表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
37/131

黒い嵐の再来・六

 黎颫(りふ)が目をすがめた。


「何、その剣? もしかして、それでわたしを斬るの?」

「……そうだ」


 静かな声で、楊鷹(ようおう)は嘘を吐く。

 この莫志隆(ばくしりゅう)の剣は、おそらく大して役に立たない。黎颫の斧を受け止めることはまず不可能、黎颫の体に傷をつけることもできないかもしれない。

 だが、以前水火棍(すいかこん)で打った時、水火棍はぼっきりと折れたが、黎颫は痛みを感じていた。ならば腕に一撃与えれば、あわよくば傷つけられれば、斧を取り落とすはずだ。その斧を奪い、斬る。己のものが使えないのならば、前と同じように相手のものを利用するしかない。

 楊鷹は剣の柄を握り直した。じっとりと手が湿っている。

 心許ないこの剣でどこまでできるか未知数だが、やるしかない。そう覚悟していたが、いざ黎颫と対峙すると緊張を覚える。

 楊鷹は母の教えを胸のうちで唱えた。


(いかなるときも平常心……)


 楊鷹の心が凪いでくる。どうなるかは考えない。集中するべきは今だ。

 楊鷹は真っすぐ黎颫を見つめ、切っ先を突き付けた。

 黎颫は不敵な笑みを浮かべると、高らかに叫んだ。


「やる気なのはいいけど、前みたいなへまはしないからね!」


 そして、双斧を打ち鳴らし、楊鷹めがけて飛びかかる。楊鷹も地を蹴った。

 思い切って黎颫に向かっていった楊鷹であったが、しかし自ら攻撃を仕掛けることはしなかった。否、できなかった。仙器の斧を受け止められないということは、下手に打って出て剣を斧で弾かれてしまったら終わりということだ。刃こぼれどころか、真っ二つになった水火棍と同じ道を辿るに違いない。

 楊鷹はひたすら攻撃をかわして隙を窺う。左右に体を翻し、時にさがって距離を取る。

 しばらくよけ続けていると、楊鷹は黎颫の様子が以前とは少々違うことに気がついた。

 少女とは思えない憤怒の形相で果敢に攻め立てる黎颫だが、楊鷹がいくらよけても攻撃が粗くならない。攻撃の調子を崩すように楊鷹が距離を取っても、すぐに間合いを詰めて斧を振る。また、楊鷹が誘うように動けば、警戒しているのか黎颫の方が後退して距離を取る。

「前みたいなへまはしない」という黎颫の言葉は、事実であった。

 このまま攻撃をよけているだけでは、黎颫はなかなか隙を見せない。埒が明かないどころか、楊鷹の方が追いつめられる。

 となれば、守りから攻めに転じて相手を崩す。楊鷹は次々繰り出される斧をかわしながら、攻撃の機会を探った。

 やがて、黎颫が体を低くして楊鷹の足を狙って斧を払った。楊鷹はその一撃を跳び退って黎颫の間合いから逃れると、打って出た。深く腰を落として旋回しつつ、黎颫の足元めがけて蹴りを繰り出す。今度は楊鷹が足払いをかけたのだ。

