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第一話 女王拝謁


 あらゆるものが竦み上がった。両眼揃わぬ蛇の眼はこちらを見てもいない。強襲じみた報告も耳を過ぎぬ頃にその“蛇”は院長室に踏み入ってきた。

 “蛇目(バジリスク)”。「最強」を問えば、間違いなく名が上がる魔法使い。神代の直接支配が終わりを告げた後の代に生まれたにも関わらず、誰の神の血も入らぬというのに人を脅かすあらゆる怪物を殺してきた戦士。

 詩人は言う、彼は『英雄』であると。施政者は言う、彼は『災厄』であると。聖職者は言う、彼は『悪の臓腑』であると。悪魔は言う、彼は『真情』であると。

目が合えば、声を漏らせば、話さなければ──明確な法則は無く、運悪く彼の機微に触れれば死は容易く訪れる。

 「何故、彼が【学院(ここ)】に」。そう思う愚図はいなかった。居れば、彼が院長室に踏み入った瞬間に気道を圧され死んでいただろう。もっとも、意識を保っているのは私と学院長のみ。他は皆ばたばたと倒れてしまった。殺気でも放っていればまだ意識を保っている者もいただろうが、彼が何の空気も纏わないことが何よりも恐ろしく感じる。

 理由は分かっている。分かっていなければ、ここまで恐れていないし毅然としていられない。

「貴方の捜し人は、もうここにはおりません」

「……随分、確りと喋れるじゃあねえか」

 まるで笑っているような声色だった。けれどその口端はひくりとも動かず、学院長をじっと見ている。

「貴方の子を彼らの下へ行かせればどうなるかは千里を視るより明らかでしたからな。あの場に立ち合った者全て、この状況を予期しておりました。──して。如何用ですかな、テオドール・ギフト殿」

「あれは枢軸にやったのか」

「…ええ、その通りに。秤にかけた重さは同じでも、失われる数は千の差がありましたゆえ」

「千。三だろう。最初に交わした約束は何れにせよ守られなかった。如何(どう)報復するか。

ザグマンタリウスとカルバ=イリ、コノヴァロフの首を揃えるか。後は何があっただろうか」

 全身に鳥肌が立った。息をするように蛇目はこちらを脅す。「三」の意味はすぐに分かった。この数字と彼が挙げた名前は、生徒の中でも随一の魔法使いと魔術師のものだ。

 血の気が一気に引いた。容赦なく、理不尽に奪い去る暴挙への憤りよりも恐怖が勝った。

 脅迫が「決定」へ変わる際に彼は立っている。その線を一歩越える、いや、足を摺るだけで変わってしまうのだろう。その前に、止めなければならない。

「お待ちを。貴方が求めるその代償、道理に合うものではありますまい」

「……ならば、如何する?」

「我々が為す術なく彼女を渡したとお思いでしょうが、我々には我々の流儀と誇り、そして我々にしか出来ぬ事があるというものです。貴方の怒りは尤もだ。しかし、貴方には成さねばならぬものがあります」

学院長は机に置いた彼の触媒──「ランタン」を振る。するとそこに、ある紋章で封をされた手紙が現れる。私は目を疑った。

「──王室が、何を干渉している」

 一瞬しか見えなかったが、その紋章を見間違えるはずがない。その紋章はグレートブリテン王国の紋章だった。差出人は王室の誰か、それが誰であれ、個人に届くことはまずありえない。しかし今、学院長から蛇目に王室からの手紙が渡された。只事ではない。

「陛下は一度目が終わっても尚このような戦争が起こった事を大変痛ましく思っていらっしゃいます。早急にこの戦争を止めねば現世に響き、また戦争が起こるやもしれません。繰り返しを起こしてはならないのです」

「……『必ず来い』、か」

 手紙を丁寧に折り畳んで戻し、蛇目は杖尻で床を叩く。誰も殺されなかった。無意識に安堵したその時、蛇目が声を発した。

「お前、これで無事で済むと思うなよ」

 その瞬間炎が燃え上がり、彼は炎の蛇となって消えた。

「……去っ…た…ので、しょうか…?」

「ええ。女王陛下の下へ向かわれたのでしょうな。陛下からの文を知らぬとするほど、彼は人を捨ててはおらんでしょう」

「何故、言いきれるのですか?」

「彼はブリテンとは浅くない関係にあると聞いております。例え民が忘れる程に長い時が経っていても、王はそれを繋ぎ、“蛇目”殿が忘れることは無い。その始まりは遠すぎて、我々には途方も無いものですがな」

 気絶した者を起こし、ふと振り返ると先程まで蛇目がいた所が焦げている。

蛇目と相対したのは初めてだ。伝え聞いていたより強く、恐ろしく、そして──纏う魔力は余りに暗く、(くら)い。

 私は何も、彼の事を知らないが。それでも分かることが…分かってしまったことが一つだけあった。彼がこの戦争を終わらせる事になるなら、それは。


 それは、数多の血の上に終わるのだろう。

 屍も、()()()もなく、ただ数多の血の上に。


──────────


グレートブリテン、バッキンガム宮殿。

「久しぶりね、テオドール」

「……おい。随分と老いたじゃあねえか」

 王座の間に通されたテオドールは女王に拝謁するにも関わらず膝を折らない。それ所か平然と王座に近付き、女王の貌を覗き込む。出てきたのは愕然と、それを認めるしかない言葉だった。

