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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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予期せぬ出会い・三

楊鷹(ようおう)、楊鷹か!」


 甲高い声で名前を呼ばれて、楊鷹は面食らった。護送役人二人もそろって赤子へと振り返る。


「間違いない! 楊鷹、楊鷹ではないか!!」


 さらに楊鷹の名を連呼しながら、赤子は突進してきた。もちろん、楊鷹目指してだ。しかも、とても素早い身のこなしで。

 頭が状況を理解しきれていないこともあってか、楊鷹の動きが遅れる。結局、飛びついてきた赤子を避けることはできず、訳も分からないまま抱きとめる羽目になった。


「まさか、こんなところで出会えるとは! こんなにも大きくなって……。父は嬉しいぞ」

「父……」


 聞こえてきた単語にはっとして、楊鷹は赤子を抱きかかえて体から引っぺがす。そのまま目の前に掲げて、幼気(いたいけ)な顔をじっと見つめた。


「どうした? 父の顔を忘れたか?」


 なんとも愛らしい笑顔を浮かべる赤子に対して、楊鷹の顔は自身でもはっきり分かるほどひきつって固まった。


「おい、てめぇ! こいつと知り合いなのか!」


 荒々しく薛用(せつよう)が叫び、楊鷹の方へと数歩近づく。すると、赤子はぐるりと薛用に振り返り、声を弾ませた。


「そうだ! 知り合いも何も我がむ……」


 赤子が突然口をつぐむ。何事かと思ったが、瞬時に楊鷹も悟る。空気に鋭い刃物のような気配が混じる。

 それがどこからやって来るか。すぐに察しはついた。

 楊鷹は赤子を抱えたまま素早く立ち上がると、薛用を思い切り突き飛ばした。それからすぐさま、大きく後ろに飛びのく。それとほぼ同時に、先ほどまで楊鷹がいた辺りに、人間が降ってきた。


 天の星が落ちてきたのではないかと疑いたくなるくらいだった。それほどあっという間に落ちてきた人影は、二丁の斧を地面に深々と突き立てている。避けるのが一拍でも遅かったら、今頃楊鷹は真っ二つになっていたに違いない。

 人影が上体を起こす。思ったよりも小柄で、身なりも童子のような恰好である。動きやすそうな裾の短い黄色い衣、頭にちょこんと乗っかった二つのあげまき。まさしく子供だ。それも可憐な赤毛の少女だ。両手に持っている二つの斧が、滑稽なほど不釣り合いである。

 少女が叫ぶ。


「外れたー!」


 これまた場にそぐわない、鈴が転がるような声音だ。

 度肝を抜かれた楊鷹であったが、すぐさま気を取り直して目の前の少女を注視する。そうできた理由はただ一つ。この少女はただ者ではないからだ。空から降って来るところからして普通ではないのだが、それだけではない。彼女は、相当の手練れだ。まとう空気がそう語っている。


「もー、よけちゃダメじゃん」


 くるりと軽やかな足取りで、少女は楊鷹へと振り返った。満面の笑顔はひたすら無邪気だが、手にしている斧の刃はぎらぎらと飢えた光を湛えている。

 楊鷹はますます気を引きしめた。黙ったまま、ただただ少女を凝視する。と同時に、思考をめぐらせた。

 この少女は一体何者か。楊鷹は全く見覚えがない。斧を手にして空から降って来る知り合いなんて、いない。心当たりは微塵もないが、一つはっきりしているのは敵意を向けられていること。となれば、あまり下手なことは言わない方がいいように思えた。余計なことを言って、変に刺激を与えるのは得策ではない。なにせ、こちらは丸腰。ついでに小さな赤ん坊を抱いているわけで、このままやり合うとなれば圧倒的に不利――。


「避けなかったら死んでいただろうが!」


 楊鷹の意に反して、赤子が腕の中で叫ぶ。

 少女はきっと眉をつり上げた。


「死なないよ! 真っ二つになるだけじゃん!」

「馬鹿を言え! わしはともかく……」


 楊鷹は赤子の口をふさいだ。赤子は上目遣いで何かもの言いたげな視線を投げてくるが、そんなものは無視だ。あまり余計なことは言ってほしくない。この突拍子もない訳の分からない状況が、さらにこじれたらたまったものではない。

