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小仙奇譚  作者: 平井みね
第一章
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久方振りの父子二人・六

 なんとも胡乱(うろん)な言葉である。楊鷹(ようおう)の中にしとしとと湧きだしていた嫌な予感が、一層激しく噴きだす。


「頼み?」


 (いぶか)しく思う気持ちをこれっぽちも抑えずに、楊鷹は毛翠(もうすい)に問いかける。楊鷹自身、不機嫌が透けて見える声音だと自覚があったが、毛翠は気にする様子もなく、至って(まこと)な顔つきのまま大仰に頷いた。


「わしを北西に……藍耀海(らんようかい)まで連れて行ってほしいんだ」


 嫌な予感は、当たりとも外れとも言えなかった。嫌だとかそういう前に、疑問がひょっこり浮かびあがる。


「なんでまたそんな所まで?」


 藍耀海といえば、(りん)国の北西部にある大きな湖だ。しかし、一体なんの用事があるのだろうか。藍耀海はその名の通り藍色の美しい水面の湖だと聞くが、まさか単に見物に行くわけではあるまい。


「……そこまで行けば、元の姿に戻れるやもしれん」


 やや間を開けた後、毛翠はやはり真面目な調子で答えた。しかし、楊鷹はその答えに違和感を覚えた。腕組みをして目を細める。


「その姿になったのは、決まりを破って罰を受けたからだろう? 元に戻るだなんてそんな勝手をしていいのか?」


 途端、毛翠の視線が宙に浮き、そのままあちらこちらにさまよい始める。


「あ? あー、いや、それはその……」


 そして、突然破顔するわらべ顔。


「そうだ! それだけではなくて、ほとぼりが冷めるまでかくまってもらえる、当てがあるんだ」

「へぇ……」


 楊鷹は毛翠をしげしげと眺めた。

 毛翠の言葉が真実だとはどうも思えない。本当だとしても、また何か面倒事を起そうとしているのではなかろうか。だとしたら、これ以上関わり合いになるのはごめんである。

 そんな楊鷹の思考を察したのかどうなのか、毛翠が口早に言う。


「お前にとっても悪い話ではないと思うぞ。あらぬ罪で流刑になったのだろう? ならばのこのこ都に戻る訳にもいかないだろう。藍耀海は(ろう)に近い。上手いこと鏤に行ってしまえば、捕まることもないだろう」

「確かに、それはそうだな」


 楊鷹は頷いた。

 毛翠の言うことは一理あった。流刑地への旅は見事なまでに破綻したが、罪そのものが消えたわけではない。円寧府(えんねいふ)に戻ったところで、またすぐに捕まるだけだ。

 どこかに身を隠さねばならない。そうなれば、国外に逃げ出すのは非常に理に適っていた。稟の外まで役人が追ってくことはないだろう。楊鷹を知る人間もいなければ、手配書を気にする必要もなく、割と人並みに暮らせるかもしれない。それに、隣国『(ろう)』は、母の生まれ故郷だ。

 毛翠の言う通り藍耀海は、(ろう)にほど近い。近いというか、藍耀海は稟と鏤にまたがる大湖である。湖を渡った先が、鏤なのだ。


 毛翠の提案を冷静に吟味しながらも、楊鷹は同時にその考えにあまり心が動いていないことに気が付いた。こうなった以上、鏤を目指すのは妥当な線だろうが、そうしたいかと言えば。


(嫌、だな……)


 思い浮かんでくるのは、都にある母親の墓、世話になったいくばくかの人達。それに、今は戻れないものの、円寧府には家だってある。家には未だ、母の私物が残っていた。

 隣国である鏤への出奔は、それらを捨てることなる。稟国と鏤国は長年北方の領地を巡って争いが絶えなかった。現在は和議が結ばれており、大規模な戦闘は起こっていないが、いつこの状況が崩れるか分からない。もしかしたら鏤に行ったっきり、二度と稟には戻って来れないかもしれない。

