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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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戦いに向けて・七

「なん……だって?」


 楊鷹(ようおう)は、(うめ)くように言った。大声が出そうになったが、どうにかこらえた。平常心だ、と母の教えを心の内で唱える。この神仙の前では、ほんの少しでも冷静さを欠いてはならない。些細な隙であっても、慧牙(けいが)はそこに付けこんでくる。彼の言葉に易々と乗ってはならない。常に己を保つべし。


 そうして、落ち着いて考えてみれば、慧牙の言葉はあまりにもおかしい。荘炎魏(そうえんぎ)が襲ってくるとなったら一大事だが、果たしてそれは本当なのだろうか。仮に本当だとして、何故わざわざ教えるのだ。敵に花を持たせる趣味など、ないだろうに。


「あら、あまり驚かないんですね。いやあ、さすがです」


 慧牙が手を伸ばして、ぱちぱちと拍手する。おちょくっているような態度だが、楊鷹は取り合わず、落ち着いた口調で言い返す。


「黙って襲撃したほうが、上手くいくんじゃないのか? それこそ、開心林(かいしんりん)のときと同じように」

「……つまり、荘炎魏が奇襲をするということを、貴方に教えてしまっては、こちらが不利になる。それなのに、わざわざ教えるということは、私の話には何か裏があるはずだ、と。そう、おっしゃいたいのですか?」


 慧牙は、楊鷹の気持ち――というより自身がどう思われているか――、よく分かっているようだった。慧牙は己が怪しまれていると、確かに自覚している。彼ほどの知者であれば、それも当然。ならば、どうして裏があると思わせるような言動を繰り返すのだ。

 楊鷹は、ますます分からなくなってきた。


(この神仙、本当に何様なんだ?)


 怪しさに拍車をかけて、狙うところは一体どこなのか。

 楊鷹は、慧牙のにこやかな顔を見つめた。相変わらず、堅牢な笑顔であった。その笑みの裏にあるものがなんなのか、まるで読めない。荘炎魏とはまったく異なるものの、慧牙もまた強かな難敵であることをまざまざと思い知る。

 手が汗ばんできた。しかし、怯んではいられない。慧牙の狙いがなんにせよ、彼に手綱を握らせてしまっては不利になる。


「裏があると、思わないわけないだろう」


 実際に剣で切り捨てるように、鋭い口調で楊鷹は言い切った。

 慧牙は額に手を当てて、(うめ)く。ほとほと困った、といった様子である。


「うーん、私の信用、すっかり地に落ちてましたか。ぎりぎり、地面すれすれのところを飛んでいるくらいは、あるんじゃないかと思っていたんですけれど」

「それは自惚(うぬぼ)れだな。お前に対する信頼なんて、地面どころか地の底を突き抜けてる」


 楊鷹は、さらにばっさりと切り捨てる。

 すると、慧牙は盛大に失笑した。


「そんな、容赦ない物言い……。というか、地の底を突き抜けてるって、そこは一体どこなんですか……」


 何がそんなにおかしいのか、笑いで息も絶え絶えになりながら、慧牙は言葉を絞りだす。

 毛翠(もうすい)が、ため息を吐いた。


「お前の笑いのツボは、いつもよく分からんな」


 楊鷹にも分からない。そもそも、この奇人っぷりが本性なのかどうかも、判然としない。

 もはや話そっちのけで、慧牙は笑い続けている。楊鷹は、冷静であろうとすることが、だんだん馬鹿らしく思えてきた。それでも、平常心だと己に言い聞かせながら、我慢強く耐え忍ぶ。

 楊鷹が黙っていると、毛翠が吠えた。


「おい、慧牙! ふざけに来たのならば帰れ!」


 威嚇のつもりだろうか、赤子は歯をむき出しにする。そうしたところで、丸々とした幼い顔貌に迫力はなく、むしろ可愛らしい。

 そのちぐはぐさが、また可笑(おか)しかったようだ。慧牙の笑いはますます高まり、その有様はまさに捧腹(ほうふく)絶倒(ぜっとう)というにふさわしい。


「ちょっと、赤子に叱られるとか、なんですかこれ……」

「なんだ、と言いたいのはわしらの方だ! やはり、まともに話をする気はないのだな。さっさと帰れ!」

「いやいや、そんなことありませんって。荘炎魏が……」

「たわけ!」


 笑い混じりの反論を、毛翠はぴしゃりと遮った。


「そんな態度で、話を聞いてもらえると思っているのか。そうだとしたら、とんだ()れ者だな!」

「ああ、それもそうですね」


 花火のように次々と爆ぜていた笑い声が、ぴたりと()んだ。急に静かになった慧牙は、ゆっくりと楊鷹に向き直る。

 楊鷹は息を呑んだ。慧牙のその(おもて)も、静かだった。笑みの消えた、冴え冴えとした真剣な表情には、鬼気迫るものがある。

 涼風は穏やかなまま、決して強くはなっていない。しかしながら、場の空気が一段と冷たくなったように感じる。

 慧牙が立ち上がる。衣擦れの音が、やけに大きく響いた。


「荘炎魏が貴方を、人里を襲うことは、本当です。そして、何故それを貴方に教えるのか。それは、私の面子(めんつ)に関わるからです」


 あの鼻につくわざとらしさはどこへやら、慧牙の声は(さや)かに響く。


「そもそも荘炎魏が今、誰かを襲っても、私が約束を破ったことにはなりません。新月の日まで待つ、というのはあくまで私とあなたとの間の取り決めですから。しかしながら、私も荘炎魏も同じ神仙。貴方たち人間からしてみたら、荘炎魏が事を起こしたとしても、私がやったことと大して変わらないと感じるでしょう。つまり、結局私が約束を破ったように思うはずです」

