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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
14/131

朱柳県の県城にて・四

 朱柳県(しゅりゅうけん)は、(りん)国を横断して流れる大河珝江(くこう)の中流域、円寧府(えんねいふ)から見れば北西に位置する。珝江を下ってゆけば円寧府にたどり着き、さらに陸路においても都とそこまで離れていない。

 そのためか、朱柳県の県城は多くの人で賑わっていた。城外にも家々が並ぶ。宿や茶店のような店もちらほら見受けられた。樽をつるした天秤棒を担ぐのは酒売りか。その他同じような恰好の野菜売りや魚売りなどの露店商達も多く、あちらこちらで威勢のいい声が飛び交う。道を行くのは、女子供に旅装の人間など様々だ。牛や馬を連れている人も多い。ひしめく雑踏。弾ける活気。埃と熱気が立ち込めている。

 路傍でがぶがぶと酒を飲んでいる輩もいて、楊鷹(ようおう)は参ってしまった。腕の中をのぞけば、案の定毛翠(もうすい)の視線が釘付けになっている。

 そんな毛翠の気がそれるように、楊鷹は商人たちから離れると、そのまま城外を歩き回ってみた。

 これと言って変わったところはなく、手配書が出回っている様子もない。昨日の出来事であるうえ、楊鷹が逃げ出したあの場所は、ここから離れている。そう早く事が運ぶことはない。


 楊鷹は人ごみにまぎれて城内に滑りこむと、算段通りに必要なものを手早くそろえていった。

 まずは衣服をはじめとした身なりから。着ていた(ほう)を売り払い、新たに手に入れた丈の短い上衣と細身の袴に着替えた。草鞋(わらじ)から長靴に履き替えて、脚絆を着ける。目立つ髪の毛は軟頭巾に押し込んだ。

 その次に食料と水を補充し、さらには大きな帯も用意した。この帯は毛翠を背負うためのものだ。


 そこまでそろえると、楊鷹と毛翠は宿で休憩を取ることにした。

 狭い一室であった。寝台と小さな机しかない。楊鷹は毛翠を寝台の縁に座らせると、自身も隣に腰かけて手に入れたものを整理しはじめた。一つ一つを確かめながら、改めて荷造りをする。

 ひとまず、最低限の準備はできた。後は武器を見繕い、少し腹ごしらえをしてからさっさと県城を発つ。立場上、長居は無用。それにまだ昼時だ。まだまだ先に進むことができる。

 腹ごしらえは今済ませてしまおうと、楊鷹は膝の上に包みを広げた。中身はこんがりと焼き色のついた焼餅が五枚。老爺が持たせてくれたものだ。

 隣に座っていた毛翠が早速手を伸ばす。相変わらず食べ物に対する反応が早い。


「……落ち着け。別に逃げない」

「いいではないか。他に人もおらぬ」


 毛翠はぱっと焼餅を一枚取り上げてかぶりついた。

 内心ため息を吐きながら、楊鷹も焼餅を一枚取ってかじる。麦のほのかな甘さが口の中に広がった。単なる焼餅なのに意外と美味い。

 そんな驚きも束の間、咀嚼をしながら楊鷹は考える。

 稟国の国土をざっと思い浮かべる。

 目的地の藍耀海(らんようかい)に近いのは、確か北西の藍州(らんしゅう)で間違いがなかったはずだ。都から藍州まではおおよそ一月半程度。すでに朱柳県にいるとなればもう少し短い旅程になるだろう。昨日襲われて逃げ出した時は、無我夢中だった。しかし、意図せずも西の方向に進路を取っていたのは運が良かった。加えて、楊鷹の常人離れした身体能力を駆使すれば、もっと短くなる。ただし、順調に行けばの話だが。

 逃走中の罪人、という立場や神仙の追手のことを考えれば、楽な旅路にはなり得ない。だが、そうだとしてもできるだけ早く藍耀海まで行ってしまいたかった。早く毛翠とおさらばして西の山間部に身を隠さなければ。改めて思う。こんな面倒事さっさと終わらせたい。


(……一月(ひとつき)だ。一月で片を付ける。そんなに長くはない。少しの間だ。少しの間、我慢すればいい)


