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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
117/131

戦いに向けて・九

 外に出てみると、庭は閑散としていた。下男は、楊鷹(ようおう)の頼みをきっちりと聞いてくれたようだ。主屋へと通じる中門は、ぴったりと閉じられている。その軒下にちらほらと人影が見えるが、皆見知った人物であった。王嘉(おうか)銭秀(せんしゅう)、それから手下の男たちだ。

 銭秀が、ひょいと片手を上げた。


「おう、兄弟。話はどうだった?」


 楊鷹は、小走りで垂花門の方に向かう。


「まずいことになった」


 開口一番にそう言えば、一同は表情を研ぎ澄ませる。皆、一瞬で、武人の顔つきになった。

 王嘉が言った。


「まずいこと、とは?」

「神仙が、荘炎魏(そうえんぎ)がこの村を襲おうしているようです」

「そりゃあ、本当か?」


 今度は銭秀が尋ねる。

 楊鷹は、腕の中の毛翠(もうすい)に目配せした。荘炎魏の存在は、彼の方がまざまざと感じているはずた。

 赤子らしからぬ真剣な顔で、毛翠は言った。


「本当だ。奴のにおいがする」

慧牙(けいが)が、荘炎魏の襲撃のことを教えてくれた。初めは疑ったが、毛翠の鼻の良さは獣以上だ。間違いない」

 

 それから、楊鷹は慧牙との話の内容を手短に伝えた。


「……慧牙の考えていることは、正直なところ分からない。だが、こうなってしまった以上、荘炎魏と戦うことに全力を注ぐしかない」


 そう言って、楊鷹は話を締めくくった。

 銭秀や王嘉たちにとって、それは間違いなく悪い知らせであっただろう。期日も何も、もう関係ない。準備が整っていない状況でも、やるしかないのだと、楊鷹は暗に告げたのだ。

 騒然となっても、おかしくない。だが、そのような様子は一切無く、皆冷静であった。銭秀に至っては、何やら不敵に笑っている。


「なるほどな。わざわざ襲撃を教えに来たってのは、本当に律儀な奴なのか、それとも教えたとしても勝てるという余裕の表れなのか。後者だったら、その慧牙とかいう奴はむかつく野郎だ。鼻を明かしてやりたくなる。ね、兄貴?」

「そうだな」


 銭秀に同意を求められた王嘉は、ためらいなく頷いた。なんとも意気盛んな様子、このような事態に陥っても、彼らはまったく怯んでいない。

 銭秀が、顎をさすりながら言う。


「ひとまず、慧牙の方には一応見張りをつけておこう。それで、問題は荘炎魏の方だな。ここから予定の場所まで、上手くおびき出せるかってところだが……」


 予定の場所、と言うのは開心林(かいしんりん)妓楼(ぎろう)である。昨夜、皆であれこれと話し合った結果、その妓楼まで荘炎魏をおびき出し、庭園にある池に沈める、という策に決まったのだった。おびき出す方法は、楊鷹がおとりになるという方向で話はまとまった。期日までにやって来るようにと、慧牙が指定した場所は喬徳(きょうとく)の屋敷だ。まずは約束の場所である喬徳の屋敷に出向き、そこで楊鷹は荘炎魏と一戦交え、頃合いを見計らって逃げ出す。荘炎魏の気質を考えれば、おそらく追いかけてくるだろうから、そのまま(くだん)の庭園まで連れ出す、というものだった。

 楊鷹は言った。


「開心林は遠すぎる。正直、荘炎魏に捕まることなく、上手くおびき出せる自信はない」

「こいつがあっても難しいか」


 銭秀が胸元から、二枚の紙切れを取り出した。それは、月蓉(げつよう)超慈(ちょうじ)が物乞いからもらった、身にくくりつけると駿馬以上に走れるという霊妙なおふだであった。

 神懸った俊足が手に入るならば、残忍な神仙が相手であっても、遠く開心林まで逃げ切れるだろうか。


「難しいだろうな」


 そう言って、首を振ったのは王嘉であった。


「我々も開心林まで行き、準備しなければならないんだ。そのような時間はない。おふだも、もうそれしかないんだろう?」

「そうだな、これしか残ってねぇ」


 銭秀が、おふだをひらひらと揺らす。手中のおふだは二枚。一枚、楊鷹が使うとなったら、残りは一枚。銭秀や王嘉たちの移動を補うには、明らかに数が足りない。


「でかい馬車でも見繕えば……。いや、それを探すのも時間がかかるか」


 銭秀がつぶやくように言う。

 そのとき、毛翠がせわしなく楊鷹の腕を叩いた。


「急げ。烈熾狼(れっしろう)のにおいも混じったぞ」

「なんだって?」


 楊鷹(ようおう)は思わず声を上げた。

 慧牙(けいが)の言葉は嘘ではなかった。荘炎魏(そうえんぎ)の狙いは、楊鷹だけに(あら)ず。奴は盧西村(ろせいそん)を丸ごと蹂躙するつもりだ。

 楊鷹は歯噛みした。

 もう考えている時間はない。こうなったら、策はかなぐり捨てて、真正面から荘炎魏とやり合うしかない。


(勝機は薄いかもしれないが、それでも……)


