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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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まさかの再開・四

(しかし、かなり流されたんだな……)


 月蓉(げつよう)との再会が、好事(こうじ)であるのは確かだ。だが、旅のことを思えばあまり喜べる状況ではない。もともと、湍幽県(たんゆうけん)は通り道ではなかった。藍耀海(らんようかい)へ向かう道筋から、外れているためだ。川に飛び込む前に楊鷹がいたのは、湍幽県の隣県の山中。あそこから、だいぶ南下したことになる。一刻も早く藍耀海へ行きたいのに、遅れを取ってしまった。


(生き延びるために仕方がなかったとはいえ、な)


 楊鷹(ようおう)毛翠(もうすい)を見る。彼との付き合いが長引くのは、正直辛い。


「あ、あの、楊兄さん」


 突然黙りこくってしまった楊鷹を心配したのか、月蓉(げつよう)が声をかける。

 楊鷹ははっとして表情を緩めた。


「考え事をしていた。すまない」

「いえ、謝ることではありません。あの、その、私もいくつか聞きたいことがあるのですが、お尋ねしてもいいでしょうか?」


 そう言って、月蓉は毛翠を一瞥した。その視線の動きは、彼女の気持ちを雄弁に語る。

 楊鷹は肯定とも否定とも取れない、中途半端な声を出した。


「あー……」

 

 月蓉とは都で共に暮らしていた。流刑地である槍山島(そうざんとう)へと出立する楊鷹を見送ったのも、彼女である。その辺りの事情には誰よりも詳しいのだから、楊鷹がこんなところにいることに疑問をもつのは当然である。

 しかも、子どもをつれて。

 月蓉の戸惑いは分かる。だが、楊鷹は答えを持っていなかった。否、答えはあるのだが、それを正直に言うのは憚られた。王嘉のときと同じだ。


「すまない。月蓉。詳しいことは言えないんだ……」


 しばらくの間の後、楊鷹は言った。やはり、そう言うしかなかった。

 すると、月蓉はやけに辛そうな表情を浮かべて、小さく喉を鳴らす。そして、彼女は言った。


「……あの、もしかして、お子さんがいらしたんですか?」

「は?」


 予想していなかった言葉に、楊鷹は素っ頓狂な声をもらした。

 月蓉は膝の上で拳を握りしめると、さらに言葉を続けた。


「その、楊兄さんは都に……円寧府(えんねいふ)に落ち着く前は、各地を旅してらしたんですよね? なのでそのときに、どこか都から離れた街で恋仲になった方がいらっしゃって、その方との間に実はお子さんが……」


 そんな覚えはまったくない。仮に覚えがあったとしても、流罪になった身でどうしてその子供を連れているのか、諸々辻褄が合わない。

 楊鷹はさっと手を掲げて月蓉を制した。


「待て月蓉、それは誤解だ」

「でも、瞳の色が同じ緑色です……」

「本当に違うんだ。俺に子供など……」

「ふぁっ? 楊鷹に子供?」


 間の抜けた声が、否定の言葉を遮った。

 楊鷹は口を閉ざす。月蓉はすでに黙っている。

 と、いうことは。

 楊鷹はゆっくりと隣を見た。

 赤子が起きていた。だが、随分と眠たそうで、まぶたが開ききっていない。口元にはよだれのあと。どうやら寝たふりではなく、本当に寝ていたらしい。


「お前、子供がおったのか」


 寝ぼけているのか、毛翠の呂律は怪しい。だが、言葉として聞き取れる程度の鮮明さは保っていた。

 もはや「黙れ」という気すら起きない。もう、手遅れだ。楊鷹は目をすがめて、じっと赤子を見下ろした。

 しかし、当の本人はまだ気がつかない。のんきにぺしぺしと楊鷹の腕を叩きながら、滑らかに口を動かす。


「こら、なんとか言え」

「せっかくの《《ふり》》が、台無しだな」


 楊鷹は冷たく言い放つ。そこでやっと、毛翠は気がついたらしい。彼は素早く楊鷹の隣へと瞳を動かすと、もみじのような両手を口元に重ねた。

 沈黙。しんとした空気は、気まずさで満ちている。

 この状態、二度目である。一度目は蒼香山(そうきょうざん)、山賊たちの前でこうなった。あのときと同じく、楊鷹の体は固まった。月蓉の方を見ることができない。

 どうする、どうすればよい。楊鷹は考える。


(ごまかすのはもう無理だ。かくなるうえは……)


