第四話 昔語り
じゃがいもと人参、玉ねぎにヴルストがごろごろと入った簡素なスープとパン。男二人というのもあり量をがっつりと盛る。
「……」
「文句が有るなら聞くぞ。受け入れるかは別だが」
「…いや、美味い。塩とハーブか?良いものを使っているな」
「流石舌が肥えているな。材料は時期さえ間違えなければ、後は味付けがものを言うのだと。あれが食事にはうるさくてな…塩の産地を言い出した時に諦めた」
呆れたような口振りで話すがその表情には温かみがあった。確かに、テオドールはそういった細かい所にこだわるような性分にはあまり見えない。自足自給で美味しく育てばそれで事足りるのだろう。
しかしどうやってスープを作ったのかを聞くのは最早野暮というものだった。そも、崇が学院に入ってからはテオドールは一人で暮らしていたのだ。今更片腕が無いからといって家事ができないということは無いのだろう。
「そら」
「!…ビールか」
「饗すも昔を語るも先ずは酒だろう。素面で話して心地の良い話では無いからな」
投げられたのはビール瓶だった。ダライアスが反射的に銃を取ったものの、撃つ前に飛んできたビール瓶をしっかり認識し左手で受け取った動体視力にテオドールが内心感心していたのはここだけの話である。
「あのような絵をあれが持っているとは思わなんだのでな。多少気分が良い」
「…あれは貴様の英雄画か」
「ああ、無名の割にはよく描けていたな。あれが昔の己に一番似ていた覚えが有る。…ああ、だから買ったのか。可愛らしいものよ」
「……」
弟子に悪いことをしてしまったかもしれん。ダライアスはそう思いながらビールに口をつける。
「で…腕の話だったな」
「聞いたのは俺だが…話したくない事を話せとは言わんぞ」
「如何したいきなり。倅の話をした当て付けかと思ったが」
「……」
「まあ拗ねるな拗ねるな。それも人間の本性だろう、今更返上出来る事でも無し。
なに、お前には大いに働いて貰わねばならんからな。前払いよ」
「くっ……」
あからさまに嫌そうな表情を返すダライアスにテオドールは呵呵と笑った。その表情にする事すらテオドールの愉しみの一つだと分かっていたのに引っかかってしまったことがまた悔しい。
「老人の昔語りと聴くと良いさ。お前は馴染みが無いかも知れんが、此方の貴族や騎士の家は度々、魔法や魔術を学ぶ幼子の『交流』をさせることが有ってな。態々従者に手紙を持たせてきた事があったから、それに出向いたのよ。あれが──十を迎えた頃だったな」
──────────
その回の主催はヴィルヘルム・フォン・ベルヴァルト。ドイツ帝国がプロイセン王国だった頃から第一線で戦い続けていた魔法騎士だ。名は聞いた事が有るだろう?其奴だ。
己が如何せんこうだから、崇が興味を持たなければ行くことは無かったのだが。流石にベルヴァルトから手紙を寄越されては行かぬ訳にもいくまい。奴は純粋に崇の顔を見たいと思っていただけの様だったから、行く事にした。
あれは中々人見知りが強かったが、同じ平民の子らとは馴染めていた。村にも同じ歳の子は居るが、自分と同じように魔法を学んでいる子供は居なかったからな。楽しそうにしていたよ。
「テオドール殿、お久しぶりです」
「おう。全く、従者に手紙を運ばせるとはな。位の使い方を覚えよって」
「はは、こうでもしないと貴方は来てくれなかったでしょう。弟子殿が幼子と聞けばしない理由がありません。たまにはこうやって外に出るのも良いものですよ。して、その弟子殿はどちらに?」
「あれだ。あの頭一つ抜けている、黒髪の」
自分の使い魔を見せ合っている子供達の中から崇を呼ぶ。ベルヴァルトの目は妙に好奇に輝いていたのを覚えている。
「此奴が手紙を寄越してきたヴィルヘルム・フォン・ベルヴァルトだ」
「やあ、はじめまして。テオドール殿のお弟子さんだね。名前は?」
「初めまして、サー・ベルヴァルト。竹中崇、といいます」
「そこまで畏まらなくていいよ。珍しい名前だね。いくつなんだい?」
「先日で十になりました」
「そうか、十歳。……十歳!?ず、随分大きいな?」
「っは!まだまだ序の口なんだろうさ。いずれ己の服も合わなくなるだろうよ」
周りの子供より頭ひとつ分抜けていたくらいか。父親が相当背の高い男だったから遺伝なのだろうな。
互いの得意な魔法を見せ合ったり、興味の出た魔法は子供同士で教え合ったり…普通の「交流会」だった。それで、休憩の後には運動しようと模擬戦闘の催しが開かれた。
そう珍しい事では無い。魔物や魔獣はいつ現れてもおかしく無い環境だからな。師から離れてある程度の「使い」に出る事がある弟子は自然と戦える術を持つものよ。
騎士が主催した交流会で惨事は当然起こせん。双方に厳重な護りと、節度のあるルールを決めた上でトーナメント形式の模擬戦闘が行われた。ルールは、三枚のバリア状の護り全てを失ったら負け。簡単だろう?
