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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
113/131

戦いに向けて・五

 もぞもぞと、近くで何かがうごめいている。その気配で、楊鷹(ようおう)は目覚めた。暗がりの中、じっと目を凝らしてみれば、体を起こしている毛翠(もうすい)の姿が見えた。うごめいていたのは、彼のようだ。

 しかし、今や毛翠はぴくりとも動かない。深々と項垂れているため表情は読めないが、どうも普通ではない。

 もしや、具合が悪いのか。そうでなければ、何か異変に気がついたのだろうか。彼はすこぶる感覚が鋭い。


「どうした」


 楊鷹は、声を潜めて尋ねた。すると、あからさまに不機嫌な声が返ってくる。


「腹が減った……」


 危急の事態かと思いきや、なんてことはない。空腹に耐えきれなくなって、起きただけのようだ。毛翠らしいといえばそうであるが、楊鷹は呆れてしまった。


「めし、にく、めひ……」


 毛翠は、しきりにごにょごにょとつぶやいている。起きたものの、まだ夢心地なのだろう。呂律(ろれつ)が怪しい。しかし、体の方はすっかり()めているのか、腹は元気に鳴っていた。


 楊鷹は寝台から降りると、窓を細く開けた。ひんやりとした空気が、部屋の中に滑りこんでくる。空の端からあふれる金色の光が、夜闇を明るく染めていた。日の出はもうすぐだ。寝直すような時間ではない。寝直すにしても、このままでは毛翠がうるさくて眠れないだろう。空腹が続く間は、肉だの(めし)だのと言い続けるに違いない。

 少し早いが、赤子の腹を満たすためにも、起きてしまった方が良さそうだ。

 楊鷹は簡単に身なりを整えると、寝台のかたわらに置いてあった剣を手挟(たばさ)んだ。それから、「いくぞ」とぶっきらぼうに言ってから、毛翠を抱き上げる。


「外に出たら、しゃべるなよ」


 そう釘を刺したものの、赤子の返答はない。ひたすらぶつぶつと、何事かをつぶやいている。小さくため息をつきながら、楊鷹は部屋の外へ出た。

 しっとりとした冷気が、素肌にまつわりついてくる。辺りを見回してみれば、回廊や庭に人の姿はなく、ついに「さけ、さけ」と言い出した赤子の口も、ひとまず放っておいて良さそうだ。

 と、安堵したそのとき。


「んおっ?」


 突然、毛翠が()頓狂(とんきょう)な声を上げた。それから周囲へ頭をめぐらせて、ひくひくと鼻を動かしはじめる。飯の炊ける香りにでも、気がついたのだろうか。相変わらず、食い意地に従順な(さと)い鼻である。


「におうな……」


 毛翠が、嫌に渋い口調で言った。飯の香りに気づいたのなら声を弾ませそうなものだが、これいかに。

 楊鷹は、眉をひそめた。


「何がにおうんだ?」

「……神仙のにおいがする」

「なんだって?」


 思わぬ答えに、楊鷹はますます眉間にしわを寄せる。


「それは本当に神仙……」


 言いかけて、楊鷹は口をつぐんだ。回廊の奥の方に、人影が見えた。屋敷の下男だ。事情を知らない人間の前で赤子をしゃべらせるのは、よろしくない。毛翠も気づいたのか、唇を引き結んだ。

 下男は楊鷹を認めると、「あ」と声を上げて足を速めた。そうして、一直線に楊鷹の方へ向かってくる。何やら用事があるようだ。


「起きていらっしゃったなら、丁度よかった。実は貴方に会いたいと、今、人が訪ねてきまして」


 下男は足を止めると、開口一番そう言った。

 はたまた、楊鷹は眉をひそめる羽目になる。まったくもって、不可解な用件であった。


(俺に会いたい? 一体誰だ?)


 考えて、まず思い当たるのは超慈(ちょうじ)である。確かに、彼には昨夜、またこの里正(りせい)の屋敷に来るように伝えた。一旦屋敷に来てもらってから、一緒に開心林(かいしんりん)に行く手はずになっているのだ。しかし、あまりにも早すぎる。それに、下男は超慈と面識があるだろうから、超慈であればそう言うはずだ。

「神仙」という、毛翠の先ほどの言葉を思い出す。ふいに、ある人物の姿が、楊鷹の頭の中に浮かんだ。その人物の容貌を、そのまま口に出してみる。


「……それは、若い男ですか? 赤みがかった茶色い髪の、文人のような恰好をした」

「そう、そうです! たぶん、その人です」


 ぱっと目を見開きながら、下男は声を弾ませる。


「人の()さそうな方で、確かお名前は慧牙(けいが)と、そう名乗られました」


 予想は見事に的中した。だが、それはまったくの偶然だ。特段心当たりがあったわけではない。


(一体、なんの用だ?)