 楊鷹は恐る恐る口を開いた。


「月蓉、今この子供がしゃべったことは、なかったことにしてくれないか……?」

「えっ、あっ、はい」


 月蓉は素直だ。そして殊勝だ。疑問を感じながらも、得体の知れない赤子を世話してくれたのだ。

 楊鷹の胸中にすぐさま後悔が生まれる。どんなにごまかさなければ、嘘を吐かねばならない状況に陥っていたとしても、彼女のことは騙したくない。誠実でありたい。

 前言撤回。楊鷹はくるりと振り返る。


「いや、やっぱりなかったことにしなくていい」


 月蓉がきょとんとした表情を浮かべる。そんな彼女の黒い瞳を、楊鷹は真っすぐ見つめた。


「何があったか、全部話す。他言はしないようにしてくれ」


 そうして、楊鷹(ようおう)は流刑となって円寧府(えんねいふ)を出てから何があったか、洗いざらい話した。神仙のことも、毛翠(もうすい)のことも、己が半人半仙であることも、これまでの旅路も、一切包み隠さずに。

 話の最中、月蓉(げつよう)は一言も口を挟まずに、ただ静かに耳を傾けていた。


「というわけで、俺の子供ではなく、俺の父親なんだ。この子供は」


 一通り話し終えると、楊鷹は改めてそう繰り返した。


「そ、そうだったんですね。ごめんなさい。お父様とは知らずに、私、変なことを言ってしまって」


 手をもじもじと動かしながら月蓉は口早に謝ると、小さく息を吐いた。


「いや、謝る必要はないんだが……」


 楊鷹は言葉を切って、ちらりと毛翠を見る。彼は寝床のすみにちょこんと座っていた。くりくりとした大きな瞳、赤味のあるふっくらした頬、柔らかそうな小さな体。相変わらず、どこからどう見ても赤子である。


 月蓉は何も悪くない。「父親だとは知らずに」と彼女は言ったが、こんな赤子が父親だとは、普通は思わない。事情を説明した楊鷹自身、とんでもなく胡散臭い話をしているという自覚があった。話をしているうちに、自分で自分が信用できなくなってくるほどに。月蓉からしてみたら、到底信じられない、突飛な話に違いない。


 だが、謝罪の言葉はあれども、月蓉の口から疑念の言葉は出て来ない。

 楊鷹は月蓉を見る。彼女は穏やかな視線で楊鷹を見返している。


「……月蓉、信じてくれるのか? こんな嘘のような話を」

「はい、信じます」


 月蓉はすんなり答えると、毛翠に向きなおり、恭しく拱手(こうしゅ)の礼を捧げた。


「初めまして。月蓉と申します。以前、楊鷹さんのお宅で小間使いをしておりました。お父様とは知らず、失礼いたしました」

「いや、こちらこそ挨拶が遅くなった。わしは毛翠だ。ええと、よろしく」


 毛翠もぺこりとお辞儀をする。

 和やかな雰囲気で挨拶を交わす二人を、楊鷹は呆然と見つめる。

 蒼香山(そうきょうざん)の山賊たちに毛翠の素性を話したとき、初め彼らは半信半疑といった様子で、なかなか信じようとしなかった。

 対して、月蓉のこの反応。彼女は素直だ。だが、あまりにも素直すぎやしないか。

 楊鷹の視線に気がついたのか、月蓉が振り向いた。


「楊兄さん、どうしました?」

「いや、こんな信じられない話を、こんなにもすぐに信じてもらえるとは思わなくて……」


 楊鷹が正直に疑問を口にすると、月蓉はやんわりと笑った。


「初めは少し驚きました。でも、すぐに納得しました。楊麗(ようれい)さんから、お話を聞いていたので」

「母上から?」

「楊麗が?」


 楊鷹と毛翠の声が重なった。

 月蓉は「はい」と頷く。


「楊兄さんがお勤めで留守にしている間、楊麗さん、たくさん昔話をお話ししてくださったんです。楊兄さんの小さい頃のこととか、それから旦那様……毛翠さんのお話とか」

「そう、だったのか?」


 思わず楊鷹は問いかけた。

 都で暮らしているとき、母は「月蓉と毎日いろいろな話ができて楽しい」と言っていた。しかし、どんな話をしているのか、その細かい内容までは知らなかった。尋ねても「内緒よ」などと、はぐらかされてしまった覚えがある。


「はい。その際に、毛翠さんは実は神仙で、空を飛べるだとか、それで一緒に国中を巡っていただとか、そんなことをお話ししてくれたことがあったんです。その……その時にはご病気も進んでいらしたので、もしかしたら夢と現実が分からなくなっているのかと思っていたんですが、きっと本当のことだったんですね」


 微かに目を伏せながら、月蓉はしみじみとした口調で答えた。彼女の周りには、光の(もや)がきらきらと漂っている。

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