表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
28/131

仙器を求めて・四

 部屋を出て中庭に行ってみれば、そこはきれいさっぱり片づけられていた。

 卓や椅子、酒壺に食器、それから祝い事の飾りや灯燭も何もなく、やけにがらんとしている。昨夜の宴の形跡は、何ひとつとして残っていない。山賊たちや王嘉(おうか)春全(しゅんぜん)春蘭(しゅんらん)の姿もなく、箒を手にした使用人が一人いるだけだ。

 楊鷹(ようおう)は庭掃除をしている使用人に軽く会釈をすると、主屋の方へ向かった。中に入り、声をかける。


「おはようございます」


 広間に楊鷹の声が響く。返事はない。

 広間の突き当りに設えられた祭壇には、位牌が並んでいる。そこに気配を感じつつも、当然声は返ってこない。楊鷹は位牌に対して黙礼すると、その場で静かに待った。

 しばらくすると、春蘭がやって来た。彼女は楊鷹に気が付くと、ふわりと笑みを浮かべた。


「おはようございます。もうご気分はよろしいのですか?」

「ええ、まぁ」


 答えながら楊鷹は恥ずかしくなってきた。春蘭の口ぶりは昨晩の醜態を知っているようであった。気まずくなって目を伏せれば、腕の中で毛翠(もうすい)が鼻を鳴らす。皮肉のつもりだろうか。

 しかし、春蘭は柔らかく微笑んだままだった。


「それは良かったです」


 そう言うと、春蘭は体を捻って奥に見える扉を示す。


「どうぞ、あちらへ。すぐに朝食を用意しますね。それからお湯も沸かしますから、使ってください」


 春蘭は笑みを崩さない。その表情といい心遣いと言い、本当に女神のような女性である。

 楊鷹は心底からありがたいと思いつつ、「いや」と断った。そう言った瞬間、腕の中で毛翠がもぞもぞと大きく身じろいだが、腕に力を込めて抑え込む。


「そこまで世話になる訳にはいきません。ところで、お聞きしたことがあるのですが」

「何でしょうか?」


 春蘭は少しばかり眉尻を下げつつも、応じてくれた。


「昨夜の山賊たちと王嘉殿はすでに帰ってしまったのでしょうか?」

「ええ。朝、庭の片づけを済ませると帰って行きましたけれど」


 楊鷹は言葉を失った。己が寝入っていた一方で、王嘉と山賊たちは昨夜の騒ぎの後片づけをしていたとは。楊鷹はさらに恥ずかしくなった。

 と言うか、王嘉と山賊たちは一体どのような体をしているのだろうか。王嘉も山賊たちもしこたま飲んだはずだ。それなのに王嘉は全く酔っていなかったらしいし、山賊たちだって朝には難なく動けたわけだ。楊鷹からしてみれば、化け物としか思えない。


「劉三さん、どうかされました?」

「ああ、いや、なんでもありません」


 楊鷹は気を取り直して言った。


「昨夜騒いだうえに、こんなにも寝過ごして申し訳ありません」

「いえ、いいんですよ。気にしないでください」


 にこやかに春蘭はそう言ってくれるが、楊鷹は逆にいたたまれなくなってくる。春蘭と視線を合わせるのが辛くなってきて、何となしに毛翠を見る。

 毛翠はじっと春蘭を見つめていた。相変わらずである。

 春蘭も毛翠の視線に気が付いたのか、赤子に視線を合わせると笑いかけた。応えるように、毛翠も愛らしく笑う。春蘭が小さく手を振る。毛翠も小さな手を振って応える。

 見かけ上は微笑ましい戯れである。口出しするのが憚られるが、楊鷹は二人を止めたくて仕方なくなってくる。

 こらえきれなくなって楊鷹が声をかけようとしたら、春蘭の方が先に「あ」と声を上げた。


「そういえば、王嘉さんから伝言を預かっていました。今はお隣の沁富県(しんふけん)菁雲(せいうん)というところにいらっしゃるとのことでぜひ訪ねて来てほしい、とおっしゃってましたよ。なんでも、劉三さんにお渡ししたいものがあるとか」


