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第五話 侵攻する鉤十字


「……見事なものだ。有史以前の施術でここまでのものとは」

「お褒めに預かり光栄だろうよ、総統閣下」

「“(ナーゲル)”のルーンは暫く使えないと危惧したが、元からあるのなら些事だろう。残念だが」

 『総統閣下』と呼ばれた若い金髪の男の名は「アドルフ・ゴットフリート・ヴォーダン・ハイドリヒ」。オーディンの旅を生きて成し遂げた“黄金の獣”。

 その彼がまじまじと観察しているのはテオドールの左眼だ。

 前任の「G」のルーン保有者であった“地底裂く爪(グラープ・ナーゲル)”のルーンはどうやったのかも分からない程無残に引き裂かれていた。そのためその席に収まったテオドールへのルーンをどうするか、という話だったそうだが、テオドールは既にルーンを持っていた。

 普段は縫われ閉じられている左眼は、その糸を抜き瞼を開いている。その眼に刻まれているのはアルファベットの「X」に似たルーン、「贈り物(ギューフ)」を意味する「G」のルーンがある。

「貴公が『ギフト』のルーンを持つとは、意外ではあったが。由来でもあるのか?」

「由来?は、そんな殊勝なものが有る程文明的でも無い。皮肉だろうさ、術士のな」

「与える側であれ、ということだろう。何においても」

 糸と針を貰えるか、とテオドールが要求するとハイドリヒは控えていた少年を呼ぶ。少年が持ってきたスチールトレーには所望の品が載っていた。

「失礼いたします、テオドール殿」

「おう」

「やはり、力あるものは秘するものなのですね。…これは視覚には影響はないのですか?」

「有ったぞ。今はもう馴染み切っているが。肉体に直接刻めばそうなるのはお前も良く知るところだろう?」

 少年の鎖骨の下を中指で突く。少年は息を詰めたが、針に動揺は表れず完璧な縫合をしてみせた。

「…あまり他人を詮索するのは褒められた行為ではありませんよ、“蛇目(バジリスク)”殿。これは僕の誇りであり忠誠と実力の証です」

水の声(キルフェンリート)が血なまぐさいものを歌うなあ。様になる」

 糸を切る音と共に会話は打ち切られた。少年は強い嫌悪感を表情に滲ませているが、自分の機嫌は自分で取れると目が語る。

「僕は神智二十四兵大佐、クラウス・グラーフ・フォン・リーフェンシュタール。貴方は特例とはいえ閣下に従うのには変わらない。それに相応しい言葉を身につけて頂きたい」

 言い切ってクラウスはハイドリヒの後ろへ下がった。二人の棘が見え隠れするやり取りを目の前で見ていてもハイドリヒは微笑んで眺めているだけだったが、その目は注意深く隙がない。

「さて、(とも)よ。望みの品だ。『死剣の(ダインスレイヴ=エ)遺産ルプシャフト』。かのダインスレイヴの欠け落ちた刃先から打たれたというが、果たして貴公の望み通りひと振りで十の首を斬るかどうか」

「ほう。大層な謂れの有るものを出してきたな」

 黒い鞘に収められた『ダインスレイヴ』の名を持つ細身の剣がテオドールの手に渡る。テオドールは躊躇いなく剣を抜き取ると、滑らかな黒刃が露わになった。

 しかしそれを抜いたテオドールは眉を寄せる。傍目からはテオドールが剣を抜いて静止しているだけにしか見えないが、その実はテオドールが今にも動き出さんとする魔剣を止めていた。ダインスレイヴの謂れは(まこと)のようで、血に焦がれており放っておけば誰彼構わず斬りかかるだろう。

「……真であるのは結構。だが『死剣の遺産』、お前は自らが何かを分かっていないようだな」

 テオドールが言葉を投げかけるとガードに紅い目玉が生まれ声の主を見上げる。テオドールの反応が見物だと言わんばかりの目玉だが、テオドールの片目にその瞳孔はすぐに縮こまった。

 呪いといえる宿命の性質を持つ魔剣の謂れを持つ魔剣だけあって、この魔剣自体が呪いや悪性に敏感だった。しかし事実テオドールは呪いに区分される性質を得ているものの、魔剣が竦んだのはそれに対してではない。「覚悟が無かった」とでも例えようか、ただ純粋に「生きる為に戦ってきた男」の格に原始的な恐怖を覚えたのだ。

 「何を考えているのかが理解できない」のは、望み望まれ血を吸ってきた『ダインスレイヴ』にとって認識外の恐怖に近い。従わず殺されてきた人間を数多く知る魔剣ではあったが、まさか己がそちら側へ回ることになるとは思ってもいなかった。

「良く良く、言うことを聞くのだな。望むように血を吸わせてはやるが、お前の従僕となる道理は(おれ)には無い。鈍らに成り下がりたいのなら、また話は変わってくるが…」

 テオドールが抜き身のまま魔剣を机に置くと僅かに震え、動かなくなる。テオドールが口端で嗤って魔剣を戻すと、ハイドリヒは我慢できないといった様子で笑いを噛み殺していた。