 楊鷹の胸の内で、理と情がせめぎ合う。答えが出て来ないので何も言わずにいたら、はたまた慌ただしい毛翠の声が響いた。


「国外に出られずとも、藍耀海からさらに西の山の方に行ってしまえばとんだ田舎だ。身を隠すにはうってつけだと思うぞ」


 毛翠はしつこく北西行きを勧めてくる。とにかく、どうしても藍耀海に行きたいらしい。ちらと視線を向ければ、赤子はらしくない真面目な顔つきに戻っていた。

 そこで楊鷹ははたと気が付く。


「確かにそうだが、何もお前と一緒に行く()われはないよな」


 楊鷹がそう言うと、毛翠の顔が一瞬ひきつった。それから、楊鷹から視線を逸らし、薄闇色の虚空を見つめはじめる。

 楊鷹が鼻から大きく息を吐きだすと、毛翠は眉尻を下げながらぎこちなく笑った。


「ま、まぁ、良いではないか。こうして出会えたのも何か縁あってのことだ。このような身になってしまった父の頼みを聞いてくれんか?」

「父の頼みか……」


 楊鷹は毛翠の言葉を繰り返す。心の奥底がじりじりとうずくような、嫌な感覚がしてきた。


「もう一度聞くが、お前は本当に俺の父親なんだな?」

「ああ、そうだ」

「……よくもまぁ、すぐさま顔が分かったな」

「そりゃあ、分かるだろう。自分の子供だ」


 この期に及んでも毛翠はきっぱり即答した。楊鷹の内でくすぶっていたうずきが一足飛びに大きくなって、ぱちりと弾ける。

 人ではないと、神仙だと言った毛翠。「化け物との相の子」という言葉が、心の内に聞こえてくる。


「やっぱり、俺は化け物の子だったんだな……」


 奥歯を噛みしめたがこらえきれず、楊鷹は吐き捨てるように言った。

 楊鷹自身、普通ではないという自覚はあった。普通の人間よりもずっと力が強く、早く動ける。その上、なかなか疲れることはなく、傷の治りも異常に早い。先ほどのように、死者の気配を感じ取ることだって出来る。確かに自覚はあったけれども、まさか本当に人間でない者の血を引いているとは。楊鷹は化け物と言われるだけの由縁があった。正しく、人とは違う異物であり、散々浴びせられてきた罵声は真実だったのだ。

 楊鷹はこぶしを握りしめた。いら立ちが募る。目の前で不機嫌そうに眉をしかめる子供のその表情も気に食わない。


「化け物ではない。神仙だ」

「……似たようなものだろう。どちらにしろ人ではないんだ」

「神仙だの化け物だの、そんなことどうでもいいだろう。お前は、わしと楊麗のかけがえのない子供であることには変わりない」


 毛翠の口調は堂々としたものだった。あまりもはっきりと言われて、楊鷹は反論ができない。毛翠を見据えたまま、口をつぐむ。ぐるぐると胸の内をめぐる、毛翠の言葉。次第ににじみ出てくる、また別の、怒りに似た感情。やはりこらえきれずに、楊鷹は毛翠めがけて言った。


