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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
35/131

黒い嵐の再来・四

 莫志隆(ばくしりゅう)との距離を一瞬で詰め、突きを繰り出す。その一撃を、莫志隆は涼しい顔のままかわした。楊鷹(ようおう)は滑らかに手を動かして、矢継ぎ早に斬りつける。だが、また外した。刃が捉えたのは莫志隆ではなく、彼の背後にあった柳葉であった。ぱっと朱色の葉が散らばる。肝心の神仙は、柳から少し離れたところに逃れていた。

 楊鷹は左手で剣指を作り、切っ先を真っ直ぐ莫志隆へと向けた。

 莫志隆は微動だにしない。宣言通り、攻撃するつもりはないらしい。

 莫志隆が言う。


「ほれ、遠慮するな。どんどん来い」


 楊鷹は一つ呼吸をすると、莫志隆へと向かっていった。

 それから、楊鷹は休まず攻め続けた。上から下から、左から右から、軽やかに剣を繰り、突く、斬る、払う。莫志隆はそれらの攻撃を、表情を変えることなく淡々と防ぐ。

 砂利を踏みならす音に、時折刃と刃が触れ合う金属音が混じる。楊鷹と莫志隆は、ひたすら打ち合う。

 さすが神仙といったところか、莫志隆の動きは素早く軽快なまま、衰えない。しかも、剣さばきに迷いがない。武人としても、相当腕が立つようだ。未だ楊鷹の攻撃はかすりもしない。剣は、空を切るか同じ鋼を打つか、そのどちらかだ。

 しかし、楊鷹は落ち着いていた。防がれてばかりだが、相手の動きはよく見えている。速い動きに、ついていけていないわけではない。冷静に相手の動きを見定めつつ、隙をうかがっていた。

 楊鷹の繰り出した斬撃を、莫志隆が弾く。その瞬間、莫志隆の体がわずかばかり後方に傾き、彼の持つ剣の剣穂(けんすい)が跳ねた。

 楊鷹は瞬時にたたみかける。軽やかに体を回転させながら、先ほどの攻撃とは逆の方向から斬りつける。

 その刃を、莫志隆は上体を逸らしてよけた。だが、その動きによって彼はさらに体勢を崩し、後ろへ数歩よろめいた。まごうことなき隙である。

 すかさず、楊鷹は一歩踏み込んだ。眼前には、がら空きの胸。

 その時、轟音が楊鷹の耳をつんざいた。

 思わず楊鷹は動きを止める。その間に莫志隆は大きく飛びのくと、剣を降ろしてため息を吐いた。


「やっぱり面倒事を持ってきたじゃねぇか、おい」


 莫志隆が、小屋の前に佇んでいる毛翠(もうすい)を見る。楊鷹も彼にならって赤子へと視線を向ける。


「はっ? わし?」


 毛翠が素っ頓狂な声を上げると、莫志隆は剣を回しながらぶっきらぼうな口調で言った。


「神仙様がいらっしゃったぞ」


 楊鷹はどきりとした。

 毛翠も真面目な顔つきになると、ぐっと首を伸ばして鼻をひくつかせる。そして、一言。


「す、すまぬ……」


 毛翠の謝罪は、「神仙が来た」という莫志隆の言葉を裏付ける。そして、その神仙は、恐らく楊鷹と毛翠を追ってやって来たに違いない。

 先ほどの大きな音も、その神仙の仕業だろう。崖が崩れるような大きな音だったが、一体何をしたというのか。楊鷹は嫌な予感がした。

 

「し、しかしまだ少し離れているようだから、今のうちに隠れれば……」


 ぎこちない笑いと共に毛翠が言う。

 莫志隆は顔をしかめ、舌打ちをした。なんとも不機嫌極まりないといった様子だが、構わずに楊鷹は尋ねた。


「山のどの辺りにやって来たのか、分かるのですか?」

「さあ、どこだろうねぇ? まー、何かがぶっ壊れる音がしたし、山の上の廃寺の辺りまで来てるんじゃねぇの?」


 嫌な予感がぱちりと弾けた。楊鷹の背に冷たい汗がにじむ。

 山の上の廃寺には、銭秀(せんしゅう)たちがいる。まさか、彼らの元に神仙がやって来たのか。楊鷹たちの足跡(そくせき)を辿ってきたのだとしたら、その可能性は大いにある。

