仙器を求めて・七
「この山で暮らしている人間について聞きたいんだ」
「この山で暮らしている人間って、俺たちではなくて?」
「……ああ。鍛冶師が住んでいるらしいんだが、所在を知らないだろうか?」
銭秀は腕を組んでうつむく。そのまま「鍛冶師、鍛冶師ねぇ」とぶつぶつ繰り返すこと数回、突然眉を跳ね上げて指を鳴らした。
「その鍛冶師かどうかは分からねぇが、前に手下の一人が見慣れない人間を山で見たって言ってたな。痩せていて髭と髪がぼさぼさの怪しい奴が塞の近くをうろついていたって」
「それだっ……」
「差し支えなければ! 今から山中を探してみてもいいだろうか!」
背中から聞こえた高い声をかき消すために、楊鷹は声を張った。銭秀が目を丸くして見つめてくる。楊鷹はぎこちなく笑い返す。やけに頬が引きつっているのを感じた。
ぱちぱちと目を瞬かせる銭秀。笑みを浮かべ続ける楊鷹。
蝉の鳴き声が響き渡る。どこかで、鷦鷯がさえずっている。
やがて、高く澄んださえずりは蝉しぐれの合間にうずもれて、消えた。
いいかげん頬が痙攣しそうになってきて、楊鷹は改めて尋ねた。
「どうだろうか?」
「べ、別に構わねぇけど……。しかし、どうしてそんなにに会いたいんだ?」
楊鷹は視線で毛翠を示した。
「その鍛冶師が、この子の叔父かもしれないんだ」
銭秀が眉をひそめる。訝しげな様子だが、ここで動揺したら不自然になってしまうので、楊鷹は努めて冷静に言った。
「この子は俺の遠縁の子供なんだが、親を亡くしてしまったため俺が面倒を見ている」
「へぇ、それは大変だな」
「俺は独り身だし、だれか好い人がいるわけでもない。だから、俺がこのまま面倒を見るよりも、近縁の人間に預けた方がいいんじゃないかと思ったんだ。それで父方の弟が腕の良い鍛冶師なのだが、消息が知れない。だから、もしかしたら蒼香山の鍛冶師が叔父なんじゃないかと思い、訪ねてみようと。もし叔父本人でなくとも、叔父に関して何か知っているかもしれない」
「なるほどねぇ……。それで朱柳県まで来たってことか。で、目的の場所に行こうとしたら山賊がいて厄介だから、一つ捕まえてしまおうと」
「いや、捕らえようとしたのは、春全殿と春蘭殿がとても困った様子だったからだ」
皮肉めいた言葉が飛んできたが、楊鷹は動じることなくすかさず答えた。というか、銭秀たちを捕らえようとした件に関しては、なんら嘘をつく必要はなかった。
銭秀がさっと目をを逸らして、頬を掻く。
「あーうー、それはうん、悪かった」
気を取り直すように銭秀は一つ咳払いをすると、楊鷹の方に視線を戻す。
楊鷹は息を飲んだ。
銭秀の目は真剣であった。これまでの軽薄な印象はすっかり消え去り、隙を感じさせない。楊鷹の隅々までを見極めようとする姿勢が伝わって来る。
楊鷹は己の鼓動が大きくなっていることに気がついた。戦いの時よりもずっと緊張を感じている。
先日の老爺に対しての話はそこまで嘘ではなかったが、今回のこの話は偽りだらけである。十中八九、そのせいだ。楊鷹は、内心でひたすら落ち着けと繰り返す。
視線を交わすことしばらく、突如銭秀の顔が緩んだ。百面相のようにぱっと表情が切り替わる。
「ま、別に構わないぜ。気がすむまで、その鍛冶師とやらを探してくれ」
「ありがとう。協力してくれて助かる」
楊鷹は安堵した。だが、それも束の間。
「とは言え、こんな山奥に住んでる奴に、赤ん坊を育てる甲斐性があるとは思えねぇけど」
銭秀が痛いところを突いて来る。一瞬言葉に詰まりそうになった楊鷹であったが、どうにか「それはそうなんだが」と返事をした。
すると、銭秀は不敵な笑みを浮かべた。
「どうだ? やっぱり仲間入りしねぇ? まだ俺たちの方が赤ん坊の世話ができると思うぞ」
「いや、それは……」
