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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
17/131

朱柳県の県城にて・七

 結局、楊鷹(ようおう)は誘いを断りきれず、茶をごちそうになる流れに身を委ねることとなった。

 白髪の男性と女性は、思った通り親子であった。父の名が春全(しゅんぜん)、娘の名は春蘭(しゅんらん)と言うのだと、歩きながら教えてもらった。楊鷹も名を尋ねられたのだが、「劉三(りゅうさん)」と適当な名前を名乗っておいた。


 そうして歩くことしばし、たどり着いたのは一軒の酒楼(しゅろう)であった。三階建てで、店先にはのぼりがいくつもはためいている。なんとも立派な店構えである。

 こんなところでお礼など大げさすぎる上、明らかに今の自分にはふさわしくない場なので、楊鷹は恐縮してしまった。改めて遠慮したものの、親子はお構いなしに店の中に入るように勧めてくるし、背負った子供はしつこくつねって自己主張してくる。

 それでも最後の抵抗とばかりに一歩足を引き下げたら、逃がさんとばかりに春全が腕を引っ張った。


「そんなに遠慮しないで。さあ、こちらへ」


 本当にどうしようもなくなって、楊鷹はされるがまま店内に足を踏み入れた。


 昼時ということもあってか、店内は賑わっていた。肉や酒の芳醇(ほうじゅん)な香りが、楊鷹の鼻を刺激する。焼餅を一枚食べたとはいえ、それで満足できたわけではない。昨日の豆粥(まめがゆ)がありがたいと思えるほど、罪人になってからはひどい食事ばかりだったこともある。つい、口の中に唾が湧いてきてしまった。遠慮する心とは裏腹に、体は正直だ。

 背負った毛翠(もうすい)はさらに正直で、よだれをすするような水音が背中から聞こえた。


 一行は二階に上がり、こぢんまりとした部屋に入ると、それぞれ席に着く。楊鷹は上座に座るように促され、その対面に春全、隣に春蘭が着席する形となった。毛翠は楊鷹の膝の上に収まった。

 落ち着いたところで早速、春全が肉料理やお菜など料理を何品か注文する。酒を勧められたがそれは断って茶にしてもらった。

 間もなく給仕がやって来て、卓に料理と茶を並べた。肉の煮付けに野菜を炒めたものや(あつもの)、果ては果物などの甘味まである。目の前に広がった思いがけない豪奢な食事。なんともおいしそうであるが、単なるお礼にしてはやり過ぎではなかろうか。楊鷹が呆然と料理を眺めていたら、すっと脇から茶が出てきた。視線を向ければ、茶器を手にした春蘭と目が合った。春蘭がふんわりと微笑む。どうしてか急に恥ずかしくなった楊鷹は、慌ててを目を伏せた。


 視線を下げれば、膝に乗っけた毛翠が春蘭をじっと見つめていた。赤子のくせに鼻の下が伸びている。呆れつつもどこか腹立たしさを感じた楊鷹は、毛翠の足を軽く叩いた。しかし、効果はなかった。毛翠は視線を逸らそうとしない。

 そうやって楊鷹が料理になかなか手を付けないでいたら、向かいに座っている春全がそっと肉の皿を勧めてきた


「どうぞ、召し上がってください」

「あ、ありがとうございます」


 楊鷹はぎこちない声音で言った。


「しかし、こんなにたくさんいただくのは申し訳ありません」

「何をおっしゃいますか。お気になさらず、食べてください」


 相変わらず、春全はそう言ってくる。なんと気前のいい人なのだろうか。それとも、何か他意があるのか。何はともあれ、食べるまで解放してもらえなさそうなので、楊鷹は箸を手に取った。毛翠は未だ春蘭を見つめているが、彼に関しては好きにさせておくことにした。とりあえずは大人しくしているのだから、もうそれでいい。

 楊鷹は勧めてもらった肉の煮付けを一口食べた。さっぱりとした味付けで、噛めば肉汁が口の中に広がる。罪人になってから食べていないとはいえ、そう長い年月ではない。それなのに、数年ぶりに肉を食べたような気がした。とんでもなくおいしい。

 もう一口食べようと箸を伸ばしたら、突然、毛翠がじたばたと暴れ出した。身を乗り出そうと、必死にもがいている。「こら」と楊鷹が抑えても、言う事を聞かない。


「あの、良かったらお食事中は私が抱っこしていましょうか?」


 隣から聞こえてきた春蘭の言葉。毛翠がぱっと春蘭の方に振り向く。そして、じっと春蘭を見つめた後、こくんと頷くような仕草をして、「あー」と可愛らしい声を出す。

 これは絶対に毛翠の好きにさせてはならない。

 楊鷹は小さな体を抑える手に力を込めつつ、もう片方の手で春蘭を制した。


「いえ、そのような心遣いは無用です」


 春蘭の言葉に、おいそれと甘えることはできない。心優しい美人の言葉を聞いて毛翠の目が輝いたのを、楊鷹は見逃さなかった。

 だが、毛翠も簡単には引き下がらない。一層激しく体を左右に揺すり出す。まるで嫌がっているかのようだ。


「遠慮しないでください。ほら、いらっしゃい」


 春蘭が手を差し出せば、毛翠はぱっと腕を伸ばして春蘭の袖をつかんだ。


「こら」


 楊鷹が再度叱責しても、毛翠は手を離さない。無理やり引きはがそうとしたら、春蘭が赤子の紅葉のような手を握った。


「本当に、遠慮しないでいいんですよ。ずっと一緒というのも、大変でしょうし」


 そう言いながら微笑む春蘭は、一層美しく見えた。まるで天女、もしくは女神。春蘭の笑顔と言葉が、楊鷹の胸の内に染み込んでゆく。(かたく)なだった心が温かくなり、ほろりと解ける。彼女の慈悲深い御心を無下にするのは、間違っているように思えた。

