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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
116/131

戦いに向けて・八

 しかし、毛翠(もうすい)はその決断に納得できなかったらしい。


「いや、楊鷹(ようおう)、お前、ちょっと待て!」


 甲高い声が、びりびりと空気を震わせた。

 天井が崩れてくるのではないかというほどの大声であったが、楊鷹は無視した。まだ、話は終わっていない。

 

「お前の話は信じる。だから、一つ約束しろ」


 射抜くような鋭い声で、楊鷹は言った。


「期日まで待つという約束が果たせない、と言うのなら、北汀村(ほくていそん)の人々を罪に問うようなことは一切やるな。彼らはもう、関係ないはずだ」


 期日までに神仙のもとに()くか、もしくは北汀村の人々を犠牲にして逃げるか。その二つを天秤にかけていたわけだが、約束が破られた今となっては、どちらを選ぶも何も無い。約束、という(はかり)そのものが壊れたのだ。北汀村の村人たちは、解放されて当然だ。


(まさか、それはできない、などと言わないだろうな)


 面子(めんつ)を気にするのならば、北汀村の人々からすっぱり手を引くべきだ。自ら壊した約束に、未練がましくすがっては、この上なく無様ではないか。

 そのような気持ちをこめて、楊鷹は慧牙(けいが)をきつくにらむ。


「それは、もちろんです」


 果たして、楊鷹の気持ちが通じたのかどうか。それはともかく、慧牙はすんなりと素直な答えを返した。


「約束そのものがなくなったのですから、北汀村の方々に手出しはいたしません」

「……よし」

 

 楊鷹は大きく頷くと、剣を鞘に収めた。これで、憂いはなくなった。あとは、荘炎魏(そうえんぎ)をどうにか食い止めるのみ、である。

 そうして、楊鷹は決着をつけたわけだが、それは独り善がりなものであった。

 背後でつくえを叩く大きな音が鳴る。次いで響くは、再びの甲高い叫声(きょうせい)


「おい楊鷹!」


 今度こそ、楊鷹は振り返る。

 毛翠が、つくえのうえに身を乗り出していた。彼の表情は、ありありと渋い。未だに、納得できていない様子であった。


「本当に慧牙のことを、信じるのか? これまでのこと、忘れたわけではなかろう?」

「忘れていない」


 楊鷹がぶっきらぼうに答えれば、毛翠ははたまた声を荒らげた。


「なら、なんで!」

「なんでも何も、信じるに値すると思ったからだよ」

「だとしても、だ! そいつの話が本当だとしても、斬って動きを封じておいたほうが良くないか?」

「斬らない」

「だから、なんで!」

「慧牙の話を信じると決めたんだ。なら、顔を立ててやるのが筋だろう」


 慧牙は慧牙なりに誠意を見せた。ならば、それに応えるべきだ。義には義を以て返す。信じるとはそういうことだ。


「そんな奴の顔、立てんでいいだろう! そいつは敵だぞ?」

「ああ、敵だ。だから、信じるのは今に限った話だ」


 迷うことなく、どこまでもきっぱりとした口調で、楊鷹は答え続ける。(いわお)のような態度には、ひびすら入らない。毛翠は、両手で頭を抱えてうずくまる。


「あー、もう! 人が()いというかなんというか、なんとも損をする性質(たち)だな……」


 赤子の言いぐさに、楊鷹は無性にかちんときた。


「あんたに文句を言われる筋合いはない。育ててないくせに」


 刺々しく言い放てば、毛翠は喉をつまらせたかのように(うめ)き、そのまま静かになった。

 慧牙が、くすりと笑う。


「お父上には、容赦がないのですね」

「……それで、荘炎魏はいつどこから攻めてくるのか、分かっているのか?」


 慧牙の言葉には取り合わず、楊鷹は尋ねた。

 すると、慧牙はすぐさま笑みをひっこめる。

 

「先頃、占ってみたところ、あと一時(ひととき)(約二時間)と経たないうちに、こちらの盧西村(ろせいそん)の東門のところに現れるようです」


 慧牙が答えると、毛翠が鼻で笑った。


「その占い、でたらめ……」


 偉ぶった幼い声が、はたと途切れる。


「どうした」


 楊鷹は、背後に振り返る。

 毛翠はつくえに乗り出したまま、しきりに鼻をひくつかせていた。楊鷹は何も感じないが、鋭敏な小さな鼻は何かをかぎ取ったようだ。

 