 と思っていたら、今度は少女の背後で叫び声が上がる。


「なんなんだよ! てめぇら!」


 薛用である。尻餅をついたまま立ち上がれずにいる護送役人の片割れは、水火棍(すいかこん)をせわしなく振り回しながら、ことさら激しくがなり立てる。


「突然しゃべるわ、突然空から斬りかかってくるわ、意味わかんねぇ! 消えろよ化け物ども! ぶっ殺すぞ!」

「んー……?」


 騒々しさが気になったのかどうなのか、少女が薛用に振り向けば、薛用の動きと口がぴたりと止まる。少女は一歩進み出ると、不快げに歪んだ男の顔をまじまじと見つめた。


「な、なんだよ……」


 薛用が恐々とした調子で尋ねれば、少女はぱっと笑顔を咲かせた。


「わあ! あんた真っ黒だ! あたし見えるよ。あんた、すごく汚いこといっぱいしてるでしょ?」

「は、はぁ? 何言ってんだ、てめぇ……」


 口ではそう言いながらも、薛用の顔は強張っている。明らかに動揺しているのが見て取れた。


「んーっと、人は殺してないみたいだけど……。でも今殺そうとしてたのかな? お金をもらった代わりに、お役目途中でこの兄ちゃんを死なそうとしてた?」


 言いながら少女が斧で示したのは、まぎれもなく楊鷹であった。聞き捨てならない言葉である。楊鷹は、そして董把 (とうは)も、薛用へと振り向いた。

 愛くるしい笑顔を浮かべたまま少女はさらに薛用に近づいて、またもや朗々と言い放つ。


「あ、ちょっと違ったね! 旅の間あんたが兄ちゃんをひどい目に合わせまくって、それで死ぬかどうか、みんなで賭けてたんだ。わー、楽しそうな遊び!」


 思わず「どこが楽しい」と口を挟みそうになったが、楊鷹はすんでのところでこらえた。しかし、董把は我慢できなかったらしい。「薛用!」と大声で相方の名を呼んだ。


「どういうことだよ!」

「黙れ!」


 大喝一声、薛用はぱっと立ち上がると少女へと手を伸ばす。


「てめぇ、好き勝手に言いやがって!」

「止せ!」


 楊鷹は咄嗟に制止した。だが、薛用は止まらない。楊鷹を睨みつけて、怒号を飛ばす。


「口出しすんな! このっ……」


 ぷっつりと唐突に、薛用の言葉が途切れた。途切れざるを得なかった。なぜなら、薛用の体は真っ二つになってしまったからだ。少女が一閃した斧によって、頭から股まで一刀両断、である。


「うるさい。さわるな。この下衆(げす)が」


 少女が吐き捨てる。二つになった薛用の体が、それぞれ傾いて地に倒れる。夏の荒野に突如として湧いた、真っ赤な泉。凄惨(せいさん)としか言いようのない光景に、楊鷹は顔をしかめた。


「うわああああああっ!」


 董把が叫び、鼠顔負けの身のこなしで逃げ出した。少女は董把の動きを目で追ったものの、さして興味はないらしい。彼の姿が見えなくなると、すぐさま体をひるがえす。楊鷹の方に。


「これで邪魔なのはいなくなった!」


 足元に転がる薛用の成れの果てすらまるで眼中にはないようで、さも嬉しそうに口の端を上げる少女は、どこまでもちぐはぐであった。最早、恐ろしい。初めから到底人間とは思えなかったが、これは本当に人間ではない。

 叶うならば、董把のように今すぐにでも逃げ出したい。しかして、それができるのか。楊鷹は董把とは違う。少女の狙いは楊鷹なのだ。正確に言えばたぶん、腕の中の赤子に用事がある。


「お前は誰だ? 俺は全く見覚えがないが、何か用でもあるのか?」


 慎重に尋ねてみると、少女は首を傾けて「んー」とうなる。


「あれ? そういえば、兄ちゃん誰? あたしも覚えないなぁ」


 今度は反対方向に首をかしげて、少女は視線をさまよわせる。ひどく無防備に思案を巡らせるその隙に、楊鷹は周囲をうかがった。

 五歩ほど離れたところ、少女のすぐそばに薛用が持っていた水火棍。さらにそこから少し離れたところに、大きな枷が転がっている。武器として使えそうなのはそれくらいか。逃げるならやはり左手に見える林のほうだろう。

 この少女も、この赤子も。理解が追いつかないことばかりだが、とにもかくにも命の危機であるのは事実。まずは、この状況を打破しなければ。逃げるかやり合うか、どちらにしても相当分が悪い。言葉を重ねてどうにか見逃してもらえるのならそれも手であるが、これまでの物騒な言動から考えるに相当難しい方法であろう。ならば、この赤子を捨て置くという選択肢はどうか。そうすれば助かるかもしれない。少なくとも楊鷹だけは。

 ちらと腕の中を見下ろす。視線に気が付いたのか、赤子もかすかに顔を上げる。つぶらな緑の瞳とかち合う。ぐ、と喉の奥が詰まる感覚がした。赤子を抱く腕に力がこもる。楊鷹は、少女の様子を探りながら、そっと半歩後ずさった。

 すると突然、少女が「あー!」と叫んだ。

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