山賊捕縛・七
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楊鷹はなみなみと注がれた酒を一息に飲み干すと、空になった碗を勢いよく卓に置いた。大きな音を立てながら卓は揺れ、陶の碗はひび割れる。
「まったく、都の官吏はろくでなしの集まりだ。賄賂やら着服やら好き放題やりやがって! 本当にどいつもこいつもどうしようもなくて、嫌になる!」
楊鷹が憎々し気にそう言うと、対面の銭秀が碗を掲げて応じる。
「ったく、本当に役人なんてくそくらえってんだよな!」
「ああ、本当にそうだ。私腹を肥やすことと人を貶めることしか考えていない奴ばかりだ!」
昂る感情のままに、楊鷹は語気を荒らげた。ぼろぼろと涙が出てきたが、それに構うことなくさらに言葉を続ける。
「俺はちゃんと働いてたぞ。不正なんか一切しなかった。そこらの奴より職を全うしてた。それなのに、邪険に扱いやがって。目が緑色でもいいだろ! 頭が灰色だからなんだ! ああくそっ、俺が何をしたっていうんだよ!」
「泣くな泣くな。お前の気持ちはよく分かる。苦労してきたんだな」
銭秀に肩を叩かれてさらに感極まった楊鷹は、思い切りしゃくりあげながら目頭を押さえた。
「分かってくれるのか……!」
「ああ、分かるとも。俺も役人には嫌な目に合わされたからな。ささ、嫌なことは飲んで忘れちまおう。ほれ、もっと飲め」
楊鷹の手にする碗に、銭秀がこれまた勢いよく酒を注ぐ。
はてさて、一体何杯目になるだろうか。だが楊鷹にとって、そんなことはどうでも良かった。月下、夜風に吹かれながら飲むのは風情があるし、とんでもなく気持ちが良い。何杯目になろうが、まだまだ飲んでいたかった。
楊鷹は満たされた碗を思い切り煽った。「良い飲みっぷり!」と銭秀や周りの手下たちが楽しそうに手を叩く。隣の卓に座っている王嘉は、一人静かに手酌で飲んでいた。
「ああ、こら!」
ふいにそんな大声が聞こえた。楊鷹が振り返ってみれば、中庭の中央に赤子を抱えた春全が立っていた。随分と困った顔をしているが、どうしたのだろうか。
赤子を抱えたまま、春全が楊鷹たちに近付いてきた。
「劉三殿、お子さんがいつの間にか起きだしてしまったようですよ」
「え?」
春全に声を掛けられた楊鷹だったが、言葉の意味がよく理解できなかった。劉とは一体誰のことか。お子さんとはなんのことか。回らない頭のまま、楊鷹は春全が抱いている赤子をじっと見やる。艶のある黒髪に、ふっくらとした頬。緑色の瞳は翠玉のようにきらきらしい。玉のような、という言葉がぴったり当てはまる赤子だ。見覚えがあるが、どこの誰の子供だっただろうか。
「劉三殿のお子さん?」
「え、お前子持ちだったの?」
王嘉と銭秀が次々に声を上げた。楊鷹は二人を交互に見やった後、赤子に視線を戻す。
改めて、ぼうっとする頭で考える。己は子持ちであっただろうか。そんな疑問が浮かんだが、すぐにかき消えた。子供のことを思い出したのだ。
(ああ、そうだ。この子供は毛翠だ。俺が連れている子だ)
部屋で大人しくしているように言い聞かせたはずだが、一体いつ出てきたのだろうか。全く気が付かなかった。言いつけを守らないだなんて、いけない子供である。だが、子供を無視して酒に夢中になるのも、親としてどうなのだろう。
(親……?)
はて、親とは一体どういうことか。楊鷹は考える。自分はいつ父親になったのか。なってない。あれは親戚の子供で、自分が親の代わりをしているのだ。いや、それも違う。父親なのはあの毛翠の方ではなかったか。ずっと昔に生き別れた、父親。
「子供……? 誰が、誰の……?」
楊鷹がぼんやりとつぶやくのと同時に、毛翠がじたばたと身じろぎながら手を伸ばす。目いっぱい、酒壺めがけて。
春全が大慌てで、毛翠を抱きとめる。
「お、なんだこいつ。もしかして、酒が飲みたいのか?」
銭秀が酒壺を掲げると、毛翠は目を輝かせながら「うー」と声を発する。すると、銭秀はけらけらと笑いながら、ひと際大きな碗に酒を注いだ。
「ほらよ。さあ、飲め子供ー!」
朗らかに叫びながら、銭秀が毛翠に近付いて酒を差し出す。すると、毛翠は満面の笑みを浮かべた。小さな体を一生懸命動かして、両手を酒の入った碗にむけて伸ばす。半開きになった口の端からは、だらだらとよだれが垂れていた。
とっさに春全が毛翠を押さえつけた。
「これこれ、危ないよ!」
「銭秀、止せ」
王嘉が止めに入る。だが、銭秀は碗を下げようとはせずに、不満げに口を尖らせる。
「えー、別に良いじゃないですか」
同調するように毛翠も声を上げる。どうやら、相当酒が飲みたいようだ。
赤子のくせに、と思いかけてはたと楊鷹は思いとどまる。だから、あれは子供ではないのだ。父親なのだ。
「俺の、父親……」
ぽつりとつぶやいたら、どうしてか無性に腹が立ってきた。
(馬鹿言え。あんなのが俺の父親でたまるか!)