 呪文を唱えるかのごとく何度も何度もそう念じながら、楊鷹は焼餅を噛みしめた。

 そのためには、やはり一刻も早く県城を発たなければ。楊鷹は残っていた焼餅の欠片を口に放り込み、噛むこと数回ごくりと飲んだ。


 片付けようと焼餅に目を遣れば、もう一枚しか残っていない。すぐさま毛翠を見る。赤子は未だ焼餅を食べていた。焼餅を両手で抱え、一心にかじりついている。口元にはたっぷりと食べかすがついていた。

 少しの間その食べっぷりを見つめた後、楊鷹は尋ねた。


「……今食べてるのは三枚目だな?」


 口の中のものを飲み込んでから毛翠は答える。小さな両手は、もうすっかり空いていた。


「うむ。そうだ」


 答えを聞かずとも分っていたけれど、聞かずにはいられなかった。なんという早食い、そして大食いだろうか。その小さな体のどこに入ってゆくのだ。食料を補充しておいて良かったとつくづく思う。いや、この食べっぷりではむしろ足りないのではなかろうか。だが、路銀の都合、さらに食べ物を買うのは難しい。楊鷹は深々と息を吐いた。


「そろそろ行くぞ」

「え? もう一枚……」

「もう十分だろう。朝だって少し食べたじゃないか」

「朝のあれは飯に入らん。第一あんな菜っ葉、美味くない」


 毛翠は眉根を寄せながら口元をゆがませた。

 楊鷹の頭の中におぼろな記憶がよみがえる。その昔、食事時に必死に青菜をよける父親の姿と、どうにかして青菜を食べさせようとする母親の姿。

 懐かしさよりも苦みを感じた楊鷹は、素早く焼餅を片付けた。最後の一枚めがけて伸びていた小さな手が、行き場をなくしてぴたりと止まる。毛翠が恨めしそうな半眼でにらみ付けてくる。

 しかし、楊鷹は取り合わず、帯を使って毛翠を背負うと――「これではすぐにずれる」だの「安定しない」だのと、毛翠にああだこうだ言われて数回やり直す羽目になったが――ゆっくり立ち上がった。

 背中で毛翠がうごめく気配がした。その途端、楊鷹の胸の内に恥ずかしいような悲しいような、なんとも言い難い気持ちが湧き上がってきた。


「……こうもしっかりおぶられると、なんとも言えない気分になるな」


 毛翠が固い口調で言った。どうやらお互い様らしい。


「今更恥ずかしいとか言うなよ。こっちだって変な気分なんだ」

「だから、自分で歩くと……」

「歩かなくていい」


 楊鷹はきっぱりと言うと、荷物の包みを腰に下げた。

 毛翠がかすかに声を潜めて「おい」と呼びかけてくる。


「もう県城を発つのか?」

「……ああ。武器を見繕ってからな。それから、夕方まで歩いてもう少し先に進む」

「武器か……」


 毛翠がぽつりとつぶやく。どこか神妙さを帯びた小声である。

 楊鷹はちらりと毛翠を見る。赤子は薄い眉を寄せて難しい表情になっていた。しかし、唇は引き結んだままで二の句を継ぐ気配はない。


「何か不満か?」


 毛翠の表情につられて、楊鷹の口調もぶっきらぼうになる。

 毛翠が、横目で楊鷹を見返す。


「いや、不満というか。人の武器で奴らとやりあうのは厳しいかと思って……」


 今度は楊鷹の方が口を結んだ。

 毛翠の言う「奴ら」とは、間違いなく神仙。彼の言うとおり、人の武器が神仙に通用するのか、楊鷹自身も疑問に思う。少なくとも、昨日の水火棍(すいかこん)はまるで役に立たなかった。