「そう、思うだろうな」


 楊鷹は同意する。

 慧牙は頷いた。


「そう思うのは当然です。ですから、今荘炎魏が貴方たちに手を出してしまったら、私の面子は丸つぶれでしょう。私は、期日まで待つ、と約束したのに、それを破ったとなったら、どうにも筋が通らない」

「お前が、荘炎魏を止めればいいだろう」


 毛翠が口をはさむと、慧牙は困ったように笑った。


「そんなことをおっしゃるだなんて、(すい)は非道ですね。非力な私が、荘炎魏を止められるわけがない。何をどうしたって、返り討ちにされるだけです」


 そう言いながら、手刀で自身の首を切る真似をしてみせる。

 毛翠は、ふんと鼻を鳴らした。

 

「それじゃあ、わしらに荘炎魏を止めろとでも言うのか? まさか、今更味方になるつもりではあるまいに」

「……そうですね。ただ、約束をした以上、私はそれを守りたい。この顔に泥を塗ってしまっては、まるで美しくない。ですから、せめて荘炎魏の奇襲のことを知らせようと思ったのです。約束を反故(ほご)にすることが避けられないならば、そのことを伝える。そうすれば、多少は私の面目も保たれるかと。己の力でどうにもならないのは情けない話ですが、これが私にできる精一杯なのです。どうか、ご容赦を」


 最後に慧牙は(うやうや)しく一礼し、話を締めくくった。


「どうにも胡散臭いな……」


 毛翠(もうすい)がつぶやく。

 楊鷹(ようおう)も同じ気持ちであった。


(この男……そこまで面子(めんつ)を気にするたまか?)


 慧牙(けいが)の言い分だけを鑑みれば、筋は通っている。そう、言い分だけならば。

 初めて慧牙と出会ったとき、彼は酒売りに化けて毒酒を飲ませようとしてきた。初っ端から、だまし討ちをしてきたのだ。面子だとか体裁だとか、そのようなものを重んじるのであれば、もっと正々堂々と挑んでくるはずだ。正々堂々を好むのならば、北汀村(ほくていそん)の人々を人質に取るような真似だってしないだろう。散々卑怯な手を使っておいて、どうして今更面子を気にするのだ。


 楊鷹の内で、ぐるぐると疑念が渦巻く。果たして、慧牙の言葉は真なのか。真面目な様子は、演技ではないのか。こんこんと迷いが湧き出てくる。迷いはまるで巨大な蛇のごとく、楊鷹をがんじがらめに締めあげる。だが、ただただ囚われていたところで、どうにもならない。頭を切るか、尾を切るか。すなわち、慧牙を話を信じるか否か、決断しなければ先へ進めない。


(一つ、試してみるか……)


 とにかく、何もしないことが一番の愚策である。楊鷹は意を決すると、つくえのそばまで進み出た。そして、毛翠を椅子の上に下ろす。その様子を、慧牙は粛々と見つめていた。彼は何をするでもなく、ただ静かに待っていた。

 楊鷹は、改めて慧牙と向き合う。


「その話が、本当か嘘かはさておき」


 そう言うやいなや、楊鷹は剣を抜き放つ。疾風が走り、翠色が閃く。またたく間もないほどの早業、翡翠の剣身はあっという間に、慧牙の首にぴたりと迫った。

 楊鷹は、静かな声で言った。


「問答無用で、お前を斬り刻んでしまうという手もある」


  神仙は不老不死。切り刻んだところで、死にはしない。だが、胴と足を切り離してしまえば、動けなくなるはずだ。以前、黎颫(りふ)がそうであったように。慧牙とて、そうはなりたくないだろう。

 剣呑とした空気が漂う。しかし、危機に晒されても、慧牙は動じなかった。刃に映る色白の横顔に変化はなく、その真剣な顔つきには恐怖も驚きもない。


「私を斬るというのなら、どうぞそのようになさってください。荘炎魏(そうえんぎ)を止められなかった罰として、謹んでお受けいたしましょう」


 そう答える声も揺るぎなく、凛としていた。

 楊鷹は、真っ直ぐ慧牙の目を見つめた。神仙の瞳は明々と、一心に楊鷹を見つめ返す。まるで、幼い子供のような、無垢(むく)な目であった。疑いなく親を頼る幼子と同じように、慧牙は信じている。その目に映す、人物のことを。

 本当のところどう思っているのかは、慧牙本人にしか分からない。だが、楊鷹にはそう、――純真な信頼を向けられていると――思えたのだ。


(なんで、そんな風に見つめるんだ……)


 笑みは消えても、結局のところ慧牙の真意は分からない。だが、この無垢な瞳が演技であるとは思えない。

 怪しさ満点の、不可解すぎる行動。それはむしろ、裏も何もないからなのではないのか。楊鷹の頭の中に、ふいにそんな考えが思い浮かぶ。あからさまな怪しさは、積み上げていた計略が崩れたゆえの不格好。つまり慧牙は、どういうわけか本気で、荘炎魏のことで困っているのではなかろうか。


 視線を交わすことしばらく。楊鷹は短く息を吐くと、そっと剣を引いた。


「……分かった。面子を守るために荘炎魏の襲撃を知らせにやって来た、というその話、すべて信じる」


 信には信を以て返す。揺るぎない清らかな双眸を前にして、楊鷹はそのように決めたのだった。

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