頼れる仲間・一
けがを負ったときや病気になったときなど、身体が傷んでいると、大概不快な夢を見る。忘れていたい嫌な思い出の数々が、夢となって浮かびあがってくるのだ。
しとしとと、雨が降っている。むせかえるほど、生臭い雨だった。
雨そのものが、臭うのではない。
霧雨に煙る景色は、異様に赤い。おびただしい量の血が、山景を赤く汚していた。ぬかるんだ土は赤斑、木々や草にも鮮やかな赤色の染みが飛び散っている。
ひときわ大きい血だまりの中に、屈強な男たちが三人、倒れている。彼らは皆、腕や足、頭など、五体のどこかが欠けていた。
それから、楢の木の根本にも、二人の男が臥している。こちらの二人は、胸や腹に穴が開いており、ぴくりとも動かない。彼らはすでに、事切れていた。
転がる男たちをよそに、すっくと立ちすくむ人影があった。背は低く、顔立ちは幼い。年端も行かぬ少年である。
彼もまた、赤かった。体中、血まみれだ。身体にそぐわぬ大きな刀を構えているが、その刀身にもべったりと血がついている。しかし、けがをしている様子はなかった。
少年は、緑色の瞳を大きく見開いて、小刻みに浅い呼吸を繰り返している。興奮しているようだが、立ち尽くしたまま微動だにしない。
「ひっ……」
引きつった息遣いが聞こえる。少年ははっとして振り返った。
一人の男と視線が合う。その男は、まるで付け根から引っこ抜かれたように、左足をごっそりと無くしていた。彼は、赤い水たまりの中から、少年を見つめている。その目に宿るのは、恐怖と怯え、軽蔑のような感情も混じっているだろうか。
「鷹! 楊鷹! もういいから! もう、終わったわ!」
突如として、少年――楊鷹の体を、女性が背後から片手で抱きしめた。彼女の左腕には痛々しい傷があった。包帯代わりに着物の切れ端を巻いているものの、じわりと血がにじんでいる。
「落ち着いて、ゆっくり息を吸って、吐きなさい」
女性に言われるままに、楊鷹は深呼吸を繰り返す。すると、早鐘を撞くような調子だった鼓動は、次第に速度を落としていった。火照った体も冷めてくる。
落ち着きを取り戻した楊鷹は、のろのろと女性を見上げた。
「母上……」
掠れた声で呼びかければ、母は真剣な眼差しで楊鷹を見つめた。
「もう、大丈夫。ほら、私も無事よ。傷も、大したことないから」
「うん……」
弱々しく頷きながら、楊鷹はおもむろに刀を下げた。
楊鷹が十歳の頃。国中を旅してまわっている行商人に、母が雇われた。仕事の内容は荷物の警護、つまり用心棒だ。当然、楊鷹も母に同行することになり、用心棒兼荷運び要因として行商の一団に加わった。まだ、幼いために用心棒としての腕を疑われ、荷運び人夫も兼ねる羽目になったのだった。
そうして、山道を進んでいる途中、賊に襲われた。襲撃した賊は五人。そのほとんどを、母ではなく楊鷹が一人で片づけた。
これは、その時の記憶の断片。ひどく嫌な夢だった。
音もなく雨が降る。さざれ雨に、血だまりを洗い流す勢いはない。雨垂れに混じって、汚れた刃の先からぽつりぽつりと赤いしずくが垂れた。
殺そうと思ったのではない。楊鷹は、守らなければと、ただただそう思ったのだ。
自分たちの仕事は、荷物を守ること。それができなければ、食いっぱぐれる。
しかも、母がけがを負ってしまったのだ。真っ先に逃げようとした御者を賊が狙い、その御者を守ろうとして、母は腕にけがをした。
このまま一気呵成に攻められれば、荷物だけでなく母まで失ってしまうかもしれない。力を抑えている場合ではない。
自分がどうにかしなければと、楊鷹は無我夢中で刀を振った。その結果が、この血の海だった。
「人間じゃない……」
つぶやくような、小さな声が聞こえる。母と息子は揃って声の方向へと振り返る。
荷馬車にすがりつくようにして、男が立っていた。彼は、楊鷹たち母子を雇った商人だ。
「なんだ、その餓鬼は……。ひとりで、こんな惨い……」
唇を震わせながら、男は言う。その瞳には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。
母は楊鷹をかばうように前に出ると、表情を引き締めた。
「彼らは、手配書に書かれていた盗賊のようです。ひとまず街まで引き返して、役所に報せに行きましょう」
いたく冷静な口調で、母は言う。けれども、怯える男にはまるで通じない。
「来るな、化け物っ……」
「この子は、荷物も人も守りました。化け物ではありません!」
「うるさい! こっちに来るな!」
男はさっと身をひるがえすと、車の裏手に隠れてしまった。
楊鷹は、胸元を握りしめた。
やり過ぎてしまった自覚はある。しかし、やり過ぎたのは結果の話だ。己としては、守ろうと必死だったのだ。母を、あの男や御者を、荷物を守るために、全力を尽くしたつもりだ。それなのに。
「化け物」という震えた男の声が、怯えた視線が脳裏にちらつく。
胸の内がざわめく。黒々とした気持ちが、蛆のように胸底をはいずり回る。内心で「平常心」と唱えても、蛆はひっきりなしに蠢いて、気づけば肩が震えていた。
その震える肩を、母の温かい手が包む。
「鷹、貴方はよくやったわ」
「ごめんなさい。俺、どうにかしないとって思ったら、訳が分からなくなって、それで……」