 楊鷹が意を決しようとしたそのとき、銭秀(せんしゅう)が軽快に指を鳴らした。


「よし、それじゃあ、この辺りの湖だか川だかに沈めることにしちまおう」

「どこか、心当たりがあるのか?」


 王嘉(おうか)に問われて、銭秀は「いいや」と首を振る。だが、その声音は明るい。


「俺はよく知らねえ。だが、漁師をやってる超慈(ちょうじ)なら詳しいだろ。だから、あいつにに丁度いい場所を聞く。で、そこに沈めりゃあいい」

「だが、新たに場所を探している時間だってない」


 口早に楊鷹は言った。頭の隅に、炎と臓物にまみれた街並みがちらつく。あの惨劇は、絶対に繰り返してはならない。そのためには、すぐにでも打って出る必要がある。超慈に尋ねにゆく時間すら惜しい。平常心だ、と(はや)る心をなだめても、どうしたって焦りがにじむ。

 その焦りをなだめるように、銭秀がにかっと笑った。

 

「二手に別れりゃ、問題ない」


 彼は変わらない明るい声で言うと、指を楊鷹に突きつけた。


「こういう手はずで行こう。お前はまず、おふだを使って、今すぐ荘炎魏のところに行く。んで、一戦交える。だが勝とうとするなよ、あくまでも時間稼ぎだ。お前が頑張っている間、俺たちは水辺を見繕って準備する。準備が整ったら、俺か王嘉の兄貴が荘炎魏をおびき出しに、お前が戦ってるところまで向かう。どうだ、いい案だろう?」


 得意げに銭秀は腕を組む。しかし、楊鷹は眉をしかめた。おとり役を、人間である銭秀や王嘉に任せるのは危険だ。

 楊鷹の心中を察したのか、銭秀はすかさず言葉を足した。


「心配すんな。このおふだがあれば、人間の俺たちにだっておとりくらいは務まる」

「危険は覚悟のうえだ。昨日、言っただろう。この命、遠慮せずに使ってくれと」


 続けざまに、王嘉が言う。

 楊鷹は二人を見つめた。彼らの凛々しい顔つきには、悲壮な色など欠片もない。銭秀と王嘉の胸の内にも、揺るぎない誓いがしかと根付いているのだ。

 しん、と心が凪ぐ。憂いや焦りといった濁りは消え、冴え冴えと澄み渡る。


「……分かった。俺は先に行く」


 楊鷹は力を込めて言った。透き通るほど清らかな心水に、もはや迷いはない。

 楊鷹は毛翠(もうすい)を手下の男に託すと、今一度尋ねた。


「毛翠、においは東の方から漂ってくるんだな?」


 すると、赤子は顔をめぐらせながら、鼻をうごめかす。彼がにおいを探っている間にも、銭秀がおふだを一枚差し出す。楊鷹はそれを受け取ると、帯の間に手挟んだ。

 銭秀が、楊鷹の肩を叩く。


「こっちのことは任せろ。上手くやってみせる」


 銭秀は相変わらず笑っている。なんとも頼もしい笑顔である。楊鷹の口元も自然と緩む。

 白玉のような小ぶりな鼻の動きが止まり、毛翠が口を開いた。


「ああ。東だ。間違いない」

「分かった」


 楊鷹は頷くと、改めて銭秀と王嘉に向き直る。


「銭秀、王嘉殿。里正(りせい)殿にも協力するように頼んで、村の人たちに決して外に出ないよう、触れ回ってくれ。あのときの炎の獣が来ます、と言えば、里正殿には伝わるはずだ」


 もう、誰一人として死なせない。犠牲を出さずに、この艱難(かんなん)を乗り越える。

 祈りではなく決意を込めて、楊鷹は拱手(こうしゅ)の礼をした。


「行ってきます。後のことは、どうかよろしく頼みます」

「ああ、行ってこい。こっちのことは心配無用だから、落ち着いて暴れてきな」

「準備が整ったら、すぐに向かう」


 楊鷹は、仲間たちの言葉をしかと胸に刻むと、駆け出した。

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