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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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旅は続くよ、むしろこれから・四

 円寧府(えんねいふ)を発つ際、楊鷹(ようおう)月蓉(げつよう)に留守を頼んだ。そして位牌と耳飾りは、その彼女に頼んだ家にあるはずだ。

 楊鷹は指先で耳飾りをなぞる。宵闇より黒々とした黒曜石は、凹凸がなく滑らかだ。母も、大切そうに撫でていたことを思い出す。だが、感傷はすぐさま嫌な予感に塗りつぶされた。都にいるはずの月蓉が、同じく都にあるはずの位牌と耳飾りを、王嘉(おうか)のもとまで持ってきた。何か訳があったはずだが、それが前向きな事情だとは、到底考えにくい。


「何があったのでしょうか?」


 胸のざわつきを感じながら、楊鷹は努めて冷静に問いかけた。

 王嘉は形のよい眉をしかめると、うつむいた。彼の顔にかかる影が、色濃くなる。


「……君の事情は、月蓉殿から聞いた。無実の罪を着せられて、流刑になったと。とんでもない災難だったな」


「ええ」と楊鷹は短く頷いて、話の先を促す。己のことはどうでもよかった。月蓉に何があったのか、そのことの方がずっと問題だ。

 王嘉が再度口を開く。


「それで、君が円寧府を発った後のことなんだが、君の住んでいた家は家財ごと没収されることになった。君が発った後にそう決まり、役人たちが君の家に乗り込んだらしい。そう、月蓉殿が話していた」

「なっ……」


 一声叫び、楊鷹はわずかにのけぞった。がたりと椅子が揺れる。しかし、驚きはそれっきり、楊鷹はすぐさま口をつぐんで項垂れた。

 流罪が決まった後、己の財産については何も聞いていなかった。そうであるのに、没収とは勝手が過ぎる。けれど、楊鷹には家族がいない。一緒に暮らしていたとはいえ、月蓉は小間使いであり血縁関係はない。持ち主が重罪となり、渡る先もない財産である。没収されたとしても、おかしな話ではない。理由はあるのだ。嘘だけれども。仮になくとも、理由など作ればいいだけのこと。

 母の遺品はまだ整理しきれていなかった。耳飾りの他にも、衣服やかんざしに靴、愛用していた剣など、多くが家に残っていた。

 やはり、殴った相手が枢密使(すうみつし)の息子だったのがまずかった。楊鷹は膝の上で拳を握りしめる。


「相変わらず、やりたい放題だな。私も反吐が出るよ」


 王嘉は深々と息を吐いた。


「しかし、それでも月蓉殿は役人と掛け合って、どうにかこの位牌と耳飾りを持ち出した。しかし、彼女も行く宛が失くなってしまって今後どうなるか分からず、君との再会も難しいだろうからと、わざわざ私を探して、訪ねて来た」


 楊鷹は弾かれたように顔を上げた。


「月蓉の様子は? 怪我などしていませんでしたか?」

「ああ。体は大丈夫そうだった。ただ、泣いていたな。たったこれしか持ち出せなかった、と」

「……これだけでも、ありがたいことです」


 楊鷹の胸が詰まる。じっと位牌と耳飾りを見る。それから、それらを包んでいる布を。見覚えのある花鳥文(かちょうもん)の布。これは月蓉の衣の切れ端であると、楊鷹は気がついた。目頭が熱くなってくる。

 楊鷹の家に押し入った役人は、恐らく枢密使の息のかかった人間。そのような人物に楯突くのは危険だ。しかも、月蓉のやったことは、罪人である楊鷹の肩を持つような行為だ。一歩間違えれば、罪に問われていただろう。

 それでも、彼女は役人に掛け合った。そして、大切な母の形見と位牌を救ってくれたのだ。

 月蓉の勇気がありがたかった。

 だからこそ、楊鷹は己の不甲斐なさに情けなくなる。都を発つ時の月蓉の表情を思い出す。あの時も、彼女は瞳を潤ませていた。別れる時も別れてからも、悲しませてばかりだった。


 小さな手が楊鷹の背中を撫でる。だが、その優しさは、楊鷹にとってなんの慰めにもならない。それどころか、楊鷹は腹立たしくなった。彼の思いやりなど求めていない。

 つい振り払いたい衝動にかられたが、じっと耐える。王嘉の前でそんな不自然な動作はできない。それに、耳飾りの前ではそうすることは憚られた。背中に触れる小さな手は、この耳飾りの片割れを持っているのだ。

