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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
118/131

火攘風搏・一

 おふだの効能は想像以上、駿馬どころの話ではなかった。

 尋常ならざる速さで、楊鷹(ようおう)は走る。びゅうびゅうと、激しい風の音が耳を打つ。恐ろしいほど体は軽く、今にも飛んでいってしまいそうな勢いだ。風を切るというより、風そのものになったようだった。


 広場に出たところで、楊鷹はひらりと一跳び、人家の屋根に飛び乗った。じっと目を凝らして、辺りを見回す。

 晴れ晴れと朝日に焼ける空の下で、灯火のような赤い光が揺らめいていた。赤い光は、三つ。村の牌楼(はいろう)めがけて、一直線に転がってくる。


(あそこか……!)


 楊鷹は、すかさず屋根から飛び降りると、改めて駆け出した。先ほどよりも足を速めれば、もうもうと砂埃が舞い上がる。細かい砂礫(されき)が頬を打つも、気に留めずに全力で走る。

 牌楼までは、本当に一瞬だった。そうして、灯火のような光の正体を知る。否、楊鷹はとうに知っていた。

 光の正体は、獣であった。燃え盛る炎をまとった獣、烈熾狼(れっしろう)である。

 三頭の烈熾狼は、真っ直ぐ向かってくる。あまりにも堂々とした攻め方は、傲慢ですらあった。


(絶対に、誰も死なせない)


 確固たる決意は、心を冴え冴えと磨き上げる。楊鷹は一つ息を吐いた。心はさらに澄み渡り、鏡面のようになる。楊鷹はすばやく剣を抜くと、先頭の烈熾狼めがけて跳んだ。

 疾風が奔り、翠光が閃く。次の瞬間、烈熾狼の頭がぼとりと地に落ちた。翠色のきらめきは、翡翠の刃が描いた軌跡。剣戟は狂いなく、楊鷹は瞬く間に烈熾狼を仕留めたのだった。

 だが、落ち着く間はない。これは、先陣を打ち取っただけのこと。後続の烈熾狼たちの足は、止まらない。まさしく異形である。これが単なる狼であったなら、仲間が殺されたとなれば大なり小なり怯む。しかし、烈熾狼は違う。彼らは臆せずに、突っ込んでくる。


 二頭のうちの片割れが吠え、大きく跳躍した。狙いはもちろん、楊鷹である。すかさず、楊鷹は横っ飛びに跳んだ。獣の爪は空を切る。それを尻目に、楊鷹は前方――もう一頭の烈熾狼の眼の前――へ躍り出る。

 まさか己の方に向かってくるとは思っていなかったのか、烈熾狼の動きはぬるい。楊鷹には、びったりと止まって見えたほどだ。獣の首を狙って、剣を払う。翡翠の刃は、滑らかに骨肉を切り裂いた。燃え盛る獣の頭が勢いよくすっ飛ぶと同時に、残された肢体が、どうと地に倒れる。これで残るは一頭。


 楊鷹の背後に、荒々しい息遣いが迫る。脂が焦げるような臭いが、鼻をつく。

 楊鷹は、すかさず柄から長穂(ちょうすい)に持ち替えると、振り向きざまに剣を薙いだ。大きく弧を描いた剣身は、烈熾狼の腹に命中。燃え盛る獣を、真っ二つに断ち切った。

 分かれた体は黒い煙となって、風の中に散ってゆく。炎の獣は、毛も肉も骨も、何も残さない。他の骸も同様に、皆煙に変じていた。

 黒煙が薄く立ち上る中、楊鷹は頭を巡らせた。もう、火影は見当たらない。音や臭いもなく、辺りは静まり返っている。ひとまずは、敵を退けることができたようだ。

 楊鷹は、帯に挟んだおふだを指でなぞった。

 まったくもって、凄まじい神符である。あまりにも体は軽く、(のみ)にでもなったような軽快さで、あちらこちらへと跳びまわれる。まるで己の体ではないように感じられて少々不気味に思えるが、しかし気味が悪くともまだ頼らねばならない。


 これまでの烈熾狼は前座、本番はこれからだ。


「小癪な真似を」


 地を這うような低い声が、楊鷹の背中を打つ。以前耳にしたのは、もう半月は前であろう。しかし、楊鷹はその暗く(おご)った声音を、はっきりと覚えていた。

 深く息を吸い、吐く。それから、楊鷹(ようおう)はゆっくりと振り返った。

 案の定、荘炎魏(そうえんぎ)が立っていた。もとい、そびえていた。その様は、まるで険峻(けんしゅん)な岩峰。鋭く、大きい。そして、恐ろしい。恐怖を覚えるほど、厳然としている。本当に山であったなら、ここではどんな生き物も生きられない。