「ふ、ふ……っははははは!魔剣を脅迫で屈服させるとは…!年季の格が違うというものだな。まこと恐ろしく、頼もしいものだ」

「どうにでもできる算段で止めなかったお前が何を言う。だが性格はどうとして、この刃は本物の魔性だ。有り難く使わせてもらうとしよう」

「ああ、気に入ってもらえたようで何よりだ。さてそれでは──早速、仕事をしてもらおう。他ならぬ貴公の初陣、存分に武を奮ってもらいたい」

「良いだろう。何処に征けと?」

「アルデンヌ。一度は敗北を喫したアルデンヌを今一度突破し、フランスを落としてくれたまえよ」

「…成程。確かに、これ以上に無く相応しい初陣だろうよ」

 ダライアスが守っていたそこを崩せと言われてもテオドールは眉ひとつ動かさない。その返事にハイドリヒは心地よく微笑んだ。


* * *


『── 諸君。この好機は奇跡である』

 耳障りな演説がテオドールの持つ通信機を通してダライアスの耳に入る。

 神智二十四兵の一人を討ち、その首を土産に二十四兵の一席に入り込んだテオドールが命じられたのは、ダライアスが女王に呼び戻される前に守りきり戦争が始まって以来初の防衛成功例となったフランスのアルデンヌへ再侵攻し、今度こそフランスを攻め落とすというものだった。

 ハイドリヒは既にテオドールとダライアスが第三神国を落とそうとしていることを確信しているのかもしれない。あるいは揺さぶりをかけているのか、単純に、テオドールという特級戦力を得た今だからこそ再侵攻に踏み切ったとも考えられる。

 フランスは落ちる。これは確定事項だ。ダライアスが呼び戻されたことで防衛戦線は調整がなされ、第一次アルデンヌ作戦程の兵力は無い。現世の大戦にはアメリカという大国戦力があったが、魔力世界のアメリカはシャーマンの一族が支配する広大な地であり、軍と呼べるものはない。つまり、西部戦線はイギリスとフランスが連合国の中核であり、フランスが落ちることは限りなく詰み(チェックメイト)に近いことなのだ。

 だからこそ落とさせる訳にはいかなかった。倒れた兵士を、流れた血を思うと憤怨が身の内を焼く。

 通信機の向こうでは勝利万歳(ジークハイル)と兵士が叫ぶ。ハイドリヒの演説が終わり、兵士の足音が聞こえている。

 兵士の移動が概ね済み次第、ダライアスは第三神国の持つ「力」のうち『兵士が異様に強くなる』力を潰すために動かなければならない。そうしなければハイドリヒを討つことすらままならないだろう。

 第三神国を落とすのにかける時間は長くて一日。フランスが落ち、ある程度第三神国の兵が気を抜いたその時に決行するしかない。その為にはダライアスもテオドールも持ち得る力を神智二十四兵を倒すのに使わなければならず、弾の一発とて雑兵にかける余裕はない。

『── ああ、「お前」』

 テオドールが「誰か」を呼ぶ。それは唐突で、何か彼の気を引くようなものがあったような声ではない。兵が返事をしたのは聞こえたが、聞こえ方が奇妙だ。

『準備を頼むぞ』

「──…………」

 ダライアスは思わず出かかった溜息を留め、細く息を吐く。

 二人に連携というものは存在しないが、目標が同じ以上辿り着くものは同じ。それに向けて己の為すべきことを為すだけだ。しかしどうにも、考えていることが一致すると無性に腹立たしくなる。

 ダライアスは音もなく木から飛び降りると、瞬時に姿を消し目的地へ向かった。



 五時間後。フランス、パリ。

「うわあああああ!」

「な、なんだ、あの剣士は!ひと振りでこんな…」

「に、逃げろ!巻き込まれたらお終いだ!!」

 テオドールを加えた第二次アルデンヌ侵攻は怒濤の勢いで防衛戦線を突破し、遂に首都パリへ踏み入った。

 王族を守るための兵が立ち塞がるが、その首は軒並み宙を舞う。まともな鎧も身に付けず、第三神国の腕章を付けたコートを羽織るだけの隻腕の男が並み居る兵士を斬り殺す。

 正面から小細工無しの剣一本で歴史ある騎士団が壊滅していくのは絵空事のよう。一騎当千というには凡そ呆気なさすぎるくらいに人が死んでいく。

 目的はフランスの指揮官だ。フランスは王政だが、その王は戦いを知らない温室育ちの王。彼が指揮官だったら第三神国の旗が見えただけで降伏していただろう。分かりきっている事態を避けるべく、フランスは政治と軍を分けていた。その考えは正しかったが、余りに兵力の差がありすぎた。

