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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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山賊捕縛・六

「さて、いかがでしょうか。どうか、今回ばかりは見逃していただきたい」


 王嘉(おうか)が表情を緩めて、春全(しゅんぜん)に声を掛けた。しかし、春全は手をもぞもぞと動かすばかりで、言葉を発する気配はない。

 しばらくの沈黙の後、銭秀(せんしゅう)が「あー」と声を上げた。


「本当にむやみやたらと略奪してるわけじゃねぇ。俺があんたのところから何か盗んだか?」


 そう問いかける銭秀に対して、春全は眉をひそめた。


「盗んでいませんが、春蘭(しゅんらん)にしつこく付きまとったじゃないですか」

「確かに盗んでいないが、迷惑はかけているな」


 春全の後に王嘉も続く。二人の冷静な指摘に銭秀は一瞬顔をひきつらせたが、すぐさま眉を跳ね上げた。


「で、でも! (さら)おうとしてはないし、今日だって武器も何も持ってきてねぇし! あんたらに害を加える気はねぇよ!」

「銭秀」


 必死の弁明を、王嘉が遮る。静かだが威圧感のある低い声。銭秀は唇を噛み締めると、深々とうつむいた。


「その……ごめんなさい」


 すっかり覇気のない声で銭秀が謝った。彼の頭に飾られた花も、どこか色あせて見える。

 しばらくの間の後、春全がため息を吐いた。


「……分かりました。今後、春蘭に付きまとわないというなら、見逃しましょう」

「えぇ!!」


 銭秀が勢いよく顔を上げた。目を見開いて、驚きの表情を浮かべている。


「だそうだ、銭秀」


 王嘉が問いかければ、銭秀はじたばたと身じろいだ。


「待ってくれ、せめて、せめてもう一回ちゃんと気持ちを伝えたい! 無理やりなことは何もしないから! それで駄目だったら潔く身を引く!」


 いたく慌てた様子で銭秀はまくしたてる。ころころ態度を変える、なんとも忙しい男だ。そんな彼に対して、春全ははたまた眉をひそめて困惑の顔つきである。その表情は当然であろう。「娘に近付くな」と言ったばかりなのだから。

 楊鷹(ようおう)は小さく息を吐くと目を閉じた。この期に及んで、まだそんなことを言う銭秀の気がしれない。彼の不敵な表情に、そして山賊としての矜持に感じ入ってしまったことを、少し後悔した。


「いや、そんな風に言われましても」

「銭秀、無茶を言うな」


 春全と王嘉が口々に言った。


「頼む! お願いだから! なぁ、あんたも頼むよ! 本当に!」


 騒がしい声に楊鷹が目を開ければ、銭秀と目が合った。潤んだ瞳からは、切々とした彼の心情が読み取れた。だが、楊鷹の心は揺らがない。


「もうすっぱり諦めた方がいいと思う」


 楊鷹がそう言うと、銭秀は眉を吊り上げて叫ぶ。


「この鬼畜! 少しくらいいいだろ!」


 鬼畜と言われるほどではないし、少しくらいとは何が一体どのくらいなのだろうか。不満そうに睨みつけてくる銭秀を、楊鷹は冷めた気持ちで見つめ返す。

 その時、背後で物音がした。屋敷の方だ。楊鷹たち一同が振り返れば、屋敷の扉の前に春蘭が立っていた。


「春蘭!」


 春全が声を上げると、春蘭はしずしずと歩み寄ってきた。やがて銭秀の前までやって来ると、春蘭は足を止め、地面に転がる山賊に視線を注ぐ。


「お話は聞きました。お気持ちをお伺いします」


 春蘭の柔らかい声が響いた。春全がもう一度娘の名を呼び、楊鷹も一歩前に出る。だが、春蘭はそっと手を掲げて、言った。


「大丈夫です。思い返してみれば、お父様に返事をしてもらってばかりで、私自身は何もお話をしていませんでした。ですから、この機会に」


 灯りに照らし出された春蘭の表情は、澄んでいた。迷いや恐怖は見られない。

 楊鷹は出した足をひっこめた。その一方で、ぐっと脇を締めて、抱えた棍の感触を確かめる。いざという時、すぐさま攻撃に出られるように。

 春蘭がゆっくりとしゃがむ。ところが、銭秀の方は動く気配がない。口を半開きにして、まじまじと想い人を見つめるばかりである。


「気持ちを伝えるんじゃなかったのか?」


 王嘉にそう言われてやっと、銭秀ははっとした。縛られているのもなんのその、身軽な身のこなしで上体を起こし、春蘭と目線を合わせる。薄らと頬を赤らめて春蘭を見つめることいくばくか、銭秀はがばりと頭を下げながら叫んだ。


