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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
104/131

頼れる仲間・二

※※※


 ひどく苦しかった。うまく息ができない。助けを呼ぼうとするも、低いうめき声がもれるだけで、まともな声が出ない。じたばたともがきたいのに、それも叶わない。動かそうとしても、手足はびくともしなかった。まるで、大蛇か龍にでも、締めつけられているかのようだ。その縛めの正体を見極めようにも、目が開かない。手足同様、まぶたも頑として動かなかった。

 何も見えない闇の中、ただひたすらに息苦しい。重たい何かが、全身にまとわりついている。

 罪深き者は、死後の世界で重い責め苦を負うというが、果たしてそのような責め苦にでもあっているのだろうか。

 そうだとしたら、己は死んだのか。

 そんな思いがよぎった途端、どこからか人の声が聞こえた。何度も何度も何事かを繰り返し言っているようだが、言葉までははっきりしない。

 今一度、うめく。すると、にわかに人の声が大きくなった。


(よう)兄さん!」


 ふいに縛めが解け、息苦しさが消える。

 楊鷹(ようおう)は、はっと目を開けた。

 薄闇の中に、ぼんやりと人の顔が見える。女性だ。彼女の、星空のようにきらめく瞳と目が合ったとき、楊鷹は一気に覚醒した。


月蓉(げつよう)……?」


 その名を呼びかければ、彼女は目を見開き、楊鷹の手を握った。


「楊兄さん、目が覚めましたか? 私のこと、分かりますか?」


 柔和な目元に円やかな頬、(あご)には小さな黒子(ほくろ)が一つ。それから、陽風のような心地よい声音。眼前の女性は、どこをどう切り取っても月蓉であった。


「ああ、分かる。月蓉だ」


 楊鷹は頷くと、月蓉の手を握り返す。柔らかな手から伝わってくるぬくもりが、肌のみならず心にも染みわたる。先ほどの異様な苦しさは、夢だったらしい。ようやっと人心地がついた。己は、まだ生きている。


「よかった。本当によかった。今度こそ、目を覚まさないんじゃないかと……」


 月蓉は、声を詰まらせるとうつむいた。表情はよく見えないが、どうやら涙ぐんでいるようだった。

 その涙の由縁はなんなのか。楊鷹は今ひとつ分からなかったが、とりあえず口を開く。


「心配をかけたみたいで、すまない……」

「いえ、こちらこそ、ごめんなさい。その、()おばさんが、毒を盛って……」


 鼻をすすりながら、月蓉が言う。

 その彼女の言葉を聞いたところで、楊鷹はぼんやりと思い出した。


(そうだ、毒の入った酒を飲んでしまったんだ……)


 楊鷹は、辺りを見渡した。見渡して、呆然とした。

 こじんまりとしているが清潔感のある部屋に、(とばり)のない簡素なつくりの寝台。その寝台に、横たわっている己。すべて、まったくもって、記憶になかった。いつの間に、こんなところにやって来たのか。敷布や掛け布はやたらと滑らな肌触り――まさか絹だろうか――だが、何故こんな上等な寝具にくるまっているのか。

 開いた窓の外は、ほの明るい。夜明けの時分のようだ。毒酒を飲んでから、かなり時間が経っていることがうかがえる。いつの間にこんなに時間が過ぎたのか。それもさっぱり分からない。

 寝ていたのは間違いないようだが、そもそも寝入った覚えがない。毒酒を飲んで、体が上手く動かせなくなったことは薄っすらと覚えているが、そこから後は五里霧中。思い出そうとしてみても、上手く記憶を辿れない。


(確かあのとき、毛翠(もうすい)が外に出てきたような……)


