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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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頼れる仲間・三

「出発したその日、暗くなるまでに行けるところまで行こうと、ひたすら船で進みました。そうして進んで日が暮れてきた頃、ちょうど川のそばに大きな人家が見えたので、そこに泊まらせていただこうという話になりました。そこで船から降りて、超慈さんとそのお(うち)の方に向かったんです。その途中のことなんですけれど……」


 そうして始まった月蓉(げつよう)の語りは、次のような話であった。

 人家に向かう途中で、みすぼらしい風体の男と出会った。脂っぽい肌にぼさぼさの髪、そして身に着けているものは継ぎだらけ。物乞いかと思いきや案の定、男は通りがかりの月蓉たちに何か恵んでくれと迫って来た。

 持ち合わせは少なかったものの、あまりにもくたびれた様子だったので、月蓉と超慈(ちょうじ)は銀を一粒恵んだ。そうしたら、男はひどく喜び、お礼だと言って何やら細長い紙切れの束を取り出した。男曰く、「この紙切れは秘術を施したおふだである。体に付ければ一日五百里は悠々と走れるし、船やら車やら馬やらに貼りつけても同等の効果を発揮する代物だ。旅をしているならば、大いに役立つだろう」とのこと。

 ちょっとした篤志(とくし)から渡した銀だ。当然、見返りなど求めていないうえ、そもそも大した額でもない。謝礼などいらぬと月蓉と超慈は突っぱねた。ところが、その男もなかなかに強情で、おふだを取り下げようとしない。


 すったもんだの応酬の後、結局月蓉たちが折れ、男からおふだを受けとった。

 そして、このおふだこそが不思議の正体。こうも早く北汀村(ほくていそん)まで戻って来られたのは、この貰い物のおふだのおかげなのだという。

 おふだをもらった翌日、半信半疑で船に貼りつけてみた。するとどうしたことか、風もないのに船はすいすいと川を下っていった。あまりの速度で進む様子に、超慈は「あり得ねぇ」とこぼしていたそうだ。

 その後、陸路になってから足にくくり付けてみたところ、こちらも物乞い風の男の言うとおり。いくら歩いても走っても、ちっとも疲れなかった。そのため、復路においては王嘉たちにも使ってもらった、とのことだった。


 ひとしきり語り終えると、月蓉はかたわらのつくえに置いてあった包みを手に取った。


「使わなかったものが、少し残っているんですけれど……」


 そう言って、包みから(くだん)のおふだを数枚取り出すと、それらを扇のように広げて見せた。

 おふだの表面には、うねうねとした文字のような模様が描かれている。呪文でも書いてあるのだろうか。

 おふだを見つめながら、月蓉は言う。


(よう)兄さんの心配のとおり、天気が悪く回り道をすることもありましたし、思うように進めないときもありました。ですが、それが問題にならないほど、このおふだの効果が凄まじかったんです」

「それは確かに不思議な話だな……」


 楊鷹(ようおう)は、おふだをじっと見つめた。呪文のような文様には、まったく見覚えはない。何がなんだかさっぱりだが、おふだもそれを渡した男も、ただ者でないことは間違いない。力のある方士(ほうし)は神仙に匹敵するほどの術を使う、との噂がある。実のところ、物乞いの男はそのような方士だったのだろうか。

