黒い嵐の再来・四
莫志隆との距離を一瞬で詰め、突きを繰り出す。その一撃を、莫志隆は涼しい顔のままかわした。楊鷹は滑らかに手を動かして、矢継ぎ早に斬りつける。だが、また外した。刃が捉えたのは莫志隆ではなく、彼の背後にあった柳葉であった。ぱっと朱色の葉が散らばる。肝心の神仙は、柳から少し離れたところに逃れていた。
楊鷹は左手で剣指を作り、切っ先を真っ直ぐ莫志隆へと向けた。
莫志隆は微動だにしない。宣言通り、攻撃するつもりはないらしい。
莫志隆が言う。
「ほれ、遠慮するな。どんどん来い」
楊鷹は一つ呼吸をすると、莫志隆へと向かっていった。
それから、楊鷹は休まず攻め続けた。上から下から、左から右から、軽やかに剣を繰り、突く、斬る、払う。莫志隆はそれらの攻撃を、表情を変えることなく淡々と防ぐ。
砂利を踏みならす音に、時折刃と刃が触れ合う金属音が混じる。楊鷹と莫志隆は、ひたすら打ち合う。
さすが神仙といったところか、莫志隆の動きは素早く軽快なまま、衰えない。しかも、剣さばきに迷いがない。武人としても、相当腕が立つようだ。未だ楊鷹の攻撃はかすりもしない。剣は、空を切るか同じ鋼を打つか、そのどちらかだ。
しかし、楊鷹は落ち着いていた。防がれてばかりだが、相手の動きはよく見えている。速い動きに、ついていけていないわけではない。冷静に相手の動きを見定めつつ、隙をうかがっていた。
楊鷹の繰り出した斬撃を、莫志隆が弾く。その瞬間、莫志隆の体がわずかばかり後方に傾き、彼の持つ剣の剣穂が跳ねた。
楊鷹は瞬時にたたみかける。軽やかに体を回転させながら、先ほどの攻撃とは逆の方向から斬りつける。
その刃を、莫志隆は上体を逸らしてよけた。だが、その動きによって彼はさらに体勢を崩し、後ろへ数歩よろめいた。まごうことなき隙である。
すかさず、楊鷹は一歩踏み込んだ。眼前には、がら空きの胸。
その時、轟音が楊鷹の耳をつんざいた。
思わず楊鷹は動きを止める。その間に莫志隆は大きく飛びのくと、剣を降ろしてため息を吐いた。
「やっぱり面倒事を持ってきたじゃねぇか、おい」
莫志隆が、小屋の前に佇んでいる毛翠を見る。楊鷹も彼にならって赤子へと視線を向ける。
「はっ? わし?」
毛翠が素っ頓狂な声を上げると、莫志隆は剣を回しながらぶっきらぼうな口調で言った。
「神仙様がいらっしゃったぞ」
楊鷹はどきりとした。
毛翠も真面目な顔つきになると、ぐっと首を伸ばして鼻をひくつかせる。そして、一言。
「す、すまぬ……」
毛翠の謝罪は、「神仙が来た」という莫志隆の言葉を裏付ける。そして、その神仙は、恐らく楊鷹と毛翠を追ってやって来たに違いない。
先ほどの大きな音も、その神仙の仕業だろう。崖が崩れるような大きな音だったが、一体何をしたというのか。楊鷹は嫌な予感がした。
「し、しかしまだ少し離れているようだから、今のうちに隠れれば……」
ぎこちない笑いと共に毛翠が言う。
莫志隆は顔をしかめ、舌打ちをした。なんとも不機嫌極まりないといった様子だが、構わずに楊鷹は尋ねた。
「山のどの辺りにやって来たのか、分かるのですか?」
「さあ、どこだろうねぇ? まー、何かがぶっ壊れる音がしたし、山の上の廃寺の辺りまで来てるんじゃねぇの?」
嫌な予感がぱちりと弾けた。楊鷹の背に冷たい汗がにじむ。
山の上の廃寺には、銭秀たちがいる。まさか、彼らの元に神仙がやって来たのか。楊鷹たちの足跡を辿ってきたのだとしたら、その可能性は大いにある。
神仙は容赦がない。人の常識も通用しない。あっさりと人を真っ二つにしてしまう。もし本当に神仙が廃寺にいるのだとしたら、銭秀たちの身が危ない。
