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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
111/131

戦いに向けて・三

 楊鷹(ようおう)が宮中で働き始めて、三月(みつき)ほど過ぎた頃。王嘉(おうか)に誘われ、彼と手合わせすることになった。禁軍内では名を知らぬ者はいない、弓のみならず武芸十八般に優れる王嘉。対するは奇異な見た目の新人武官。その対決は、多くの人間の興味を引いたらしい。手合わせの当日、どこで話を聞きつけたのか、練兵場には見物人がわんさかと集まった。

 楊鷹は剣を、王嘉は槍を手に、勝負は始まった。お互い得意の武器を選んだとはいえ、間合いの広い槍に剣で対抗するのは、自ら火中に飛び込むようなもの。あまりにも不利である。しかし、それでも楊鷹は器用に立ち回り、長々と打ち合った末に勝利をもぎ取った。

 楊鷹の勝ち。だが、それで終わりではなかった。勝負を終えた後、楊鷹の方から王嘉に、「もう一度、今度は弓で勝負をしましょう」と持ちかけたのだ。


 弓での勝負、その内容は(まと)当てだった。三十()(歩は長さの単位。三十歩は50mほど)離れたところから十発矢を放って、より多く的に当てた方が勝者という、なんとも単純明快な勝負であった。結果は、楊鷹の負けだった。弓はあまり得意ではない楊鷹であったが、それでも八発当てることができた。しかし、王嘉はそれを上回り、十発すべてを的に当てたのだった。

 こうして、勝負の結果は、お互いに一勝一敗。つまり、引き分けとなったのだった。


 楊鷹は、ふと馬小屋を見た。馬はみんな出はらっており――銭秀(せんしゅう)たちが乗っていったのだ――、小屋は空っぽだ。馬房にはそれぞれ(わら)が敷いてある。

 王嘉と弓で勝負をしたとき、藁を人の形に束ねたものを的にしたことを思い出す。

 楊鷹は苦笑した。


「あれが借りだなんて、大袈裟(おおげさ)ですよ」


 弓での勝負を申し出たのは、王嘉の顔を立てるため。確かにそのような気持ちもあった。自分は異様な風貌の新参者。そんな己が、名の知れ渡った誉れ高い人物を負かし、彼を敗者として衆目に(さら)してしまうのは、どうにもばつが悪かった。だがそれ以上に、王嘉との勝負があまりにも楽しくて、もっとやりたくなってしまったのだ。弓術での勝負を持ちかけたのは、弓の名手である王嘉の、その神業じみた腕前にどこまで迫れるのか、純粋に挑戦してみたいと思ったから。そうして浮かれた結果、見事に惨敗したのだが。決して手を抜いたつもりはない。全力で挑んだがゆえに、八発命中させることができた。外したのはたったの二発。決して悪い成果ではない。むしろ上々だろう。だが、それすらも児戯(じぎ)に思えてしまうほど、王嘉の弓は凄まじかった。彼の放った矢はすべて、藁人形の頭を射抜いた。最後の一発に至っては、すでに的に突き刺さっていた矢の(とま)(矢の端、矢弦に引っ掛けるところ)に当ててみせたのだ。格が違いすぎた。

 楊鷹は王嘉へと視線を戻し、言った。


「一戦で終わりにしなかったのは、王嘉殿ともっと勝負をしてみたくなったからです。言ってしまえば、あれは俺のわがままです」

「そうだとしても、れっきとした借りだよ。結果として、私の面目が保たれたことは変わらない。それに、君は私に勝利しても、まったく(おご)ることがなかった。人よりも、遙かに優れた力を持っているというのに。君のその心根に、こちらも心が洗われたような気持ちになったよ。君もよく知っているだろうが、宮中には厭味(いやみ)ったらしい者が少なくなかったからね」