 圧倒的な強者の気配に、楊鷹は息を呑む。ぴりぴりと肌が痺れる。しかし、視線は逸らさない。(げん)とそびえ立つ神仙を、真っ直ぐ見つめた。

 荘炎魏は眉をひそめると、吐き捨てるように言った。


「生意気な目つきだな。半人半仙ごときめが」

「約束では、期日は明日のはずだ。どうして、今、この村を襲う。話が違うだろう」


 努めて落ち着いた口調で、楊鷹は問いかける。


「貴様と約束したのは慧牙(けいが)だろう。俺ではない。そんな約束、知ったことではない」


 楊鷹としては、まっとうな疑問を投げかけたつもりであった。だが、荘炎魏からしてみれば、そうではないらしい。露骨に、彼は鼻で笑った。


「そも、半人半仙との約束など、守る必要もない。うぬぼれるな、虫けらが」


 嘲笑ちょうしょうだけにとどまらず、その言葉にも口調にも侮蔑ぶべつの色がありありと表れている。楊鷹は、ぐっと剣を握り締めた。


「そうだとしても、狙いは俺と毛翠(もうすい)のはずだ。どうして、関係のない人たちを巻き込む?」

「くだらないことを聞く。人間などうじのような存在、どれだけ潰したところで構わんだろうが」

「それはつまり、蛆のように(けが)れていて、不快な存在だから殺す、ということか?」


 楊鷹が再度尋ねると、荘炎魏は薄く笑った。薄情を通りこした、残忍な笑みであった。


「不快だ、などといちいち考えてもいない。ただ、楽しいから潰す。それだけだ」


 あまりにも非道な答えは、楊鷹の腹の底にすとんと落ちた。こんなにも外道だからこそ、どこまでも(むご)い行いができるのだ。

 おもむろに、楊鷹は翡翠色の切っ先を荘炎魏に突きつける。心の水面は、凪いでいた。痛々しいほどに冴え冴えと、冷え切っていた。強烈な怒りというものは凍てつくのだと、楊鷹はつくづく思い知る。

 (こお)った声で、楊鷹は言った。


「神仙からしてみれば、人間なんてその程度の存在なんだろうな。だが、だからなんだ。その程度の存在であろうと、命を(もてあそ)ばれる筋合いはない」


 人間は蛆ではない。仮に蛆であったとしても、(たわむ)れに殺される(いわ)れはない。本物の蛆虫を「楽しいから」とぶちぶち潰している輩がいたとしてら、そんな奴は狂気の沙汰だ。

 楊鷹の頭の中に、賊を一方的に蹂躙したときの光景がよみがえる。鼻の奥に、生臭い嫌な臭いが広がったような気がした。狂乱に陥ったあのときの記憶をいくら掘り返しても、楽しいだとか嬉しいだとかいう明るい感情は一片も出てこない。思わず、言葉がこぼれた。


「一方的にいたぶって、何が楽しいんだ」


 言ってから、楊鷹は思った。それが一番許せないのだと。神仙の、その人知を遥かに凌ぐ力を用いて、弱者をなぶる。そのような蛮行のために、優れた力を使うことが、何よりも許せない。

 刃と同じ色の瞳が、ひしと荘炎魏をにらみつける。

 しかし、その程度で荘炎魏は揺らがない。またしても、彼は嘲笑するように息をもらした。


「その楽しさが分からぬのか。やはり、お前は所詮蛆だな」

「それなら、蛆で構わない」


 楊鷹の視線は、ますます険を帯びる。他人(ひと)を痛めつける楽しさなど、解りたくもなかった。

 荘炎魏は盛大に顔をしかめた。


「本当に、生意気な奴だな。殺されたいのか?」

「そんなわけないだろう。そうであるなら、とうに剣を下ろしている」


 楊鷹が言い返せば、荘炎魏は(あご)を上げて居丈高に言い放つ。


「この俺と、やり合おうというのか?」

「そうだ。そして、お前を倒す」

「蛆の血の混じった貴様が? この俺を倒す?」


 そう言うやいなや、荘炎魏は声高に笑い出す。


「何がおかしい?」


 楊鷹が尋ねるも、荘炎魏は一切取り合わない。野太い笑い声が、朝焼けの空に朗々と響き渡る。

 あまりの騒々しさに嫌気がさしたのか、道端の(やぶ)の中から小鳥たちが飛び出した。否、逃げたのだ。野に暮らす小さな生き物は、身に迫る危機に敏感だ。

 剣呑とした気配が募っていることに、楊鷹も気づいていた。剣を握る手が、じっとりと汗ばんでいる。

 ふいに、笑い声がぴたりと止んだ。

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