第十七話 剥離を埋める
ダライアスの目に朝日が映った。しかし感嘆の息をつく暇もなく、真上から降ってくるテオドールにダライアスは球状の何かを持つとピンを引き抜き迷うことなく投げる。
テオドールの背に当たり爆発…ではなく展開されたそれは緑色のスライムのような液体だった。液体はテオドールを丸ごと包み込むとそのまま地面に落下し、二、三回跳ねて静止する。
ダライアスが投げたのは【討伐隊】で重傷者保護の為に使われている治療ポッドの一種だ。見た目のまま柔らかく衝撃に強く、携帯が可能であることに加えこのポッド単独で回復が行えることから比較的実用されている代物である。
流石のテオドールもとうとう精魂尽き果てたのか動く様子はなかった。ダライアス自身、呪詛の塊といえる弾丸を使っても覚悟していたより身体に不調が起こらなかったのは不思議だが幸運だといえよう。遠目にグレートブリテンの旗が見えたことに息を吐いて瓦礫に腰掛ける。
が、その時。ポッドが弾けた。
「……は?」
顔の右側に粘り気のあるポーションが飛ぶ。そちらを向くと、全身緑色のポーションまみれになった男が這っていた。
「──何をしている蛇目!!」
ダライアスが一服しようとした途端にこれだ。しかしダライアスの割と本気の怒声を意に介することなくテオドールは起き上がる。その身体からは血がまた流れ、癒合しかけた傷が開いているのが丸分かりだ。
「大人しくしていろ!!死にたいのか!!」
「…………あ゛?」
テオドールの目は虚ろだ。譫妄か、とダライアスは遠い目になる。ポッドに包まれた時は大人しいものだったというのに何故今それを突き破ったのかと原因を探してみるが近くにそれらしいものは見当たらない。そこでダライアスは諦めの息を吐いた。恐らく、テオドールが感知したのは「グレートブリテンの軍」だ。
「足音がするじゃあねえか。何を寛いでいる」
「あれはブリテンの軍だ。貴様は動くな」
「己はまだ立てているだろうが」
話が通じない。当然ではあるが、ダライアスの苛立ちはここにきて──テオドールと初めて行動する人間にしてはかなり根気強かった方だが──とうとうピークに達していた。
そこでダライアスはふと思い至った。何故ここまで丁寧に接してやらなければいけないのか。既に主目的は達成され、戦争は終わった。遠く離れた極東戦線が終結するのも時間の問題だろう。第一ここでテオドールを放置していたら救援に来たであろうブリテンの軍がどんな被害を被るかを予想するだけでもたまったものではない。
ダライアスはホルスターに納めていた短銃を静かに抜く。そして目にも止まらぬ速さでテオドールの脳天を銃身で殴打した。
「…よし」
テオドールは無言で倒れた。平時ならばそもそも銃を抜いた時点で反応していただろうにこの様である。頭からの血で瓦礫が濡れるのを見てとどめを刺してしまったかとダライアスは脈をとったが、テオドールは気絶しているだけだった。
これまでになく晴れ晴れとした面持ちでダライアスは救援部隊と合流した。隊員達は一瞬まさかと驚愕したが、治療ポッドが弾けた痕跡と飛び散るポーション、倒れたままぴくりとも動かないテオドールに合点がいったように頷くと慣れた様子で救護班が運搬用の治療ポッドを展開する。
「では、“蛇目”殿はシャリテーに搬送致します」
「シャリテー?あそこは使えるのか」
「はい。どうやら昨晩の間にシャリテーは帝国が奪取したそうなのです。どこから情報が伝わったのかは分かりませんが、お二方が攻勢に出たのと同じタイミングで帝国軍が戻ってきたそうで」
「……」
「釈然としないお気持ちはもっともですが、お陰で我々は無血で来ることができました。シャリテーならば設備も問題ないことは存じておられると思います」
「…ああ、いや。ではよろしく頼む」
「シャリテー」というのは第三神国、ドイツ帝国以前にドイツ及びその周辺地域を支配していたプロイセン帝国が成立した頃に創設された国立病院である。性質上ドイツ帝国を支持していた人間が多く、第三神国にしてみれば帝国の象徴のようなものではないかと思えたがどうやら壊されていなかったようだ。
ブリテン軍の兵士に聞けば、第三神国の総統と幹部が軒並み倒されたからか秘密警察や親衛隊、その他諸々の兵士達は皆一様に気力を失ったという。第三神国の強みであった魔力の供給を絶たれたからかとダライアスは思ったが、どうやらそれとは様子が異なるようだ。しかしともあれ、残党兵による反乱は今は心配しなくても良いというのでダライアスは別行動をとる旨を告げた。
