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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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黒い嵐の再来・七

「嘘だぁっ……」


 黎颫(りふ)は目を見開き、うめいた。斧に込められた力がほんの少し緩む。楊鷹(ようおう)は渾身の力を込めて、黎颫を弾き返した。少女は大きく体を傾けて後退する。

 楊鷹がさっと鞘から剣を抜きはらえば、きらめく翡翠色の剣身が現れた。その宝石のような美しさは、一見戦いに用いる兵器とは思えない。だが、黎颫の一撃を受け止めた時、楊鷹は確かな手ごたえを感じていた。この剣であれば、互角に戦える。莫志隆(ばくしりゅう)の「約束の物」という言葉どおり、これが求めていた仙器なのだろう。

 楊鷹は右手に持った剣を軽々と回した。柄の端から垂れ下がる、長い金色の剣穂(けんすい)が大きく揺れる。

 なんとも楊鷹におあつらえむきの仙器であった。剣を得意としていた母、楊麗(ようれい)が愛用していたのは、長い剣穂がついている長穂剣(ちょうすいけん)であった。つまり、かつて楊鷹が使っていた剣も同じく長穂剣。

 楊鷹は剣を構えると、左手で剣指を作り、黎颫を見据えた。

 黎颫の方も、歯をむき出して楊鷹を見つめている。しかし、その好戦的な表情に反して、襲い掛かっては来ない。その場で地団駄を踏んでいる。焦りか動揺かいら立ちか。その心情を完全には読めないが、集中力を欠いているのは間違いない。今の彼女であれば以前のように「へま」をするかもしれない。

 勝機が見えた。だからこそ、落ち着かねばならない。慢心も油断もあってはならない。きっと仙器は、そのような心持ちで振ってはならない。

 右手の中の軽さに、楊鷹は少々恐怖を覚える。だが、それにも揺らいではいけない。


(落ち着け。いかなるときも平常心だ……)


 自身にそう言い聞かせながら、先ほど黎颫の攻撃を受け止めた瞬間を思い出す。迷いなく仙器を引き抜いたあの時の感覚を、胸の内によみがえらせる。

 心が澄んでゆく。蝉の声や風の音といった周囲の音が遠くなる。静寂な水面が、心の内に広がる。黎颫の姿が鮮明になった。

 ふっと鋭く息を吐くと、楊鷹は黎颫に打ちかかった。

 まずは黎颫の腕を狙って水平に剣を払う。素早くしゃがみ込んだ黎颫によけられるも、続けざまに今度は赤毛の頭を狙って一撃。これは斧で弾かれた。しかし、莫志隆と手合わせした時と同じく、楊鷹は動じない。息つく間もなく攻撃を仕掛ける。

 剣は力任せに振るってはならない。力の強弱を上手く操り、なめらかに流れるように振る。その動きはよく水に例えられるが、楊鷹の母は「風のように」と言っていた。剣と一つになって共に風になる。そして、春のそよ風のように柔らかく動きつつ、ここぞという時に疾風のように鋭く打て、と。