 (かすみ)がかった記憶はあまりにも頼りなく、もはや夢か現かすら判断がつかない。

 楊鷹はちらと月蓉を見た。


「月蓉、これはどういう……」


 戸惑いがちに問いかける。

 月蓉はさっと目元を拭うと、顔を上げた。


「昨日のこと、覚えていませんか?」

「毒入りの酒を飲んだことは覚えているが、他はあまり記憶にない」


 楊鷹(ようおう)が素直に答えれば、月蓉(げつよう)は悲しげに目を伏せた。


「そうです。楊兄さんは、()おばさんが持ってきた、毒の入ったお酒を飲みました。それで、倒れてしまったんです」

「倒れた、倒れた……」


 口の中でごにょごにょと繰り返しながら、楊鷹は眉間を()みしだく。そうしながら、考える。

 さっきまで眠っていた――というか、意識をなくしていた――ようだから、倒れたというのは妥当な話である。だが、いくら考えたところで、(もや)は立ちこめたままだ。やはり、心当たりはない。戸惑いがちに月蓉を見れば、彼女はその視線をしかと受け止めながら、(さと)すような口調で話の先を続けた。


北汀村(ほくていそん)に居るのは危ないだろうということで、倒れた楊兄さんを、私達がここまで……盧西村(ろせいそん)まで運びました。ここは、盧西村の里正(りせい)(=村長)さんのお屋敷です。それから今まで、楊兄さんはずっとこちらで眠っていたんです」

「……ずっと、というのはどれくらいだ?」

「そろそろ朝なので、半日ほどでしょうか」

「そんなに寝ていたのか……」


 答えた後、楊鷹は、はたと眉間を揉む手を止めた。

 月蓉の言葉に、違和感を覚える。否、そもそも、今彼女がここにいること自体がおかしいことに、楊鷹は気がついた。


「いや、待ってくれ。なんで、月蓉がここにいるんだ? いつ沁富県(しんふけん)から帰って……」


 言いかけたところで、頭の中に立ちこめる(もや)がぱっと晴れた。

 毛翠(もうすい)に短刀を向ける李白蓮(りはくれん)。助けようとするも、足がもつれて転んでしまった己。しかし、間一髪のところで飛んできた矢が、李白蓮の持つ短刀を弾き飛ばしたこと、等々。

 楊鷹は昨日の出来事を、まざまざと思い出した。


「そうか、そうだ、思い出した! 王嘉(おうか)殿が!」


 楊鷹は、がばりと上体を起こした。

 月蓉が慌てた様子で、突然跳ね上がった体に手を伸ばす。


「急に動いたら、体に(さわ)ります」

「あ、ああ、すまない……」


 楊鷹はつんのめった体を正すと、ゆっくりと深呼吸をした。幾分落ち着きを取り戻すも、それでも普段より脈が早い。心の奥底では、じんじんと何か熱いものが渦巻いている。

 楊鷹は月蓉を見つめながら、言った。


「王嘉殿と、皆と戻ってきたんだな……」

「はい。戻ってまいりました。本当に本当に、間に合ってよかったです」

「……毛翠も無事、なんだよな?」

「はい。少しかすり傷を負いましたが、大事ありません」


 そう言って微笑んだ月蓉であったが、疲れゆえかその笑顔は少々生気に欠けていた。だが、けがをしている様子はなく、身ぎれいである。約束通り、彼女は成すべきことを成して、無事に戻ってきてくれた。それどころか、予定よりも早くに戻ってきて、楊鷹たちを窮地から救ったのである。

 遠くで鶏が高らかに鳴き、朝の到来を告げる。

 

「ああ、よく戻って来てくれた。天気が悪いこともあって、間に合うかどうか心配していたんだ」


 楊鷹は、ほっと安堵の息を吐く。

 その一方で、月蓉は悩ましげに、少々眉根を寄せた。


「確かに、普通ではこんなにも早く戻ってこれなかったと思います」


 楊鷹の眉間に力がこもる。なんとも、含みのある言い方だ。


「普通ではない、何かがあったのか?」


 楊鷹が尋ねれば、月蓉は「はい」と神妙に頷いた。それから、彼女はかたわらの椅子に腰かけると、語り始めた。

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