「どちらに向かわれるのですか?」
「地下施設に向かう。まだ生存者がいるはずだ」
「地下施設に…?了解しました」
「生存者」という言葉を使ったダライアスに兵士が首を傾げる。が、丁度その時別の兵士がダライアスを呼び止めた。
「グレイズ少将!ご報告と、言伝を預かっております!」
「言伝?何だ」
「はい。シャリテーの地下から子供が出てきまして。グレイズ少将への言伝があると、こちらを持っていました」
「子供だと?」
ダライアスは受け取った封筒をすぐさま開く。
[ダライアス・グレイズ様
結論から申し上げますと、貴方がこれを読んでいる頃には私は死亡しています。あの時は申し上げませんでしたが、私の心臓は第三神国の技術によって動いておりました。その動力は当然ながら魔力であり、あの水槽から供給される魔力で私の心臓は動いていたのです。それゆえ、私はあの実験棟の管理を任されていました。
私の遺体を回収して下さるなら、気をつけていただかなければならないことがいくつかあります。注意点を別紙に記しておきますので、細心の注意を払って実験棟に入ってください。そしてどうか、彼らに人道的な処置を行ってくださることを願っております。
子供達に関してはリーザに全てを話してあります。彼女は子供達の中で最も年長で、またとても聡明な子です。嘘や偽装は通用しないと思ってください。なにせ、自分がどう「使われる」かをここに来た直後に寸分違わず言い当てた子でありますから。
それでは。この手紙が貴方に届くことを祈って。
敬具
ヴァルター・シュヴァン]
「……。シャリテーの地下に通路が繋がっていたのか?」
「はい、そうです。子供は複数人いまして、ひとまず保護しましたが……」
「ああ、それで良い。私もシャリテーに向かう。通路は誰も入らないよう伝えろ」
「了解しました!」
ダライアスはしばらく手紙をじっと見つめ佇んでいたがそれを丁寧に畳んで懐に入れる。煙草に火を付けようとしたが、子供の前で煙の匂いをさせるのは良くないとジッポライターを戻しシャリテーに向かった。
* * *
「────!」
目を覚ましたテオドールが一番に感じ取ったのは鼻をつくエタノールと洗浄水の臭いだった。テオドールは咄嗟に剣を探す。が、それと同時に銃口が額に突きつけられた。
「何のつもりだダライアス」
「…どうやら本当に意識が戻ったようだな」
「──……お前。その面はどうした」
不可解だと表情が語るテオドールをよそにダライアスは椅子に座り直す。これまでのダライアスは三十代程の偉丈夫だったが、このダライアスは壮年を過ぎた頃合までに見目が老いていた。
「禁弾の代償と言えば分かるだろう。記憶や人間性こそ持っていかれなかったが、その代わり生命力を持っていかれた」
「そうか。…いや、寧ろお前の精神相応なのではないか?男前に深みが増した。良い面だ」
「それは結構。老いは成長の証と言うからな」
若者の外見のテオドールを皮肉るようにダライアスは口端で笑う。
「貴様の剣はあそこだ。使い魔の精霊はお前の弟子を迎えに行くと」
「崇はどうなった!!」
「起きるな!……貴様の弟子は無事だ。五体満足で負傷もほとんど無いそうだ」
「…そうか……」
「今は自分の体を治すことを最優先にしろ。その様子だと、自分の体がどうなっているか全く分かっていないようだな」
「そんなに酷いのか」
ダライアスの額に青筋が浮かぶ。
「……こいつを見れば分かる。
右肩及び関節、右上腕、左第六から第十肋骨が粉砕骨折。小さい骨折はまだまだあるが足だけ奇跡的に折れていない。首と左胸以外に裂傷多数、特に腹の中はズタズタになっていたようだな。挙句勝手に癒合していたようだからひたすらそれを剥がして元に繋げる手術を延々行ったそうだ。致命的な太い血管は軒並み外れていたがそれ以外が酷すぎる。むしろよく手術に耐えたものだ」
ダライアスがテオドールに見せたカルテの人体図は損傷指摘で埋め尽くされていた。
「ん。それだけなのか?」
「細かく挙げたら夜が明けるぞ」
「いや、頭がやたら痛む」
「さあな。頭は特に指摘は無いが」
「…………ダライアス。崇の様子はあれ以上伝わっていないのか」
暫しの沈黙が支配する。
