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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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仙器を求めて・二

「何をやってるんだ」


 見れば、寝台のすぐ下で毛翠(もうすい)がひっくり返っているではないか。


「登るのに失敗した」


 笑いまじりに毛翠が言う。

 どうやら、毛翠は寝台に登ろうとしたようだ。そんな小さな体では、どうやったって無理だろうに。やはり未だに赤子の体に慣れきっていないらしい。現に、毛翠はひっくり返ったままじたばたともがいており、なかなか起き上がろうとしない。たぶん、起き上がれないのだ。

 ふと、楊鷹(ようおう)はさっきまで見ていた夢を思い出す。


「なんだ、その冷たい視線は?」

「いや、結局信じられなかったなと思って」

「は? 何の話だ?」


 毛翠がぱしぱしと目を瞬かせる。だが、楊鷹はそれを無視した。やれやれとため息を吐きながら、毛翠を抱き上げる。

 毛翠が眉をひそめる。恐らく、問いかけに応えなかったのが不満なのであろう。何か嫌味の一つでも言われるかと思った楊鷹であったが、そんなことはなかった。


「……お前、大丈夫か?」


 楊鷹の顔を凝視しながら、毛翠が問いかけてくる。その問いの意味が把握できず、楊鷹は逆に聞き返す。


「何が?」

「何がって、まだ酔いが抜けてないだろう。まぶたが腫れぼったいし、顔色が悪いぞ。ついでに酒臭い」

「……平気だ」


 楊鷹はぶっきらぼうに答えた。しかし、そう言ったものの、頭にまとわりつく重量感はさっぱり消えないし、まぶたが上がりきっていない感覚もばっちりあった。きっと、ひどい顔をしているのであろうことは、鏡を見なくともよく分かる。

 楊鷹はふいと顔を背けた。すると、毛翠は楊鷹の顔を覗き込むように首を伸ばす。


「本当か? 昨夜、随分酔っていたように見えたぞ? たいして飲んでないのに」


 楊鷹はむっとした。毛翠の言い分は最もだが、一言多い。と思いきや一言どころでは終わらなかった。


「泣き始めるわ愚痴を言い始めるわ、酒が入るとお前は随分と面倒くさくなるんだな。あの王嘉(おうか)とかいう男を少しは見習え。あの男、いくら飲んでも全く酔わなんだ」

「ほっとけ」


 そう言い捨てて、楊鷹は毛翠を寝台に降ろして立ち上がった。立つとまた、頭の重みが増す。窓から差し込む朝の光が、痛いと感じるほどまぶしい。

 しかし、体の調子は今一つだが、だからと言って起きないわけにはいかない。楊鷹はこの屋敷に厄介になっている身なのだ。

 楊鷹はすっかり乱れてしまった着物を整え始めた。すると、背後から声がかかる。


「のう、昨日の話の続きなのだが」


 楊鷹は帯を締め直す手をはたと止めた。毛翠はなんのことを言っているのか。心当たりがない。


「昨日の話の続き?」


 楊鷹は振り返り、そっくりそのまま毛翠の言葉を繰り返した。すると、毛翠は目をすがめ、赤ん坊らしからぬ胡乱(うろん)な表情になった。


「酔っぱらう前の話なのに、覚えていないのか?」


 毛翠の口調には呆れがこもっている。(しゃく)に障った楊鷹は、再び毛翠に背を向けた。


「いきなり昨日の話と言われても、いつの何の話だか分からないだろうが」


 自制したつもりの楊鷹であったが、出てきた声は思いのほかとげとげしい。


「昨日の話と言ったら、一つしかないだろう。あの銭秀(せんしゅう)とかいう賊を部屋で待ち構えていた時の」


 答える毛翠の口調にも、とげがあった。はたまた楊鷹はむっとしてしまう。嫌味でも言いたい衝動に駆られたが、楊鷹はぐっとこらえた。いかなる時も平常心、という母の教えを思い出す。

 楊鷹は止まっていた手を再び動かし始めた。動かしながら昨夜のことを思い出すと、努めてゆっくりと声を出した。


「確かに、何か話があるとか言っていたな。それがどうかしたのか?」

「うむ。実は蒼香(そうきょう)山に寄っていきたいと思ってだな」

「……は?」


 思わず楊鷹は振り返り、間の抜けた声を上げた。

 蒼香山と言えば、昨夜の山賊達が根城にしている山ではないか。そんな所に一体何をしに行くというのだ。第一、これ以上寄り道はしたくない。今回の出来事は人助けであったため、仕方がなかった。しかしだからこそ、これ以上旅が遅れるのは嫌なのだ。そもそも、藍耀海(らんようかい)まで連れて行ってほしい、と頼んできたのは毛翠の方だと言うのに。どうして毛翠は、こうも訳の分からないことを突然言い出すのだろうか。


「お前、嫌そうだな」


 毛翠が言った。ただ思うだけで楊鷹は一言も言葉を発さなかったが、どうやら顔に出ていたらしい。平常心が保てていなかった。

 なんだかばつが悪くなる。楊鷹は寝台脇の机に置いてあった頭巾を素早く手に取ると、頭を整え始めた。


「目的地は藍耀海のはずだろう。どうしてそんな所に行く必要がある」


 どうしても硬くなってしまう声で問いかければ、背後から甲高い声が飛んでくる。


「寄り道になるのは分っている。だがどうしても蒼香山に行っておきたい。もしかしたら仙器(せんき)がある」

「仙器?」

「仙器というのは、神仙がこしらえたり力を与えたりした道具だ。この間の少女が持っていた斧もそれだ」


 この間の少女というのは、黎颫(りふ)とかいう神仙の少女のことか。彼女の振るっていた斧は尋常でない代物であったが、なるほど人知の及ばない神仙の道具であったのか。


「お前、前に武器だのなんだの言っていただろう。それで思ったんだ。今後、神仙とやり合うことになったら、人の武器では太刀打ちできない。仙器は鋼でもたたっ斬るぞ。たとえ、質の良い鋼を使って優秀な鍛冶師が打ったものであってもな」


 毛翠がさらに言った。

 楊鷹は思い返す。黎颫(りふ)が持っていた斧の切れ味を。あれを振るった時の感覚を。じわりと手のひらに嫌な汗がにじむ。本当に、あれは尋常でなかった。

 楊鷹は毛翠の方へ振り返った。


「……それで、その仙器が蒼香山にあると?」


 楊鷹が問いかけると毛翠は頷いた。

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