「それはまぁ、そうかもしれませんが……」


 楊鷹は指先で頬をかく。なんだか、照れ臭くなってきた。


「私は君に借りがある。だから、気兼ねする必要はない」


 そう言うと、王嘉は笑みを潜めて真剣な表情になった。

 楊鷹は、はっと息を呑む。すぐさま表情を引き締め、凛とした眼差しを真正面から受け止めた。

 王嘉が言った。


「君は、私は神仙と直に戦わない方がいいと言ったね。だが、いかに恐ろしい相手であっても、刃を交える覚悟はできている。この命は君に預けた。だから、己のものだと思って好きに使ってほしい」


 あまりにもまばゆい言葉であった。

 また、楊鷹の胸に熱いものがほとばしる。その燦然(さんぜん)とした熱は胸からあふれ、全身を駆け巡る。まるで、血が湧きたつようだ。

 感極まった楊鷹は、返す言葉を失った。呆然と王嘉を見つめる。

 借りというにはあまりにもささやかな出来事だが、それでも筋を通そうとするその気風の好さ。いや、あえて「借り」だと言ってくれているのかもしれない。こちらは返すべきものを返しているだけ。だから、差し伸べた救援の手を、重たく感じる必要はないのだと、気遣ってくれている。どちらにせよ、気風が好いことには変わらない。


(ああ、でも王嘉殿は初めからそうだった……)


 王嘉の優れた男ぶりは、今に限ったものではなかった。楊鷹は、「手合わせがしたい」と、王嘉に声をかけられたときのことを思い返す。

 王嘉は爽やかに笑いながら「君と手合わせがしたいのだが、お相手願えるだろうか」と、申し出たのだ。あのときの笑顔を、今でもはっきりと覚えている。こんな風に笑いながら声をかけてくれる人間が宮中にいるのかと、驚いたことも。

 灰色の髪に緑の目という、(りん)国では見ない風貌の新人武官を、王嘉はまったく(いと)わなかった。

 緑の瞳に涙がにじむ。楊鷹は改めて礼を捧げ、濡れる目元を隠した。それから、ようやっと声をしぼり出す。


「……分かりました。好きに使わせていただきます」

「ああ、そうしてくれ」


 答える王嘉の声は、初めて手合わせに誘ってくれたときとなんら変わらず、どこまでも清々しかった。



 それから昼時まで、楊鷹(ようおう)王嘉(おうか)はひたすら打ち合った。時おり休息を取りながら、手合わせすること全部で十回。回数を重ねる度に、王嘉は楊鷹の動きに慣れていったのだろう。彼は、尻上がりに調子を上げていった。結果、楊鷹が五勝、王嘉も五勝ということで、二人の実力はまさしく五分五分、引き分けと相成った。


 その後、二人は手合わせを切り上げ、近くの山野まで狩りに出かけた。王嘉曰く、「弓の腕を鈍らせるわけにはいかない」とのこと。そこで、次はすばしこい動物たちに、勝負を挑むことにしたのだった。結果は、王嘉と楊鷹の勝利と言っていいだろう。否、楊鷹はおまけだった。実際は王嘉の一人勝ち、ほとんどの獲物を彼一人で仕留めた。空を飛んでいる(かり)を射落としたり、逃げる(うさぎ)を一撃で射止めたり。さらには、「これはちょっとした遊びだ」と言って、高い梢からはらはらと落ちてきた木の葉を射抜いたり。やはり、王嘉の弓の腕は神がかっていた。


 日暮れ頃に里正(りせい)の屋敷に戻ると、ちょうど銭秀(せんしゅう)たちが帰ってきたところだった。銭秀は喜色満面、手下たちも笑顔を湛え、いつも不機嫌そうな超慈(ちょうじ)強面(こわもて)にすら、薄っすらと笑みが浮かぶ。どうやら、彼らの成果もまた上々のようだった。

 一同揃って夕食を済ませると、くつろぐ間もなく決戦に備えて策を話し合った。

 銭秀たちは、事件現場を(あらた)めに来た役人の振りをして、開心林(かいしんりん)に忍びこんだらしい。そうして街の内外を、隅々まで調べてきてくれた。その下調べの内容をもとに、皆で考えを巡らせ、策を練る。話し合いの結果、荘炎魏(そうえんぎ)をおびき出す場所は、開心林で一番栄えていたという妓楼(ぎろう)、そこの庭園にある池となった。次いで、どうやってそこまで荘炎魏をおびき出すか、その手順をつまびらかに決める。


