第六話 実験棟
「つまんねぇくらい普通の戦い方だったよ」
「……閣下。やはり彼を評価に付けたのは間違いだったのでは」
ツートンカラーの髪を持つ女性の冷ややかな視線に銀髪の男は舌打ちするが反論はしない。
銀髪の男は「ヴォルフガング・メルヒオール・ヴェアハルト」、冷徹そうな女性は「ヘルガ・シュテファニエ・グロースクロイツ」。どちらも共に神智二十四兵の将校である。
「てめぇの言いたいことは分かるぜ、『言葉の足りない能無し』だろ。だがてめぇが行ってたところで言うことは俺と同じだよ」
「…普通、と。彼のような戦士が『普通』とは、また珍しい」
「ああ、ウン千年生きて『普通』ってのもおかしい話だ。だが、あいつが良い戦士であることに違いはねぇ。容赦無く、迷いが無く、無駄の無さにだけ慈悲がある。あれこそ積み重ねだ。ただの殺人マシーンとはモノが違う」
ヴェアハルトはフランス侵攻の際、自身の部下を引き連れテオドールと戦線を共にした。彼が本腰を入れて戦っていたらフランスの景色はまた異なっていただろうが、ヴェアハルトはハイドリヒの命令を受けテオドールの戦い方を見ることを優先した。
ヴェアハルトは粗野な男だ。血の気が多く、生き死にを懸けた戦いに歓びを感じる狂戦士で、同じ二十四兵でも品性の高い者とは反りが合わない。
しかしこの男は産まれてから何につけても「戦い」と共にあり、そのためか戦場で人を見る目は異様に確かだった。回りくどく面倒ではあるが、テオドールがどういう「もの」かを見るには「テオドール・ギフト」という男が扱いの難しい人物である以上これが現時点でのベストといえるだろう。
「断言出来る。あいつはそれしか知らねぇ男だった」
「……だった?」
訝しげなヘルガをヴェアハルトは鼻で笑う。
「『男』を通り越して『親』になってんだよ、あいつは。何だったか──【教会】の元騎士があいつの弟子を知っている口を利いた。全部聞こえたワケじゃねえが…『魔精殺し』をとったのは効き過ぎだったかもな」
「…ほう。ならば、お前から見て“蛇目”からは何の『匂い』がする?」
その問いに揚々と答えていた勢いは萎んだ。暫し考え込んだ後、薄く口を開く。
「──今のあいつからは戦場の匂いしかしねぇ。だが、閣下。あいつは恐らく、どうにでもなれる」
「……そうか。ご苦労、下がっていい」
「はっ」
ドアが閉まり、足音が離れていく。ヘルガからは眼窩に嵌め込まれたアイパッチしか見えないが、その視線が何を捉えているかを窺うのは容易だった。
「ヘルガ」
「…は」
「やはり幾分か御する必要がある。しばらくテオドールにつけ」
「承知致しました。彼にはどう伝えますか」
「任せる。だが、嘘はつくなよ」
「無論」
夕陽がベルリンを染める。ハイドリヒの金髪に反射する陽の色に、ヘルガは眩しそうに目を細めた。
* * *
(……これは)
ベルリン北部を訪れたダライアスは、魔力探知ではなく足音の違いからそれを見つけた。
鉄製のハッチには外観隠蔽術式しか施されていなかった。探知だけに頼っていたなら見落としたかもしれないが、周りの地面に合わせたカモフラージュすらされていないのは不自然だ。
ここは一応市街地だが、中心部と比べて緑が多く人の気配は少ない。風が枝を揺らす音にさえ息を殺して潜む人々の暮らしが容易に想像できる。
ダライアスは少し思案したが痛み無くして得るもの無し。ハッチを開き、鉄梯子を降りていく。
「……!」
そこは元は広大な地下通路だったのだろうが、今や巨大な実験棟と化していた。木の枠組みに支えられたガラスの筒には乾涸びた人間のようなものが収められており、萎れた項にはルーン文字が刻まれている。その人間のようなものからは奇妙なことに、一切の魔力を感じ取れない。
慎重に、足音を減らし、僅かな情報でも漏らすまいと感覚を尖らせる。
(……これは?)