「春蘭さん! あなたのことが好きです! 結婚してください!」

「ごめんなさい。お断りします」


 早かった。春蘭の返事は容赦なく早かった。


「どうしても、だめ?」


 上目づかいで食い下がる銭秀だったが、それで春蘭の心が傾くことは皆無だったようで。彼女は再度「ごめんなさい」と頭を下げた。

 哀れにも――というか、自業自得なのではなかろうか――銭秀の想いは千々に砕かれる結果となった。想いが粉々になってしまったからなのか、銭秀は春蘭を見つめたまま動かなくなった。心ここにあらず、といった様子である。

 春蘭が困惑した表情を浮かべながらも、おずおずと立ち上がって銭秀から離れた。しかし、それでもまだ銭秀は微動だにしない。まるで時間が止まってしまったかのようだ。

 楊鷹含めその場に居る誰もが、銭秀のことを見つめる。

 沈黙が満ちることしばし、その静寂を打ち破ったのはほかでもない銭秀だった。


「くそーっ!! フラれた!」


 突然大声を上げて、がっくりとその場にうなだれる銭秀。

 楊鷹はぎょっとしてしまった。固まっていたかと思いきや、いきなり叫ぶ。本当に忙しい輩である。

 王嘉がやれやれと肩をすくめた。


「これで分かっただろう。ほら、帰るぞ」


 王嘉は銭秀に近付くと、春全と春蘭に問いかけた。


「縄をほどいても構いませんか?」


 困惑した様子で、父娘は顔を見合わせる。すると、王嘉は柔和な笑みを浮かべた。


「失礼しました。やはりこのまま連れて帰りましょう」


「行くぞ」と声を掛けながら、王嘉は銭秀に手を伸ばす。だが、その手が触れるよりも先に、銭秀の手の拘束が外れた。銭秀がぶんぶんと両手を振ると、はらりと縄が地面に落ちる。楊鷹は目を見開いた。


「お前!」

「この程度、なんてことないんだよ。なめんじゃねぇぞ」


 銭秀がにやりと笑う。どうやったのか、銭秀は自身で縄から抜け出たらしい。相当きつく縛ったはずなのに。

 楊鷹が思わず身構えると、すかさず銭秀は食いついてくる。


「なんだよ、もう蘭ちゃんには近づかねぇよ。約束は守る。だが……」


 そう言いながら、銭秀は足の縄もほどいてしまう。それから、すっくと立ち上がり叫ぶ。


「おい、お前ら! まだ酒あまってるな?」


 中庭の隅で固まっていた手下たちが一斉に動く。彼らは素早く卓に向かい、残っている壺を片っ端から持ち上げた。


「へ、へい! こいつはまだだいぶ残ってます!」

「こっちもあります!」


 手下たちが次々と返事をすると、銭秀は満足そうに頷く。


「よし、飲むぞ! やけ酒だ、やけ酒!」

「はぁ?」


 つい、楊鷹は素っ頓狂な声を上げてしまった。棍を握る右手の力までも緩む。

 何故そこでそうなるのか。この山賊の言動であるが、なかなかに理解しがたい。この分からなさ、こちらの意表をついてくるところ、誰かに似ている。楊鷹はうっすらと頭が痛くなってくる感覚を覚えた。取り合わずに無視をしたい気持ちに駆られたが、さっさと酒の方へ行こうと足を踏み出す銭秀を放っておくこともできない。楊鷹はさっと銭秀の前に回り込み、軽く棍を払う。銭秀の動きがぴたりと止まった。


「帰るんじゃないのか?」


 楊鷹が尋ねると、銭秀は至極不満そうに眉をひそめた。


「ああ? 素面(しらふ)で帰れるかよ。こっちはフラれてんだぞ」

「……さっき、部屋に入ってきた時はだいぶ酔っていたようだが」

「てめぇのせいですっかり()めたわ!」


 と、唐突に、銭秀が楊鷹の腕をつかんだ。


「責任とってつき合え」


 だから、どうしてそうなるのか訳が分からない。楊鷹は素直に疑問を口にした。


「なんでそうなる」


 しかし、銭秀は取り合わない。楊鷹が腕を引いても全く離そうとせず、それどころか逃がさんとばかりに力を込めてくる。小柄な割に、思いのほか力が強い。


「いいじゃねぇか! 大人しくつき合えってんだよ! あ、王嘉の兄貴も一緒に呑もう!」


 銭秀に呼びかけられた王嘉だが、彼は動こうとはせずに、すぐ隣で唖然としている春全たちをちらりと見やる。


「いや、お前……」

「ちょっとだけ、一、二杯で切り上げるって!」


 銭秀の明るい大声が、王嘉の言葉を遮った。

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