 その教えの通り、楊鷹は仙器を振るう。変幻自在に翻る剣は、まさしく風であった。流れるような翡翠の剣筋は、風が吹いた跡のようである。

 対する黎颫は未だ動揺が収まらないのか、防戦一方となっていた。先ほどまでの威勢のよさは鳴りを潜めてしまっていた。

 楊鷹が一方的に攻めること幾ばくか、翡翠の剣が黎颫の前髪をかすめた。はらはらと赤毛が散る。途端、黎颫はかっと目をむいた。


「調子に乗るなよ!」


 声高に叫ぶと、黎颫は反撃に転じた。楊鷹が繰り出した刺突を弾くと、素早く踏み込んでもう一撃、叩きつけるように斧を振る。それを楊鷹は軽く後ろに下がってよけた。

 それから打ち合うこと二十合、楊鷹の読みは当たった。

 黎颫の表情が渋くなった。そこににじむのは怒りではなく焦り。そして、その内面を表すように、斧さばきが大味になってくる。

 こうなれば、おそらく御しやすい。透き通る水面のような心で、楊鷹は黎颫の動きを見定める。

 黎颫の二連撃を次々弾くと、楊鷹はさがる。すぐさま間合いを詰めようとした黎颫の動きを剣穂(けんすい)を払って牽制すると、さらに大きく飛び退いた。


「このっ……!」


 黎颫はうめくと、楊鷹に向かって跳んだ。一気に距離を詰めようという魂胆だろう。

 穏やかな風が疾風に変わる時が来た。

 跳び上がった黎颫が、楊鷹の方に落ちてくる。黎颫は剣の間合いの外だが、長穂剣(ちょうすいけん)であれば届く。

 楊鷹は素早く剣穂をつかむと、思い切り剣を放った。


「嘘っ!」


 黎颫は目を見開き声を上げたが、それ以上彼女に成すすべはなく。

 大きく弧を描いた翡翠の刃は黎颫のほっそりとした胴にするりと食い込み、そのまま肉も骨も軽々と断ち切った。

 少女の体は胴を境に真っ二つ、真っ赤な鮮血をまき散らしながらぼとりと地面に落ちた。強烈な血の臭いが辺りに広がる。

 剣を手繰り寄せながら、楊鷹は顔をしかめた。

 やはり、仙器はとんでもない。斬るのは刀が得意とするところ。刀身が細い剣では、普通はこのように断ち切ることはできない。相変わらず、切れ味も強度も尋常でない。

 再び二つに別れた黎颫は大人しくなった。上半身も下半身もぴくりとも動かない。それで当然なのだが、しかし彼女は神仙である。まだ、生きている。

 楊鷹は改めて剣を構えながら、黎颫の様子を窺う。

 剣戟の音は途絶え、ただただ蝉の声が響く。誰も何も言わない。黎颫も動く気配がない。しかし、両手は斧を握りしめたままだ。

 楊鷹はそっと黎颫ににじり寄り、赤い後頭部に切っ先を突き付けた。

 すると、突然黎颫が地面を叩きつけた。楊鷹はとっさに飛びのいた。


「あーもう最悪だぁ!! また真っ二つじゃん!」


 両手で激しく地面を叩きながら、黎颫がわめく。土埃と血しぶきが舞い上がる。随分と、元気そうであった。

 黎颫がかばりと顔を上げ、楊鷹を睨みつける。


「っていうかさあ、剣投げるとか卑怯じゃん! 長い紐をぶん回すのも卑怯だ!」

「卑怯じゃない。こういう使い方もできる兵器なんだよ」


 落ち着いて言い返したところで、楊鷹の頭がすっと冷めた。

 腹から下がない少女と、何を普通に会話しているのだ。


「ふざけんな! 卑怯だ、卑怯! 正々堂々とやれ、くそが!」


 罵倒してくる黎颫を、楊鷹は黙って見下ろした。

 血だまりの中で、少女の上半身がわめき散らしている。かたわらには、そんな彼女の下半身が転がっている。

 この目の前の光景は、一体何なのだろうか。腹から真っ二つになっているくせに、どうして腕を振り回して叫ぶことができるのだろう。意味が分からない。相手は神仙。何が起こってもおかしくないと覚悟はしていたつもりだが、こうもまざまざと尋常でないものを見せつけられては平常心とは言っていられない。

 驚きや恐怖はない。ただただ唖然としてしまう。

 楊鷹がため息をつけば、黎颫は目を吊り上げた。


「そのため息何様? 馬鹿にしてんのか!」

「黎颫、もうあきらめろ!」


 高い声が降ってくる。毛翠(もうすい)の声だ。楊鷹は階段の上を見やる。

 莫志隆に抱かれている赤子。あの年端も行かない子供がしゃべったのである。

 赤子が流暢に口をきくことはもはや当たり前になりつつあったが、決して当たり前ではないのだった。

 黎颫が勢いよく頭を巡らせて、階段の上の毛翠を睨みつける。


「黙れ! わたしをだましたこと、絶対許さないからな!」

「お前、まだそのことを根に持っているのか。謝ったじゃないか!」

「謝ったって許さない! あんたのせいで、わたしまでおしおき受けたんだからな!」


 真っ二つになった少女と、赤子が大声で言い争っている。冷静になってみれば、なんとまあ混沌とした状況であろう。楊鷹は頭が痛くなってきた。


「ちくしょう……。絶対に、殺してやる」


 呪詛でも唱えるようにそうつぶやくと、黎颫はゆっくりと這いだした。じりじりと楊鷹に近付いて来る。大量の鮮血を引きずりながら上半身だけで動く少女は、狂気以外の何物でもない。

 楊鷹はさめた目で黎颫を見る。

 この普通でないものは、どうすればよいのだろうか。もうあまり関わりたくないので、適当に山中に放り捨ててしまいたいのだが、そうしてしまって良いのだろうか。

 いや、山のなかに捨て置いたら、銭秀らに迷惑がかかるのではなかろうか。銭秀だけでなく、山の周囲の人々にも。

 そこまで考えて、楊鷹ははっとした。

 どうしたってこれは現実であり、その普通でない一端に己もいる。逃避はできない。

 気を取り直して楊鷹は黎颫に剣を突き付けると、毛翠をふり仰ぐ。


「黎颫はどう片付ければ……」


 楊鷹の言葉が、一陣の風に遮られる。

 楊鷹はとっさに腕で顔を覆い、踏ん張った。巻き上げられた砂利が体に当たり、ちりちりと痛みが走る。

 風が収まる。楊鷹は腕を降ろした。そして、目の前の光景に目をみはる。

 黎颫がぱったりと消えていた。

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