声を押し殺しながら、楊鷹は言った。母はそっと、血に濡れた子供を抱き寄せた。
「そうね、確かにやりすぎた。でも、貴方はちゃんと守ったわ」
そう言う母の声は柔らかい。かつて、かっとなって同じ年頃の子供に手を上げてしまったことがあったが、そのときのような厳しさはない。
母は、必死に守ろうとしたことを理解している。しかし、そんな母の励ましも、今の楊鷹には響かない。
楊鷹は何も言わずに、うつむいた。
母は小さな背中を、ぽんぽんと優しく叩く。
「……また、練習しましょう」
「うん」
楊鷹は力なく頷いた。その瞬間、温かなぬくもりが消えた。
刹那、場面が変わる。
母の姿は消え、幼かった楊鷹もいつの間にやらすっかり大きくなっていた。体躯のみならず、身なりまで立派になっている。仕立ての良い袍を着込み、髪はきっちりとまとめて、頭巾を被っている。まるで、役人のような出で立ちだ。
しかし、光景はあまり代り映えしなかった。木々茂る山中、落ち葉の積もった地面に男たちが倒れている。数は五人。彼らを尻目に、楊鷹はすっくと立っていた。右手に持つ剣には、血がついている。
(ああ、そうか。俺は、磁器を運んでいたんだ……)
楊鷹は、唐突に思い出した。
役人のような恰好をしていて、当然である。楊鷹は役人、武官なのだ。
夢から夢へと移った先は、楊鷹が武官として働いていたときの一幕。景辰岡の官窯で作られた磁器を、円寧府の王宮まで運搬するという任についていたその道中。
高貴な器を狙った盗賊共に、襲われたのだった。
落ち葉の擦れる音が響く。賊たちがうめき声をもらしながら、身じろいでいる。しかし、立ち上がる気配はない。
決着は着いていた。
楊鷹は一つ息を吐くと、剣を納めた。それから、背後に振り返る。
振り返った先には、楊鷹と同じく役人のような恰好をした男と、荷物を担いだ人々の姿があった。役人は楊鷹と共に都から派遣された文官、その他の人々は、器を運ぶために雇った人夫たちだ。彼らは身ぎれいだった。けがをしている様子もないし、衣が血で汚れているということもない。荷物も無事である。
ほっと安堵しつつ、楊鷹は声をかけた。
「もう、大丈夫です」
しかし、文官の男も荷運びの人夫たちも、誰一人として応じない。安らいだ胸中がざわつくのを覚えながらも、楊鷹は文官に視線を定め、話を進める。
「ひとまず、この賊たちを捕まえて近くの町まで連れて行きましょう。道程は遅れてしまいますが、それでよいですね?」
「え、ええ。それで……」
男はぎこちなく答えると、口の端を上げた。笑っているようだが、目は全く笑っていない。
「一時はどうなるかと思いましたが、いやぁ、さすがです。噂に聞くお手並みで……」
そう語る口調も、強張っている。
楊鷹の胸がうずく。わざとらしい笑顔から逃げるように視線を逸らし、改めて賊たちを見やる。
不届き者たちは皆、生きていた。生々しい血の跡はあるものの、命までは奪っていない。身体のどこも、しっかりつながっている。
楊鷹は器用にも、絶妙な力加減で急所を攻め、敵の動きを封じたのだった。次々と動けなくなる仲間を目の当たりにして戦意を失ったのか、盗賊の中には逃げた者もいた。だが、そのような輩は、そのままにしておいた。頭と思しき男は逃さなかったので、十分である。
楊鷹のやるべきことは、荷物と人を守ること。殺すことではない。
殺してしまうのは簡単だ。だが、常人ならざる力を、そのように使ってはならない。蹂躙するための力ではない。
「驕ってもいけない。怖がりすぎてもいけない。ただ、真っ直ぐに誇りなさい」
貴方の持っている力は、人を救える力なんだから。
盗賊たちを一方的にねじ伏せてしまったあの日以来、母は何度もそう言った。そして、楊鷹が正しく力を操作できるようになるまで、何度も何度も教え導いた。
その結果が、この光景である。今はもう、血の海はない。それなのに。
ざわりざわりと、楊鷹の胸の中がざわめく。蛆がはう。
「化け物と一緒に荷運びなど、どうしてこんなことをしなければいけないのか」
嫌悪まみれの声が、どこからか聞こえてくる。円寧府を発って早々、文官の男がそうやって愚痴をこぼす姿を、楊鷹は見ていた。
(結局、俺は化け物なんだろうな……)
危機から救ったのだとしても、命を守ったのだとしても。初めから化け物なのだから、何をしたところで化け物でしかない。
いくら笑顔を取り繕ったところで、本当のところは何も変わっていない。あの文官にとって、楊鷹はどうしたって化け物なのだ。賊たちを圧倒した楊鷹を見て、文官の男は慄いている。同じ人間ではないと、そう思っている。
楊鷹は、のろのろと振り返る。
文官は、まだ笑っていた。頬を引きつらせながら、必死に笑顔を模っている。なんとも、薄情そうな笑顔だ。円寧府に帰還したら、「案の定、あいつは人間ではなかった」と、同僚に言いふらすのだろう。
次々と蛆がわき出てきては、はいずり回る。うぞうぞと蠢いて、不快でたまらない。この蛆の群れを、ぶちまけてしまいたい。そんな衝動に駆られるも、楊鷹はぐっと堪えた。ぶちまけてしまったら、ますます醜いものになってしまう。ただでさえ、化け物だというのに。
平常心、と楊鷹は唱える。心にわいた蛆を、踏みにじる。そうする度に、汚い汁が飛び散って心に染みを作る。そんな気がした。




