頼れる仲間・三
「出発したその日、暗くなるまでに行けるところまで行こうと、ひたすら船で進みました。そうして進んで日が暮れてきた頃、ちょうど川のそばに大きな人家が見えたので、そこに泊まらせていただこうという話になりました。そこで船から降りて、超慈さんとそのお家の方に向かったんです。その途中のことなんですけれど……」
そうして始まった月蓉の語りは、次のような話であった。
人家に向かう途中で、みすぼらしい風体の男と出会った。脂っぽい肌にぼさぼさの髪、そして身に着けているものは継ぎだらけ。物乞いかと思いきや案の定、男は通りがかりの月蓉たちに何か恵んでくれと迫って来た。
持ち合わせは少なかったものの、あまりにもくたびれた様子だったので、月蓉と超慈は銀を一粒恵んだ。そうしたら、男はひどく喜び、お礼だと言って何やら細長い紙切れの束を取り出した。男曰く、「この紙切れは秘術を施したおふだである。体に付ければ一日五百里は悠々と走れるし、船やら車やら馬やらに貼りつけても同等の効果を発揮する代物だ。旅をしているならば、大いに役立つだろう」とのこと。
ちょっとした篤志から渡した銀だ。当然、見返りなど求めていないうえ、そもそも大した額でもない。謝礼などいらぬと月蓉と超慈は突っぱねた。ところが、その男もなかなかに強情で、おふだを取り下げようとしない。
すったもんだの応酬の後、結局月蓉たちが折れ、男からおふだを受けとった。
そして、このおふだこそが不思議の正体。こうも早く北汀村まで戻って来られたのは、この貰い物のおふだのおかげなのだという。
おふだをもらった翌日、半信半疑で船に貼りつけてみた。するとどうしたことか、風もないのに船はすいすいと川を下っていった。あまりの速度で進む様子に、超慈は「あり得ねぇ」とこぼしていたそうだ。
その後、陸路になってから足にくくり付けてみたところ、こちらも物乞い風の男の言うとおり。いくら歩いても走っても、ちっとも疲れなかった。そのため、復路においては王嘉たちにも使ってもらった、とのことだった。
ひとしきり語り終えると、月蓉はかたわらのつくえに置いてあった包みを手に取った。
「使わなかったものが、少し残っているんですけれど……」
そう言って、包みから件のおふだを数枚取り出すと、それらを扇のように広げて見せた。
おふだの表面には、うねうねとした文字のような模様が描かれている。呪文でも書いてあるのだろうか。
おふだを見つめながら、月蓉は言う。
「楊兄さんの心配のとおり、天気が悪く回り道をすることもありましたし、思うように進めないときもありました。ですが、それが問題にならないほど、このおふだの効果が凄まじかったんです」
「それは確かに不思議な話だな……」
楊鷹は、おふだをじっと見つめた。呪文のような文様には、まったく見覚えはない。何がなんだかさっぱりだが、おふだもそれを渡した男も、ただ者でないことは間違いない。力のある方士は神仙に匹敵するほどの術を使う、との噂がある。実のところ、物乞いの男はそのような方士だったのだろうか。
月蓉が言った。
「もしかしたら、おふだをくれた方は神仙だったのではないか、と。超慈さんは、そんな風におっしゃっていました」
「その可能性もあるか……」
楊鷹は頷いた。
毛翠の話では、人の世で暮らす神仙もいるという。実際、楊鷹の持つ翡翠の剣を作った莫志隆も、人の世界に住まう神仙であった。
おふだをくれた男も、莫志隆のような神仙であったのか。そうでないならば、まさか桃李虚の神仙であったのか。
楊鷹の頭の中に、慧牙の姿が思い浮かぶ。彼は、変化の術を得意としている。
すっと、楊鷹の背筋が冷えた。
「おふだを使ってから、具合が悪くなるとかなかったか?」
口早に尋ねれば、月蓉は首を横に振った。
「いえ、まったく。私も超慈さんも王嘉さんたちも、なんなら馬も、皆さん元気です。船が壊れるようなこともありませんでした」
「そうか。だとしたら、慧牙たちの仕業ではなさそうだな……」
やはり殊勝な心がけに胸を打たれた、それゆえの贈り物なのだろうか。
考えたところで、物乞いの真意など分からない。ただ事実として、そのおふだがあったからこそ、月蓉たちは期日までに間に合った。それどころか、窮地に駆けつけることができた。まさに、旱天慈雨、おふだ様々である。
楊鷹は、ぽつりと呟いた。
「天の助け、だったのだろうか……」
「……そうだったのかもしれません」
しみじみと頷く月蓉に向かって、楊鷹はふっと目を細めた。
「天の助けだとするなら、月蓉の日頃の行いの賜物だろうな」
「えっ? いや、そんな、私は違います。それを言ったら楊兄さんの方こそ……」
月蓉はうつむいて、もじもじと髪をいじる。
楊鷹は目を瞬いた。何をそんなに、彼女は謙遜しているのだろう。
「いや、俺じゃなくて月蓉の方に決まっているだろう。月蓉は真心があって誠実だし、気立てがいいじゃないか」
「そ、そう言っていただけるのは、嬉しいんですけどっ……」
突然、月蓉はつくえにおふだを置く――置くというより放り投げるような勢いだった――と、慌ただしく立ち上がった。どういうわけか、彼女の顔はほんのりと赤らんでいる。
「よ、楊兄さん、お腹減ってますよね! 私、お水と何か食べ物を持ってきます!」
はたまた唐突に、しかもやたら早口にそう言うと、月蓉は体をひるがえす。
一瞬面くらった楊鷹であったが、
「待ってくれ」
と、すぐに去りゆく背中を呼び止めた。言われるままに、月蓉は足を止めて振り返る。
楊鷹は言った。
「食事よりも先に話がしたい。神仙との戦いについて、話しておきたいんだ。まだ朝早いが、皆を起こしてくれないか?」
王嘉たちがこうも早くやって来てくれたのは、間違いなく僥倖。ならば、その僥倖を潰してはならない。慧牙と約束を交わした日から、今日で十日。期日まで残された時間は、決して多くはない。勝利を確実なものにするためには、悠長にしている場合ではない。
多少空腹を感じるのは確かだが、楊鷹としては食事よりも皆と策を練る方を優先させたかった。
「体は、もう大丈夫なのですか?」
心配そうに眉をひそめながら、月蓉が尋ねる。
楊鷹は、軽く腰を左右にひねる。次いで、手と足を曲げては伸ばす。なんら問題なく、体は滑らかに動いた。しびれも異常なだるさも、感じない。頭だってすっきりと澄み渡っている。
「ああ、大丈夫だ。気分が悪いということはないし、しびれている感じもない。だから……」
先を続けようとしたその時、楊鷹の腹が鳴った。それはもう、盛大に。
茶化すように、また鶏の鳴き声が響く。
月蓉が、やんわりと頬を緩めた。
「やっぱり、先に何か食べるものを持ってきますね」
楊鷹が答えるより先に、再度腹が鳴る。
こうもぐうぐうと、何度も熊のいびきのような音を出してしまった手前、断ることもできない。気持ちとは裏腹に、体はなんとも正直だ。
「……頼む」
楊鷹は頬が熱くなるのを感じながら、おずおずと言った。