 楊鷹は目を瞬いた。

 はて、渡したいものとは一体なんだろう。全く心当たりがない。


「渡したいもの?」

「ええ。それから、劉三さんの旅の話を聞かせてほしい、ともおっしゃっていました」


 楊鷹は口を引き結んだ。

 王嘉はわざわざ伝言を頼んでまで、楊鷹の話を聞きたいと言っている。彼は勘づいている。楊鷹の身の上に起こったことに関して。昨夜偽名を使ったこともあるので、気がついて当然といえば当然か。となると、渡したい物についても気になってくる楊鷹である。

 先を急いでいる以上、あまり回り道はしたくなかった。先ほど、毛翠とのやり取りの中でそう思ったばかりだ。だが、王嘉の事は無下にできない。

 楊鷹はちらと毛翠を見た。とにもかくにも、とりあえずさっさと出発した方がよさそうである。


「ご伝言、ありがとうございます。そうとなれば、早速出立しようと思います」


 改めて楊鷹がそう言うと、春蘭の表情がかげる。笑みはそのままだが、ますます眉尻を下げてどこか困った様相である。

 楊鷹は罪悪感を感じた。これでは春蘭に対して悪いこと言ってしまったようではないか。どうして春蘭は困り顔なのだろう。朝食を作りすぎてしまったがために、どうしても楊鷹に食事をしていってほしい、などという事情でもあるのだろうか。

 しかし、急いでいるのは事実だ。それに、すでに十分世話になったのだから、これ以上厄介になる訳にはいかない。

 持ち金に余裕はないが、お礼として少々の銀子を手渡して失礼しよう。罪悪感を押しやって楊鷹はそう決意する。そうして、体を捻って荷物へと手を伸ばした。

 だが、途中で動きが止まる。春蘭が楊鷹の袖を掴んだのだ。

 袖をつまむ白魚のような手を見つめること幾ばく。


「何か?」


 楊鷹が問いかけると、春蘭は「ごめんなさい」と慌てて手を離した。それから、ぱっと笑う。


「たくさんお世話になったのに、お礼の一つもしていないんですもの。朝食くらい召し上がっていってください」


 やはり朝食を作り過ぎたのだろうか。そんな風に思いながら、楊鷹は答える。


「いや、世話になったのはこちらの方です。これ以上のお心遣いは無用です」

「そんな、何も食べないのも体に障りますよ。少しくらい召し上がってください。お子さんだって、お腹が空いてるでしょうし」


「ね?」と春蘭が再度毛翠に微笑みかけたとたん、鳥の鳴き声のような可愛らしい音が響いた。出所は毛翠、間違いなく腹の音である。なんとまあ、絶妙なところで鳴るのだろうか。言葉なくとも、十分すぎる答えであった。

 春蘭は満足そうに笑みを深めると、(きびす)を返して部屋の奥へと姿を消してしまった。

 とり残される楊鷹と毛翠。もう一度鳴る腹の虫。

 楊鷹は毛翠の黒々とした頭をねめつけた。対する毛翠は、春蘭が去っていた方を凝視している。


「のう」


 唐突に、毛翠が小さな声で呼びかけてくる。楊鷹は眉をひそめる。だが、そんな楊鷹に構うことなく、毛翠はさらに口を開いた。


「蘭ちゃん、お前に気があるんじゃないか?」


 楊鷹は眉間のしわをさらに深くする。


「どうしてそうなる」

「いや、だってやたらと甲斐甲斐しいし、お前が行こうとしたら止めたし」

「だからなんだ。それで俺に気があるとか、思い込みも甚だしい」


 楊鷹は毛翠の言葉が一切合切理解できなかった。春蘭が親切なのはその性格ゆえだろう。礼節を大切にする女性なのだ。恐らく彼女は、誰にでも優しく気を遣う。

 ところが、毛翠の方も楊鷹の言葉が分からないらしい。薄い眉をきっと吊り上げる。

 

「そんなことなかろう!」


 毛翠の声は小さいものの、語気が荒かった。

 楊鷹は盛大にため息を吐く。


「行くぞ。食事がしたいなら黙ってろ」


 そう言うと、毛翠は開きかけた口を引き結んだ。けれども、何か言いたそうにむずむずと唇を動かしている。

 春蘭が再び姿を見せる。楊鷹はどきりとした。とっさに毛翠の口元を手で覆う。


「劉三さん、どうぞこちらに」

「ええ。今行きます」


 そう答えると、楊鷹はいそいそと春蘭の後を追った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