 慧牙(けいが)自身が提示した期日、新月の日は明日のはず。彼との約束は、何も破っていない。それなのに、どうして訪ねてきたのか。しかも、こんな朝早くに。そもそも、どうして盧西村ろせいそんにいることを知っているのだ。

 まったくもって、訳が分からない。分からないからこそ、不気味だ。楊鷹(ようおう)は、周囲の空気が一層冷たくなったように感じた。それなのに、背中にはじっとりと嫌な汗がにじむ。

 楊鷹の戸惑いを感じ取ったのか、下男は言葉を継いだ。


「どうやら、貴方に大事なお話があるとのことです。お心当たり、ありませんか?」

「大事な話……」


 そう言われても、やはり思い当たるふしはない。

 楊鷹は、毛翠(もうすい)をちらりと見た。しかしながら、彼も困惑した様子で、小さく首を振る。毛翠も、慧牙がやって来た理由について、分からないようだ。

 前触れのない、突然の来訪。とはいえ、近くまでやって来たからふらりと立ち寄った、などというわけではあるまい。そのような気の置けない友人とは真逆の相手、しかも知恵を以てして斬りつけてくる手合いだ。何か裏があるに違いない。これは訪問ではなく、奇襲だ。


(のこのこと出ていくのは、まずいだろうな……)


 大事な話、と言われたものの、あまりにもきな臭い。いっそ、下男に追い返すように頼んでしまった方が、良いかもしれない。(やぶ)をつつかなければ、蛇は出てこない。一目も会わなければ、つけ入れられるような隙を与えることもないはずだ。

 そう考えた楊鷹であったが、しかし踏ん切りがつかない。


(本当に、追い返してしまっていいのか?)


 突然、敵が知人のように訪ねてきたとなったら、どうしたって怪しむ。その怪しさを、慧牙が自覚していないとは思えない。つまり、慧牙は断られることを見越しているのではなかろうか。追い返して当然の場面、その当然が起こることを予想し、そのうえで何か罠を仕掛けている、という可能性はあるまいか。


 果たして、どう動くのが最善なのか。裏がある、と確信している楊鷹であったが、その裏の正体はまったく読めない。考えれば考えるほど、迷いは深まる一方だ。なんとも上手い奇襲である。

 楊鷹が返答に(きゅう)していると、下男が言った。


「ひとまず、客室に案内してお待ちいただいているのですが、どういたしましょう?」

「すでに屋敷に上げたのですか?」


 思わず、楊鷹は尋ねた。驚きのあまり、つい声が大きくなってしまった。門前にでも待たせているのかと思っていたが、まさかすでに屋敷の中にいるとは。

 下男は眉尻を下げ、ばつの悪そうな表情を浮かべた。


「その、とても人の()さそうな方でしたし、今朝は少し寒いので外でお待ちいただくのも申し訳なく思いまして。それで、旦那様に確認したら、中でお待ちいただくようにと、そう言われたもので……。上げるのは、都合が悪かったでしょうか?」


 恐る恐るといった調子で、下男は尋ねる。

 楊鷹は「いえ」と、首を振った。本音を言えば上げてほしくなかったが、彼らを責めることはできなかった。

 楊鷹は、里正(りせい)をはじめとした屋敷の人々に、己の抱える事情をあまり詳しく話していない。神仙に関する諸々の出来事も、伝えていないのだった。

 知らないのであれば、慧牙を屋敷に迎え入れてしまっても仕方がない。むしろ、命の恩人の客人だからと、丁重に扱ってくれたのだろう。

 それに、慧牙の外面(そとづら)の良さは、天下一品。にこやかなうえ、高貴な雰囲気をまとっている。まさか、焦げた人頭を(まり)のように扱う輩だとは、そうそう思うまい。丁重に扱わねばならない貴人であると、錯覚してしまってもおかしくはない。


 何はともあれ、あまり悠長に考えている時間はなさそうだ。こうして待たせている間に何かされては、厄介どころの話ではない。

 慧牙はすでに、屋敷に迎え入れられた。客として、もてなされている。それならば、と楊鷹は腹をくくった。


「分かりました。すぐに客室に向かいます」


 奇襲といえど、奴は正面から乗りこんできた。ならば、同じく正面から受けて立とうではないか。

 楊鷹は、腰に手挟(たばさ)んだ剣にそっと触れた。

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