頼れる仲間・二
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ひどく苦しかった。うまく息ができない。助けを呼ぼうとするも、低いうめき声がもれるだけで、まともな声が出ない。じたばたともがきたいのに、それも叶わない。動かそうとしても、手足はびくともしなかった。まるで、大蛇か龍にでも、締めつけられているかのようだ。その縛めの正体を見極めようにも、目が開かない。手足同様、まぶたも頑として動かなかった。
何も見えない闇の中、ただひたすらに息苦しい。重たい何かが、全身にまとわりついている。
罪深き者は、死後の世界で重い責め苦を負うというが、果たしてそのような責め苦にでもあっているのだろうか。
そうだとしたら、己は死んだのか。
そんな思いがよぎった途端、どこからか人の声が聞こえた。何度も何度も何事かを繰り返し言っているようだが、言葉までははっきりしない。
今一度、うめく。すると、にわかに人の声が大きくなった。
「楊兄さん!」
ふいに縛めが解け、息苦しさが消える。
楊鷹は、はっと目を開けた。
薄闇の中に、ぼんやりと人の顔が見える。女性だ。彼女の、星空のようにきらめく瞳と目が合ったとき、楊鷹は一気に覚醒した。
「月蓉……?」
その名を呼びかければ、彼女は目を見開き、楊鷹の手を握った。
「楊兄さん、目が覚めましたか? 私のこと、分かりますか?」
柔和な目元に円やかな頬、顎には小さな黒子が一つ。それから、陽風のような心地よい声音。眼前の女性は、どこをどう切り取っても月蓉であった。
「ああ、分かる。月蓉だ」
楊鷹は頷くと、月蓉の手を握り返す。柔らかな手から伝わってくるぬくもりが、肌のみならず心にも染みわたる。先ほどの異様な苦しさは、夢だったらしい。ようやっと人心地がついた。己は、まだ生きている。
「よかった。本当によかった。今度こそ、目を覚まさないんじゃないかと……」
月蓉は、声を詰まらせるとうつむいた。表情はよく見えないが、どうやら涙ぐんでいるようだった。
その涙の由縁はなんなのか。楊鷹は今ひとつ分からなかったが、とりあえず口を開く。
「心配をかけたみたいで、すまない……」
「いえ、こちらこそ、ごめんなさい。その、李おばさんが、毒を盛って……」
鼻をすすりながら、月蓉が言う。
その彼女の言葉を聞いたところで、楊鷹はぼんやりと思い出した。
(そうだ、毒の入った酒を飲んでしまったんだ……)
楊鷹は、辺りを見渡した。見渡して、呆然とした。
こじんまりとしているが清潔感のある部屋に、帳のない簡素なつくりの寝台。その寝台に、横たわっている己。すべて、まったくもって、記憶になかった。いつの間に、こんなところにやって来たのか。敷布や掛け布はやたらと滑らな肌触り――まさか絹だろうか――だが、何故こんな上等な寝具にくるまっているのか。
開いた窓の外は、ほの明るい。夜明けの時分のようだ。毒酒を飲んでから、かなり時間が経っていることがうかがえる。いつの間にこんなに時間が過ぎたのか。それもさっぱり分からない。
寝ていたのは間違いないようだが、そもそも寝入った覚えがない。毒酒を飲んで、体が上手く動かせなくなったことは薄っすらと覚えているが、そこから後は五里霧中。思い出そうとしてみても、上手く記憶を辿れない。
(確かあのとき、毛翠が外に出てきたような……)
霞がかった記憶はあまりにも頼りなく、もはや夢か現かすら判断がつかない。
楊鷹はちらと月蓉を見た。
「月蓉、これはどういう……」
戸惑いがちに問いかける。
月蓉はさっと目元を拭うと、顔を上げた。
「昨日のこと、覚えていませんか?」
「毒入りの酒を飲んだことは覚えているが、他はあまり記憶にない」
楊鷹が素直に答えれば、月蓉は悲しげに目を伏せた。
「そうです。楊兄さんは、李おばさんが持ってきた、毒の入ったお酒を飲みました。それで、倒れてしまったんです」
「倒れた、倒れた……」
口の中でごにょごにょと繰り返しながら、楊鷹は眉間を揉みしだく。そうしながら、考える。
さっきまで眠っていた――というか、意識をなくしていた――ようだから、倒れたというのは妥当な話である。だが、いくら考えたところで、靄は立ちこめたままだ。やはり、心当たりはない。戸惑いがちに月蓉を見れば、彼女はその視線をしかと受け止めながら、諭すような口調で話の先を続けた。
「北汀村に居るのは危ないだろうということで、倒れた楊兄さんを、私達がここまで……盧西村まで運びました。ここは、盧西村の里正(=村長)さんのお屋敷です。それから今まで、楊兄さんはずっとこちらで眠っていたんです」
「……ずっと、というのはどれくらいだ?」
「そろそろ朝なので、半日ほどでしょうか」
「そんなに寝ていたのか……」
答えた後、楊鷹は、はたと眉間を揉む手を止めた。
月蓉の言葉に、違和感を覚える。否、そもそも、今彼女がここにいること自体がおかしいことに、楊鷹は気がついた。
「いや、待ってくれ。なんで、月蓉がここにいるんだ? いつ沁富県から帰って……」
言いかけたところで、頭の中に立ちこめる靄がぱっと晴れた。
毛翠に短刀を向ける李白蓮。助けようとするも、足がもつれて転んでしまった己。しかし、間一髪のところで飛んできた矢が、李白蓮の持つ短刀を弾き飛ばしたこと、等々。
楊鷹は昨日の出来事を、まざまざと思い出した。
「そうか、そうだ、思い出した! 王嘉殿が!」
楊鷹は、がばりと上体を起こした。
月蓉が慌てた様子で、突然跳ね上がった体に手を伸ばす。
「急に動いたら、体に障ります」
「あ、ああ、すまない……」
楊鷹はつんのめった体を正すと、ゆっくりと深呼吸をした。幾分落ち着きを取り戻すも、それでも普段より脈が早い。心の奥底では、じんじんと何か熱いものが渦巻いている。
楊鷹は月蓉を見つめながら、言った。
「王嘉殿と、皆と戻ってきたんだな……」
「はい。戻ってまいりました。本当に本当に、間に合ってよかったです」
「……毛翠も無事、なんだよな?」
「はい。少しかすり傷を負いましたが、大事ありません」
そう言って微笑んだ月蓉であったが、疲れゆえかその笑顔は少々生気に欠けていた。だが、けがをしている様子はなく、身ぎれいである。約束通り、彼女は成すべきことを成して、無事に戻ってきてくれた。それどころか、予定よりも早くに戻ってきて、楊鷹たちを窮地から救ったのである。
遠くで鶏が高らかに鳴き、朝の到来を告げる。
「ああ、よく戻って来てくれた。天気が悪いこともあって、間に合うかどうか心配していたんだ」
楊鷹は、ほっと安堵の息を吐く。
その一方で、月蓉は悩ましげに、少々眉根を寄せた。
「確かに、普通ではこんなにも早く戻ってこれなかったと思います」
楊鷹の眉間に力がこもる。なんとも、含みのある言い方だ。
「普通ではない、何かがあったのか?」
楊鷹が尋ねれば、月蓉は「はい」と神妙に頷いた。それから、彼女はかたわらの椅子に腰かけると、語り始めた。




