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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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黒い嵐の再来・九

 その変わりように、楊鷹(ようおう)は目を見張る。

 いつの間に莫志隆(ばくしりゅう)に認められたのか、一切自覚がなかった。彼との手合わせは、まだ終わっていないはずだ。

 自然と、楊鷹の口から疑問がこぼれた。


「……いただいてよいのですか?」

「耳がおかしくなるほど、こいつがよこせよこせとうるさいんでね。ただし、俺は何か面倒事が起こったら、全部こいつのせいにする」


 莫志隆は、赤子の饅頭(まんとう)のような頬を再度つまんでは、離す。

 顔を弄ばれてばかりの毛翠(もうすい)は、むずがるように顔をしかめた。


「ああ、それでよいと言っただろうが。わしに盗まれたなり、脅されたなり、好きにしろ!」

「はいはい、その言葉に甘えさせていただきますよ」


 莫志隆は恭しく頭を下げたが、その態度は慇懃無礼で敬意の欠片も感じさせない。毛翠は、ますます表情を渋らせる。

 相変わらず、仲がよいとは言えない二人だ。だが、いつの間にやら彼らの間では仙器(せんき)に関して折り合いがついていたらしい。

 楊鷹は翡翠の剣をまじまじと見つめた。曇りない刃に映る己の顔は、どこか困ったような表情をしていた。

 降ってわいたように、手の中に転がってきてしまった仙器。間違いなく求めたものであるのだが、楊鷹はこの機運がどうにも腑に落ちない。

 手合わせは途中であったが、それでも莫志隆は間違った使い方はしないと、そう判断したのか。仮に莫志隆が確かに認めてくれたのだとして、果して本当に間違いなく扱えるのか。

 否、それ以前に本当にこの剣を必要とするのか。この剣を持つということは、毛翠と共に藍耀海(らんようかい)に行くということである。

 楊鷹の喉が詰まった。


「俺は、あんたなら間違えずに使えると思った。だから、あんたにやると決めた」


 きっぱりとした莫志隆の声が聞こえて、楊鷹はぱっと顔を跳ねあげた。

 仙器の作者である神仙の表情は、髭と長い前髪に覆われていて読めない。しかし黒々とした目には、鋭い光が宿っている。

 莫志隆は、楊鷹の心を見透かしているかのように言葉を連ねた。


「だが、あんたの方に迷いがあるならそいつを手にするのは止めておけ。半人半仙のあんたが仙器を持つってことは、結構な大事(おおごと)だ。桃李虚(とうりきょ)の神仙から目の敵にされるのは間違いねぇ。迷いがあるなら、わざわざそんなもん背負いこむな」

「お、おい! 莫志隆!」


 毛翠が声を上げると、莫志隆はその小さな口をふさいだ。


「仙器を振るうのは息子だろうが。手前(てめぇ)が決めることじゃねぇんだよ」


 楊鷹は剣の柄を握りしめた。

 莫志隆の言う通りだ。莫志隆は仙器を渡すと決めた。それが彼の答えだ。ならば、楊鷹もここで決めなければならない。

 毛翠と共にいる以上、神仙たちに敵とみなされ襲われる。だから、身を守るためにも仙器は必要だ。しかし、莫志隆の(げん)を鑑みれば、仙器を持っているとさらに激しく神仙から追及される可能性が高い。

 楊鷹は改めて自問自答した。

 

(本当にそれだけの危険を冒す必要があるのか。あいつのために……)

 

 この剣を手にしたら、恐らく引き返せない。捨てるならば、今が最後の機会だ。

 楊鷹はちらりと毛翠を見た。

 見返してくる、艶めく緑色の瞳。そこに透ける、父の面影。「嫌いにならないで」という、祈るような母の言葉がよみがえってくる。

 それだけでなく、記憶の底から引っ掻き回されて、忘れていたことまでも浮かび上がってこようとする。毛翠と過ごした日々、彼がいなくなった時のこと、そしてそれからの、母と二人で必死になって命を繋いだ、貧しい暮らし。

 楊鷹は奥歯を噛み締めた。そして、思い知る。


(どうしたって、俺はこいつを……この緑の目を捨てられない)


