第九話 出立
「英雄か。悪くない」
アレックスの前に立ち塞がる身長百八十の長身。成長途中で百六十に過ぎないアレックスとはまさしく大人と子供。
「だが、その手柄を王子一人のものにされては面白くない」
スィンは眉をひそめる。
「約束しよう。僕が凱旋する暁には、君の名も共々に国民に広く周知しよう。君が活躍すればね」
スィンはフンと鼻を鳴らして、手に持っていた干し肉を差し出す。
「食えよ」
「な、失礼だぞ! スィン!」
「王子に食わせたら失礼なものを俺たち兵士には食わせているのか? クマオヤジ」
「い、いや、そう言う問題では……無かろう」
「構うな、将軍……。これは?」
「俺たち兵士の食事だ。俺は孤児院の生まれでね。何でも分け合って食べてきた。俺が分け与えるものを食う奴じゃなきゃ命は預けられない」
「そうか、では頂こう……む……ほう、コショウがしっかり効いているじゃないか」
「あ、やべ……」
「スィン伍長? コショウをおいそれと買えるほどの給料を伍長には与えてはいないはずだが?」
ポキポキと指を鳴らしてメルムーク将軍はスィンに近づく。
「落ちていたのを拾ったんだよ」
「どこに落ちていたのか、詳しく聞かせてもらいたいものだな」
「ああ、将軍。スィンはもう伍長ではなく少尉であり、第二親衛隊の隊員だ。君は彼を指揮する立場にはない」
「うぐ!」
「ふぅ、助かったぜ」
肩を落とす将軍と、胸をなで下ろす伍長ならぬ少尉。
「それから、軍の食事状況を改善するように。金槌でも割れない乾パンと、コショウがなければ臭くて食えないような肉では士気に関わる」
「お、王子、そうはおっしゃいましてもこのような長期戦ですと軍費は……」
「言い訳は不要だ。軍費が足りぬなら、軍費があるうちに決着をつけよ。いいな」
「は、はぁ」
肩の力を落としっぱなしの将軍とは別に、兵士達は色めき立っていた。
「それではスィン少尉。僕たちは急がなければいけない。目的は行きながら話そう」
「それじゃぁ、お前ら、行ってくるぜ」
大騒ぎの兵士達と意気消沈の将軍を尻目に二人は早速、陣を抜け出そうとする。
「スィン伍ちょ……じゃなかった、少尉、お達者で!」
「帰ってくるのを待ってますよ!」
「ええい、二度と帰ってくるなと言ってやりたいが、そうなると殿下の身が……」
「クマオヤジ! 俺が帰ってくるまでに負けるんじゃねえぞ!」
去り際、振り向いてスィンは大声で叫んだ。
「貴様がおらんでも負けはせんわい!」
握り拳を作って答えるその姿は少し力なかった。
太陽の光が麦に覆われたバラポラス平原を黄金色に輝かせる。
その穂波を縫うように伸びる道を二人は歩いていた。
アレックスは白馬に乗っているが、スィンの歩みに速度を合わせているため進みは遅い。
「本来ならば、飛ばしてでも追いかけたいところだ。忍びの足を考えると、領内で追いつくのは困難か。本格的にウィード領に侵入することを検討しなければならないな」
馬上で呟き、クレイスとウィードをつなぐ道を頭に浮かべていた。
賊がどの道を通ったのか、自分たちがどの道で追跡することが最良かを巡らせる。
「なぁなぁ。護衛は俺一人なのか?」
「そうだ。不満か?」
「ああ、不満だね」
「意外だな。戦力が足りない、というのか?」
「ただ、戦うって言うだけなら、俺一人で十分だが、こんな面白そうな話、独り占めするのはもったいなくてね」
「面白いとは何だ! クレイス王国の危機だぞ!」
「危機だろうが何だろうが、結果、印璽を取り戻せば良いんだろ? 結果が同じなら、途中は面白い方が良い」
「そ、そうだな……結果が同じなら、君の意見を聞いても良い。護衛を増やしたいというのか?」
アレックスは馬上で眉をひくつかせながら尋ねるが、スィンはそれに気付くことなくただ馬の傍で前を見て歩みを進めていた。
「増やす、そうだな、結局は増やすことになるが、この追跡行に加わらせたい奴がいる」
「ほう、その名は?」
「ヘルマン=シュタイナー。聞いてないか? ホーン渓谷での活躍を」
「たった三人で敵の小隊を撃退したとか……。なるほど、それほどの実力者ならば、僕の護衛にもふさわしい。しかしホーン渓谷に向かうとなると少し遠回りか」
あごに手を当てて、少し考え込もうとするが、スィンからすぐさま言葉が飛んできた。
「遠回りに見えることも、案外近道かも知れないぜ」
「どういう意味だ」
「ホーン渓谷を越えればすぐにウィード領だって事さ」