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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
106/131

頼れる仲間・四

 そうして待つことしばらく。月蓉(げつよう)が持ってきてくれた食事は、絹の寝具に負けず劣らず、かなり立派なものだった。黄菊の花弁を散らした(かゆ)は、見た目のみならず味も上等。ほのかな塩味が、寝起きの体に優しく染みた。その粥だけでも十分だったが、蒸した(とり)に青菜を煮たものまでついていた。


 月蓉が言うには、この豪華な食事は里正(りせい)が仕立て上げたものとのこと。

 楊鷹(ようおう)が目覚めたので少し食べるものが欲しい旨を里正に伝えたところ、彼は下男に、(にわとり)を一羽しめろ、野菜は柔らかく煮るように、などとあれこれ指示を出し、あっという間にこの食事を整えてしまったらしい。

 思った以上に豪華な食事が出てきたため、月蓉は恐縮してしまったのだが、当の里正は「楊鷹殿は命の恩人なのだから、このくらい当然のことだ」と朗らかに笑っていたらしい。

 

 蒸した(とり)を箸で割りながら、楊鷹はつぶやくように言った。


「恩人、と言われても、そんな大それたことをした覚えはないな……」


 第一、盧西村(ろせいそん)の里正とは面識がないはずだ。


「でも、楊兄さんは里正さんにとって間違いなく恩人のようなんです。そもそも、こうしてお屋敷にとどめてもらっているのも、楊兄さんおかげなんです」

「そうなのか?」


 楊鷹が尋ねれば、月蓉は「そうです」と頷いた。


「楊兄さんが倒れた後、北汀村(ほくていそん)にいるのは危険だと思ったので、私たちは盧西村に移動しました」


 楊鷹は、はたと箸を止めた。

 月蓉はさらりと流すような口ぶりだったが、果たしてそう簡単に北汀村から出られたのだろうか。北汀村の人々からしてみれば、己は囚人。そう易々と逃がすわけがない。

 思わず、口をはさむ。


「北汀村の人々は、村から出ていくことをすんなり認めてくれたのか?」


 案の定と言うべきか、月蓉は眉間をすぼめ、辛そうな表情を浮かべた。

 楊鷹の胸の内に、まさか、という嫌な予感がよぎる。


()めたのか?」


 月蓉は、ゆるゆると首を横に振った。


「いえ、揉めませんでした。()おばさんが毒を盛った以上、村の人たちもさすがに気が(とが)めたのか、私たちを止めることはありませんでした」

「そうか。それなら良かった」


 楊鷹は、ほっと安堵の吐息をもらす。

 月蓉も小さく息を吐く。同時に、彼女の眉間のしわも和らいだ。


「話の腰を折って、すまなかった。北汀村を出てから、どうなったんだ?」


 楊鷹が促すと、月蓉は改めて口を開く。


「盧西村に向かう道中で、たまたま里正さんに出会ったんです。里正さんはぐったりした楊兄さんに気がつくと血相を変えました。それで、『この方は私の命を救ってくれた恩人です。私の家には薬もそろっております。手当をいたしますから、ぜひ来てください』とおっしゃって、私たちをお屋敷に招いてくださったんです」

「そういう成り行きがあったのか」


 黙々と切り分けた(とり)を食べながら、楊鷹は考える。

 里正が抱く恩義は相当なもののようだが、一体全体、いつの間に彼の恩人になったのだろうか。まったくもってぴんとこないまま、最後の一切れを飲みこむ。

 慣れた手つきで、月蓉が茶を入れる。若草を思わせる爽やかな香りが、ふんわりと立ち上った。


「なんでも、開心林(かいしんりん)が怪物に襲われたときに助けてもらったと、里正さんはそうおっしゃっていましたが、何か覚えていますか?」


 茶を差し出しながら、月蓉が問いかける。そこでようやく、楊鷹は思い当たった。

 開心林が襲撃されたあの夜。烈熾狼(れっしろう)に狙われた男を助けた。戦いの最中に起こった、ほんの少しの間の出来事ゆえ、男の顔も背恰好もよく覚えていない。壮年の男だったような印象があるが、記憶に残っているのはその程度だ。とはいえ、まさかその男が里正という立場の者だったとは。


