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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
110/131

戦いに向けて・二

 十歩の距離が、あっという間に縮まる。次の瞬間、まるで稲光が(ほとばし)るように二本の剣が閃いた。

 剣身と剣身がぶつかり合い、甲高い音が鳴る。がっちりと(まじ)わった刃越しに、楊鷹(ようおう)王嘉(おうか)は視線を()わす。

 鋭い眼差しを受け止めながら、楊鷹は笑みをこぼした。この一手で、王嘉の腕がまったく(にぶ)っていないことを悟ったのだ。そして、おそらく王嘉も同じ。彼もまた、嬉しそうに笑っていた。


 楊鷹はぐっと力をこめた。

 途端、王嘉はさっと剣を引いて飛び退る。力では敵わないと、判断したのだろう。その決断の速さ、さすがである。おそらく彼は、自身がどのように立ち回ればよいか、わきまえている。

 逃げる王嘉を、楊鷹はすかさず追いかけた。相手が次の動きに移るよりも先に、突きを繰り出す。機先を制する、風のような素早い一撃。

 だが、王嘉も速い。彼はさっと剣を振るい、楊鷹の突きを払いのけた。そして、すぐさま刃を返す。

 楊鷹には、そのきらめく切っ先が、やけにくっきりと見えた。反撃が来ると悟った楊鷹は、すかさず飛び退く。同時に、柄から手をすべらせて長穂(ちょうすい)に持ち替えた。


 案の定、王嘉の突きが飛んでくる。一瞬でも避けるのが遅れていたら、眉間を貫いていただろう。肝の冷える、容赦ない一突きだった。

 しかし、楊鷹の心は凪いだまま、しんと澄み渡っていた。怯むことなく、楊鷹は半歩前に出ると、素早く長穂を振るった。刃は大きく弧を描きながら、鋭く空を切り裂く。王嘉には当たらない。当たらなくて構わない。今の一振りは牽制、追撃を抑えるためのものだ。

 その狙いどおり、王嘉は間合いを詰めるどころか、逆に後退していた。遠くからの剣の動きを、警戒してのことだろう。

 楊鷹は振り切った剣を引き戻し、ぱっと柄に持ち替えると、一足飛びに踏み込んだ。瞬く間に間合いを縮めて、今度は近いところから斬りつける。

 今度の一撃は牽制でもなんでもない。だが、またもや剣は空を切る。

 遠くからと思わせておいて、急に近づく。意表を突く攻撃であったはずだが、王嘉は軽々とかわしてみせたのだった。


 それから、楊鷹は果敢に攻め立てた。遠間から近間から、突いては払い、切り下ろしては切り上げる。変幻自在に、風は舞う。

 しかし、四方八方からどれだけ吹きつけても、王嘉はまったく動じない。かわしたり、弾いたり、()らせたり、と彼は己に向かってくる刃を、次々と防いでしまうのだ。

 すでに楊鷹の攻め手を見切っているかのようだ。楊鷹の動きの癖を思い出せるように努めよう、と言っていた王嘉だが、思い出すまでもないのではなかろうか。

 剣を振るいながら、楊鷹はしみじみと思う。


(やっぱり、王嘉殿は強い)


 (なま)っていると思っていた体だが、いざ動き始めてみればそれほどでもない。予想以上に滑らかに動く。己が弱くなっているわけではない。ならば、ただただ相手が優れているのだ。

 腕力や速さは、半人半仙である楊鷹の方が勝っている。だが、とにもかくにも王嘉は眼が良い。彼は常に楊鷹を視界に捉え、その動きのすべてに目を配っている。剣筋はもちろん、足さばきや視線までも読みとったうえで、的確に動く。そして当然、その優れた眼は、隙を見逃さない。楊鷹が少しでも動きを乱すと、その瞬間、王嘉は仕留めにくる。他にも――例えば、決して冷静さを欠かない、強靭な精神力など――、要因はあるだろうが、それよりも何よりもこの眼の良さが、王嘉の強さの由縁であろう。


 楊鷹と王嘉、二人はひたすらに剣を交える。二つの銀の刃は滑らかに舞い踊り、時おりぶつかり合っては澄んだ音を響かせた。


 そうして打ち合うこと、百合(ひゃくごう)ほど。さすがに疲れが見えてくる頃合いか。

 しかし、楊鷹の勢いは、一切衰えていなかった。汗ばんではいるものの、足さばきも剣さばきも、活き活きとしている。

 対する王嘉も、機敏に動き続けている。だが、彼の眉間にはうっすらとしわが寄っていた。そして、時おり唇が歪み、吐息がもれる。

 楊鷹とて、戦いにおける眼が悪いわけではない。そのわずかな相手の変調に、目敏(めざと)く気づいていた。


 果たして何度目の攻防となるのか。楊鷹は突きを繰り出すも、すかさず王嘉は下から切り上げ、その切っ先を弾く。弾かれて後ろに流れた刃の動きに逆らうことなく、楊鷹は一歩下がって間を取ると、すくい上げるように大きく長穂を払った。昇り龍もかくやという勢いで、金色の長穂が跳ねあがる。そのまばゆい軌跡を追いかけて、王嘉の視線が上方に逸れた。