あれはまあ、中々上手くやっていたよ。使い魔が守る事に長けたものなのもあったが、相手を良く見て露になった隙を確りと突く。…まあ、人を相手に戦った事が無い子供にしては良くやっていたさ。
準々決勝か?そこらで崇が当たったのがクラインフェルター伯爵の子息よ。アレンと云ったか。まあ強かった。筋が良いのだろうな、好機と見れば接近し技を繰り出したくらいだ。余計な言葉を吐かなければ勝っていただろうに。
流石に崇も劣勢になれば自分から攻め手に出なければならん。結晶槍の魔法を出したのだが──その時よ、奴が『余計な言葉』を吐いたのは。
「人殺しの魔法だ!!」
騒然としたさ。奴は尚言葉を続けた。
「やっぱりおまえの師匠は人殺しなんだ!」
「っな……違、う!」
「父上が言ってたんだ、嘘じゃない!おまえも人殺しになるんだな!」
クラインフェルターは蒼白になっていたよ。皆己の方を見ていたが、真に見ているべきは崇だった。
「……しろ」
「ん?」
「撤回、しろ。師匠は……」
「人殺しなんかじゃあない!!!!!」
崇自身の魔力が溢れ出した。あれの魔力の事は知っているだろう、“魔精殺し”だ。
魔精殺しは崇にかけられた護りを容赦なく砕いて外に出た。万一が有るからな、柔なものでは無かったが魔精殺しにしてみれば薄紙以下だっただろう。僅かに魔力の先がクラインフェルターの倅の護りに触れるか触れないかで、その護りは三枚一気に壊された。倅が無事だったのはベルヴァルトに強制離脱させられたからよ。奴が瞬時に結界を二枚増やさねば被害は広がっただろうな。
当然己も間に入ったさ。崇は自分でも如何したら良いか分からなくなっていたようで膝を突いていた。だが魔力の奔流は止まらない。目を覆っても気休めにしかならなんだ。だから触媒を壊す方向に転じた。あれは右が杖腕だ。…己は左手で杖を掴んだ。守りも何も掛けず。した所で結果は変わらん。
魔精殺しと戦った事はある。息の根を止めた事もな。だが、受けた事は無かった。あれは駄目だな。自分が滅えるのが如実に分かるのは堪える。
魔精殺しは腐食性の魔力だ。だが激昂していたからか侵食が相当早かった。
──────────
「……だから切り落とした。間に合わなかったら己自身が滅えていただろう」
「…自ら切り落としたとはな」
「あれが走馬灯というものだったのかもな。石化の呪いで左腕を石に変えそれで相殺出来ないかとも思ったがまあ無理だと直ぐに分かった。
己が腕を切り落とした所で漸く感情が現実に戻れたらしい。其処で暴走は鎮まった。だが相当な騒ぎになったからな…教会連中がやって来たのはその日の晩だった。ベルヴァルトが保護してくれていなかったら崇はあの日の内に殺されていたかも知らん」
ビールを軽く煽る。酔いが回ってきているのかテオドールの頬は些か赤い。
「…己が人殺しと云う事実は変わらん。千を超えて生きてきて、何も殺さずに居られる程この世は柔くない。己は戦うことしか生きる術を知らん質だったから尚更な。人を殺した数より怪物を殺した数の方が、善人を殺した数より悪人を殺した数の方が多いからこうして追われずに居るのだろう」
その時、初めてテオドールの表情に陰が差した。
「あれは、それを理解して、それでも己を人殺しでは無いと言う。人を殺して愉しむ人間だと勝手に思っている人間が許せないと憤り泣いていた。ああ、確かに己は殺しを愉しいとは思わんよ。だが、あれの純真に応えられないのも事実だ。腕をこのままにしているのはその為だ。これくらいはせぬと、己は堪えん」
そういう事だとテオドールは話を締め括った。気付けば瓶は空になりかけている。まだ飲むか、とテオドールは目で聞いたがダライアスは断った。
「ああ、そうだ。明日からの事だが」
「ああ。単独で行動する気だろう」
「察しが良くて何より。どうせ彼方も明日にまた来るのだろう。そうなったら多少面倒であるし、ならさっさと潜り込んでしまった方が良いだろう」
「…何か当てがあるのか」
「まあ、席は用意出来るだろう。お前はお前で外で動いてくれ。合図を送るまでは互いに一方通行でも問題あるまい」
「!貴様、もしや…」
先程の湿っぽい雰囲気は何処へやら、昼間秘密警察に向けたようにテオドールは口端を吊り上げる。想定は出来ていたことだ、とダライアスは大きく溜め息を吐いた。
* * *
第三神国首都、ベルリン。
神智二十四兵会議場。
会議室に空席が五つ。最奥に座る、見事な金髪の軍人は目を閉じ定刻を待っている。
上から数えて三番目の席に座る黒と青色のツートンカラーの髪を持つ女性は、空席があるこの現状を嘆かわしいと険しい表情で睨み付けている。
壮年の魔術師然とした雰囲気の男性、好戦的な笑みを浮かべる男、にこにこと微笑みを絶やすことの無い女性に、年若く生真面目な面持ちの少年。
絶対的な静寂が支配する強者の間。だがその時、その静寂に相応しくない乱れた足音が扉を開けた。
「報告致します!!」
「どうした。禁を破るほどのものなのだろうな」
「先程、しょ──」
ツートンカラーの女性が冷ややかな目で親衛隊員を見据える。だがその親衛隊員は報告しようとしたその時、目を見開いたままばたりと倒れる。
扉が開け放たれ、全員が異様な気配に気が付く。扉の先、長い廊下を進み、こちらに向かってくる人間がいる。
返り血を浴びた人物がゆらゆらと揺れるものを右手に持っている。そしてその人物は──その男は会議室に足を踏み入れると、手に持ったものを、カールハインツ・ヴィンプフェリングの首を、顔が映り込む程磨き上げられた長机に放り投げた。
「ひ、……ッ!」
「……………へぇ………」
ごろごろと骨が繋がった首が金髪の男の前に転がる。
「よお、“新たなるヴォーダン”。否、“獣殿”と呼ぶべきか?」
「………………“蛇目”」
左眼の黄金と蒼天が、テオドールを確かに収めていた。