 話し合いは、夜分遅くまで続いた。渾々(こんこん)と意見を交わし、作戦を詰めてゆく。そして、明日、楊鷹と王嘉が(くだん)の妓楼まで下見に行く、となったところでお開きとなった。

 楊鷹は書室を出ると、皆と別れて主屋の方へ足を向けた。楊鷹以外の面々は、屋敷の南側にある客室で寝起きをしている。だが、その客室だけではまかないきれないため、楊鷹は主屋の脇に位置する部屋を使わせてもらっていた。


(これなら、いける)


 手ごたえを感じながら、楊鷹は回廊を進む。

 朧気だった作戦は、はっきりと形になってきた。それに何より、己を含め誰一人として恐れていない。相手は、街一つ滅ぼした神仙。それでも皆、打ち()つつもりで一心になっている。

 楊鷹の体がぶるりと震えた。もちろん、恐怖を感じたのではない。武者震いだ。

 屋敷の明かりは、すっかり落ちていた。辺りには闇が満ち、冷たい夜気が肌にまとわりついてくる。しかし、高揚している心には、その静けさと冷たさが心地よかった。


 部屋に着くと、楊鷹はそっと扉を開けた。扉の隙間から細い光がこぼれ、ほのかに闇を和らげる。部屋の灯燭(とうしょく)は、まだ消えていなかった。未だ絶えない灯火に照らされているのは、月蓉(げつよう)の後ろ姿。彼女は寝台のそばの椅子に座り、じっとうつむいていた。眠っているのだろうか。


「月蓉」


 楊鷹は声を潜めて呼びかける。すると、月蓉はぱっと振り向いた。彼女の眼はぱっちりとしており、眠っていたとは思えない。

 後ろ手に扉を閉めると、楊鷹は月蓉に近づいた。


毛翠(もうすい)の世話ばかりさせてしまって、すまないな」

「ああ……いえ、とんでもないです。毛翠さん、お疲れだったようで、すっかり眠ってしまいました」


 言いながら、月蓉は寝台を見やる。

 楊鷹も寝台を覗きこむ。赤子――毛翠が眠っていた。

 当初、毛翠も話し合いに参加していた。だが、疲れが残っていたのか、彼は途中から船をこぎ出した。当人は「眠くない。大丈夫だ」と言い張ったが、言葉とは裏腹に今にもくっつきそうなほどまぶたが落ちていたので、先に引き上げてもらったのだ。とはいえ、一人で部屋まで戻れる状態ではなかった――そもそも、里正や屋敷の使用人に、赤子が一人で徘徊しているところを見られるのはよろしくない――ので、月蓉に毛翠のことを任せたのだった。


 それはともかく、なんと幼気(いたいけ)な寝姿であろうか。ほんのりと赤らんだまろやかな頬、長いまつげ、小さな手足。なんの心配事もないような無垢(むく)な表情で、すうすうと穏やかな寝息を立てている。

 しかし、楊鷹はその愛らしい姿を、素直に受け止められない。それどころか、だんだんと鼻についてきた。

 一体全体、どうしてこんなことになっているのか。その元凶は、一体誰なのか。これを仕事と思うには、重すぎる。割り切ろうと決めたのに割り切れない、宙ぶらりんになった気持ちがぐらぐらと揺れる。


「……まったく、よくこんな幸せそうな顔で眠れるな」


 揺れる気持ちの一端が、ついぽろりと零れ落ちてしまった。


(いや、今更後悔したって、どうにもならない)


 楊鷹は、すぐさま思い直す。それから、小さく息を吐いて気を取り直すと、月蓉へと振り向いた。

 振り向いて目を見張る。月蓉が、ひどく張り詰めた表情をしていたのだ。「どうした」と声をかけようとしたが、それよりも先に月蓉が口を開いた。

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