「確かに一人、危ういところを助けたな……。そうか、あの時の……。無事に逃げ延びていたのか」


 そう言いながら、縁とは不思議なものだとしみじみと思う。あの時の情けが、巡り巡ってこうして帰ってくるとは、世の中とは分からないものである。


 それから茶を飲み終え、すっかり食事を終えた頃、見計らったかのように(くだん)の里正がやって来た。

 楊鷹の無事を見ると、彼は安心したようで、改めて「開心林ではありがとうございました」と礼を述べた。なんでもあの時、里正は喬徳(きょうとく)が開いた酒席に嫌々参加していたらしい。ゆえに、烈熾狼と目が合ったその時、心の底から後悔した。「やはり、来なければよかった」と。痛恨極まりない死を迎えようとしたその刹那、彗星(すいせい)のごとく現れ、怪物を切り払った楊鷹。里正はその姿を今でも鮮明に覚えており、まるで天から武神が舞い降りてきたように思ったのだとか。

 だからこそ、これほどにも(ねんご)ろなもてなし。最後に里正はこう言った。


「仲間の皆さんも含めて、好きなだけ滞在してください」


 まったくもって、義理堅い男である。加えて世話好きなのか、その後里正は手足を洗うための湯やら、着替えの着物まで持ってきてくれて、本当に至れり尽くせりであった。

 これにはむしろ、楊鷹の方が感謝するばかり。その優しさが殊更胸に染みて、少々涙ぐんでしまうほどだった。


※※※


 楊鷹(ようおう)にとって書室とは、いたるところに書物や巻物が積み上がっている部屋、である。ときには、散らかった書物や紙束の合間に、筆が転がっていることもある。そのような奔放な部屋を思い浮かべてしまうのは、楊鷹の学び() であった月氏(げつし)の書室がそうであったからに他ならない。

 そのため、眼前に広がる部屋の光景に、心底驚いてしまった。書室であるにも関わらず、整然としていたのだ。

 書物も巻物も壁際の棚にすべて収まり、床に転がるものは一つもない。部屋の中央にあるつくえには、硯箱(すずりばこ)が置いてある。筆や(すずり)は、みなこの箱にきっちりとしまわれているようだ。書棚とは反対側の壁際には椅子が四脚、列を乱すことなく真っ直ぐ並んでいる。

 この整いよう、もはや美しくて惚れ惚れとしてしまう。


 身支度を整えた後、仲間たちと話がしたいから何処(どこ)か場所を貸してくれと、楊鷹は里正(りせい)に頼んだ。王嘉(おうか)だけでなく銭秀(せんしゅう)たち蒼香山(そうきょうざん)の面々もいるとなると、寝室では少々狭いように思えたのだ。

 楊鷹の頼みを、里正は相変わらず快く飲むと、この書室を使うよう、自ら案内してくれたのだった。


「 ……きれいな書室だな」

「本当に……。父さんの部屋とは大違いです」


 楊鷹がぽつりとつぶやけば、かたわらの月蓉(げつよう)も吐息混じりに頷いた。感心している様子だが、彼女も楊鷹と同じことを思っているらしい。

 優しくそよ風が吹くように、ふわりと懐かしい気持ちがわきあがる。ふっと、楊鷹の頬が緩む。


「硯箱を開けたら、靴が片方だけ入っていたことがあったな」

「確か、右足の方でしたよね。父さん、集中しすぎると、ときどき変なことをしてしまう人だったから」


 確か、硯箱に靴、のときは「本を読んでいたら履物を履いているのが窮屈に思えてきて、脱いで箱に仕舞ったんだった」というのが、月氏の言い分であった。そうだとしても、何故右側の靴だけを硯箱に入れたのか。月氏が故人となってしまった今、その真相は永遠の謎となってしまったのだか、それはさておき。