楊鷹は剣を鞘に収めた。
もはや莫志隆と戦っている場合ではない。神仙の狙いは楊鷹と毛翠である。無関係の人々の命が失われるようなことは、もう二度とあってはならない。廃寺まで戻らなければ。
楊鷹は莫志隆に向かって言った。
「ここから、寺の方に……人の世の方に戻るにはどうすればよいでしょうか?」
莫志隆が楊鷹を見る。じっと視線を注いでくる。
しばらくの間の後、口を開いたのは毛翠であった。
「待て、楊鷹。もしかして、今しがたやって来た輩とやりあいに行くつもりか?」
楊鷹はじろりと毛翠を睨んだ。今ここで、それを聞く理由が分からない。
「銭秀たちのところに神仙がいるのなら、放ってはおけないだろう。死人が出るかもしれない」
毛翠は顔を強ばらせると、慌ただしく莫志隆へと近づいた。
「おい、仙器を持ってこい」
「やだね」
再びの即答。すると、毛翠はがばりと頭を下げた。
「迷惑をかけてすまぬ。だが、どうか頼む。この通りだ」
「だから嫌だって言ってんだろ。手合わせはまだ終わってねぇんだ」
やはり、即座の返答。まったくもって、莫志隆は頑なであった。懇願されても、その意思を変えるつもりはないらしい。
毛翠が顔をはねあげ、どうやってもつれない知人に向かって声を荒らげる。
「そんなこと言ってる場合か! この分からず屋!」
「恭しい態度はもう終わりかよ」
「お前こそ、これっぽっちも恭しくないではないか! こちらの事情も少しは鑑みろ!」
「手前の事情なんか分かりたくもないわ。どうせ、桃李虚の神仙様が来たんだろ? そんな奴が近くまで来てる時に、渡せるか」
「なら、みすみす死ねと言うのか!」
「お前らがどうなろうが人間が死のうが、俺には関係ねぇ」
また言い争いを始める莫志隆と毛翠。しかも相変わらず、すぐに決着が着きそうにない。
楊鷹は焦りを感じた。彼らを待っていられない。時間が惜しい。
「寺の方に戻るには、どうすればよいのでしょうか?」
楊鷹は声を張り、言い争う神仙二人に割り込んだ。二人とも口を閉ざし、楊鷹の方に振り返る。
「仙器がいただけないのなら、それで構いません。なので、どうかお教えください」
楊鷹が重ねて請えば、毛翠が語気を強めて言う。
「それで構わないわけないだろう! 仙器がなければ、どうしようもないぞ」
毛翠の言葉は最もだと、楊鷹も分っている。しかし、それでも行かねばならない状況、やらねばならない時なのだ。だから、楊鷹は毛翠の言葉が聞こえない振りをした。
莫志隆は大仰に息を吐くと、のろのろと小屋とは反対の方向を剣で指し示した。
「この先を真っ直ぐ行くと、崖に穴が開いている。そこから戻れる」
「ありがとうございます。この剣、お借りします」
楊鷹は剣の柄を握りながら軽く頭を下げると、さっと踵を返した。
「待て、楊鷹! 死ぬつもりか!」
毛翠の声が響くとともに、かすかに砂利を踏む足音がした。楊鷹は振り返る。
「ついてくるな。そんな姿じゃ、どうせ何もできないだろう」
楊鷹がそう言い放つと、毛翠の動きがぴたりと止まった。幼気な顔が、苦し気に歪む。けれど、翠玉の瞳は真摯な色を湛え、楊鷹を見つめてくる。
楊鷹は、素早く体を返してそのまなざしから逃げると、駆け出した。
「待て! ばか息子!」
背中に毛翠の甲高い声がぶつかった。しかし、楊鷹は足を止めなかった。
ささやかなせせらぎの流れに沿って走ってゆけば、白い崖とその崖にぽっかりと空いた亀裂が見えた。楊鷹は、その裂け目に身を潜らせた。




