感覚に慣れていた。厄介者扱いされるのは、お馴染みだ。動じずに、再度拝礼する。


「はい。近くお暇いたします」


 言われなくとも、長居は無用だ。楊鷹は手配書が出回っている罪人である。幸い李白蓮は、そのことに気がついていないようだった。気づいていないならば、気づかれぬうちにさっさと立ち去らねばならない。

 忌憚でも嫌味でもない言葉に対して、李白蓮は再びふん、と鼻を鳴らすと小屋から出ていった。

 乱暴な足音が遠ざかってゆき、やがて消える。

 すると早速、毛翠(もうすい)は頬を膨らませた。


「あいつ、随分な態度だな」

「仕方ないだろう。俺たちは縁もゆかりもない人間なんだ」


 月蓉の親戚といえ、彼女にとって楊鷹は他人である。介抱する義理はない。それにおそらく、介抱するだけの余裕もあまりないのだろう。李白蓮の衣服は以前と同じ、薄汚れた継ぎはぎだらけの衣であった。

 楊鷹は枕もとを見る。そこには花鳥文(かちょうもん)の包みが置いてあった。中身は母の位牌と遺品の耳飾り。今の楊鷹の持ち物は、それだけであった。

 旅路に戻るには、いろいろと準備が必要だ。今着ているのも、薄手の衣である。衣服や履物(はきもの)も工面しなければならない。


(次に月蓉(げつよう)が来たら、相談するか)


 そう思ったとき、楊鷹は盛大な違和感に気がついた。

 位牌と耳飾り。これが今の楊鷹の持ち物のすべて――、ではない。


(剣はどこだ?)


 楊鷹ははっとする。剣が、仙器(せんき)がない。

 物足りない荷を見つめながら、楊鷹は毛翠に「なぁ」と声をかける。


「俺は飛び下りるとき、剣を腰に差したよな?」

「おう。確かに腰に差していたぞ」


 毛翠は、はっきりと頷いた。

 楊鷹は剣を掴むように、何もない腰元にそっと手を添える。

 記憶では、剣が流された覚えはない。だが、途中で意識を失ってしまったこともあり、その記憶はひどく頼りない。特に、毛翠を倒木の上にのせた後のことは、まったくと言っていいほど覚えていない。

 にわかに陽差しが陰り、光が薄闇に溶けた。

 楊鷹はぞっとして、口早に尋ねた。


「どうして、剣がないんだ? 気づかないうちに流されたのか?」

「へ?」


 毛翠が素っ頓狂な声を上げて、辺りに頭を巡らせた後、枕元を指差した。


「いやいやいや。あそこに……位牌や耳飾りの包みと一緒にあったぞ。この小屋に運び込まれたときは、あそこに一緒に置いてあった」


 だが、枕もとには包みしかない。無意味と分かっていても、楊鷹は包みを開いてみる。そこには、位牌と耳飾りしかなかった。当たり前だ。こんな小さな包みの中に、剣が入っているわけがない。

 楊鷹はゆっくりと立ち上がった。寝すぎていたために、ふらつきを覚える。少々おぼつかない足取りで、楊鷹は小屋の中を物色した。壺の中、(みの)の下、木箱の裏と探してみる。病み上がりの体に鞭打って、薄暗がりの屋内を隅々まで見る。

 しかし、成果は空振りだった。仙器の剣は、どこにもない。

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