楊鷹が口を開くと、銭秀はその答えを遮るように立ち上がる。そして、つかつかと傷の男が置いていった荷箱に歩み寄ると、しゃがみこんだ。
「この荷物なんだが、沁富県にある、えらく儲かってる薬屋があってね。そこの旦那が都のさるお偉いさんにあてた贈り物なんだ。なんでも、その円寧府の偉い方の奥様のお誕生日で、大層豪華な贈り物なんだと」
銭秀は荷箱を叩きながら、目をすがめた。
「ちなみに薬屋のせがれは、科挙をお受けになるらしい。だが、もう何回も何回も落ちていらっしゃる」
銭秀の言わんとするところを察して、楊鷹は顔をしかめた。
薬屋からの贈り物、おそらくそれは賄賂だ。息子を科挙に合格させたいが故の。銭秀は、そう言いたいのだ。
科挙での不正は重く罰せられる。死罪もあり得る。それを考えればなんとも大胆なやり口であるが、かつて宮中の腐敗を肌で感じていた楊鷹にしてみれば、十分あり得る話であった。もしかしたら、その都の偉いお方のほうから、薬屋に持ちかけた話なのかもしれない。
「それは、本当の話なのか?」
「ご近所の噂に加えて、少し前に薬屋をクビにされた元番頭から、じっくり話を聞いた」
そう言うと、銭秀は笑い声をもらす。
「今回は、かなり運が良かった。元番頭の奴、いつにどこをどんな風に進むのか、細かい道程まで話してくれたからな。大人数だと目立つから、少人数でさも大した荷物ではないという風を装う予定だ、なんてことまでくっちゃべって。ありゃあ、薬屋の旦那に相当恨み持ってるぜ」
それだけ話を掴んでいたのなら、純粋な善意による贈り物でないのは間違いなさそうだ。
楊鷹は拳を握りしめた。心底嫌になる話であった。
銭秀がもう一度荷箱を叩く。
「昨日話を聞いた限りじゃ、お前もこういう贈り物を嫌ってるようだったからな。だから俺たちの仲間になるのも、悪くないんじゃないかと思うんだが」
銭秀は尋ねるわけでもなく、独りごちるように言った。
楊鷹は黙り込んだ。
銭秀の誘いには乗れない。何故なら、毛翠を藍耀海に連れて行かねばならないのだ。そんなことは分りきっているのに、楊鷹はすぐさま答えられなかった。
先ほどの作り話とつじつまが合わなくなるから、というのもあるが、それだけではなかった。
「役人や彼らとつながる汚い人間からしか盗まない」という銭秀らの矜持に、共鳴してしまう部分があるのだ。
銭秀たちのやり方では、不正を正すことはできない。そして、行っている行為はあくまでも強盗、悪行だ。そんなこと分っていても、彼らに惹かれてしまう。それ故、酒の勢いもあったとはいえ、「仲間になる」と口走ってしまったのだろう。
毛翠と別れた後、銭秀たちの仲間になるのは一つの方法であった。あらぬ罪とはいえ、楊鷹は罪人である。こそこそと人目を避けて生きるより、いっそ賊になった方が楽かもしれない。
そんな考えがよぎった時、楊鷹はふと思った。
(何のために、俺は武官になったんだろうな)
壮大な大志を抱いていたわけではない。だが、官吏嫌いになるためではないし、まして山賊になるためでもない。武官として本当に何もなせなかったのだと思うと、無性に虚しくなってきた。
風が吹き、ざわざわと葉擦れがざわめく。
楊鷹が小さく息を吐けば、ぎゅうっと毛翠が背中をつねる。
その痛みで、虚しさは消し飛んだ。今、何よりもどうにかしなければならないのは、これなのだった。
「すまない。仲間にはなれない」
楊鷹は首を横に振った。
大切なのは、一刻も速く藍耀海まで行くことだ。その目的を果たした後のことも過去のことも、今は考えている場合ではない。
銭秀は、ふっと笑うと立ち上がる。
「そうか。それは残念だ。ま、気が変わったらいつでも言ってくれ。お前ならいつでも大歓迎だ」
「……覚えておく」
そう答えながら、楊鷹は右頬を引っ掻いた。