 つん、とかびの臭いが鼻を突く。

 楊鷹はひどく惨めな気持ちになった。瞳が湿っぽくなってきて、目を閉じる。


「大丈夫か?」


 王嘉の静かな声が、物憂げな沈黙を破る。毛翠(もうすい)が手を離す。

 月蓉と母の面影を、そっと記憶の底に沈める。楊鷹はゆっくりと目を開けた。


「はい。大丈夫です」


 気を取り直して、楊鷹は言った。


「もしもまた月蓉と会うことがあれば、俺が感謝していたと、そう伝えてください」

「君は直接伝えないのか? 一旦、親戚のいる湍幽県(たんゆうけん)に行ってみると言っていたぞ」

「……そんな身分にありませんので」


 楊鷹は耳飾りと位牌を丁重に包み直すと、王嘉を見た。王嘉は表情を引き締め、楊鷹を鋭く見返している。

 楊鷹が流罪になった事を知っているならば、この状況は王嘉にとって不可解極まりないに決まっていた。彼は、その疑問を棚上げしない。見逃すわけがない。否、王嘉でなくとも誰だって流せるわけがない。

 流刑地の槍山島(そうざんとう)とは明後日の方向にいて、しかもどうして子連れなのか。前者はともかく、後者はどうしようもないほどに訳が分からないだろう。楊鷹自身、赤子に関しては何をどう話せば自然な言い訳として成り立つのか、さっぱりだ。


「それで、君は一体どうしたんだ? 槍山島に流罪になったのでは?」


 案の定、王嘉は問いを投げ掛ける。その声音も言葉遣いも厳しいものではなかったが、彼の瞳に宿る光は強い。まごうことなき、武人の目付きだ

 楊鷹は息を飲む。王嘉に対しては誠実でありたい。それに、彼の精悍な瞳の前では嘘は通用しない。だが、本当のことを話すのは気が引けた。唇を舐め、唾を飲み込み、それでも決めかねて、楊鷹は黙る。

 神仙の話も、背中に背負っている赤子が父親だということも、王嘉は信じてくれるだろうか。毛翠がしゃべるところを目撃すれば、銭秀(せんしゅう)と同じように納得するかもしれない。

 けれど、仮に彼が信じてくれるとしても、楊鷹は話をする気にはなれなかった。楊鷹が事情を話した結果、神仙の追っ手が王嘉にまで及ぶ可能性も無きにしも非ず。神仙だのなんだのという奇想天外なことに王嘉を巻きこみたくない。

 それになにより、


(王嘉殿には、あまり心配をかけたくない……)


 たくさん世話になったからこそ、楊鷹は思う。

 しばしの無言の後、楊鷹はのろのろと口を開いた。


「訳あって護送の途中で逃げ出しました。それ以上は……申し訳ないですがお教えできません」


 深々と頭を下げてから、楊鷹は真っすぐ王嘉を見つめた。彼の強い視線を、真っ向から受け止める。それが、楊鷹にできる精一杯の誠意であった。

 見つめ合うことしばらく、王嘉が盛大に息を吐きながら肩を落とした。


「そうか……。それなら仕方ない」


 王嘉の声音はどこか寂しそうだった。

 楊鷹は目を伏せる。


「申し訳ありません」

「いや……謝らずともいい。ただ、私は君の味方でいるつもりだ。何か困ったときは、遠慮せずに頼ってほしい。こんな状態ではあるが、私に出来ることであれば力を貸す」


 王嘉が楊鷹に柔らかく微笑みかける。鋭さはすっかり消え去り、ただただ優しいおもてであった。

 その表情は彼の言葉と共に、楊鷹の心に沁み入った。じんわりと胸が熱くなり、また瞳が潤みそうになる。


「ありがとうございます」


 楊鷹は深々と頭を下げた。それから、包みを見る。また、月蓉の影が浮かび上がってくる。ちくりと胸が痛んだが、楊鷹はそうではないのだと、己を叱咤した。

 王嘉の優しさ。それから月蓉の勇気。惨めかもしれないが、思いやってくれる人がいる。


(何がなんでも生き延びる)

 

 楊鷹の決意は、さらに強固なものになった。

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