「懐かしいですね」


 月蓉は楊鷹を見つめ、柔らかく笑う。

「そうだな」と返しながら、 楊鷹も月蓉に笑みを向ける。

 そうして、微笑み合うこと、ほんの一拍。突然、月蓉は笑顔を引っ込め、真顔になった。


「お、思い出話をしている場合じゃなかったですね。私、王嘉さんや銭秀さんたちを呼んで来ます!」


 楊鷹も、はっと我に返る。


「月蓉、超慈(ちょうじ)も呼んできてくれるか? 彼にも……頼みたいことがある」

「分かりました。すぐに呼んできますから、楊兄さんはこちらで待っていてください」


 いそいそと、月蓉が書室から出てゆく。

 一人になった楊鷹は、整った室内を改めてを見渡した。

 つくえの奥の壁に、書軸が飾られている。書かれているのは、『豁然開朗(かつぜんかいろう)』の四字。

 豁然開朗、すなわち、目の前が明るく広がっているということ。

 その言葉の通り、窓からは、はつらつとした朝日が差しこんできていた。しつこい雨雲は、ようやっと過ぎ去ったようである。

 そして、生き埋めにでもされていたかのような、暗澹(あんたん) とした日々も終わった。

 光を浴びながら、楊鷹は深呼吸をした。なんとも清々しい気分である。

 敵は生半可な相手ではない。そう簡単には勝てないだろう。だが、眼前は開けた。未だ遠くだが、希望の光は確かに見える。ならば、それに向かって邁進するのみ。

 楊鷹は、ぐっと顔を上げた。そのとき、書室の扉が開いた。


「楊鷹、無事か! 良かった、本当に良かった!」


 早速、甲高い子供の声が弾ける。やって来たのは、王嘉と彼に抱かれる毛翠(もうすい)であった。

 父と子の感動の再開、とは相成らず。楊鷹の胸中に吹き出たのは、いたたまれない気持ちであった。赤子の父親という果てしなく不可解な存在を、王嘉に抱かせてしまっているのが痛烈に申し訳ない。

 楊鷹は素早く彼らに近づくと、王嘉からぱっと毛翠を取り上げた。

 毛翠が楊鷹を見上げて、はたまた声高に言った。


「体はもう大丈夫なんだな? 無理はしていないな?」

「大丈夫だし、無理もしていない。だから、少し静かにしてくれ。しゃべるところを、見られたらどうする」

「部屋の周りに人はいないから、大丈夫だろう。私のことも、気にしなくて良いよ。大方の事情は、聞いたからね」


 楊鷹が振り返れば、ほんのりと口の端を上げる王嘉と目が合った。

 王嘉の声音に、責めるような色は無かった。しかし、楊鷹の頭の中によぎるのは、菁雲村(せいうんそん)の王嘉の家を訪ねたときのこと。彼に事情を尋ねられたが、正直に話せなかった。それから、此度の出来事。

 彼の穏やかな表情に、胸が詰まる。楊鷹はさっと一礼した。


「その節は何も話せず、隠すような真似をして申し訳ありませんでした」

「気にしないでくれ。そう簡単に話せる内容じゃあない。私が君だったら、きっと同じように本当のところは何も言えなかったさ」


 さっぱりとした、気さくな答えが返ってくる。楊鷹は顔を上げた。やはり微笑みながら、王嘉は拱手(こうしゅ)の礼を返す。

 彼はもう、楊鷹の事情をあらかた知っているようだ。その奇々怪々とした身の上を彼は信じてくれたうえ、さらに手を貸そうとしてくれている。否、すでに手を貸してくれたといって良い。王嘉がいなければ、楊鷹は李白蓮(りはくれん)の毒牙にかかり、命を落としていた。

 また、楊鷹の胸が詰まる。己は、一人ではないのだ。邪険にする者がいる一方で、手を差し伸べてくれる者だっている。

 毛翠を抱えている手前、拱手ができないことがもどかしい。その分深々と頭を下げる。

 

「失礼な真似をしたにも関わらず、こうして駆けつけていただいて、本当にありがとうございます」

「そんなに何度も頭を下げないでくれ。大事なのは、これからなのだろう?」

「そうだ、そうだ。祭りはまだ始まってもねぇんだろ?」


 王嘉が優しくたしなめるのに次いで、男が声を弾ませる。

 その活きの良い声音には、聞き覚えがあった。楊鷹がぱっと頭を返してみれば、ちょうど銭秀が部屋に入ってくるところだった。

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