 神仙は容赦がない。人の常識も通用しない。あっさりと人を真っ二つにしてしまう。もし本当に神仙が廃寺にいるのだとしたら、銭秀たちの身が危ない。

 楊鷹は剣を鞘に収めた。

 もはや莫志隆と戦っている場合ではない。神仙の狙いは楊鷹と毛翠である。無関係の人々の命が失われるようなことは、もう二度とあってはならない。廃寺まで戻らなければ。

 楊鷹は莫志隆に向かって言った。


「ここから、寺の方に……人の世の方に戻るにはどうすればよいでしょうか?」


 莫志隆が楊鷹を見る。じっと視線を注いでくる。

 しばらくの間の後、口を開いたのは毛翠であった。


「待て、楊鷹。もしかして、今しがたやって来た輩とやりあいに行くつもりか?」


 楊鷹はじろりと毛翠を睨んだ。今ここで、それを聞く理由が分からない。


「銭秀たちのところに神仙がいるのなら、放ってはおけないだろう。死人が出るかもしれない」


 毛翠は顔を強ばらせると、慌ただしく莫志隆へと近づいた。


「おい、仙器を持ってこい」

「やだね」


 再びの即答。すると、毛翠はがばりと頭を下げた。


「迷惑をかけてすまぬ。だが、どうか頼む。この通りだ」

「だから嫌だって言ってんだろ。手合わせはまだ終わってねぇんだ」


 やはり、即座の返答。まったくもって、莫志隆は頑なであった。懇願されても、その意思を変えるつもりはないらしい。

 毛翠が顔をはねあげ、どうやってもつれない知人に向かって声を荒らげる。


「そんなこと言ってる場合か! この分からず屋!」

「恭しい態度はもう終わりかよ」

「お前こそ、これっぽっちも恭しくないではないか! こちらの事情も少しは鑑みろ!」

手前(てめぇ)の事情なんか分かりたくもないわ。どうせ、桃李虚(とうりきょ)の神仙様が来たんだろ? そんな奴が近くまで来てる時に、渡せるか」

「なら、みすみす死ねと言うのか!」

「お前らがどうなろうが人間が死のうが、俺には関係ねぇ」


 また言い争いを始める莫志隆と毛翠。しかも相変わらず、すぐに決着が着きそうにない。

 楊鷹は焦りを感じた。彼らを待っていられない。時間が惜しい。

 

「寺の方に戻るには、どうすればよいのでしょうか?」


 楊鷹は声を張り、言い争う神仙二人に割り込んだ。二人とも口を閉ざし、楊鷹の方に振り返る。


「仙器がいただけないのなら、それで構いません。なので、どうかお教えください」


 楊鷹が重ねて請えば、毛翠が語気を強めて言う。


「それで構わないわけないだろう! 仙器がなければ、どうしようもないぞ」


 毛翠の言葉は最もだと、楊鷹も分っている。しかし、それでも行かねばならない状況、やらねばならない時なのだ。だから、楊鷹は毛翠の言葉が聞こえない振りをした。 

 莫志隆は大仰に息を吐くと、のろのろと小屋とは反対の方向を剣で指し示した。


「この先を真っ直ぐ行くと、崖に穴が開いている。そこから戻れる」

「ありがとうございます。この剣、お借りします」


 楊鷹は剣の柄を握りながら軽く頭を下げると、さっと踵を返した。


「待て、楊鷹! 死ぬつもりか!」


 毛翠の声が響くとともに、かすかに砂利を踏む足音がした。楊鷹は振り返る。


「ついてくるな。そんな姿じゃ、どうせ何もできないだろう」


 楊鷹がそう言い放つと、毛翠の動きがぴたりと止まった。幼気な顔が、苦し気に歪む。けれど、翠玉の瞳は真摯な色を湛え、楊鷹を見つめてくる。

 楊鷹は、素早く体を返してそのまなざしから逃げると、駆け出した。


「待て! ばか息子!」


 背中に毛翠の甲高い声がぶつかった。しかし、楊鷹は足を止めなかった。

 ささやかなせせらぎの流れに沿って走ってゆけば、白い崖とその崖にぽっかりと空いた亀裂が見えた。楊鷹は、その裂け目に身を潜らせた。

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