楊鷹は近くにあった酒壺をかっさらうように掴むと、碗めがけて勢いよく傾けた。
(俺の父親じゃない。断じて父親なんかじゃない……)
酒を注ぎながら、楊鷹はそう心の中で何度も繰り返す。
春全と毛翠、それから銭秀と王嘉、一同の押し問答は未だに続いていた。銭秀の腕を掴んだまま、王嘉が楊鷹に振り向いた。彼は、楊鷹に物言いたげな視線を送って来る。ふつふつと沸き立っていたいら立ちがふっと収まり、楊鷹は目を瞬かせた。なんとも意味深長な王嘉だが、その意図は一滴も汲みとれない。すると、さっと王嘉は視線を逸らした。一体全体、なんだったのだろう。楊鷹はますます分らない。さらに不可解なことがもう一つ。どうしてか、手が冷たいような気がする。
「兄さん、酒こぼれてますよ」
そんな言葉が聞こえて、楊鷹は声の主の方に振り返る。山賊の一人、赤頭巾の男がしきりに楊鷹の方を指差していた。ふと、手元を見やれば、酒が碗から盛大に溢れていた。壺の方はすっかり空になっている。全く気が付かなかった。
王嘉が春全と銭秀との間に割り込み、口調を厳しくする。
「銭秀、その酒を下げろ。もう十分だろう。いい加減仕舞いにしよう」
「ええ、ええ。王嘉殿の言う通りです。もうだいぶ遅いですし、そろそろお休みください。部屋を用意しましたから」
春全が何度も頷きながら言う。彼の心遣いに感極まった楊鷹は、思わず立ち上がった。
「何から何まで世話になって、申し訳ありません」
そう言った途端、またこみ上げてくるものがあり、目頭が熱くなる。楊鷹の両目から、涙がこぼれ落ちた。
「いえ、そんな泣くほどのことではありませんよ、劉三殿」
春全がやんわり笑いながら言う。本当に彼は人が好い。口元が引きつっているようにも見えるが、それはたぶん楊鷹の気のせいだろう。
未だにじたばたともがく毛翠を押さえながら、春全が屋敷の方に一歩踏み出した。それにならって、「さあ」と皆を促す王嘉。ところがその時、銭秀が不満げな声を上げた。
「もう終わりっすかー? 兄貴はあんまり飲んでないのにー?」
はっとして楊鷹は王嘉を見た。確かに、彼の顔はいつも通りの白さであり、隙のない冴えた空気も変わりない。どこをどう切り取っても酒をたしなんだ様子は感じられなかった。
「十分飲んだよ」
「またまたぁ、冗談言わないで」
肩をすくめる王嘉に対して、銭秀は手にしたままになっていた碗をずいと差し出した。
「だから、十分飲んだって」
王嘉はなだめるように手を振る。だが、その言葉はやはり説得力に欠ける。絶対に十分に飲んでいない。飲んでいないだなんて、それはいけない。
楊鷹は、酒まみれになっている目の前の碗を手に取ると、王嘉へと近づいた。その間、また中身の酒が零れたが、楊鷹は全く構わなかった。
「遠慮しないで下さいよ、王嘉殿。ほらほら」
銭秀の隣に並んで、楊鷹は王嘉めがけて酒を差し出した。素面の青年はまじまじと碗を見つめた後、小さく息を吐きだした。そして、そっと銭秀の碗を受け取った。その際、彼の黒い瞳に宿る光が鋭くなった気がする。ほんの一瞬だったから、気のせいだったかもしれないが。
「そうだな、久々の再開だ。とことん飲もうか」
「覚悟しておけよ」というような声が聞こえたが、さて誰が言ったのか。何に覚悟をしろというのか。なんだかよく分からない楊鷹であったが、気持ちが良いのでそんなことはどうでもよかった。
「再開を祝して」
「乾杯!」
楊鷹は揚々とした気分で、改めて王嘉と乾杯をした。