「……じゃあ、どうしてそのかけがえのない子供をほっぽり出したんだ」


 毛翠の表情が強張る。小さな口は硬く引き結ばれ、言葉が出てくる気配はまるでない。明らかに毛翠の気勢が削げたのが見て取れた。

 静寂が張りつめる。楊鷹は、自身の心音をやたらはっきりと感じた。虫の声も一層大きく聞こえ、耳障りに思える。静かなのに、落ち着かなくて、騒がしい。


「俺だけじゃない……」


 やがてもれ出た楊鷹の声は、低く掠れていた。


「母上だってそうだ。母上のことも裏切ったくせに。それなのに、今更のこのこ現れて頼みを聞いてほしいだなんて、一体何様だ」

「それは……」


 応じる毛翠の声は小さく、しかもあっさりと途絶えた。彼がまた何か言うより先に、楊鷹は口を開く。


「これ以上、面倒事をしょい込むのはごめんだ。勝手にやってくれ」


 そう言い捨てて、楊鷹は立ち去ろうと歩き出した。ところが、すぐさま動きを止めた。足を掴まれたのだ。


「待ってくれ」


 足元を見下ろせば、いたく真面目な表情の赤子がそこにいた。


「これまでもこれからも、迷惑をかけているのは承知の上だ。それは……その、すまないと思う」


 毛翠は一瞬うつむいたが、すぐさま顔を上げて真っすぐ楊鷹を見てくる。

 月明かりに照らしだされた、緑の瞳。強い光を湛えた真摯(しんし)なまなざしに、楊鷹は息を呑んだ。これは、赤子の目ではない。

 静かに、けれども力強く毛翠が言う。


「だが、どうしても藍耀海に行かねばならぬのだ。どうか頼む。父であるかどうかはこの際関係ない。わしを藍耀海まで連れて行ってくれ」


 いつかの日に見た人影が、楊鷹の頭の中に甦る。凛々しい緑の瞳。毛翠の目は父の目に似ている。いや、そのものだ。

 楊鷹はとっさに視線を逸らした。

 毛翠をこのまま放っておいたらどうなるか。

 姿こそ赤子だが、彼はしゃべることができる。また、あの凶暴な黎颫(りふ)という神仙から逃げ回っていたのだから、普通の赤子よりもすばしこく動けるのは確かだ。しかし、生身で逃げ回ることしか出来なかったのであれば、神通力のような特殊な力は使えない状態なのだろう。

 恐らく、この場所から藍耀海までは、まだかなりの距離がある。非力な赤子の状態のままたった一人でそこまで行くのは、至難の業だろう。すでに、体は傷だらけだった。しかも、神仙の追っ手までいるのだから、余計に無理な話だ。

 神仙は不老不死だと言うから、赤子にされても尚、死にはしないかもしれない。だが、毛翠の置かれている状況を考えれば悲惨な顛末(てんまつ)を辿る可能性は十二分にあり得る。それこそ、死よりもひどい物が待っているのかもしれない。

 だからこそ、毛翠はこうして楊鷹に頼んでいるのだ。


 父の名を名乗り、母の名を知っていて、そして母の私物と思われる耳飾りを持っている。父親かと何度問うても「そうだ」と即答する。加えて、あの目。この赤子は間違いなく楊鷹の父親なのだ。

 たとえ信じたくなくとも、曲がりなりにも、彼は父親。母が愛し、そしてかつては楊鷹自身も。

 ふいに、母の言葉が頭の中に甦る。


「お父さんのことはごめんなさい。でも、昔のようにはできなくとも、あまり嫌わないであげて」


 今年の夏の初めに、母は楊鷹にそう告げた。


「あー、くそっ」


 そう言いながらがしがしと頭をかくと、楊鷹はしゃがみこんだ。真っすぐ、毛翠を見返す。


「……分かったよ。藍耀海まで連れて行けばいいんだろう」


 毛翠の顔にぱっと笑みが広がった。さっきまでの真剣な顔つきが、まるで嘘のようである。


「連れて行ってくれるか! 恩に着る! さすがは我が息子。器がでかい!」


 毛翠ががばりと上体を起こした瞬間、小さな体はあっさりと反対側にひっくり返った。やれやれと息を吐きながら、楊鷹は毛翠を抱き上げる。


「すまぬ。なかなかこの体に慣れることができなくてな」

「早く慣れてくれ」


 素っ気なくあしらって、さっさと歩きだす。と、数歩進んだところで、毛翠が唐突に言う。


「ところで楊鷹。お前、もういい年だろう? 二十三だったか?」


 楊鷹の眉間に力がこもる。悔しいくらい、本当によく覚えているものだ。

 毛翠の方を見ることなく、楊鷹は答えた。


「そうだが、それがどうした」

「結婚はしていないのか?」

「してない」


 嘘を吐く意味もないので正直に答えれば、毛翠はわざとらしい盛大なため息を吐いた。


「やはりそうか……。お前、少し野暮ったい感じがするからなぁ……。昔のわしみたく、髪の毛伸ばしてみたら、もうちょっといい感じになるんじゃないか?」

「余計なお世話だ!」


 噛みつくように言う。やはり、頼みを聞いたのは間違いだったかもしれない。

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