 月蓉が言った。


「もしかしたら、おふだをくれた方は神仙だったのではないか、と。超慈さんは、そんな風におっしゃっていました」

「その可能性もあるか……」


 楊鷹は頷いた。

 毛翠(もうすい)の話では、人の世で暮らす神仙もいるという。実際、楊鷹の持つ翡翠の剣を作った莫志隆(ばくしりゅう)も、人の世界に住まう神仙であった。

 おふだをくれた男も、莫志隆のような神仙であったのか。そうでないならば、まさか桃李虚(とうりきょ)の神仙であったのか。

 楊鷹の頭の中に、慧牙(けいが)の姿が思い浮かぶ。彼は、変化の術を得意としている。

 すっと、楊鷹の背筋が冷えた。


「おふだを使ってから、具合が悪くなるとかなかったか?」


 口早に尋ねれば、月蓉(げつよう)は首を横に振った。


「いえ、まったく。私も超慈(ちょうじ)さんも王嘉(おうか)さんたちも、なんなら馬も、皆さん元気です。船が壊れるようなこともありませんでした」

「そうか。だとしたら、慧牙(けいが)たちの仕業ではなさそうだな……」


 やはり殊勝な心がけに胸を打たれた、それゆえの贈り物なのだろうか。

 考えたところで、物乞いの真意など分からない。ただ事実として、そのおふだがあったからこそ、月蓉たちは期日までに間に合った。それどころか、窮地に駆けつけることができた。まさに、旱天(かんてん)慈雨(じう)、おふだ様々である。

 楊鷹(ようおう)は、ぽつりと呟いた。


「天の助け、だったのだろうか……」

「……そうだったのかもしれません」


 しみじみと頷く月蓉に向かって、楊鷹はふっと目を細めた。


「天の助けだとするなら、月蓉の日頃の行いの賜物(たまもの)だろうな」

「えっ? いや、そんな、私は違います。それを言ったら楊兄さんの方こそ……」


 月蓉はうつむいて、もじもじと髪をいじる。

 楊鷹は目を瞬いた。何をそんなに、彼女は謙遜(けんそん)しているのだろう。


「いや、俺じゃなくて月蓉の方に決まっているだろう。月蓉は真心があって誠実だし、気立てがいいじゃないか」

「そ、そう言っていただけるのは、嬉しいんですけどっ……」


 突然、月蓉はつくえにおふだを置く――置くというより放り投げるような勢いだった――と、慌ただしく立ち上がった。どういうわけか、彼女の顔はほんのりと赤らんでいる。


「よ、楊兄さん、お腹減ってますよね! 私、お水と何か食べ物を持ってきます!」


 はたまた唐突に、しかもやたら早口にそう言うと、月蓉は体をひるがえす。

 一瞬面くらった楊鷹であったが、


「待ってくれ」


 と、すぐに去りゆく背中を呼び止めた。言われるままに、月蓉は足を止めて振り返る。

 楊鷹は言った。


「食事よりも先に話がしたい。神仙との戦いについて、話しておきたいんだ。まだ朝早いが、皆を起こしてくれないか?」


 王嘉たちがこうも早くやって来てくれたのは、間違いなく僥倖(ぎょうこう)。ならば、その僥倖を潰してはならない。慧牙と約束を交わした日から、今日で十日。期日まで残された時間は、決して多くはない。勝利を確実なものにするためには、悠長にしている場合ではない。

 多少空腹を感じるのは確かだが、楊鷹としては食事よりも皆と策を練る方を優先させたかった。


「体は、もう大丈夫なのですか?」


 心配そうに眉をひそめながら、月蓉が尋ねる。

 楊鷹は、軽く腰を左右にひねる。次いで、手と足を曲げては伸ばす。なんら問題なく、体は滑らかに動いた。しびれも異常なだるさも、感じない。頭だってすっきりと澄み渡っている。


「ああ、大丈夫だ。気分が悪いということはないし、しびれている感じもない。だから……」


 先を続けようとしたその時、楊鷹の腹が鳴った。それはもう、盛大に。

 茶化すように、また鶏の鳴き声が響く。

 月蓉が、やんわりと頬を緩めた。


「やっぱり、先に何か食べるものを持ってきますね」


 楊鷹が答えるより先に、再度腹が鳴る。

 こうもぐうぐうと、何度も熊のいびきのような音を出してしまった手前、断ることもできない。気持ちとは裏腹に、体はなんとも正直だ。


「……頼む」


 楊鷹は頬が熱くなるのを感じながら、おずおずと言った。

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