 とはいえ、手ぶらというわけにもいかない。

 姑息でしかないと理解しつつも、楊鷹は言葉を絞り出す。


「……何もないよりはましだろう」

「まあ、それはそうかも……」


 毛翠は口をつぐむと顔を傾けて、じっと楊鷹の目を見つめた。玉を思わせるつぶらな緑の瞳に宿る光は鋭い。

 まるで心の内を見透かされているような気がしてきた楊鷹は、ふいと視線をそらした。


「もう行くぞ」


「しゃべるなよ」と毛翠に釘を刺して、部屋を出る。店主に軽くあいさつをして、楊鷹は宿の外へと踏み出した。

 その時、大きな声が耳に飛び込んできた。


「待ってください! どうか、お願いします!」

「くどい! できないと言ったらできない!」


 通りの斜向かい、茶店と思しき店の前で二人の男が何事かを言い合っている。一方は質素な渋茶色の深衣に身を包んだ、白髪の男。もう一人は戦袍を着た小太りの男だ。

 白髪の男が小太りの男の進路をふさぐように回り込み、必死に頭を下げている。


「どうか、お願いいたします……」


 小太りの方が鼻で笑う。人を馬鹿にするような、意地の悪い笑い方だ。都の役人を思い起こさせるその様に、楊鷹は嫌悪感を抱いた。


「お前は馬鹿か? なんども言ってるだろう。ついこの間討伐隊を向けたばかりだと」

「ですが、相変わらず賊は山におります」

「だから、想像以上の手練れで上手くいかなかったんだよ。それで、どうしようか悩んでいるところなんだ!」

「すぐに退治ができないならば、どうか明日の晩だけでもお守りくださいませんか? どうかお願いします。清都頭(せいととう)


 都頭、と呼ばれたということは、清と言う名の小太りの男は一応朱柳県の役人であるのか。一見ならず者のようなのに。楊鷹の嫌悪感がますます強まった。

 

「それもできない。俺も他の者も皆忙しいんだ」


 清は相変わらずの態度で突っぱねた。それでも、白髪の男は食らいつく。脇に避けようとした清の動きに合わせて、右に一歩体をずらす。ゆく手を阻まれた清の表情がゆがむ。


「ああもう、いっそ嫁にやってしまえ! そうすれば山賊どもも少しは大人しくなるだろうからな!」

「そんな! 賊を取り締まるお役目を担っている方が、どうしてそんなことを……」

「ああ、うるさい! そこを通せ!」


 声を荒らげながら、清は白髪の男を押しのけた。その動作は乱暴で、男性は後ろによろけると、そのまま盛大に尻餅をついてしまった。どこか痛めてしまったのか、白髪の男は腰の辺りを手で押さえてなかなか立ち上がらない。

 周囲の人々は誰一人として動かなかった。昼時の往来は賑わっているうえ、二人の(いさか)いを前にして物見に興じる輩もいる。それなのに、である。恐らく、面倒事に巻き込まれたくないのだろう。あの清とかいう都頭だが、できれば絡みたくない相手である。


「楊鷹」


 耳元で毛翠がささやいて、楊鷹の上衣を引っ張る。


「あの白髪の男、苦しそうだぞ」

「しゃべるなと言っただろ」


 楊鷹は小声で注意した。すると、毛翠はさらにぐいぐいと衣を引いた。

 毛翠は「白髪の男性を助けろ」、と言いたいのだろう。

 だが、楊鷹は野次馬と同じくその場に留まったままだった。

 毛翠の気持ちは分かる。嫌悪感は強まるばかりで、薄情な真似をするのは気が引ける。助けに出たいのは山々だが、しかし相手は都頭、犯罪者を捕まえる部隊の隊長である。罪人に仕立て上げられている今の状態では、迂闊には動けない。

 不遜な都頭は白髪の男を嘲るように鼻で笑うと、大股で歩き出す。相変わらず不快な態度だ。


(さっさと立ち去れ)


 心底そう思った。楊鷹は清の背中をにらみ付ける。

 ところがである。突然茶店から女性が飛び出してきて叫ぶ。


「お父さん!」


 楊鷹の思いとは裏腹に、女性の高い声に釣られた清は動きを止めて振り返った。

 倒れたままの白髪の男に、一人の女性が一目散で駆け寄り、そっと体を支える。

 艶やかな黒髪の(まげ)に玉のかんざしを刺し、淡い藤色の上着を着た、たおやかな女性である。

 ふいに、楊鷹の上衣から毛翠が手を離した。

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