 しかし、素早く反応した黎颫は、さっと軽く後ろに跳ねて足払いをさけた。

 だが、さけられたところで楊鷹は動じない。冷静に感覚を研ぎ澄ます。

 突然の反撃に驚いたのか、黎颫の動きがわずかに遅れる。自ら作り出したその小さな隙を、楊鷹はしっかりと捉えた。

 足払いは陽動、真の狙いは次の一撃。

 楊鷹は瞬時に伸び上がると、少女の細腕目がけて上から斬りかかった。

 剣は命中。ただし、物凄く鈍い音が鳴った。加えて、石を斬りつけたような物凄く不快な感触がした。


「痛ぁっ!!!」


 黎颫が叫んで斧を取り落とす。

 そして、楊鷹の剣の刃は、あらぬ方向にひん曲がっていた。

 その曲がりっぷりはなかなかに衝撃的な有り様であったが、そんなことはどうでもよい。大事なのはそれではないと、楊鷹の澄んだ心は分かっていた。

 楊鷹はさっと身をかがめて斧に手を伸ばす。だが、黎颫の方が速かった。


「触らせるかぁ!!」


 鬼気迫る大声と共に、黎颫は落とした斧を蹴りつけた。斧が勢いよくすっ飛ぶ。

 その軌道を楊鷹は目で追った。斧は銭秀(せんしゅう)の近くに転がり、止まる。

 銭秀は勘のよい男であった。おそらく、楊鷹の動きでその狙いが分かったのだろう。彼は斧へと駆け足で近付く。


「銭秀、近寄るな!」


 楊鷹が叫ぶのと、黎颫が走り出すのは同時であった。

 銭秀の動きが止まる。しかし、人ならぬ速さで駆け抜けた黎颫は、すでに彼のそばで斧を拾い上げていた。楊鷹は怖気だつ。とっさに黎颫めがけて剣を投げた。

 黎颫が振り返りざまに刃を斧で払いのける。曲がった刃は二つに割れて、楊鷹の方へ戻ってくる。その片割れが、楊鷹の頬をかすめた。

 ちりちりと頬が痛むのはそのままに、楊鷹は一心に黎颫を見据えながら叫んだ。


「狙いは俺だろう!」

「分かってるよ!」


 黎颫は声を荒らげ、双斧を振り上げた。夏の日差しを反射して、二つの刃がぎらりと光る。

 黎颫が楊鷹に向かって突っ込んでくる。対して楊鷹はくるりと反転すると、逃げ出した。本当に逃げるのではない。銭秀たちから黎颫を引き離すためだ。

 壊れた神像と門の瓦礫を飛び越えて、楊鷹は軽やかに階段を駆け下りてゆく。


「待ておらぁぁぁ!!!」


 階段の中ほどまで来たところで、黎颫の咆哮が空気を揺らした。

 楊鷹が振り返れば、階段の上から神像の半身がすさまじい勢いで飛んできた。黎颫が投げたのだ。

 とっさに体を捻った楊鷹。神像の直撃は免れたが、しかし足を踏み外した。(くう)を踏んだ足をどうすることもできず、無残に階段を転げ落ちる。

 階段の下、二の門の前まで転がったところで、楊鷹の体は止まった。

 楊鷹は歯を食いしばった。全身が鈍く痛む。けれど、その痛みに浸っている間はなかった。

 怪しい風が渦巻き、周囲の木々がざわめく。楊鷹ははっとして顔を上げた。黎颫が小さな体を旋回させながら降ってくる。稲光のように、斧の刃が閃いた。

 楊鷹は跳ね起きると、そのまま思い切り横っ飛びに飛んだ。

 斧は虚空を裂き、風が止む。間一髪、黎颫の攻撃を避けた楊鷹は、のろのろと立ち上がった。


「ほんと、よく動くよね。しかも、本当に斬りやがって」


 憎らし気につぶやくと、黎颫は左腕の傷を舐めた。その傷は、間違いなく先ほど楊鷹が斬りつけてできたもの、赤い糸のような浅い切り傷だ。忌々しそうな黎颫の様子とは裏腹に、まったく大した傷ではない。

 楊鷹は剣の鞘を帯から引き抜いて構えた。何もないよりかはましだろうが、これで神仙の少女に敵うわけがない。

 山中に逃げてまくか、再度斧を奪うことを試みるか。楊鷹の頭に浮かんだのはその二択。前回とは一味違う黎颫の前では、どちらにしても難儀だろう。

 楊鷹のこめかみを汗が伝う。

 最早、正気ではやっていられないような気がしてきた。だからと言って、本当に正気を失ってはならない。この様なときこそ、一段と冷静でなければ。ほんのわずかな隙であっても、見逃すことは許されない。

 楊鷹は深く息を吸った。その時。


「楊鷹!!」


 幼い声が響き渡った。

 楊鷹は声の聞こえた方向に振り返る。階段の上に、莫志隆と彼に抱えられた毛翠(もうすい)がいた。莫志隆は片手で剣を回して弄んでいる、と思いきや。


「約束の物だ。ほれ、使え」


 唐突に、莫志隆が剣を高く放った。

 莫志隆の動作はひどくぶしつけであったが、楊鷹の体はすぐさま動いた。楊鷹は鞘を放り投げて門の上に飛び乗ると、迷うことなく屋根を蹴った。くるくると中空を舞う剣に手を伸ばし、掴む。まるで重みのない、羽のように軽い剣だ。

 楊鷹はくるりと体を捻って着地する。ぐっと顔をあげれば、眼前には血眼の少女。距離は近い、だが焦りはない。楊鷹の心は曇りなき清水の水面のごとく、行なうべき唯一つのことをはっきりと映し出す。

 楊鷹はわずかに剣を引き抜き、咆哮と共に繰り出された黎颫の仙器を、剣身の根元で受け止めた。

 玉音(ぎょくいん)が鳴る。刃がぶつかり合った音は、まるで楽の一端のような、それは美しい音であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