 楊鷹は毛翠を一瞥(いちべつ)すると、おずおずと毛翠を春蘭の方に差し出した。


「お願いします……」

「ゆっくり召し上がってください」


 そう言いながら、春蘭は毛翠を抱き上げた。

 毛翠は春蘭の膝の上に移った途端、さっきまでの暴れっぷりが嘘のように大人しくなった。愛らしい笑みを浮かべて、なんとも機嫌がよさそうだ。その表情を見た瞬間、楊鷹の心の中に罪悪感が湧き出てきた。だが、今更遅い。「やはり結構」と毛翠をこちらに戻すのも不自然だろう。


「ふふ、かわいい」


 春蘭が嬉しそうに笑う。毛翠の頬もますます緩む。楊鷹の頬がひくつく。それでも、どうにかこうにか言葉を絞り出した。


「母親が恋しくなったのでしょう。本当に申し訳ありません」

「今、おいくつなんですか?」

「一つを少し過ぎたところです……」

「お一人で大変ですね」

「いえ、親戚の子供なんです。一月前に病で親を亡くしてしまいまして……」

「そう、でしたか……。残念でしたね……」


 春蘭が目を伏せる。そのしめやかな様子に、楊鷹の心はさらに痛む。すべて作り話なのが、たまらなく申し訳ない。

 その時、毛翠が卓の方に手を伸ばす。春蘭が視線を上げた。


「あら、お腹が空いているの?」


 毛翠は手を伸ばしたまま「うー」と謎の声を発する。

 春蘭が箸を手に取る。


「少し食べさせてもいいでしょうか?」


 春蘭に聞かれて、楊鷹は固まった。

 春蘭の厚意はありがたいし、断るのも気が引ける。だが、これは断らなければ。そうしなければ、きっと楊鷹の精神が持たない。端から見たら、心優しいたおやかな女性と赤子かもしれないが、そうではない。そうではないのだ。


「いえ、さっきたくさん食べたばかり……」


 と、突然毛翠が大声を上げて、楊鷹の言葉を遮った。「うー」だの「だー」だの「まんま」だのとわめきながら、春蘭の膝の上で暴れ出す。


「劉三殿、そんな遠慮ばかりしないでください。お子さんに食べさせたって構わないんですよ」


 春全が言う。そして、楊鷹の答えを待たずに春蘭に野菜の(あつもの)を差し出した。


「この野菜なら少し食べさせても大丈夫だろう」


 父親に言われた通り、春蘭は羹に入っていた青菜を箸で細かくちぎると、毛翠の口元に持ってゆく。


「はい、あーん」


 毛翠が大きく口を開け、差し出された青菜にぱくつく。


「おいしい?」


 春蘭に尋ねられると、毛翠は「あうー」と声を発しながら、なんとも幸せそうな顔で青菜を食む。春蘭と春全が安心したようにほっと息を吐いた。

 一方の楊鷹は顔を覆いたくなったが、その衝動をぐっとこらえて、僅かにうつむく程度に留めた。

 今朝、「青菜はまずい」と毛翠は言っていなかっただろうか。そう言いながら渋い顔をしていたように記憶しているが、あれは聞き間違いもしくは幻だったのだろうか。

 もやもやとした釈然としない思いが渦巻く。楊鷹はその気持ちを強引に引きちぎろうと試みる。


(あれは必死に赤ん坊を演じているんだ……。さっき言葉を発してしまった手前、全力で挽回しようとしているんだ。そうに違いない)


 そう胸中で何度も繰り返しながら、ちらりと毛翠を見る。さらにもう一口春蘭から野菜を食べさせてもらっている毛翠。やはり嬉しそうである。

 楊鷹は視線を逸らした。無理である。必死に赤子の振りをしているだなんて、あの表情はそんなわけがない。

 早々に試みを放棄した楊鷹は、代わりとばかりに全力で念じる。あれは父親ではない、決して父親ではないのだと。

 そうして無視を決め込んで、楊鷹は食事に集中することにした。

 肉料理や炒めた野菜など、黙々と食べ進めることしばらく、ふいに対面から声がかかった。


「あの……劉三殿」


 楊鷹が視線を上げれば、春全の真剣な眼差(まなざ)しとぶつかった。


「一つ頼みたいことがあるのですが」


 おずおずと春全が口を開く。楊鷹は箸を置いて姿勢を正した。


「なんでしょうか?」


 ほんの少し間をあけてから、春全が言う。


「どうか、娘を助けてほしいのです」


 そこまで言って、春全はちらりと娘の方を見やった。楊鷹もつられて視線を向ける。

 春蘭はうつむいており、何やら物憂げな様子であった。毛翠まで、表情に不安な色を漂わせている。内心で「調子のいいやつめ」と毒づきながらも、楊鷹は春全の言葉に応じた。


「娘さんを助けるとは、一体どのようなことでしょうか」


 すると、春全はおもむろに話し始めた。

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