 ささやかながらも、それは確かに隙であった。

 楊鷹は上体を低くしながら、斜めに踏みこむ。視線を返した王嘉が、はっと目を見開く。気がついたようだが、遅い。

 楊鷹は剣を薙いだ。疾風が(うな)りをあげて(はし)る。


 次の瞬間、突然時が止まった。そう錯覚してしまうほど、楊鷹と王嘉はぴたりと動きを止めた。二人は固まったまま、じっとにらみ合う。

 互いの視線を隔てるように横たわるのは、楊鷹が繰り出した剣。その剣身は、王嘉の胴にひしと寄り添っていた。まさに、間髪を入れず、といった有様。刃と体の間には、これっぽっちも隙間がない。

 楊鷹は、自ら作り出した好機を逃すことなく、物にしたのだ。


「……してやられたな」


 (うめ)くように、王嘉(おうか)が言った。しかし、声音とは裏腹に、彼は笑っていた。その柔和な笑顔が、張り詰めていた緊張の糸をぷつりと断ち切る。負けたわりに、彼はどこか嬉しそうだ。

 楊鷹(ようおう)の表情も、ゆるりと和む。烈風は一転、うらうらとしたそよ風へ。やんわりと微笑みながら、楊鷹は剣を引き下げた。


「今回は、俺の勝ちですね」

「ああ……私の負けだ」


 息を弾ませながら、王嘉はとぎれとぎれに答える。それから、彼はおもむろに剣を下ろすと、額の汗を手でぬぐった。

 戦いの終盤、王嘉は少々顔をしかめていた。それはおそらく、疲れから来るものだったのだろう。とはいえ彼のその変調は、針穴ほどの本当に些細なものだった。その小さな針穴に、楊鷹は見事糸を通してみせたわけだが、とはいえ王嘉がこんなに息を切らすほど疲れているとは思っていなかった。

 疲労を悟られないよう、彼は自らを制していたのだ。さすが、王嘉である。

 楊鷹は、改めて舌を巻く。最早、惚れ惚れしてしまう。久しぶりだからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。つい、まじまじと王嘉を見つめてしまった。


「……私の顔に、何か、ついているかい?」


 未だに息切れは収まっていないが、柔らかな笑みは崩れない。

 楊鷹はかぶりを振った。


「いえ、そうではなく、本当に王嘉殿はお強いと思ったんです」

「君こそ、これで(なま)っているとは、相変わらず恐ろしいな」

「始まってみれば、思った以上に動けました。ですから、先程の一戦は全力のときとあまり変わりませんでした」

「そうか……。とはいえ、やはり私はまだまだ未熟だな。相変わらず、長引くとついていけなくなる」


 王嘉の言葉は謙遜だ。

 動きのキレや速さも然ることながら、楊鷹は常人よりも遥かに優れた体力がある。そのため、人間相手であれば、手数が(かさ)めば嵩むほど優位に立てる。しかし、だからと言って、王嘉に対して常勝と言うわけではないのだ。

 楊鷹は、苦笑した。


「むしろ俺は、短いと負けます」


 長引くとついていけなくなる。つまりそれは、長引かなければその限りではない、ということだ。

 過去の王嘉との手合わせを振り返ってみれば。敗北を(きっ)したことは、一度のみならず何度もあった。そのすべてにおいて、初手から大胆に攻め込まれ、その勢いのまま押し切られたのだった。

 王嘉は呼吸を整えると、いたずらっぽく言った。


「ならば、次は思い切って攻めてみようか。そうして君がどう出るか、試してみよう」

「そうしてください」


 楊鷹は快く頷いた。これはまた、次の一戦が楽しみだ。無性にわくわくと心が躍る。

 王嘉が、ますます目を細める。


「……まさか、またこんな風に君と剣を交えることができるとは、思っていなかったよ」


 しみじみと、王嘉は言った。ぬくもりのある、とても優しい声だった。


 楊鷹は、菁雲村(せいうんそん)で王嘉と別れたときのことを思い出す。

 あのとき、これが王嘉との今生の別れになるとは露とも思っていなかったが、冷静になって考えてみれば、そうなったとしてもまったくおかしくない状況だった。罪人に仕立て上げられ、さらには神仙という人知を超えた存在に追いかけられるという身の上である。日の当たるところには出られない。諸々のほとぼりが冷めるまでは、陰に隠れながらどうにかこうにか生き永らえるしかない。当然、まともな暮らし――例えば、気心の知れた友人の家を訪ねるということなど――は、できない。なんとしてでも生き延びてやる、という強い決意が必要なほど、己の運命は暗色に浸っていた。そして、それは今も変わらない。


 また、こうして手合わせができるとは思っていなかった。

 王嘉の言葉を胸の内で反芻(はんすう)すれば、じんと胸に熱いものがこみあげてくる。彼の言葉通り、今こうして王嘉と共にあることが、とんでもない奇跡であるように思えてくる。冥々とした運命の中にあるというのに、それでも彼は颯爽と駆けつけてくれた。その心意気のおかげで、今がある。

 楊鷹は剣の切っ先を地面に向けると、王嘉に対して一礼した。


「こうして手合わせができること、心より感謝します。……この度のご助力、本当にありがとうございます」

「そんなに、何度も頭を下げないでくれ。困ったときは頼ってくれと言った手前、無下にはできないさ。何より、私は君に借りがあるからね」

「借り、ですか?」


 楊鷹は、ぱちくりと目を瞬いた。はてさて、一体いつどこで、彼に貸しを作っただろうか。

 楊鷹が考えていると、王嘉は「ほら」と口を開いた。


「君と初めて手合わせしたときのことだ。私の顔を立ててくれただろう」

「ああ、そのときのことですか」


 言われて、楊鷹はすぐさま思い至った。

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