「……外傷はほとんど無いため現在船で日本からこちらへ移動しているとの事だ。大陸を渡る手もあったが戦争が終わったとはいえ枢軸を……竹中崇を狙っている国はまだある。極東戦線は竹中崇が投入されたことでその被害が膨れ上がったそうだからな」
「……あいつはどう使われていた」
「…………。……貴様は『神風』を知っているか」
「『カミカゼ』?」
ダライアスは重く息をつく。
「現世の第二次世界大戦で運用された艦船への爆装航空機による体当たり攻撃を行う部隊。…要は空を飛ぶ機械を船に衝突させることで爆発攻撃とする部隊の事だ。極東戦線に竹中崇が加わるまでそれは計画書止まりだったが、竹中崇があちらに加わったことで神風特攻が開始された」
「おい。その話じゃあ、崇が突撃した事になるだろう」
「先の話は前提の情報だ。日本帝国軍に航空機を作るような技術力は無い。その代わり、日本軍は人間の血肉を爆弾とする攻撃術式を人間に組み込み、大隊を編成しその中核に竹中崇を据えた。術式に使う魔力を全て竹中崇から引き出せるように仕組んでな。
第三神国が日本に竹中崇をやったのはただ貴様から弟子を離したかっただけではない。竹中崇にヨーロッパ広範の神秘形態や魔法魔術の知識はあっても、日本の陰陽術や符術の知識は無かった。そのため竹中崇の魔力を思うまま引き出せる一方で竹中崇にそれを解除されないよう仕組むことが可能だったからではないかとされている。事実、竹中崇を除く大隊全員は人の形を失いただの肉塊となっても爆発攻撃をし続けた。連合軍側の死者が倍以上に跳ね上がったのはそのためだ。連合軍は途中、目標を竹中崇に据えたらしいが──」
「……爆発兵が崇を守ったのだろう。肉と成り果てても尚」
崇の血に宿った魔力が伝えた慟哭の全貌をテオドールはようやく知った。余りに無残、耐え難い死だっただろうに。崇は自分の魔力があるから兵士が復活し続ける事を分かっていた。それでいて自分で止めることができず、兵士を眠らせてやることすら叶わなかったのだ。大日本帝国軍の兵士はそれこそを誉れとしたが、崇にとっては地獄よりも惨い景色だったに違いない。
「……竹中崇は拘束される際、一切抵抗しなかったそうだ。旗を下げることこそ無かったがその感情は亡失していたと。出航前も一言も話さず、連れられるがままだったと報告されている」
「………………そうか」
テオドールは目を閉じる。会話の終わりを了承したダライアスはテオドールが目を覚ましたことを伝えるため病室を出て行った。
一週間後。
テオドールが病室から出歩くことを許可されるのと同日に崇が枢軸軍側の病院となったシャリテーに到着し、個室を与えられた。
テオドールは何も言わなかった。窓際の椅子に腰掛け濁った瞳で外を見る崇の隣にいるだけだった。
五日後。連合軍側だった青年二人が特別に崇との面会を許可された。ウォルフ・グレイズとクロード・G・リュピだ。
だが、友と再開しても崇の瞳は濁ったままだった。それどころか、彼らを認識していたかも分からない。
十日後。崇が自身の使い魔を撫でるようになった。言葉を発することはなかったが、射し込む太陽の光に目を細めるようになっていた。
三週間後。
「……師匠」
蚊の鳴くような声だが、確かに聞こえた。
「……どうした、崇」
いつものように、最後に会った時のように返事を返す。
「…………どうして、私は生きてしまったんでしょう」
崇の目に涙が滲む。
「私…………私は…………。死なないと、いけなかったのに。じぶんで、死ねなくて。
誰も、いなくなったんです。私だけが傷の一つも無くて、皆は、私を守って……守って、くれて、でも…………。
私の足下は、黒く乾いて。風は、肉の焼けるにおいがして。魔法のにおいも、符術のにおいも、わからなくなって。
私、どうして、生きているんですか。私は……あの人達の分までなんて、生きられない。だからいなくならなきゃ、いけなかったのに。……こわくて…………」
涙がその頬を伝う。テオドールはローブの裾を広げ崇を頭から抱き込んだ。
テオドールには左腕が無い。けれど抱きしめてやらなければいけない。崇を幼い頃ローブの中に入れていたように、その長い裾を広げて包み込む。
「……天地がお前を己のもとへ、そしてお前の父君に帰してくれた。お前はあの場所で死ぬ命では無かった。…お前が今、帰ってこれたのがその証だろう」
幼子をあやす様に撫でる。小さな嗚咽と震える肩を感じてようやく、テオドールの中で絡まり張り詰めたものが解けた。