「楊鷹、窓をもっと開けてみてくれんか」


 言われるままに、楊鷹は窓を大きく開け放った。

 凉しい風が、一息に吹き込んでくる。途端、毛翠はぽつりとつぶやいた。


「でたらめではないな……」

「何か、においますか?」


 問いを発したのは、慧牙である。

 毛翠は、これでもかと鼻にしわを寄せた。

 

「神仙のにおいがする……。このにおいは、おそらく荘炎魏だ」

「間違いなく、荘炎魏なんだな?」


 楊鷹(ようおう)が念を押すと、毛翠もうすいは今一度鼻をうごめかす。獲物を追う狼よろしく、入念ににおいをかいでから、彼は答えた。


「間違いない」


 きっぱりとした口ぶりに、楊鷹は小さく舌打ちをした。確かに一時(ひととき)も経たぬうちではあるが、あまりにも早い。

 慧牙(けいが)が肩をすくめた。


「まったく、気が早い人……いや、神仙ですね」

「なんだその言い方は! 一時にしては早すぎるだろうが! これでは嘘だろう!」


 毛翠が食ってかかる。どうしたって、彼は慧牙の言い分に、得心がいってないらしい。楊鷹も、その気持ちは分からなくはない。だが、怪しくとも信じると決めたのだ。いつまでも、ぐちぐちと言われては困る。第一、荘炎魏が、すぐそばまで迫っているのだ。とやかく文句をつけている場合ではない。

 楊鷹は、まだまだ物言いたそうな赤子に近づくと、ひょいと抱き上げた。


「待て、お前、本気の本気であいつのこと放っておくのか?」


 毛翠は、楊鷹をじろりとねめあげる。

 しかし、楊鷹は一瞥したきり、それからは一切赤子の方は見ずに、一直線に扉へ向かう。


「おい、聞いておるのか!」


 毛翠が大声を上げる。

 楊鷹は、前を見据えたまま答えた。

 

「慧牙と話はついたんだ。なら、もう相手をする必要はない。今どうにかしなければならないのは、荘炎魏の方だ。ここで、ぐだぐだやってる場合じゃない」

「それはそうだが……」


 毛翠はそこまで言うと、ぎゅっと唇を噛んだ。何やら、迷いがある様子だ。慧牙の言動を怪しみながらも、荘炎魏のにおいは無視できないのだろう。

 ならば、さっさとふっきれてほしい。


(迷ってる場合じゃあないんだよ)


 苛立ちを覚えた楊鷹の口から、自然と言葉がついて出る。


「慧牙のことが信じられないなら、俺を信じろ」


 そう、強い口調で言ったものの。何やら腹の底がぞわぞわとむずがゆくなくなってくる。言わなければよかったと、楊鷹は後悔した。

 しかし、そのような気持ちとは裏腹に、毛翠には覿面(てきめん)に効いた。迷いの表情から一変、彼は眉を吊り上げ凛々しい顔つきになった。明らかに、何事かを決断した表情だ。その顔を慧牙に見せつけるように、小さな体を傾ける。


「おい、慧牙! 楊鷹に免じて、今だけは信用してやる! 言った言葉の数々、違えるな! 絶対に大人しくしていろよ!」


 毛翠が叫べば、慧牙は素早く礼を捧げた。深く頭を下げ、重ねた手を額の高さまで掲げる。


「ええ、もちろんです。ご心配ならば、私に見張りでもおつけください」


 動作も言葉も、随分とへりくだっている。まるで、高官に媚を売る下級役人のようだ。薄っすらと、におう。あの、芝居がかったくさい動作に、近しいものがある。

 深々と頭を下げているため、慧牙の瞳は見えない。果たして、あの清らかな双眸は濁ってしまったのか。楊鷹は目をすがめ、慧牙を見つめた。と、同時に、先ほど毛翠に放った台詞が、自身に突き刺さる。


(……慧牙ではなく、信じると決めた俺を信じろ)


 相手の本意など、もはや関係ない。清も濁も、すべて飲み込め。信じるのは慧牙ではなく、己だ。

 楊鷹は、鮮やかに告げた。


「俺は、お前たちに負けない。必ず勝つ」


 それは、鋼よりも硬い誓いであった。誰の何がどうあっても、砕けることはない。

 楊鷹は颯爽と踵を返すと、振り返ることなく客室を後にした。


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