 テオドールが最後に女王に会ったのはおよそ二百五十年前に行われた戴冠式。その時の彼女は相当若かったが、威風たり得る美しさを持っていた。

「お前……そこまで疲弊しているのか。お前が、偉大なる大妖国(グレートブリテン)が」

 しかし今は、目尻に、口元に皺があるのが分かる。何故彼女が手紙を命令形で締めたのか、テオドールは全てを悟った。


 〈現世〉と〈魔力世界〉は一目で異なる世界だと分かるが、その二つを結び付けているものの証拠として各国の『王』がある。

 王政であれ、民主制であれ、その国には『王』がある。現世ではその国の中核を担う人物が「王」にあたる。

 神が存在する魔力世界で、『王』の存在とは何か。その答えを知るのはごく少数だ。民衆が知ることは無く、『王』とその一族──イギリスなら「王室」、日本なら「皇族」しか、知らない。だが長命な者や敏い者は、自分でその答えを見つけ出していることがある。しかし彼らは、それを秘匿する。それは彼らの愛国心が故に。

 『王』は、『国』の『力』を担う者。領土の(マナ)を知覚し、ほんの少しだけだが操ることができる。災害が起こりうるならそれを察知し、少しでも民への被害を少なくする。国と共にあるのが彼ら『王』なのだ。

 その性質上、『王』は須らく長命だ。しかし彼らにも死は訪れる。そしてその死は、現世の「王」と共にするのが彼らという存在。

 魔力世界側の『王』が老い、死を迎える時。それは必ず現世側の、その代の「王」が死ぬ時なのだ。


 女王が老いる。それは、彼女と、現世の「王」…ジョージ六世、彼女らの黄昏が近付いてきている事を表す。女王が崩御しても国は滅びない。次の王が即位し、役目が受け継がれる。しかし、彼女に残された時間は恐ろしい程の早さで失われているのだ。

 だが、それよりも危惧するべきは老いの早さだった。短くても五百年は生きるであろう女王が、二百五十ばかりで老いを迎えている。余りに早すぎる。

「皆、現世の結末を知っている…。ドイツは人のものではない、新たなものに変わろうとしている。その先触れを兵が使っているけれど、余りに強すぎるわ」

「あの莫迦共は『神の国』を創ると言っていたが。…お前がそれを感じる所まで至っているのか」

「ええ…。貴方、戦いに行くのでしょう。ナチスを終わらせに」

「ああ」

「だったら、どうか…」

「待て!!」

 王座の肘掛けに力を込めた女王をテオドールは強く制する。

「アン、お前がそれをするな。お前は女王だ。絶対に、膝を着いてはいけない。父王も、教師も、(おれ)も、そう教えただろう。……お前が望むことは分かっている。言ったろう、己はお前の、何代も前の父に恩が有ると」

「テオドール…」

「約束を果たしてやる。……痩せおって。お前、配給も民と同じとしているのか」

 民と危険と耐乏を分かち、侵攻のせいで刻まれてしまった皺に触れる。見目は老女と青年だが、テオドールにしてみれば勝気でお転婆な少女のままだ。もう覚えている相手はいない約束を残していなくとも、その慈しみに手を貸しただろう。

「助けて、くれますか」

「良いだろう。お前の『願い』ならば。

……して、お前は如何動かす。次に打つ筈だった手は如何してある」

「!でも…それは」

「…ナンシー、お前が何も出来ないから民は動いているのでは無い。皆お前に繋がることを誇りとして従うのだ。処女はもう捨てたろう、迷うな」

「……ダライアスを呼び戻したわ。知っているでしょう?オズモンドの息子よ」

「狼血のか」

「興味なかったわね?でも、貴方はあの子のことを認めると思うわ」

 片眉を吊り上げてアン女王は人差し指を立てる。丁度その時、侍従が例の『狼血』の到着を知らせた。

 テオドールは王座から離れ、その男が入ってくるのを待つ。やがて現れたのは、長く使い続けているにも関わらず決して錆びず、一切の鈍さを捨て去った刃のような眼を持つ偉丈夫だった。

「…女王陛下。討伐軍第二師団長ダライアス・グレイズ、見参致しました。このような見苦しき様での謁見、誠に申し訳御座いません」

「よくぞ戻りました、狼血の主よ。アルデンヌ作戦では見事でした。貴方達の武は全て、私の耳に届いています」

「恐悦至極に存じます」

 ダライアスのコートは所々に煤が付き、その下には銀の銃身が隙間に見える。見目を整えるのも必要最低限に、武装を解く暇も無かったのだろう。

「面を上げなさい。貴方を呼び戻したのは他でもありません。ナチスの動きは大きく、このままでは戦いが決する前に我々は敗北するでしょう。その前にこの戦いを、元から絶たなければなりません」

「…は。御命令を、女王陛下。我が身は銃。この引鉄は陛下と祖国の為にあります」

 ダライアスの目がテオドールを見る。テオドールが目を細めるとその鋭さが増したが、ダライアスは静かにアン女王の言葉を聞いていた。

「グレートブリテンの女王が命じます。テオドール・ギフト、ダライアス・グレイズ、両名。第三神国へ向かい、アドルフ・ゴットフリート・ヴォーダン・ハイドリヒを討ち、大戦を終わらせなさい」


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