 それは、父子や家族という、しがらみのせいなのか。

 最後の抵抗のつもりで毛翠を見た楊鷹であったが、結局彼と再会した時と変わらず、その父の目に負けた。しかも、今回は完敗だ。抵抗する心は粉微塵に砕け散ってしまった。

 どんなに尋常でなくても、危険でも、やりたくなくても、父と認めたくなくとも、どう思っても、やるしかない。何があっても、毛翠を藍耀海につれて行く。

 楊鷹は本当に腹を(くく)った。きりっと表情を引き締めれば、翡翠の刃がきらりと閃いた。


「どうすんだ?」


 莫志隆の問いかけに対して、楊鷹は拱手(こうしゅ)の礼を返した。


「仙器、ありがたく使わせていただきます」


 しばらく頭を下げてから顔を上げると、莫志隆はぼりぼりと頬をかいていた。


「……礼儀正しい奴だな。本当に手前(てめぇ)の子供か?」

「楊鷹は楊麗(ようれい)に似てるんだ」

「あーそうか。手前(てめぇ)はまともに育ててねぇもんな」

「ふぁっ!!」


 毛翠がへんてこな声を出す。莫志隆はにやにやと笑っている。

 そんな二人のやり取りを、楊鷹は冷ややかに眺めていた。毛翠と共に行くしかないと、すっかり諦めがついたからだろうか。父親ぶるところは多少癪に障ったが、その感情はあまり長引かなかった。あのように感情を逆撫でする習性の生き物だから仕方ない。そう考えれば、ささくれ立った気持ちは、わりと楽になる。


(なんだか武官だった頃を思い出すな)


 ぼんやりと楊鷹は思う。

 宮勤めをしていた頃にも、嫌らしい輩とやりたくない仕事をしなければならない機会が多々あった。その時は、相手にまるで期待せず、感情を殺して言われるままに淡々と職務をこなしていたのだった。

 ならば、毛翠との旅も同じことだと、楊鷹は思い至る。ただし、経験しているからこそ心身に負荷がかかることも承知しているので、とにかくなるべく早急にすます。


(一ヶ月……ではなく、可能ならばもっと速く終わらせて、さっさと姿をくらまそう)


 毛翠と別れても罪人という身分からは逃れられず、どこまで行っても前途多難な身上だ。だが、生きてさえいれば、なんとかなる。たとえ、雨ばかり降るぬかるんだ道だとしても、生きていれば前へと歩いてゆける――。


「おーい、劉三(りゅうさん)?」


 突如響いた男の声に、楊鷹はびくりとした。言い争い続けていた毛翠と莫志隆も黙る。

 響いた男の声は、聞き覚えのある声であった。

 楊鷹の全身から血の気が引いてゆく。手のひらが冷たくなった気すらした。首の辺りは本当に冷えて固まってしまったのか、呼ばれたにも関わらずまったく動かず、声のした方向に向けられない。


「りゅうさーん、どうしたー」


 また、聞き覚えのある《《人間》》の声が、馴染みない名前で楊鷹を呼ぶ。

 その声は階段の方から聞こえてくる。そちらを見たくないものの、いつまでも彼の声を無視するのも(はばか)られ、楊鷹は恐る恐る振り向いた。

 階段の中ほどに人だかりがあった。銭秀(せんしゅう)と数人の山賊だ。彼らはじっと楊鷹たちを見ている。

 急激に乾いて動きづらくなった口で、楊鷹はぎこちなく彼らに問いかける。


「どうしてそこにいるんだ?」


 銭秀が答える。


「翠坊が知らねぇ奴に連れられてやって来たから、追いかけてきたんだが」

「……それはつまり、俺の戦いを見ていたと?」

「見てたな。ずっと」


 正直な言葉は容赦がない。楊鷹は絶句した。

 ずっと見ていたということは、黎颫(りふ)が真っ二つになっても動いているところや毛翠がしゃべっているところや施鵬(しほう)とかいう新手の神仙が人を超越した動きで飛び去ったところなど、全部見ていた、ということだ。

 黎颫との戦いに夢中で、楊鷹は銭秀たちがまったく見えていなかった。

 今度は、銭秀が問いかける。


「おい、劉三。一体何が起きたんだ? なんで翠坊しゃべってんの?」


 せせら笑うように、鷦鷯(みそさざい)がけたたましくさえずる。

「はっ」と、楊鷹の口からも笑いがもれた。もう、笑うしかなかった。

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