通路を進むと先程見たガラス筒とはやや異なるガラス筒が置かれていた。やはりその中には人のようなもの…否、先と同じく乾涸びているものの、まだ「人」だと認識できるものが収められている。同じく項にルーンが刻まれていたが、そのルーンは項から尾骨にかけて背骨をなぞっている。
「……!!」
ダライアスは目を見開いた。浮き出た背骨の腰部分に針が打ち込まれ、ドレーンの中は黄色を帯びている。だがドレーンと輸液バッグを神秘的な輝きを持つ黒曜石のようなパーツが仲介し、それが濾過器のような役割を果たしているのか輸液バッグに溜まっている液体は青白い色をしている。半分ほど溜まったバッグからは更にドレーンが伸びて床に繋がっており、耳を澄ませるとちょろちょろと滴る音が聞こえた。
隣のガラス筒を覗けばやはり同じだった。隣だけではない。この通路にあるガラス筒の中に収められた人間全員が、青白い水のような「何か」をただひたすらに抜かれ続けている。
悍ましさに肌が粟立った。「何か」などといわなくても、ダライアスはもう青白い液体の正体に気付いている。
これは魔力だ。魔力の液体化およびその抽出技術によって、第三神国は類を見ない魔力供給源を手に入れたのだ。そして恐らくこの実験棟は第三神国の領地内に魔力を供給するための要の施設であり、「兵の異常強化」の種はここにあるとダライアスは睨んだ。
魔力世界の人間が定期的に、しかし諦めをもって締めくくる夢が一つある。それは魔力で動く何かしら…ゴーレムなり、召喚獣なり、そういったものを思うがままに、制限のない運用ができたなら、と。魔力の量は人間は人間並みに、魔族なら魔族並みにしか無いもので、現世の人々が豊かな資源を望むのと同じように魔力世界の人間も豊富な魔力を夢みるものだった。
この抽出技術はそれを叶えるものだ。紛れもなく、誰もが一度はみる「夢」がここにある。だがここで叶えられたその「夢」は、悍ましいものでしかなかった。
成程、ドイツがアドルフ・ハイドリヒに傾倒したのは妥当だろう。“新たなるヴォーダン”として国を導くカリスマ性と、大願を成し遂げる実力が裏付ける求心力。それに加えて分かりやすい、明らかな「敵」を作ることでその支配を強固なものにしたのだから。
「ウアアアァアァアアッ!!!」
「!」
その時、筒の一つが割れ中に収められていた人間が飛び出してきた。狂乱し、腕を振り回してダライアスに襲いかかる。
すぐさま短銃を抜き、銃身で横っ面を殴打する。そのまま相手の頭を押さえつけると顳顬にイヴリンを突き付ける。
「《静音》」
言霊を唱えて引き金を引く。衝撃はあったが銃声はしない。手を離した人間は頭を撃ち抜かれ事切れた。
(……正気は失っていたが、まだ命があるものがいるのか。……それもそうか。魂だけでも魔力は生成されるが、肉体が生きていなければ十分な魔力とはいえん)
「──誰かいるのか!?」
「っ」
カツカツと革靴の音が近付いてくる。ダライアスは咄嗟に姿晦ましの丸薬を噛むと近場の部屋に身を潜めた。
「『患者』の叫び声が聞こえてたぞ!」
「N-1からだ!」
親衛隊員が部屋の前を通り過ぎていく。『患者』と呼んだ人間が倒れているのを見て騒いでいたが侵入者が何処に逃げたかを安易に追うほど無能ではないようで、数人が引き返してくる。
引き返してきた親衛隊員がダライアスが潜んだ部屋に踏み入ってきた時、ダライアスは身を固くした。親衛隊員の行動に焦りを覚えたからではない。同じタイミングで部屋の奥側にあるドアが開き、現れた人物が想定外のものを持っていたからだ。
「どうしましたか」
法衣にも見える白衣に身を包んだその男性は、先天性白皮症特有の真っ白な髪に淡紅色の目を持っていた。アルビノでも太陽の光に当たっていれば多少の黄変が起こるものだが、この人物はそれすら無い白を持っている。
だがそれ以上にダライアスの警戒を高めさせたのは、複数のレンズを重ね合わせた奇異な眼鏡と、その奥にある淡紅色の瞳だ。遠目に見ただけだが、ダライアスはこれまでの経験からその眼鏡を所有している人間が何であるかを知っていた。『魔眼』だ。
最悪の場合に備え、ダライアスはイヴリンの柄を握る手に力を込める。『魔眼』は「視た対象に効果を及ぼす」眼である以上、その保有者は擬態や隠密を見破る能力をある程度有している。ダライアスが使った丸薬は効果が即時発動する代わりにその精度は高いとはいえないものだ。無論、【討伐隊】の師団の一つを率いる長であるダライアスが持っている丸薬が決して等級が低いわけではないが、絶対性が無いのは事実。
「あ、ああ……“アールツト”…“シュヴァンアールツト”大尉殿。先程患者が叫んでいたのですが、モニターには、何も?」
「…ええ。波形が乱れたのは観測しました。突発復帰発作だと思われます」
“シュヴァンアールツト”と呼ばれた医師はそう応対しながらゆったりと視線を巡らせる。ダライアスが視えているのかいないのかは判別がつかない。
「そ、そうでしたか。出過ぎた真似を致しました。失礼します」
意外にも親衛隊員は医師に対し終始丁寧な態度だった。医師は一度部屋を出て行ったが、数分足らずで戻って来た。扉をしっかり閉めると「もうよろしいですよ」と声を投げる。その腕には大量の白い羽根が抱えられていた。