「そこ、退きなさい!!」

「!」

 テオドールの真上に影がかかる。振り下ろされる剣を避け、テオドールは突然現れた全身甲冑(フルアーマー)の男をじっと見据える。

「あ、あれは……!!」

「【教会】の!?避難したんじゃなかったのか!!」

「ほんっと…こっちの騎士はおバカしかいないのね!!相手が誰かも分からずに戦うなんて愚策も愚策!」

「っ!……お前、『騎士』か」

「やあよ、今はシスターって呼んで!あんまりにも酷いもんだから助けに来ただけよ」

 甲冑の男はテオドールを悠々と上回る背丈の巨漢だが、その口調はどう聞いても女のもの。しかしその腕は(やわ)ではなく、テオドールと互角に打ち合っている。

 シスターと呼ばれたがる彼は頭から爪先まで鎧に身を包み、大盾と剣を振るう重装歩兵だがその動きには全くと言っていいほど隙がない。戦場に似つかわしくない空気とは裏腹に、その動きは歴戦の戦士──否、『騎士』であることを窺わせた。

「お噂はかねがね。良い噂も悪い噂も色々聞いてるわ」

「『良い噂』?そんなものお前等が囁くのか」

「【教会(あっち)】じゃないわ。あんな性格ブスとウチの子を一緒にしないでいただける?」

「──お前。あれが友人と言っていた…」

「よかった。…アンタ、弟子と何にも話せないような機能不全者じゃないのね」

「ど、う思われてるか、良く分かるものだな…!」

 片腕だけで受け止めるにはその剣は余りに重い。のしかかる力を受け流し、間合いを取り剣に炎を宿す。

「分かってるなら──分かってるなら、どうしてアンタは、弟子を戦地にやったのよ!!ただ魔力が特別だっただけの、普通の女の子を!“蛇目”とあろう男が、何故止められなかった!!」

「知った様な口を利く。あれを孤児(みなしご)とでも思っているのか!」

「それも同然でしょう!こんな戦争に投げ入れていい子なんて一人としていて良いものですか!!…アンタ、そっち側で何をしてるのよ。弟子の事を想っているのなら、何故!」

「……!!」

 瞬間、炎の剣が燃え上がる。盾を容易く斬り上げ、その斬撃は鎧に届き血が噴き出す。

男は倒れる。テオドールは忌々しげに息を吐いたが、次の瞬間間合いを詰めてきた存在の拳を胴に食らった。

「不死か……!」

「ええ、そうよ!アンタが油断してたなんて、アタシも思ってなかったわ!」

 兜と鎧の上半分は見事に両断され、中身が抜けて転がっている。しかしそれを着ていた男は斬られた痕こそ残っていても恐ろしい速さで戦闘復帰を果たした。

 死なない呪い。元とはいえ【教会】にその呪いを持つ者がいたというのは珍しいが、テオドールは間違えない。厄介な事になったと舌打ちする。

 兜の中身はやはり男性だった。妖精が好むであろうブロンドはややくすんでいるが、菫色の眼は逸らすことなくテオドールを見つめている。その輝きは人間の本質を見抜くもので、テオドールにすら臆することなく向けてくる。

 テオドールは自分を嘲った。この男が言うことも、今ここに立っているのも全てが「親」として真っ当な行動だ。それに比べ己はなんと無様なことか。彼の糾弾が寧ろ心地好くすらある。

「お前、名は」

「──ッ!……レドゥアード・シルヴィア・リュピ」

 男と女の名前を持つ騎士はテオドールの纏う空気が変わったことを感じ取る。フランス軍はレドゥアードがテオドールを阻み果敢に立ち向かう姿に息を吹き返し、勢力の鍔迫り合いが続いているが、テオドールはそれをここで断つと暗に言った。

「…己は『テオドール』。之より己がお前を殺す」

「!!」

 テオドールはレドゥアードの懐に潜り込み斬り上げたが間一髪で躱された。しかし距離をとったレドゥアードを逃すことなく幾度も間合いを詰め、獰猛に斬り掛かる。

 レドゥアードも攻勢に転じるがその尽くが受け止められ、次の瞬間には流れを変えられる。これまでの剣戟はテオドールにとって小手調べに過ぎなかったのだとレドゥアードは絶望しかかった。

「弱くは無かったよ。レドゥアード」

 ただ、経験の差が埋めようもない程だっただけ。

「がッ……!!」

 レドゥアードの心臓部に魔剣を深々と突き刺す。魔剣による傷でも不死は死なないが、心臓を貫き背中に切っ先が現れるほど深く刺さった魔剣はテオドールの魔力を受けレドゥアードの再生力を蝕む。テオドールにとってはそれで十分だった。

「な…なんということだ!」

「レドゥアード様!!」

「畳み掛けろ!!」

「「「おおおおおおおおおおお!!!」」」

 第三神国の兵が雪崩込むように侵攻する。テオドールは魔剣を抜くと血を振り払い、目を合わせることなく司令部に向かって進む。

(あ、あ…。彼、は、まさか……)

 硝煙に霞む背中が見えなくなってもレドゥアードは見続ける。目を見ればどんな人間か分かった。間違いなく「人」だった。それなのに、何故テオドールがこんな所にいるのか。ただ敵側に彼がいるという事実ではなく、テオドールの目に見えない「何か」を見たレドゥアードは心臓が潰れてしまいそうな予感を感じていた。


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