第五十一話 恋
二人の会話を妨げるものはなかった。
その間にあるものは空気のみ、それは言葉を届けるためにだけ存在していた。
「左、二枚だな」
「ふ……。剣でも賭博でもスィンには勝てそうにはないな」
「へへ、今日は絶好調! ぼろ勝ちさせてもらったぜ。修行が足りないぜ。ヘルマン」
失礼。この二人はこの二人で昔から間に妨げるものはなかった。
「半分嫉妬だよ」
「嫉妬?」
予想外の単語にアレックスは首を傾げるしかなかった。
「森の民は掟が厳しくてね。この森から出られないのさ。その点草の民は交易などであちこちを行き来している。私はそれがうらやましかったんだ。そりゃぁね、この森は好きだよ。だけど、それだけ。草の民が住む街も、草原も、川……は、森の中を流れているからわかるけど、海、だなんて本の中だけでしか知らない。昼間も行ったけど、あんたたちの四倍は生きているっていうにもかかわらず、だよ」
ミーニャの流れるような言葉にアレックスはすぐさま反応できなかった。
「出ていくことはできないのかい?」
「勝手に飛び出して行った連中はいるけど、それっきり音信不通さ。もうこの森には戻ってこられないからね。戻ってこられないっていうのは言葉通り。長であるじっちゃんがそいつを追放処分にする。じっちゃんの力で森に入れなくするからね。だから相当な覚悟がなければ、出られないのさ。あーあ、やっぱり私にもこの森に対する未練があるのかな。外界に憧れを抱いていても憧れで終わるのさ。外界で一人で生きていく術なんて知らないし」
膝を抱えて顔をうずめるミーニャが非常に小さく見えた。
「誰かと一緒なら、覚悟も決められるのかい?」
「さぁね。実際にその状況になってみないとわからないけど、今私と一緒に外へ出てくれるやつなんていないからね」
アレックスは強い衝動に駆られた。あまりにも華奢なミーニャは両腕で抱え上げられそうに感じる。いや実際に出来るだろう。そのまま、森の外まで走り抜ける自信はどうだろうか。さすがにそれほど体力はないだろうか。その不安を払しょくしてでも、やらなきゃいけない気がした。
「それじゃぁ……。僕……と一緒に行かないか?」
「はぁ?」
顔をあげて、アレックスの顔をまっすぐ見詰めた。
「ぷっ! 冗談かと思ったら真剣な顔しているから余計におかしいや」
「わ、笑うなよ! 僕がまじめに言っているのに」
「わはは! 何、もしかしてお姉さんに惚れちゃったとかかなぁ? ぼうや♪」
「そ、そんなんじゃないよ! た、ただ僕たちと一緒だったら……いや、弓の腕がいいから僕たちの目的に協力してくれたらとか」
「さっきは『僕』だったのに『僕たち』に変えて無理しちゃって、顔が赤くなっているぞ」
「そ、そんなことないよ、月が赤いから僕の顔も赤く見えているだけで」
「それにね」
急にミーニャがどこか冷たく鋭い瞳でアレックスを射抜いた。その表情の変化にアレックスは動きが止まった。
「あんたから闇の匂いがする。私の気のせいかもしれないけど」
言うだけ言うと、ぴょんと地面まで飛び降りた。
「明日には出るんだろ? 遅くまで付きあわせて悪いね。もう少しあんたが大人になったら、今の話考えてもいいよ」
「闇の……匂い? バカな。僕からそんな匂いがするわけない。僕は王子だぞ。名誉正しき、獅子と槍の国クレイスの」
ミーニャはすでに視界から消え、鳴き始めた鳥たちは答えてくれなかった。