「視たところ、大妖王国の将校とお見受けしますが。どのような用件でこちらに?」
医師は抱えた羽根を機械の中に流し入れながら、問診するような口調でダライアスに話しかける。敵対する国の軍人への態度としては明らかに不自然だ。
魔力を意図的に漏出させダライアスは隠密状態を解く。医師はやや驚いた様子を見せたが、眼鏡越しに穏やかな視線を送った。
「貴方は……。その装束、その風貌。もしやオズモンド卿の縁者でしょうか」
「…俺はダライアス・グレイズ。オズモンドは父だ」
「ああ…貴方が、彼の。お会いできて光栄です。こんな状況でなければ…」
「…貴方はこの国の秘密の『中核』に就いているのではないのか?俺が大妖王国の者と分かっているなら、何故…」
「……こちらへ。奥で話をしましょう」
医師に誘われるまま後に続き、モニタールームを通過し実験室のような場所に入る。しかしそこに、意外な姿があった。
「おとうさん!」
「こら。研究室に入ってはいけないと言わなかったかい」
「ごめんなさい。ディートが熱を出したの」
「ああ、それは私が悪いね。すぐに行くよ」
医師を「おとうさん」と呼んだ少女は地上の子供達と比べ幾分か上質なワンピースを着ていた。医師はダライアスに目で断りを入れると少女を伴い奥の部屋に入る。医師が部屋に入ったのと同時に複数人の子供の声が聞こえたのをダライアスの耳は聞き逃さなかった。
十分ほど経って、医師は一人で戻って来た。申し訳なさそうに眉を下げ、椅子にかける。
「お待たせしました。まず、私について…私はヴァルター・シュヴァン。この実験棟にある全ての施設の管理者です。北部ハッチからここにいらしたのですよね。ならこの国の現状はもう全て見たといってよいでしょう」
「…異様に街に人がいないのはそのためか」
「…その通りです。彼らは神智二十四兵によって反抗の意思ありと看做された人達。真偽の程は私は知りませんが、大半が無辜の民であるのは事実でしょう。万人の夢を叶えるためには相応の犠牲が必要だと、ハイドリヒは説いておりましたから」
「貴方は、何者だ。何故この国に留まっている?」
「……私は、『人と人の混ざりもの』です。魔眼保有者の網膜と視神経、触れた生命を塵に変える手を移植された人間です。とはいっても、「手」に関しては紛い物よりも可笑しなことになっていますが」
規定よりも長い白衣の袖を大きく捲り上げると、普通の人間よりふっくらとした、しかし鋭い爪を備えた歪な手に「羽根」が生えていた。手や指を覆うものでなく、まるで鳥が羽根を乱雑に毟られた後に残った羽根のようだ。
「貴方を突き出さなかったのは……私も反抗の芽を育んでいたからですよ。この国が出来上がる前からずっと、私の心の中で」
「……」
「この国のはらわたを見た貴方を私は止めません。……ただ、あの子供達は見逃していただきたい」
「……取引だ。お前がここからの魔力供給を止めるなら、俺達は子供に手を出さないで済む」
「容易いことです。子供達を「少年補給兵」にしなくて済むのなら」
その単語にダライアスは奥歯を噛んだ。何も知らない子供だからと、親に付けられた烙印が子に押されないという道理はこの国には存在しないのだ。
「何」を補給するかなど、火を見るより明らか。若く、生命力に溢れる命など、神智二十四兵は「自力で歩いて来れる魔力」としか見ていない。この国は終わっている。何もかもが腐り果て、終わっているのだ。
シュヴァンは立ち上がり、ダライアスに見届けるよう声をかける。実験棟から更に下に降りると、青白い水の溜まる巨大な魔力プールに辿り着いた。
「短期で片を付けるとよろしいでしょう。急停止はできませんが、量を絞り止める事なら可能です。日暮れには完全に供給が停止します」
「…貴方はこれからどうする気だ」
「どうもいたしません。最悪の事態に備えるだけです。…全てが終わって、私は死ぬだろうと思いますが、そうなったら助けてあげて下さい。リーザが他の子供達を説得してくれるでしょう」
リーザ、というのは研究室にいたあの利発そうな女の子のことなのだろう。シュヴァンも後ろ向きではあるが、誰も諦めていない。それこそがダライアスへの最大の援護だった。
ダライアスが去り、シュヴァンは静かに反抗の狼煙を上げた手を見つめる。
この手は素手で触れた生き物をすべて「真っ白な羽根」に変えてしまう。白鳥を切り裂いたように大量の白い羽根が舞うのは幻想的だと誰かが嗤っていた。
実験棟では、魔力の出尽くした『患者』は破棄されない。シュヴァンの手によって、「羽根」に変わる。そしてそれから最後の魔力を抽出する。
強欲であり、貪欲であり、浅はかな飢餓に支配された傲慢の国。それがこの国の醜悪な素顔だ。
どんなことがあっても守り抜く。「どんなことがあっても守り抜ける」算段がある。かつて邂逅した恩人に与えてもらったように、今度は自分が「選択」する「自由」を与えてあげなけれは。
それこそが、自身の墓標に唯一刻める誇りであり。自分をこのように変えた世界への、善性に溢れた復讐だ。
「リーザ、いいね。よく聞きなさい」